-4- シロカネ
怪しげな女性の登場。私は不意の行動に備えて立ち上がり、恵那ちゃんを守るような位置に移動した。
「どちら様です?」
「ああ、驚かせてしまったなら謝罪します。まず、私の身分を明らかにしましょう」
彼女は懐の名刺入れから名刺を取り出し、私に差し出した。
『クライン生命相互会社 渉外部第一課 白金純子』
私が受け取った名刺は、スベスベした紙に繊細な透かしが入った上等なものだった。会社の名前には見覚えがない。渉外というのは確か、交渉とかトラブル解決とか、そういうことをする部門だ。
彼女は古戸さんにも名刺を手渡し、改めて私の方を見据えた。
「あなた達は梶村恵那にまつわる一連の事象について、なんらかの真実に至ったと推測します。そうですね?」
シロカネさんの声色は美しく、言葉は流暢だが、どことなく外国語の翻訳文を読み上げているようにも聞こえた。
「まあ、多分……」
私は判断を求めるように、古戸さんをちらりと見る。この女性に事情を話しても大丈夫だろうか? 古戸さんは名刺から目を離して私を見ると、任せる、というようなジェスチャーを取った。
「なにか知ってるんですね?」
私は尋ねた。
「知っています」
シロカネさんは自信たっぷりに答えた。得体が知れない、という言葉がぴったりの態度だったが、とりあえず敵意はなさそうだった。
にゃあう、と恵那ちゃんが怯えた声を出す。
「じゃあ、教えてください」
「ええ。でもその前に」
彼女は私に歩み寄り、その白い右手を差し出した。私は少し躊躇ってから、握手に応じる。指は細く、皮膚は薄くて柔らかい。素振りや瓦割、乱取稽古とは無縁そうな手であると同時に、どこか機械めいた、奇妙な力のこもり方をする手だった。
「安心してください。恵那ちゃんをもとの身体に戻しましょう」
◇
私は駅前の喫茶店かなにかで話すものと思っていたが、シロカネさんはあまり混雑していない場所がいい、と主張した。恵那ちゃんを置いて行くのも可哀そうなので、私たちは公園の一角に置かれた、テーブル付きのベンチで話を聞くことにした。
気の抜けた服装をした女性、薄汚れた白衣を着た男性、青いコートに銀髪の美女、そして珍しい錆色の猫。私が近隣住民だったら、かなり不安を掻き立てられるであろうグループだ。
シロカネさんの対面に私。私の横に古戸さん。古戸さんの膝上に恵那ちゃん。彼女はツナ缶で腹を満たして眠くなったのか、丸くなってうとうとしはじめた。
「ざっくり話しますとですね」
私はここに至るまでの経緯をシロカネさんに話した。プライベートに踏み入るような詳細は避けたが、シロカネさんは恵那ちゃんの名前まで知っているので、今更隠しごとをする意味も薄いように思えた。
「おおむね私が把握している状況と同じですね。しかしあなたたちは、それを引き起こした原因を知らないはずです」
「入れ替わりでしょ?」
進行の遅さに退屈したらしい古戸さんが、あくびをしながら言った。シロカネさんの目尻が一瞬ひきつったように見えたが、彼女の表情は動かなかった。
入れ替わりとか、精神同士の交換みたいなものは、フィクションではよくある現象だ。しかしそれをいざ現実のものとして受け入れろと言われると、ちょっと戸惑ってしまう。
ただ、私も古戸さんと行動を共にしてきたおかげで、超常現象に対して完全にナイーヴではない。まあそういうこともあるかもしれないな、と思ってしまうぐらいには。
「前提を納得していただく手間が省けてよかったです」
「問題は、梶村恵那と誰が入れ替わったのか、ってことだよ」
それは先程、私と古戸さんが共有した疑問だった。
「彼は、我々の仲間だった人間です」
彼、という新しい人物が現れた。
「我々には、知性ある生き物の精神を交換する技術があります。その具体的な方法や我々という集団の詳細は、今のところ必要のない情報ですので、言いません」
「はあ」
順当に考えれば、我々とはクライン生命を指す言葉だろう。しかし話しぶりからすると、なんとも秘密結社めいた不穏な組織のにおいを感じる。ただ彼女が言う通り、それは現状必要のない情報だった。私が知りたいのは、どうすれば梶村父娘は元通りに過ごせるようになるのか、ということだ。
「精神交換は容易に悪用が可能な技術です。だから当然、厳重に管理されていました。しかし、迂闊にも盗まれてしまった。彼……まあ名前を隠す必要はないですね。名取という男によって」
「その人が恵那ちゃんと替わったんですか」
「結果的には、そうです。我々は名取のボディを確保しました。今も確保していますが、にゃあにゃあ鳴いて、とても不快です」
「ああ……」
私はむさくるしい男性が柱に縛り付けられ、必死の形相で猫の鳴きまねをしている様子を思い浮かべた。言葉だけなら滑稽に思えるが、実際目にするとさぞ気持ちの悪い光景に違いない。
追われた名取が苦し紛れにラスティと精神交換し、ラスティに入った名取が人間の身体を得ようとして恵那ちゃんと精神交換した。
結果として、現在ラスティの精神が入った名取、恵那ちゃんの精神が入ったラスティ、名取の精神が入った恵那ちゃん、という三人がいることになる。図にすると簡単なのだろうが、言葉で理解しようとすると分かりにくい。
「どうすると元に戻るんですか?」
これさえ知ることができればいいのだ。全体像を理解する必要はない。
「私と梶村恵那を引き合わせてください。あとは――」
シロカネさんは指で自分のこめかみをトントン、と叩いた。
「なんとかします」
私は思案した。この得体の知れない女性を、梶村さんや恵那ちゃんに引き合わせても大丈夫だろうか? しかしほかに手立てもなさそうだし、シロカネさんから例の技術を教えてもらって実行する、というのも難しそうだ。
「その方法、僕に教え――」
「ダメです」
シロカネさんはピシャリと言った。当然、そうだろう。仮になんらかのズルをして教えてもらったとしても、クライン生命だか秘密結社だかと因縁を持つのはゴメンだ。
「それは残念……」
古戸さんが大げさに肩をすくめたとき、彼のポケットから聖歌のような音楽が響いてきた。なにかと思えば、スマートフォンの通知だ。古戸さんはそれを取り出して確認して、耳に当てる。
「はいもしもし」
応答した古戸さんは、すぐ顔をしかめて通話口から耳を離した。どうやら電話の相手が大声を出したようだ。膝上にいたラスティが驚いて地面に飛び降りた。
「なんか興奮してるんだけど」
「ほう?」
古戸さんは端末をスピーカーモードに切り替え、テーブルの上に置いた。
『おい! 古戸! 聞いてるのか!』
私は端末をのぞき込む。ディスプレイには梶村徹也と表示されていたが、声は女性のものだった。少し舌足らずな感じもする。
「誰だか知らないけど、落ち着きなよ」
『僕は徹也だ! ああクソ、声が変な感じだ……』
「はい、まず大きく息を吸って」
古戸さんが声をかけた。通話口からスゥー、と音がする。
「吐いてー」
自称梶村さんは深呼吸によって、ほんの少し落ち着きを取り戻したようだった。
「一つ質問をしますので、はいかいいえで答えてください」
『分かった』
「あなたの身体には今、ちんちんがついていますか?」
「なに聞いてんですか」
「いいから」
『……答えはいいえだ。ついてない』
「うんうん。大体把握した」
私は一瞬遅れて、古戸さんの意図を理解した。電話の相手は梶村さんに違いない。でもその身体はきっと恵那ちゃんのものだ。つまり、また入れ替わりが起こったということだ。だとすると、梶村さんの身体に入っているのは……。
通話口から、ガシャーンという派手な音がした。
『大変だ、僕が暴れてる! 警察を呼んだ方がいいかな?!』
「呼んだらかなり厄介なことになるぞ。急いで行くから、安全なところに隠れてなよ」
『あ、ああ。分かった……』
古戸さんは通話を切って端末をポケットにしまい、立ち上がって伸びをした。
「プラチナ……じゃなくてシロカネさん。今なら面倒な説明をせずに会えそうですよ」
「そのようですね」
「楠田さん。肉弾戦は任せたよ」
「ええ……?」
梶村さんのボディを取り押さえる必要があるかはともかく、なにやら切迫した状況なのは確かだ。近隣住民が警察を呼ぶ前に事態を収拾すべく、私たちは急いで梶村邸へと向かうことにした。




