-6- 探索へ
その晩、私と樋口さん、高坂さんは、長い時間あとり君のトランプに付き合った。神奈子ちゃんはそれに参加しなかったが、きっと普段さんざん付き合わされているだろうから、と無理やり誘うことはしなかった。
平均的な小学生男子の部屋がどういうものかは分からないが、あとり君の部屋にゲームや漫画は少なく、反対に活字の本や図鑑が多かった。先程村井のおっちゃんとやらに貰った図鑑も、きちんと本棚に収められていた。
あくまでも私の印象だが、あとり君は年齢の割に聡明で、世間一般の常識や価値観に通じていた。どこでそんなことを知ったのか、と私が思うようなことも彼は知っていた。
あとり君が話すところによると、彼はときおり桐島医師のところでインターネットを使っているのだそうだ。学者になりたいという夢も、桐島さんに影響されているのかもしれない。
中学進学もまだ先のことだろうに、あとり君は大学生活にも興味津々で、樋口さんと高坂さんを質問攻めにした。好奇心旺盛なのと話し相手に飢えているのとで、私たちは中々解放されなかった。
神奈子ちゃんが顔を出して、早く寝なさいとあとり君をたしなめたので、彼はしぶしぶ私たちにおやすみを言った。
「あとり君、可愛いですね」
特に高坂さんはあとり君を気に入ったようだ。少年とのひと夏の想い出。なんとも淡くノスタルジックだと思う。
そういう感想を抱いた直後、部屋に戻った私は尻を出したまま寝ている古戸さんを見る羽目になった。あとり君とのギャップでその姿が無性に腹立たしい。身体を冷やして風邪でも引けばいいのだ。私は彼を放置して勝手に布団を敷き、電気をつけたまま丸くなった。
◇
コンクリートのほとんどない山村の風は涼しく、クーラーなしでもほとんど寝苦しさを感じなかった。朝七時ごろに目覚めた私が簡単に身づくろいをしていると、高坂さんが朝食だと呼びに来た。
まるで旅館のような待遇だ。これから古戸さんがやろうとしていることと併せて、非常に申し訳なくなる。
「古戸さん、朝ごはんですが」
「もう少し寝る」
私の中で彼は宵っ張りのイメージだったが、どうもそうではないらしい。特に起こす義務も義理もないので、私は私で勝手にやることにした。
昨晩と同じ広間で朝食を摂る。白飯、味噌汁、玉子焼きにパックの納豆。私は納豆が好きではない。しかし出されたものは基本的に食べる。
「楠田さんは今日どうするんですか」
樋口さんが尋ねた。
「古戸さん次第ですけど、村を見て回ろうかと」
「僕らもそうしようかなあ。朝ちょっとだけ歩いたんですよ。こう言ったら失礼かもしれないですけど、この村、結構栄えてますよね」
「そうなんですか?」
「うん。僕も地元が割と田舎なんですけど、ここは家とか畑とか立派ですよ。農業は意外にお金がかかるんですけど、設備がすごく整ってる」
「へえ」
私には基準となる知識や経験がないので分からないが、彼にしてみれば、きっとこの屋敷の立派さも特別なのだ。その場所が豊かであればこそ、顔役もいい暮らしができるということか。
村の豊かさ。それは秘祭となにかしらの関係があるだろうか。それとも昨日話に出た瑠璃さまが特別な権力者だったりするのだろうか。今の時点ではなんとも考えようがないので、ひとまずはそれを覚えておくだけに留めた。
「私、あとり君がちょっと気になるんですよね」
湯気を立てる味噌汁を一口飲んでから、高坂さんが言った。
「気になるって?」
「あの子、朝めそめそしてたんで、なにかあったのって聞いてみたんですよ」
小学生が機嫌を損ねるというのはよくありそうなことだが、ただ癇癪を起しただけというわけではないらしい。
「そしたら、お姉ちゃんが行っちゃった、って言うんですよ」
「お姉ちゃんって、神奈子ちゃん」
「ええ。神奈子姉ちゃん」
「どこに?」
「分からないって」
「……家出?」
「いや、祭の役目があるらしいですよ。巫女みたいなニュアンスでした」
なるほど。私はそれを、昨晩の物忌みと関連付けて理解した。祭で儀式に関わるなら、その前には身を清めておかなければならない。普段一緒の姉弟が祭の終わりまで会えないとなれば、寂しがるのも無理はないだろう。あとり君にも少しは子供っぽいところがあるようだ。
「だから遊んであげようかな~、と。楠田さんも一緒にどうですか?」
悪くないアイデアであるような気もする。彼に村を案内してもらうのもいい。古戸さんに付き合わなくて済むし、地理の把握しておいて困ることはないだろう。
「お邪魔じゃなければ、そうします」
こうして私はしばらくの間、樋口さん、高坂さん、そしてあとり君と四人で過ごすことにした。
◇
私が朝食を終えて部屋に戻っても、古戸さんはまだ寝転がっていた。そのだらしない姿からは、私を熱心に説得したときのやる気はまったく感じられない。
単純にスロースターターだけなのかもしれないが、一体なにをしに来たのかと言いたくなる。とはいえそれは勝手な行動をとるのに都合がよく、案の定彼は私の申し出に異論を唱えなかった。
「いってらっしゃい……」
大きなあくびをしながら古戸さんは言う。私は脱衣所で外出の準備を整え、樋口さん、高坂さんとともにあとり君を迎えに行った。部屋に入ると、彼は少し不貞腐れたような様子で床に胡坐をかいていた。
「あとり君、お姉さんは祭の準備があるんだって?」
私は尋ねた。彼は黙ったまま頷いた。目がほんの少し赤くなっている。
「そう。もしあとり君が構わないなら、村の案内をお願いしたいんだけど……」
「いいぞ」
「ありがとう」
彼は私たちの依頼を快諾し、一度目を拭ってからすっくと立ち上がった。
「準備はいいのか?」
「私たちは大丈夫」
「じゃあ、少し待っててな」
切り替えの早さは子供特有のものだ。あとり君は靴下を履くだけで外出の準備を完了した。私たちは引っ張られるようにして玄関に向かう。
「出かけてくる!」
あとり君は家の奥に向かって呼びかける。いきなり元気になった彼の様子を見て、樋口さんと高坂さんは顔を見合わせた。
屋敷を出ると、頭上には晴天の夏空が広がっていた。まだ過ごしやすいと言える気温ではあるが、昼にかけてはかなり暑くなるだろう。熱中症で倒れたら洒落にならないので、私はあまり無理すまいと心に決めた。
「どこに行く?」
私は尋ねた。
「まずはカナメイシを見に行こう」
あとり君が答える。
カナメイシ。要石? 私は解説を求めたが、見れば分かると返された。駆けだした彼の背を追い、村の道を小走りで行く。
道すがら周囲の畑や家を眺めると、確かに先程樋口さんが言ったように、立派なものが多いような気がした。真新しいトラクターや大きなビニールハウス。農家の収入については詳しくないが、これだけ投資ができるということは、それなりに儲かっているのだろう。
既に農作業に出ている村人たちが、こちらに物珍しげな目を向ける。それからあとり君が先導しているのを見て、視線が和やかなものに変わる。彼に案内を頼んだのは正解だった、と私は思う。
それと同時に、古戸さんがどのような目で見られるのかが気になった。彼が村人との間で、妙なトラブルを起こさないといいのだが。
村長の屋敷から十分ほど歩くと、村の中央あたりに到着した。そこは大きな円形の広場になっていて、祭の準備なのか、運動会で使うような白布のテントがいくつも設営されていた。
しかし広場の中心には、それ以上に目を引くものがあった。
「あれが要石だ」
あとり君が指さしたのは、高さ4メートルはありそうな、楔型の巨大な岩塊だった。




