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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Episode8 一万年の光
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-8- 怪人物

『すまない。やっぱり、少しの間一人にしてくれないか』


 ミサト興業の私有地から出たあと、ウラシマは私たちにそう言った。同族の脳に再会したのが余程ショックだったのか、それとも告げられた内容になにか思うところがあるのか。


 表情は分からないが、心情の混乱は容易に想像できる。宇宙虫と遭遇する危険を考えれば、まとまって行動するに越したことはなかったが、事情が事情だったので、私も特に反対はしなかった。


 ウラシマと別れてから集落に戻る途中。私は研究室にあったおぞましい標本のことを、古戸さんに詳しく共有した。


「少し気になることがある」

 脳だけの人間という事象にひとしきり興味を示したあと、古戸さんが言った。


「なんですか」


「宇宙虫たちが、わざわざ人間の拠点でそんなことをしていた理由はなんだろう」


「まあ、単純に生物学的な興味とか」


「彼らが地球生物を調査しにきた学者グループならそうだろう。でもウラシマ君が言ったことを思い出してみると、宇宙虫の主たる目的は鉱物資源の採掘だ。発覚の危険を冒してまで現地の生物を解剖して、サンプルを保管しておくのは変だよ」


「変って言っても、相手は宇宙人ですし……」


「思考の様式が違っても、生存の方策はそんなに変わらないはずだ。とにかく、宇宙虫たちははるばる地球まで鉱物を採掘しにやってきた。でも地球上にはもう人類がウジョウジョいるから、協力者を得て、匿ってもらわないことには仕方がない。


 この星は太陽に近すぎ、空気が濃すぎ、水が多すぎる。我々は洞窟に隠れ潜むために宇宙を渡ってきたわけではないぞ。


 確かにそうだ。あのウジョウジョいる人類はいかにも愚かだが、敵に回すと厄介そうだ。本気を出せば絶滅できるかもしれないが、戦いに割くリソースは膨大になるだろう。これは悩ましい」


「ちょっと感情移入し過ぎじゃないですか」


「貴重な頭脳や労働力を、ただの生物学的調査に費やすわけにはいかない。だからあの所業も、最終的には安全・快適な採掘作業に繋がる工作の一環なんだと思う。


 さて楠田さん。君がこんな状況に置かれたとして、どうやって人類を味方に引き込む? 自分たちより劣った文明を持つ現地生物を、どうやって手なずけようとする?」


 尋ねられた私の脳裏には、小人の国に漂着したガリヴァーの姿が浮かんだ。あるいは特撮の変身ヒーローなんかも、作品によっては宇宙人という設定だったか。彼らの場合は巨大な体躯で畏怖を勝ち得たが、宇宙虫の場合はなんだろうか。


 それはきっと脳を取り出し、生かしておく不道徳な医療だ。


「宇宙虫は自分たちの技術を提供する代わりに、ミサト興業に匿ってもらってたんでしょうか?」


「うん。おそらく宇宙虫たちはそういう風に、可能な限り摩擦を避けるような策を取ってきたんだろう。もしかすると提供しているのは、技術じゃなくてその結果だけかもしれないけどね。


 なんにせよ彼らの医療は素人目で見ても驚異的だ。僕が権力者でその技術を独占できるなら、山を半分買って税金払うぐらいは安いし、犯罪だって喜んで揉み消すかもしれない」


 遭遇した宇宙虫に農薬をぶっかけるぐらいならなんとかなるが、金や権力を持った人間が相手となると私たちの手に余る。


「落とし所としては、ウラシマ君を手伝って、コロニーを一つ壊滅……汚染? するぐらいが関の山だろう。地球上にあるコロニーが一つとは限らないし、完全に解決するのはどのみち難しい」


「それでいいんでしょうか……」


「僕らは警察官でも公安の調査官でもない一般市民で、ちょっと怪奇現象に興味があるだけだ。社会正義が気になるなら、色々終わったあとに匿名で通報すればいい。まあちょっかいをかけた結果として、長きに渡る因縁が生じるかもしれないけど」


 釈然としない部分はあるが、古戸さんの言うことは基本的に正しい。宇宙虫たちがかなり前から人間社会に浸透しているのだとしたら、映画のようにぱっと絶滅させて解決、というわけにはいかないだろう。あとはにわかジャーナリストとして、分かる人には分かる記事を書く、というくらいか。


「とりあえず、できる範囲でやりましょう」


「毎度思うけど、その根性は見上げたもんだよ。普通の人間は指先を切っただけでも大層ビビるからね」


 褒められているようでもあり、揶揄されているようでもある。


 その後、集落付近に到着するまでは大きなトラブルもなかった。しかし私たちが駐車場に向かいながら、昼は集落で食べようか麓で食べようかと話していたとき、停めてあったライトバン付近に、ポロシャツにスラックス姿の人影を発見した。その脇にいるのは、作業服の屈強そうな男二人。


「登山客じゃなさそうだね。車上荒らしかな」


「車上荒らしもあんな格好してないと思いますけど」


 嫌な予感に私は足を止めかけたが、古戸さんは気にせず車の方へ歩いて行ってしまう。やむなくポケットに入れた唐辛子スプレーを確かめてから彼を追うと、ポロシャツの人物もこちらに気づいた。


 作業服の二人はいかにも肉体労働者といった風貌だった。短く刈った髪、不精に伸びた顎鬚、日に焼けた顔面に浮かぶ侮蔑の表情からは、隠しようもない悪意が見て取れる。


 ポロシャツの方も男性だ。身長一八〇センチ弱で細身。顔は青白く、こちらは普段から頭脳労働に従事しているのだろうと推測される。


 しかし私の目を引いたのはその頭部だった。明らかにカツラだと分かる髪の下、頭頂から額にかけての部分が、異様に肥大しているのだ。それによる歪みは顔面にも及び、笑みとも緊張ともつかない、奇妙な表情を作り出していた。


「失礼ですが、これはあなた方の車ですか」

 ポロシャツの男は私たちが乗ってきたライトバンを指しながら言った。


「まァそうですが、なにかありましたかね。駐車料金は払ってますよ」

 古戸さんがにやにやしながら答える。


「ここへは登山に?」


「その前に確認しときたいんですが、もしかしてミサト興業の人?」


 男たちの目元がピクリと動いた。


「ええ。色々お調べになってるみたいですね」


「山のことかな。それともおたくらのこと?」


「どちらもです。正直に言いますが、このところ非常に迷惑してるんですよ。わけの分からない噂ばかりで、ウチの若い者も気が立っててね」


「ミサト興業は土建屋さんですよねェ。人材派遣とか機材のリースとかもやってるのかな? 僕らが調べてる噂はあんまり関係ないはずなんですが。なんで若い人の気が立つんでしょうか」


「…………」


「危険な知識を秘密にしておくのが正しい場合もあるんだけど、君らの場合は現世的な利益を目論んでるだろうからね。そういうのは大抵ロクなことにはならないから、せいぜい引き際を心得ておくといいよ」


「そんなことはどうでもいい。あなた方がこのあたりを荒らすのを止めなければ――」


「止めなければ? 脳を抜き取るとか?」


 そう言ってから、古戸さんは心底楽しそうに嗤った。喉の奥から発せられたその声は、低く絡みつくような、人間の心胆を寒くするような響きを伴っていた。男の青白い顔が一層色を失い、表情が醜く歪んだ。


 肉体的な暴力をちらつかせている人間を相手にしてなお、古戸さんは余裕を崩さない。むしろそういう相手だからこそ煽りがいがある、と思っているかもしれない。彼の態度に怒りが閾値を超えたのか、それとも話しても無駄だと諦めたのか、ポロシャツの男が傍らの二人に目配せした。


 作業服の男たちが、私と古戸さんに近づいてくる。痛めつけて意思を挫くつもりか。あるいは本当に、拉致して宇宙虫たちに供するつもりなのか。


 屈強な男ならば、かつて道場で嫌というほど相手にした。私はこちらを掴もうと伸ばされた太い腕をすれ違うように躱しざま、ポケットから唐辛子スプレーを取り出した。つんのめりかけて向き直った男の顔面に、躊躇なくそれを吹きつける。


 男の短い叫び声が、やがて情けない嗚咽に変わった。


 近くでもう一つ、叫びと悪態が聞こえた。私がそちらを振り返れば、作業服の袖を血で染めた男と、手になにかを持った古戸さんがいた。


 それはあの研究所で目にした手術器具だった。クランクのようなものの先についた刃が、曇天に鈍く煌めいた。多分、それで男に切りつけたのだろう。


 一矢報いたとはいえ、古戸さんの格闘能力はまったく信用できない。私が腕を切られた男の方にもスプレーを噴射すると、十メートルの射程を持つ唐辛子の霧が、相手を一瞬で無力化した。


 中々の首尾だ。刑法的にも正当防衛の範疇だろう。


 私がポロシャツの男に目を向けると、彼は激しい憎悪の表情を浮かべてこちらを睨みつけていたが、既に攻撃の意思を失っているようだった。


 多分ミサト興業の人間は、これまでも同じようなやり方で野次馬を追い払ってきたのだろう。宇宙人の噂などという曖昧なものを追ってきた人間に、元々大層な覚悟などあるわけもなく、少し脅してやれば二度と近づこうとは思わなかったはずだ。


 しかし古戸さんが持っている動機は、使命感や正義感とは似ても似つかない種類のものだ。容易に輪郭を掴むことはできないが、かといって簡単に揺らぐことはない。普通に生きていれば、あるいは普通を少し踏み外した程度では出遭わない、おおよそ理解しがたい、奇妙で名状しがたい動機。


 しかしいつまでも相手が動揺していてくれるとは限らない。私はいい加減この場を離れようと、古戸さんの袖を引き、ライトバンへと乗り込んだ。


「目が、鼻が」


 唐辛子スプレーのとばっちりを受けて、古戸さんが掠れ声で呻いている。彼が変に煽ったせいで私まで襲われたのだ。当然の報いと言える。


 運転席の窓から外を一瞥すると、まだこちらを睨んでいる男と目が合った。ハットの中身に入った脳には、歪な悪意が渦巻いているに違いない。襲われた腹いせに軽く轢いてやろうかとも思ったが、私はそれをぐっとこらえた。


 私は努めて男から目を逸らしつつ、駐車場を離れて麓へと向かった。

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