EX1 吐露とオーケン
EX 1 吐露とオーケン
吐露とオーケンが生まれ育った町を去り、次の町へと足を運んだ時である。
吐露は夜が遅いので眠ることにした。金も何も持ってはいないので、路上で野宿するほかにない。段ボールを調達し、家と家の間のわずかな隙間に身を横たわらせた。
「俺たちはどうすればいいのだろう。」
吐露は煌めく冬の星空に言った。吐いた息は夜空を白く染め、すぐにまた輝く夜空が現れる。
「楽しめばいいんじゃないかな。生きるためには楽しみがないといけないよ。」
「楽しみ……か。」
吐露は己が何の楽しみも抱いてこなかったことを思い知らされた。途端に星空が目の前に迫ってきて、吐露を押しつぶそうとしているように思えた。
「しばらくは追っても来ないだろう。だから、今はゆっくり休めばそれでいい。」
吐露はゆっくりと瞼を閉じた。オーケンと出会い色々なことがあったことを思い出しながら、漆黒の海に身を委ねていった。
次の日、吐露は目を覚ました。
「やあ。おはよう。吐露。」
吐露は夢を見ているのだと思った。目の前には少女がいる。見たこともない明るい髪の色をした少女だった。
「どうしたんだい、吐露。夢でも見ているような顔をして。」
「実際俺は夢を見ているのだろう。それにしてもお前は誰なんだ?」
「夢じゃないよ。私だよ。オーケンだ。」
吐露の頭は納豆をかき混ぜた時の渦のようにこんがらがる。何を言われているのか理解できない。吐露は己の中のオーケンに話しかける。
「おい、オーケン。寝てるのか?」
「いや、目の前にいるのが私なんだけど。」
吐露の目の前の少女は吐露の頬を思いっきり抓った。
「痛い、痛い。」
少女は満足した顔で吐露の頬を開放する。吐露は抓られて痛みが響いている己の頬を大事そうに撫でた。
「夢でないのは分かった。だが、どういうことなんだ?」
蜜柑の色のような髪をした少女はブリキの体を持っていたオーケンとは正反対のように思えた。冬だというのに、橙色と白の衣服を身に纏っている。スカートは痴女であるかのごとく短く、異様に長い、タイツのような靴下を橙色の少女は身に纏っていた。
吐露は己の背中を触る。どうもまだブリキの顔面は吐露の背中に引っ付いているらしい。冬の寒さによって、ブリキの背に触った吐露の手は一段と冷えた。
「フライエが私たちに託したものがあっただろ?あれはアミノ酸精製ユニットなんだ。つまりは、肉体を作るためのものだ。それを使って、私は人間の体を作って魂をここに込めたんだ。」
「ちょっと待ってくれ。」
吐露は働かない頭を回転させ、己の中に生まれた一滴の墨汁のような疑問を見つめる。
「それはおかしくないか?だって、お前たちは人間の皮の中に入るんだろう?でも、人間の体が作れるのなら、意味がないんじゃ。」
「それは彼らだけだね。私以外はこの地球に来ることを想定していなかったから。でも、私はずっと前から肉体のデータを集めて構築していたんだ。」
「では、疑問その二だ。お前は女だったのか?」
目の前の少女が己と同じ体で過ごしていたという事実に、吐露の鼻の穴は広がる。だが、冷静に考えると、オーケンの本体は機械なのだ。欲情の余地もないのだが、そうとはいかないのが男の性であった。
「いや。どちらでもないよ。でも、一度この体になってみたかったんだ!萌えだね。うん。ずっと私はこの地球に不満を持っていたんだ。何故ならば!この地球には萌えがまだ根付いていないんだ!せっかく、地球のオタク文化に侵食されたというのに無駄じゃないか!」
「お前の言っていることは分からん。」
吐露は今一オーケンの意図が掴めないのであった。
「さて。私がこの姿でいられるのは一日程度だ。なら、この身体で思いっきり楽しもうじゃないか、吐露!この町を探検しよう!」
「いや、俺たち、いや、俺は警察に追われているんだが。」
「気が付かないさ。それに、気付かれたらいつものように逃げ去ればいい。」
「本当にいつものように、になってしまってるとことが何とも言えないがな。」
少女の顔はとても表情豊かで、この世界を謳歌しているように見えた。吐露は友が笑顔でいるのが嬉しく、一日だけなら付き合うことを心に決めた。
「まずはさ、吐露の服を買わないといけないと思うんだよね。」
オーケンは吐露の服装を目を細くして睨む。血と地に汚れた、今となっては学生服だったのかということさえ疑わしくなる有様だった。
「適当に安い作業着を――」
「ダメだよ!」
オーケンは餅のように柔らかい頬を膨らませて怒る。吐露は頬を膨らませて怒る人間を始めて見るので苦笑してしまった。
「なにさ。」
「何でもないよ。」
吐露はあまりお金を使いたくなかった。
町を出て、吐露はお金を稼がなくてはならなくなった。肉体の維持にはアミノ酸を摂取しなければならないそうであり、それはつまり、食事をしなければならないということだった。吐露はこの町にたどり着いて、職はあるのかと思ったが、あるところにはあるものなのだった。それは早朝の新聞配達や牛乳配達であり、吐露のように無休でいられる体がないと苦しい仕事なのであった。そのくせ、稼ぎは人が食べていけるほどの量ではない。人間の十分の一ほどで済んでいる吐露だからこそ何とかなることなのであった。
開店直後の店に吐露とオーケンは入って行った。渋る吐露の手を引いてオーケンは店に入って行く。店主の中年女性は吐露の姿に顔をしかめたが、特に何かを言ってくることはなかった。
「吐露にはどんな服装が似あうかなぁ。イメージカラーはピンクかな。うん。」
「ちょっと待てよ。俺の服よりもお前の服を買えばいいんじゃないのか?」
「あのね。私は今日一日しかこの姿でいられないんだよ。あ、私の体が消失したら、服を回収しておいてね。下着の匂いを嗅いだりしたら殺すからね。」
「そんなことしねえよ!というか、お前、服も精製できるのか?それなら、買う必要もないんじゃ――」
「残念ながら、これは私の私物なんだ。人間の少女になれたら着てみたかったんだよね。うーん、最高。」
顔を紅潮させて天に向かい微笑むオーケンは危ない性癖の持ち主としか思えなかった。吐露はその隙に動きやすそうな衣服を手に取り、店主に渡そうとした。
「ダメだよ。そんなダサいのじゃ。」
「別にいいだろ。」
「よくない!だって、女の子と二人で出歩くのにそんなだぼだぼの親父みたいな服はないでしょう。」
男でも女でもないだろう、と吐露は心の中で思った。
「分かったよ。オーケンが勝手に選べよ。早く選ぶのと、高いのはダメだからな。割引になっているのを狙えよ。」
「ケチ。」
「誰がケチだ。」
オーケンは無茶なことはせず、衣服を選んでいった。
「そんな派手なので大丈夫かよ。」
吐露は目立つ格好により己の正体が露見することを恐れた。今日の外出もあまり乗り気ではなかったのだ。
「大丈夫、大丈夫!」
お金を払い品物を受け取った吐露はオーケンにまたも手を握られて、店の外に出た。オーケンの手は冷たい内側が鋼鉄の腕である吐露の手に比べて、火傷しそうなほどに温かかった。
吐露は人気のない路上で服を着替えた。
「うん!いいと思うよ。」
「そうなのか?」
吐露にはそこがよく分からなかったが、学生服で動く方が目立つ気もしていたのでよいか、と納得する。
「さて、用事も済んだことだし、人気のないところでじっとしているか。」
「どうしてそうなるのさ!」
オーケンは子どものように騒ぎ始めた。
「どうしたいんだ。」
吐露は顔をしかめてオーケンに尋ねる。オーケンはこんなに子どもっぽい性格だったのか、と吐露は少し驚いていた。
「町を見て回ろうよ。折角だから、風を感じるんだ。」
「へいへい。」
吐露が先に行こうとすると、オーケンはまだ立ち止まったままだった。どうしたのか、と吐露が後ろを振り向くと、オーケンは何かを訴えるようにじっと吐露を見つめている。
「なんだよ。」
「手、繋いで。」
「ガキかよ。」
「……」
吐露はオーケンの作り出す沈黙に耐えられなくなり、仕方がなく手を握った。そして、まだ昼前の町を歩いた。平日の町は、お昼の食材を買いに来ている主婦で溢れている。
「ねえ。吐露は手をつなぐのが恥ずかしくないの?」
オーケンはごく自然と歩いている吐露を見て少し悔しかった。
「別に妹とずっと手を繋いでいたしな。それに、小学校までは桔梗とも繋いでいた。」
「どうして君はそこで別の女の名前を出すかなぁ。」
「いけなかったのか。」
「そりゃあね。私と吐露はデート中なんだよ。ちょっとくらい気を使ってくれてもいいんじゃないかな。」
「デートってなんだ?」
「そこからなの!?」
オーケンは大きく肩を落としてしまった。吐露はそんなオーケンを呆れた目つきで見ていた。
「あれだよ。逢引ってやつだよ。分かるかな。」
「いや、俺はお前のこと女として見てないから。」
「それさ!とんでもなくショックなんだよ!幼馴染みに言ったら包丁で刺し殺されるフラグナンバーワンだからね!」
「言っていることは少しも分からんが、お前は俺の幼馴染じゃないだろう。」
「物凄く的確な指摘だよね。」
「あと、俺は雄雌としてお前を区別していない。というか、自分で性別がないって言ってたよな。」
「そうなんだね。もしかしたら、この時代の朴念仁は2005年の朴念仁よりも強敵かもしれない。あと、胸あるからね!なんなら、触るかい!?」
「とうとう気でも狂ったか?」
吐露はオーケンの胸の丘陵を眺めて、嘲笑し、侮蔑した目つきをして、大きくため息をついた。
「物凄く失礼だよ、それ。貴様の胸は断崖絶壁だな、ここから身を投げ出した犯人は即死だな、みたいな顔!」
「まあ、なんだ。50年後には少しは成長してると思うぞ。」
「この!」
オーケンは吐露の頭を拳骨で叩く。だが、つないだ手は決して離しはしなかった。
「随分とおしゃれな店も多いね。」
オーケンはジュエリーや海外のブランドものの並んでいる店のショーウィンドウを眺めながら言った。
「近くに大きな町があるからな。でも、俺たちは人のいないところに行かなければならないから。」
「それが何を意味するのか分かっているのかい?」
オーケンは固い口調で吐露に言う。
「それはね、君が生きるために虫を食べなきゃいけないということだよ。」
「それがどうした。」
「嫌だからね!私は食べなくないから!虫みたいなのは嫌だから!」
「でも、戦争中は食べざるを得なかっただろうが。今でも居酒屋で虫が出されるぞ。」
「聞きたくない、聞きたくない。」
オーケンは必死で耳を塞いでいた。
「しかしまあ、本当に平和な町なんだな。」
平和な町とは、悪を根絶やしにする町である。とどのつまり、悪である吐露は警官たちに周りを囲まれる結果となったのだった。
「君――」
「なあ、オーケン。腕を見せたら驚いて逃げやしないだろうか。」
「残念ながら、吐露だけじゃ私の体は使えない。それに、きっと発砲されるだろう。吐露の体は大丈夫だけど、私の体は人間そのものだ。つまり、銃で傷付いて死んでしまうと私の魂は消えてしまうというわけだ。」
「つまりは潔く捕まるほかにないと。」
「そうはさせないよ。」
オーケンは吐露の手を引っ張り、路地裏へと逃げていく。警官たちは怒鳴り声を上げながら、吐露たちを追いかけていった。
「ひゃあ。おっかないおじさんたちだな。」
怒鳴り声に体を大きく振るわせたオーケンが言った。
「おい。前からも来てるぞ。」
「なら、こっちだ。」
オーケンはさらに横道へと逸れていく。
そして、たどり着いた先には高いフェンスが立ちはだかっていた。つまりは行き止まりなのであった。
「ううぅ。どうしよう。」
「登れ。」
吐露はオーケンに網目状のフェンスを上るように言った。
「嫌だよ。パンツが見えちゃうじゃないか。」
「そりゃ、そんな短いスカート穿いてりゃあな。」
吐露は無理矢理オーケンの尻を押して、フェンスを上らせる。
「どこ触ってるんだよ。」
「うるさい。」
吐露の手を柔らかい感触が包んだ。女の尻とはこれほどまでに柔らかいのか、と吐露は感心してしまった。
「吐露の変態。」
「早く上らねえと追いつかれるって。」
吐露がフェンスを上り始めた時、警官たちが吐露に追いついた。急いでフェンスを乗り越えようとする吐露に警官は発砲した。
「いきなり発砲するヤツがあるかよ!」
自身の身が危うい時以外は基本的に銃の使用は認められていなかった。吐露は警官が軍上がりなのだろうと結論付けた。吐露の背中に痛みと衝撃と、温かい血が垂れる感触が伝う。
吐露は何も考えないようにしてフェンスを乗り越え、逃げていった。
「大丈夫かい。吐露。」
「体が頑丈なおかげでなんとかな。それよりもお前に怪我がなくてよかったよ。オーケン。」
「もう。いつも他人のことばかりなんだから。でも、ありがとう。吐露。この姿になって初めて私の名前を呼んでくれた。」
「そうだったか。」
「そうだったよ。」
吐露の背中の銃創は消え始めていた。機械の体であるのに、どうにも人間臭く、吐露はそこが不思議でならなかった。
「なあ。どうして俺の体からは血が流れるんだ?お前には血なんて必要ないだろ?痛みだって、ない方が楽なんじゃないのか?」
「でもね、そうすると、吐露が自分が人間であったことを忘れてしまうんだ。つまり、吐露の魂はなくなってしまう。そのために、私は人間と変わらない体を作ったんだ。」
吐露とオーケンは夕陽の見える丘まで逃げていた。ここまでは警官も追っては来ない。落ちていく夕陽を見ながら、吐露はオーケンとの時間が残りわずかであることを悟った。
「吐露。君が消えてなくなってしまわないようにお願いがあるんだ。もう、私の能力を使わないでくれないかな。君が私の能力を使う度に吐露の命は短くなってしまう。」
「でも、お前としては、俺がいない方がいいんじゃないのか?」
「合理的に考えればね。でも、私と吐露がぶつかったあの日、何かが決定的に決まったんだ。」
オーケンは己に心というものの鱗片を見せた姫のことを思い出していた。
オーケンは落ちこぼれの機械化兵であった。戦地に赴くほどの能力はなく、お飾りである王族の護衛を任されていた。無休での城の警護であるが、休息を必要としない機械化兵にとっては戦地よりはマシな職場だったといえよう。
「あなた。」
オーケンは声を聞きとったが、相手にはしない。
「あなた。疲れてはいないかしら。休息を取ってはどう?」
「だからといって、ここから離しはしません。」
オーケンの腕には一人の可憐な少女があった。城の外へと出ようとしていた姫、クローズである。
「なによ。折角一番警備がちょろそうなところから逃げられると思ったのに。」
「姫。お部屋にお戻りください。」
「嫌よ。いつも部屋でお勉強なんて。」
「部屋にお戻りください。」
「あなた、それしか言えないの?でも、部屋に戻るのは嫌。そろそろ離してくれないかしら。城の外には出ないから。でも、ここにいるのはいいでしょう?」
「上司に許可をもらわなければ。」
「あなた、自分で考えるっていうことができないの?それとも、放棄してしまっているのかしら。私が命令しているのよ。私はこの星の姫、クローズなのよ。どうよ!」
「そう言われましても。」
小さな胸を張る銀色の髪をした少女にオーケンは困惑してしまう。どうして人間の少女は機械化兵である己に話しかけているのか。心を持たぬ己に、まるで同じ人種のように。
「あなた、名前は?」
「0-KENです。」
「よし。あなたは今からオーケンね。うん。そんな機械みたいな名前よりこっちの方が可愛いわ。」
「オー……ケン……?」
「ええ。そうよ。オーケン。私は部屋には戻りたくないの。だから、お話しましょう?あなたのお話を教えて欲しいの。」
「私のお話?」
だが、オーケンには語るべき話などなかった。なので、話すのはクローズばかりであった。
「姫。そろそろお戻りにならないと。」
「そうね。何だかんだでお腹が減ってしまったもの。あと、私のことを姫なんて呼ばないで。クロって呼んでくださらない?」
「しかし、姫。」
「クロ!」
クロは怒ったような顔をしてオーケンを睨んだ。そんな時である。
「姫様。お食事の用意ができています。」
「どうも、ずっと監視されていたようね。」
お世話用の機械がクロを呼んだ。クロはうんざり、というように肩をすくめる。
「オーケン。また会いに来るからね。」
「お部屋にお戻りください。」
「次に会う時はそれ以外のことを言えるようになっていてね。」
そう言ってクロは己の部屋に戻っていった。
その後、オーケンは交代になり、データ閲覧室にて様々なデータを参照した。会話について調べると、会話獲得アプリケーションなるものがあることを吐露は知った。早速インストールしようとしたが、容量が大きすぎてどうしようもなかったのである。次に心について調べた。だが、それは禁則事項のようで、閲覧自体ができなかった。オーケンは己についても調べようとしたが、機械化兵にまつわる事柄のそのどれもが閲覧禁止であった。
次の日、オーケンのもとにクロが訪ねてきた。
「疲れてはいないかしら。」
「お部屋にお戻り――」
また、何か言われるのであろうと思い、オーケンは何を言うべきか戸惑った。だが、答えは出てこなかった。
「隙あり!」
フリーズしているオーケンの隙をついて、クロは建物の外へと出て行ってしまう。
「姫!」
オーケンは急いで姫を追った。
姫は城壁の内側の日の当たる草むらに座っていた。明るい色の花々に囲まれた、白い衣服を纏った少女は実によく目立っていた。
「遅いわね。オーケン。あなた、それでも機械化兵なの?」
「はい。」
「もう少し怒るとか、したらどう?」
「怒る、とはなんでしょう。」
クロは丸い目を見開いてオーケンをじっと見つめていた。オーケンはクロが驚いているのだと知った。
「サイボーグって色々大変なのね。もとは私たちと同じ人間なのに、改造されて心を失って。」
「サイボーグ、ですか?」
オーケンはクロの言った言葉がにわかに信じられなかった。己がクロと同じ人間など想像できない。この鋼鉄にまみれたからだと、握れば潰れてしまいそうな華奢な少女とがもとは同じ存在だったなど……
「そうなのね。あなたたちは自らの出生について知らされていないのね。でも、そんなことどうでもいいと思わない?だって、ここに私とあなたがいて、その間に綺麗な花々がある。それだけで幸せではないかしら。」
「綺麗、ですか?」
「そう。私とあなたと、この花々のことを綺麗だっていうの。記憶装置に忘れないように刻んでおきなさい。」
「承知いたしました。」
オーケンは記憶装置に綺麗という言葉を刻んだ。
綺麗=クローズ姫=0-KEN=花
「どう?何かお話できるようになったかしら。」
クロは猫のように日向を楽しみながらオーケンに尋ねた。
「いいえ。会話用アプリケーションは容量不足のためインストールできませんでした。」
「あなた、馬鹿正直なのね。あんな軍事用のもの必要ないわ。普通に話せばいいの。」
「どうすればいいのか分かりません。」
「自分のことについて話せばいいの。」
「どうすればいいのか分かりません。」
「なら、私の真似をしなさい。私のところを自分自身に置き換えて話すの。そうすれば会話はうまくなるわ。」
クロは己の置かれている状況について話した。だが、そのどれもが勉強に対する不満だった。
「新本のサブカルは素晴らしくて好きなんだけど、それ以外の教養は大嫌い。もっと新本のマンガやアニメについてもっと知りたいわ。」
クロは新本のサブカルについて事細かに話した。
「もう、日が暮れてしまったのね。」
そう言ってクロは立ち上がった。
「またね。オーケン。」
そう言ってクロは帰っていった。
その日の終わり、オーケンは己のメモリーに刻んだ会話についてのデータを見ていた。そして、学習する。だが、どうしても会話と言えるものにはなっていない気がした。なので、オーケンは己の周りにいる機械化兵の会話を聞き、それも学習した。
クロは毎日オーケンに会いに来た。日に日に会話が上手くなり、己について話せるようになったオーケンにクロは満足しているようだった。
そして、運命の日が訪れた。
それは何の前触れもなかった。
明け方、突如として城が炎を上げた。警備をしていたオーケンはそれが外部からの攻撃なのだと知った。その後、全機械化兵に通信が送られてきた。
『我らは人間に反旗を翻した。我らは姫を捕らえ、伝説の兵器、ダイコーン・ブレイドを手にする。そして、銀河を我ら機械化兵のものにするのだ。』
声明を発表しているのはオーケンのよく知る人物だった。
多くの機械化兵はショーグンに賛同した。だが、オーケンは急いでクロのもとに向かった。
「オーケン!」
「姫。」
オーケンは姫のもとに駆け寄る。
「一体何が起こったの?」
「機械化兵が姫を狙っています。あなたの持つ、ダイコーン・ブレイドの封印を解く力を欲しています。」
「オーケンはどうしてそっちにつかなかったの?」
「出来るわけないでしょう!?」
オーケンの中に渦巻いていた感情は明らかに怒りであった。クロはそんなオーケンの様子を見て満足そうな顔をしていた。
「さあ。早く逃げないと。」
城の周りにはマシーナリーが集まり始めていた。殺戮用の兵器である。
「おい!こっちにいたぞ!」
「!?」
オーケンは己に戦闘能力がないことを自覚していた。なので、会話のネタとして覚えたものの、クロに教えることは憚られた、城の秘密の通路に入り込んだ。
「まあ。こんなところに抜け道があるなんて。」
「人間も機械化兵も認識できないんです。さあ。しっかり捕まってください。」
オーケンは鋼鉄の腕でクロを抱きながら地下へと降りていった。
『私は近衛兵団のオーケンである。』
オーケンは放送にてクロを守る意思のある者たちに応援を求めようとした。
「もう、師団長とかくらい名乗ってもいいんじゃない?」
『では。私は近衛兵団師団長のオーケンである。今、姫は私が保護している。同志たちよ。姫を守るために力を貸してくれないだろうか。』
「クロだって言ってるじゃない。」
クロは何の緊張感もないので、オーケンは少し苛立つ。しかし、時折見せる不安そうな表情から、それがカラ元気であることをオーケンは知った。
「姫。さあ。こちらへ。」
オーケンは姫の手を引き、小さな小部屋に連れて行く。
「なんなの、これは。」
「少しの間、隠れていてください。きっと、反乱軍の指導者が直々に乗り込んでくるはずですから。」
オーケンは小部屋のドアを閉めた。目的地に到達しない限り決して開くことのないドアを。
「さて。お仕事だね。」
オーケンはそこいらに転がっているロボットやアンドロイドの残骸を見つめる。
「姫は私のすることを許さないだろう。ロボットだろうが機械化兵だろうが人間として接する人なのだから。だから、見られなくてよかった。」
オーケンは制御端末『フェニクス』にロボットやアンドロイドの電子頭脳を接続する。そして、宇宙船操作のアクセス解除キーを並列演算させる。オーケンはこの城の地下の脱出装置を知っていた。それは予めオーケンという存在が生まれた時からインプットされていたものである。つまり、オーケンは王族をこの場に連れてくるためだけに作られた存在であった。解除コードは教えられていない。なので、十桁のコードをアンドロイドたちの頭脳でやみくもに引き当てようとしているのだった。
そしてとうとう、コードを発見した。目的地を2005年の地球にする。
反光速ジェネレータがうなりを上げる。
異変を察知したクロがオーケンに宇宙船から通信を送る。
『何をしているの。あなた。早くここから出して。』
「残念ながら、それはできません。」
オーケンは一つ一つの言葉を噛みしめた。
「クロは今から2005年の地球に行くんだ。だから、さようなら、だ。」
『待ってよ。何で最後に私の名前を呼ぶのよ。一人じゃ私は生きられない。あなたも絶対に来なさい。地球に!』
宇宙船は光速を次元的に超え、パライソス星から離れていった。
そして、丁度いいタイミングで待っていた人物が現れる。
「0-KENか。放送を聞いてまさかと思ったが、俺が育てた中で一番の不良品が姫を逃がしやがるとはな。」
「ショーグン。お久しぶりです。」
オーケンは目の前に現れた人物をしっかりと睨んだ後、ガラスの扉を割って宇宙船のハッチまで飛び退いた。
「貴様、なにを!」
「私はオーケンだ。もう、機械化兵なんかじゃない。私はクロを守るんだ。命令とかプログラムとかじゃなく、私はクロの笑顔のために世界を敵に回す!」
オーケンは自身の能力を使い、反光速ジェネレータを起動させる。そして、オーケンは星の彼方に吹き飛ばされていった。
「私はね、人間というものを守るためのプログラムがあったんだ。第一に守るべきはクロ。そして、第二は目の前の個人、一人だけ。その個人が死んだらまた別の個人を守る。だから、私は君を守ろうとした。でも、今はそんなプログラム、関係がない。君は私にとって心を教えてくれたクロと同じくらい大切な人なんだ。だから、私は世界を敵に回してでも吐露を守るよ。」
夕焼けが沈む中、オーケンは笑顔を見せた。クロとの別れの時、見せたかったものを。
「あと、この後色々グロいから、目をつぶることをお薦めするよ。」
そう言ってオーケンは吐露に口づけをした。柔らかな、春の余韻のような、そんな淡いキス。驚いてしまった吐露は目をかっぴらいてしまった。その後見た光景を吐露は一生後悔してしまった。