3-2
あの夜、木の上に放り出された雑な扱いに、文句を言おうとして固まった。
先程まで私を担いでいたはずの彼の周りに、もうすでに3つの人影が倒れていたから。
そして、そのあとすぐに続く彼の動きに目を疑った。
驚くほど早く、無駄なく、確実に相手を沈めていく…
一見すれば武術の型のようだとさえ錯覚しそうな、そんな正確で流れる動き。
そうして見惚れた数秒、その場にいたほぼ全ての敵は地に伏していた。
言葉を失い、固まった。
でも、さらに衝撃を受けたのはこちらに蹴り飛ばされた男の胸が、きちんと上下しているのを見てしまったから…
ゾッとした。
あのほぼ刹那と言っても過言ではない僅かな間で、彼は正確にその力を図り、意識を刈り取るだけに留めていたという事実に。
戦える力を持ち、それを生き物に向けたことがある者ならわかると思うが、勢いのままの殺生は意外と簡単だ。
粉砕しようが、一部を切り落とそうが、命を奪えばいいのだから…
だが、殺さない程度に致命傷を与えるのは難しい。
新鮮なまま食材を運ぶため、国の狩人たちがそうやって獲物を狩ると聞いたことはあったが…
それだって技術や経験が必要で、なかなかに難しいと言っていた。
それを息ひとつ切らさず、当たり前にやってのける人。
じゃあ彼が本気で戦っていたら?
…あんな濃密な殺気を纏う人が、僅かな戦歴の持ち主とは思えない。
その前に、
本当に彼は、同じ、この世界の生き物なのだろうか?
その刃が私に向くことはない。
そうわかっていても身体が震えるのだ。
絶対にこの人には敵わない。
そんな確信が恐怖を煽るのだ。
この人は、簡単に私を殺せてしまう…
「…図星?」
アベルが意地悪な笑みを浮かべて、私の顔を覗き込む。
「普通にしなきゃって思ってるわ。でも"圧倒的なもの"への恐怖心って、理屈じゃないのよ。」
「………あぁ、そういうこと。別にテヤンに対して嫌悪感はないのね。」
ぐっと噛み殺したような私の声に、アベルはどこか拍子抜けしたような、安心したような、そんな気の抜けた表情をした。
そして、まるで興味が逸れたように、ドサっと後ろに倒れ込み、土の上へと寝っ転がった。
「恐怖心みたいなのしかないなら大丈夫。そのうちそういうのはなくなるからさ〜。」
「でも…気分悪くないかしら?そういうビクビクされるのって。」
「テヤンは慣れてるし、周りの反応なんて期待してないよ。」
-期待してない…か。
確かにテヤンにはそんなところがある。
それなりに話をして、馴染みの仲になったとしても、どこかそれ以上踏み込まないし、踏み込ませない。
他人は自分を取り巻く要素の1つであり、それ以上でも以下でもない。
そんな感覚。
-でも、それってとても…
「…寂しいわね。」
「……まぁね。俺だと、いつもあと一歩のところでさっきみたいに失望されるから、踏み込ませてくれないんだよね〜」
溢れでた素直な感想。
それに同意するように続いたアベルの言葉に首を傾げる。
数日前に出会ったばかりの私より、アベルの方がずっと気安く、近い距離にいるように見えるのに…
「…俺は無意識に"人間"と"そうじゃない奴ら"を区別しちゃうらしくて…いや、俺だけじゃなくて、大体の人間はそうか。それがアイツには拒絶されてるように感じるのか、その度に距離を作られるんだよ。」
アベルはそう私に説明するように言うと、言ってて眠たくなったのか、大きな欠伸をひとつ落とした。
「まぁ、アイツは自分で言う通り、"人間"じゃない分、相手に対する考えとか思いとかを理解するのに疎い。なんか思うことあるならきちんと、真っ直ぐに話に行くことを勧めるよ〜……俺は寝る。」
そう気だるげな様子で勝手に喋ると、アベルはそのままの静かに昼寝を始めてしまった。
その様子に呆れつつ、その言葉の意味を繰り返し考える。
-真っ直ぐに話す…
森を吹き抜けた風が、何かを囁くように木々を少し大げさに揺らした。
***
火は嫌いではないが、苦手だ。
パチッ、パチッと、木が弾ける音は小気味よく、闇に映える赤に近いオレンジは暖かく辺りを照らしている。
聞く分にも、見てる分にもそれらはどこか心安らぐ。
だが、それに近づくのはどこか緊張感が芽生える。
「…どうした?」
ゴソゴソと、布擦れの音が聞こえてたから、起きているのは知っていた。
ロッハウを出てからこの3日。
しばらく、落ち着かないように動く気配があって、すぐに寝付けない日が続いていることも知っていた。
でも、起きてきたことは今まで一度もなく、今日もそのまま時間が経てば寝るだろうと思っていたのだが…
ザッと、ザッと、少しすり足気味な小さな足音に顔を上げれば、焚き火近くで丸くなっていたはずのシレーヌがすぐそばまでやってきた。
焚き火から5メートルほど距離を空けた辺り。
ずっしりとした木の幹に寄りかかって座る俺の横に、何も言わず、シレーヌがストンと座り込む。
「眠れないのか?」
「……うん。」
小さく返されたその声に、ただ「そうか」とだけ呟くように返す。
この数日、互いに距離を取っていたのに、すぐ隣に座ったことに違和感を感じる。
-離れないと言うことは、嫌悪感はないのだろうけど…
「…ごめんなさい。」
少しの静寂の後、シレーヌがまた小さく声を発した。
突然の謝罪。
探るように隣へと視線だけを移す。
「…もういいのか?」
"まだ怖いなら無理するな"。
そんな意味を込めて返した言葉に、シレーヌの顔が強張った。
どうやら正確に伝わったらしい。
「…ごめんなさい。気分悪かったよね?」
「いや、別に。慣れてるしな。」
自分たちの理解できない圧倒的な力を恐れない者なんていない。
だから、シレーヌがあの大人数の刺客と戦った時から、俺を怖がっても何ら不思議に思わなかった。
だろうな…と、
それだけ。
「テヤンが気にしてなくても、私が気にするのよ!だって貴方は…」
そう言うとシレーヌは何かを言い澱むようにぐっと唇を噛んだ。
-コイツはよく気を遣うよな…
そんなどこかぼんやりとしたことを思ってしまう。
大体の人間は、俺に気を遣うことなんてないのに…
「…旅するのに、テヤンは私の要望を聞いてくれたでしょ?嬉しかったの。依頼としてだけじゃなく、私自身をどこか1人の対等な相手として見てくれたのが…そうやって、私が王女だとか、帝国の者だとか、関係なく受け入れてくれたテヤンを、拒絶してしまった自分が許せない…」
「………アンタは悪くない。強い者を恐れるのは当然の感情だ。」
「だからって、テヤンだって!…拒絶されて、傷つかないわけじゃないわ。そのことを、私は…よく、知ってたはずなのに……」
そう言って、抱えた膝の上に自身の顔を埋めるシレーヌを、ただじっと見下ろす。
-傷ついていたのだろうか?
受け入れられないことが当たり前の俺には、それが哀しいことだとわからない。
「…シレーヌはどうしたいんだ?………俺はどうしたらいい?」
人の喜怒哀楽は表情を読めばすぐわかる。
けど、何を考え、何を思っているか。
なぜそんな感情をもっているのか。
そういったことが俺は想像出来ない。
俺と人間との間には、圧倒的に埋まらない価値観や思考の溝がある。
だから、どうして欲しいか望みを聞こうと思った。
「…ただ謝りたかっただけ、ただそれを聞いて欲しかっただけ……」
腑に落ちる物はなかったが、なんとなく理解はできる気がした。
きっと何かやり場のない感情を、形にすることで吐き出したかったのだと…
アベルがよく、子供を慰める時にしていたように、そっと下を向いたままの頭を優しく撫でる。
夜風に当たったせいか、少しひんやりとした細い髪が、指に絡まることなく撫でつけられる。
「気、遣い過ぎだ…」
「だって、テヤンが何も言わないから…いつも"仕方ない"ってなんでもうけいれるから……」
批難の色を混ぜ込んだ拗ねた口調に、思わず顔をしかめてしまう。
-そうは言っても…俺はそれ以外の方法を知らない。
「…俺はどうしたらいい?」
するりと、素直な疑問が口を出る。
じゃあ、どうしたらシレーヌは気を遣わなくて済むのだろう?
聞いてみようと思ったのだ。
「……もう少し、思ってることを話して欲しい。」
少し悩んでそう言葉を口にすると、膝に伏したまま、シレーヌはまた窺うようにこちらへ視線を寄越した。
「………必要なことか?」
「必要なことよ。」
「…わかった。」
なぜ俺の思考を話す必要があるかはわからなかったが、シレーヌが意固地っぽくそう言い張るので、素直にそう言って従った。
別に、話すだけなら少し手間だがそれだけでしかない。
すると、俺の言葉を聞いたシレーヌがずいっと小指を突き出した。
「…これは?」
「指切り。嘘つかないように、約束。」
有無を言わさぬ物言いに、黙って小指を差し出すとスッと弱い力で絡め取られる。
水に手を浸したような、そんなひんやりとした小さな小指は、それだけで心落ち着かない気分になる。
「…身体、冷えてんなら火の近く戻って寝ろ。」
「…もう少しおしゃべりに付き合ってくれたら寝るわ。」
軽く二、三度指を揺らして離したシレーヌに、そう声を掛ければ、そんな子供のような屁理屈を言われる。
こちらを見て控えめに、悪戯な笑みを浮かべた彼女の顔は、もう俯いてはいなかった。
アベルの中にある、無意識の"人間至上主義"、"異種族差別"を上手く書くのが難しい。
あからさまじゃなく、言動の端々に滲ませる…
大切なテーマなので、表現出来てることを祈る。