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滴水古書堂の名状しがたき事件簿  作者: 黒崎江治
Epsode1 愚者が求めし
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-2- 風変わりな老人

 読むと死ぬ本。もしそれが本当ならば、被害届を出すわけにはいかない。中身を確かめた捜査員が死ぬからだ。それを藤さんが気にするかどうかは分からないが、おそらく本は戻ってこないだろう。


「盗難に気づいたのは昨日の午後」


 私たちはリビングを離れ、住居内の一室に移動していた。


 ここは店に出す本の在庫や、店に出さない本を保管しておく場所だった。ひんやりとした八畳くらいの部屋に本棚が並び、床には赤いカーペットが敷かれている。日光で本が劣化するのを防ぐためか、はじめ窓にはカーテンが掛けられていた。


 私たちはそのひんやりした部屋の中で、現場検証よろしく手がかりを探ろうとしていた。


 藤さんは本棚の一角を指差し、カルナマゴスの遺言が置いてあった場所を示す。


「大きさは大体縦40センチ、横30センチ。装丁はサメ皮で、内容はギリシャ語」


 40センチに30センチだと、普通の本に比べてかなり大きい。サメ皮というのも珍しい。読むと死ぬというのが本当なら、ギリシャ語の内容を確かめるわけにはいかないが、それだけ特徴的な本であれば、外見ですぐに判別できるだろう。


 もっともそれは、窃盗犯にとっても同じことだ。


「どういう風に置いてあったんですか」


 私は尋ねた。


「分かりやすいよう箱に入れて、ビニールに包んであったのさ。うっかり読まないようにするためだけど、かえってまずかったみたいだね」


 そう言ってから、藤さんは思い出したように付け加えた。


「カルナマゴスの遺言だけど、一つ面白い特徴がある。ほこり(、、、)が積もるんだ」


「ほこり?」


「そう。ビニールで包んであろうと、冷蔵庫にいれてようと、表面がいつのまにか、うっすらとほこりに覆われてるんだ」


 つくづくファンタジーな書物だ。


「時間と死についての真理が書かれた本だからね。そういうこともあるだろう」


 窓際を調べていた古戸さんが言った。


「普通に読もうと思ったら、寿命がいくらあっても足りないよね。犯人は不死の探究者か、自殺志願者か」


 古戸さんはサッシをかたがたと動かしたり、クレセント錠を確かめたりしている。


「こじ開けられたわけじゃなさそうだねえ」


 私はしゃがみ込んで、部屋の中央あたりでカーペットを調べる。別段高級品というほどのものではなさそうだ。指でカーペットの毛を撫でていると、なにかザリっと固いものに触れた。


 それは一、二ミリほどの石粒だった。外から持ち込まれたものだろうか。もう少しカーペットを撫でていると、ほかに細かい土の粒もくっついているようだった。


 私はそれを古戸さんと藤さんに伝えた。やはり犯人は屋外から土足で入ってきたようだ。


「つまり犯人は、カーペットの上に突然現れた、ってことだ」


 盗まれたものが盗まれたものだから、犯行の経過を普通に考察する意味はあまりない気がした。古戸さんも頭は良いのだろうが、どちらかと言えばぼんやりしているので、調査や推理は得意でなさそうだ。私も、探偵小説や警察小説はあまり読まない。


 古戸さんの言葉を聞きながら、私がカーペットの僅かな汚れを辿っていくと、その先、本棚の陰になった部分に、小さな銀色の何かを見つけた。


 それは金属製のオイルライターだった。私はライターを拾い上げ、電灯の光にかざした。


「遺留品でしょうか」


「私のじゃないね。タバコは孫が生まれたときにやめたから」


「ちょっと貸してみて」


 古戸さんは私からライターを受け取り、不慣れな様子で火を点けた。


 ライターが灯した炎は、普通のオレンジや青色をしていなかった。それは黒に近い紫だった。私は昔理科の教科書で目にした、金属の炎色反応を思い出した。


 紫色の炎を生じる物質はなんだろうか、と私は考えたが、どのみちこの炎は、単純な物理現象とは違う、もっと魔術的な虚ろさを伴ったものであるような感じがした。


「不思議な火だ。そうそうあるものじゃない」


 古戸さんはライターの蓋をカチリとしめ、それをそのまま白衣のポケットにしまった。


「本の買い手は決まってたんですか」


 私は藤さんに尋ねた。先程、古戸さんが売るとかどうとか言っていたからだ。


「ああ。六文字ろくもんじって人でね。値段は秘密だが、ウン百万って金額で売ることになってた」


「ぼったくるねえ」


 稀覯本の価値というものが一般にどれほどのものか、私は知らない。ただ絵画に数億円の値がついた、というようなニュースを見ると、数百万の本があってもおかしくはないだろう。


 もっとも、読むと死ぬ本を買う人間がいる、という前提があってのことだが。


「古戸さん、その人にも話を聞いてみましょうか。犯人が接触してるかもしれないですよ」


「ついでにライターのことも聞いてみるといいよ。魔導書を買うぐらいの爺さんだからね。そういうことにも詳しいはずだ」


 藤さんは言った。


「まあ、一応そうしてみようか。みことさん、ここまでさせておいて、ボランティアとは言わないだろうね?」


「どれだけ欲しいか言ってみな」


「お金はいらない。ただ、もし六文字さんがカルナマゴスの遺言を読んでから、それがいらなくなった(、、、、、、、、、、)場合……」


 古戸さんは自身の黒ぶちメガネを服の裾で拭きながら、口元を奇妙にゆがめた。私には彼の言わんとしていることが分かった。読むと死ぬ本を読んだ人間は死ぬ。そうすれば本は不要になる。


 それは一般的な道徳に反するものだった。しかし合理的な要求だ、と私は思った。その要求に嫌悪は湧かなかったが、その要求を嫌悪しない自分を、私は嫌悪した。とはいえどのみち私はバイトに過ぎなかったので、古戸さんの判断に異を唱える権利はないのだ。


「それは私の知ったこっちゃない。本人と交渉しな」


 藤さんは古戸さんや私よりもまっとうな感覚を持っているらしく、表情に嫌悪をにじませながら言った。


「本が盗まれたことは伝えてある。変わり者だから、見て驚かないようにね。まあ、無理だろうけど」


「どんな風に変わり者なんですか?」


「会ってみれば分かるよ。住所は――」




 六文字さんの住居は、鎌倉市街の中心部に比べて山側にあるらしい。古戸さんによれば、鎌倉の住民は山側と海側でだいぶ文化や気質が違うようで、互いに反目しあっているのだという。


「今回の件とはまったく関係ないけどね」


 そんな小話を挟みながら、私は車を運転して教えられた住所に向かった。そのあたりの家は寺や神社と見間違うような立派なものが多い。ただしこれまた立派な垣根や植え込みに囲まれているため、中身をじっくり窺ってみるのは難しかった。


 事前のイメージとは違って洋風の建物も多く、六文字さんの家もそのような建築の一つだった。


「古戸さんは、六文字さんについて聞いたことがありますか」


「いや、名前だけだね。どれくらい爺さんかは知らないけど、金持ちなのは間違いなさそうだ」


 古戸さんは二階建ての館を見上げながら言った。赤茶けたレンガと黒い屋根は、明治時代のイギリス建築を彷彿とさせる。買おうと思えば、中古でも二億円や三億円は必要だろう。


 私は細い道路で通行の邪魔にならないよう車を停め、門扉の脇にあるインターホンを押した。しばらくすると、エプロンドレスとでも言うのだろうか、白いそれを身に着けた若い女性が姿を現した。


「はい」


 女性はこちらに目をやり、小さな声で言った。不美人ではないが、ひどく陰気な顔をしている。

私は古戸さんをちらりと窺ったが、彼はどうやら私に仕切りを任せたがっているように思えた。時給を払う立場とはいえ、つくづく面倒臭がりな人間だ。


「すみません、薄命堂から来た者ですが」


 私は軽く頭を下げて言った。


「古戸さまに、楠田さまですね。伺っております」


 どうやら藤さんが一報を入れてくれていたようだ。女性は内側から門扉を開け、しっかりとしたフォームで頭を下げた。


「この屋敷で家事代行をしております、三津みづと申します」


 私も釣られて、もう一度頭を下げた。


「中へどうぞ」


 三津さんは上品な所作で踵を返し、私たちを屋内に招いた。


「どんな悪いことをしたら、こんな家に住めるんだろうね」


 古戸さんの極めて失礼な軽口を涼やかに無視して、三津さんは私たちを家の奥に招いた。古戸さんは家の豪華さを揶揄するが、六文字邸の内装は意外と質素だった。金があるからと物質的な豊かさに溺れない、本物のお金持ち、という感じがした。


「六文字さま、古戸さまと楠田さまがお越しです」


「……入ってもらってくれ」


 洋風の彫刻が施された木製ドアの奥から、しわがれた声で答えが戻ってきた。


 三津さんがドアを押し開けると、今までの空間よりかなり雑然とした室内が目に入った。昼なお薄暗いスペースを占めているのはほとんどが書物だったが、中には魔術的なアイテム、たとえば燭台とか、薬をゴリゴリ砕くやつとか、なにかを蒸留する装置とかがあった。


 そして一番奥に、家の主と思しき人影があった。その姿を、その顔を見たとき、私は理屈ではなく直観で感じた。


 ああこの人はかつて、カルナマゴスの遺言を読んだのだ、と。


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