6-2
どんなに暗い夜だとしても、空には月と星が瞬いているように、この世界に完全な闇は存在しない。
だが、今歩いている道は本当になんの光もない、本物の闇だった。
アベルが前を歩く気配がするから前に進んでいるが…
正直そのアベルの後ろ姿も、道を作っているはずの荊さえも、俺の目には映っていない。
夜目は他の生き物に比べて効く方だと自負している。
それなのに、今目に映るのは何もかもを飲み込む黒であり、他の生き物たちの気配だけを探ってただ歩き続けている。
「…アベル、お前よく進めるな。」
そんなことを思わず問いかけてしまうほどに、この何も見えない世界は居心地が悪い。
ここにあるのは今までに体験したことのない、言い知れぬような"無"の恐怖だ。
警戒心を存分に上げ、その身を異常に強張らせた俺とは違い、アベルはそれほど動じていないようだ。
その証拠に、俺の言葉に返した「あ゛っ?」という機嫌の悪いアベルの声には、それほど強張ったものが含まれていない。
「………あぁ、そっか…お前には見えてないもんな。」
短い沈黙の後、アベルがなにかを悟ったようなそんな声を上げる。
「今お前には見えないかもしれないが、"エレメント"って呼ばれる魔法の元素…みたいなもんが漂ってるんだ。"精霊"とも呼ばれるが、普段可視化されないそいつらがこの森ではその地質上見えるようになる。俺は"火"のエレメントに強い適性があるから、赤い光の玉みたいのがここに漂ってるのがよく見える。」
-エレメント?
魔法が使えない俺にはよく理解できないが、それはつまり…
「…周りが見えてるってことか?」
「はっきりとじゃない。」
-…なるほどな。
それならすぐ前から感じる迷いない足取りにも納得がいく。
「…たぶん、そろそろ広いところに出るからお前にも見えるってさ。」
まるで誰かから聞いたことを伝えるかのような、他人事っぽい適当な口調でアベルが俺に声をかける。
「…なんか知んねえけど、そう聞こえるんだよ。エレメントから…」
別に口にも表情にも出したつもりはないのに、アベルがそうどこかばつが悪そうな感じで、俺の違和感に答えてくれる。
その言葉が真実だと伝えるように、かなり遠くの視線の先に、仄かな光が見えるのを俺の目が感知した。
***
そこはまるでその場所だけ世界から切り離されてしまったかのような、幻想的で静かな、美しい夜をくり抜いた世界だった。
濃藍色に藤色、濃い紫、水色、淡いピンク、仄かなオレンジを絶妙に混ぜ合わせた空に、金銀瞬く星がキラキラと散りばめられている。
どこまでも惹きつけられ、魅了される果なき夜空。
その下に照らされる拓けた草むらには色とりどりの淡い色をした可憐な花が揺れている。
そのちょうど真ん中には、美しい夜空をまるっと映した大きな湖…
そのちょうど手前に見慣れた人影が1つ。
「シレーヌッ!」
俺の横をテヤンがすごいスピードで突っ走っていく。
その声でこちらの存在に気がついたらしい彼女は、目を丸くし、少し驚いた表情で振り返った。
突進でもしそうな勢いでシレーヌを抱き寄せるテヤンをどこか冷めた目で見ながら、俺も周囲を警戒しながら早歩きで2人の元へと近づいていく。
-…いないのか?
どんなにこの場に視線を走らせようと、"アイツ"の姿を見つけることは出来ない。
普段の様子からは想像できない、明らかに余裕なく抱きつくテヤンの様子に頬を染めながらも、困惑した表情のシレーヌが俺の方を向く。
「シレーヌちゃん。アイツ、ター…」
そこまで言ったところで急に自分の体が乱雑で凶暴な力で拘束され、さらに地上から随分高いところで逆さ吊りにされる。
「なっ!?」
「っ!!」
「アベルっ!!」
逆さまになった視界の下の方で、テヤンが咄嗟に大剣を抜き、シレーヌが驚きのあまり声もなく悲鳴をあげている。
チラリと見える身体をぐるぐる巻きにする深緑にさらにこげ茶を混ぜたような不気味な色合いの見たことのある荊。
どうやら地面から突如生えてきたそれによって俺は逆さ吊りにされ、拘束されているらしい。
-こんなことする奴、"アイツ"以外にいるわけがない…
「…おいっ、ターニャ。」
「そちにわしの名を呼ぶことは許してないぞ、赤髪。そして、三度目はないと伝えておいたはずだがのぉ?」
男とも聞き間違いそうな女にしては低い、男にしては高い、無機質なくせに妙に色香のある、そんな矛盾した遊ばせた声がすぐ目の前に降ってくる。
ふわりと俺の正面へと現れたその容姿は、一度目に見たときより幼く、二度目に見たときより中性により、その髪を淡い紫のベリーショートに、肌を象牙色へと変えていた。
「久しいのぉ〜、人間の赤髪の小僧。虫酸が走るほど会いたくなかったぞ?」
そう言って俺の頬をペチペチと叩きながら、タチの悪い満面の笑みを浮かべては"妖精"がクスクスと笑っている。
「ホラ吹いてんじゃね〜よ。俺がテヤンと一緒にいることを知ってたから、わざとシレーヌを攫ってまでここに誘き寄せたんだろ?本当に性懲りもない、困ったガキンチョだな?」
わざと挑発するようにそう言ってやれば、流石に機嫌を損ねたのか形の良い眉が片方器用に上がる。
と同時に、俺を締め上げる荊がきつく締まり、無数にある棘が身体中に突き刺さる。
「くだらない戯言は程々にするんじゃな?そちがガキンチョとほざいたわしは、ぬしよりも何千年も生きている崇めるべき存在じゃ。全くこれだから…矮小な人間共は。」
憐れみというには黒すぎる、侮蔑の感情を強く宿したペリドットが俺を見下ろしている。
「まぁ、そんな小賢しい人間でも、道案内くらいは出来たようじゃし、その愚かな行いは大目に見てやることしよう。なんと寛大なことかのぉ〜」
"妖精"はそう言って、慈愛を貼り付けた薄気味悪い笑みを浮かべ、その細い指をパチンと鳴らす。
と同時に、今まで俺を拘束していた筈の荊が一瞬にして立ち消え、俺の身体は乱暴に地面へと叩きつけられる。
「チッ……もっと丁寧に扱えよ。」
「おや、それはすまなかったなぁ。なんせ人間がそれほど柔な造りをしとるとは存ぜぬからのぉ〜」
咄嗟に受け身を取り、衝撃を抑えたからいいが、"妖精"は悪びれる様子もなく意地悪く笑っている。
「さて…『ようこそ、我が精霊族の森へ』」
"妖精"は俺から視線を外し、こちらの様子を黙って見守っていたシレーヌとテヤンを目を細めて見据えると、作り物めいた美しい笑みを浮かべながらそう口にした。




