戦巫女乱心事件13~ロージー・スルーガー登場~
無理やり柔術道場に引きずり込まれた僕は、言い訳の一つもできないまま青畳の上に転がされた。
周囲をぐるりと取り囲まれ、退路は完全に断たれている。
柔術用ユニタードを着た若い婦警がざっと30人ほど。
全員が腕組みして、冷たい目で僕を見下ろしている。
どっちを見ても引き締まった肉体を持つ、凛々しいお姉さんばかりである。
好きな人にはたまらないんだろうけど、こういうのは僕の守備範囲ではない。
「よりによって、あたしら柔特の控え室に泥棒に入るとは」
「可愛い顔に似合わず、いい度胸してるねぇ」
うわ、輪姦される女の子の恐怖感が、少しだけ理解できたような気がする。
「いえ、決して色情盗の目的で入った訳じゃ……」
僕はたくましい柔術特練の着衣を狙うようなマニアックな人間ではない。
「どうせ下着を盗むんだったら、駅伝特練とかの方が……」
「なんだと、コラァ」
「グエェェェッ」
余計なことを言ったため、僕は襟元を締め上げられる。
教本に載せたくなるほどの見事な送り襟締めだ。
「あたしら柔特は、武道小隊の中でも最も由緒正しい部隊なんだよっ」
「チャラチャラした駅特なんかと一緒にすんじゃねぇっ」
「特命監察の捕り物では、必ずウチらが応援に呼ばれるほど信頼されてんだ。知ってろや」
かなりストレスが溜まっているのか、特練員たちは真っ赤になって僕を罵りまくる。
「い、いやあ。実は僕もファムロイヤル監察官の指揮を受けて動いているわけでありまして……」
僕が特命監察官の名を出したところで、ようやく襟元の締め付けが弛んだ。
「なんだぁ、ニィちゃんも同業者かよ」
襟首を掴んでいた婦警が、さもつまらなさそうに舌打ちした。
僕が本当の下着ドロなら、この後どんな目に遭わされていたのだろうか。
考えるだけで背筋が寒くなる。
「いやあ、申し遅れました。特殊機動捜査隊のクロード・フジワラ巡査部長です」
僕は少しでも相手の警戒心を解こうと、腰をかがめて頭を掻く。
「先ほど申し上げましたとおり、今は特命監察のフェデリア様の下働きをしている身でして……」
連中の後ろ盾は特命監察官らしいから、この際、彼女の名前を最大限に利用させてもらおう。
ファムロイヤル監察官の名前と、エリートたる特機隊の身分は効果てきめんだった。
柔特たちは「もしかして、とんでもない大失敗をやらかしたのでは」と完全にひるんでいる。
いける、これでこっちのペースだ。
と、逃げ出す算段を考えていたときであった。
「ほう、特機隊のクロード主任とは聞いたことのある名前だ」
柔特連中の背後から唸るような声がした。
僕からは見えないが、人の壁の向こうに何者かがしゃがんでいるのだ。
「確か……『帝都の若き英雄』でしたなあ」
確認するように呟きながら立ち上がったのは、女形の巨人であった。
身長は2メートルをゆうに超え、厚みと幅から推測すると体重は確実に150キロはある。
しかも、女子プロレスの悪役とは違い、実用的な筋肉の装甲に覆われた人間戦艦だ。
彼女のことならよく知っている。
ザオーネ・マクガイナ五段。
前のオリンピックで柔術の無差別級を制したゴールドメダリストだ。
無差別級はカテゴリー2までの肉体改造が認められている。
まさに化け物同士が戦うラグナロクである。
その最終戦争を無傷で勝ち上がった彼女こそ、地上最強の女と呼ぶに相応しい。
ちなみに、強壮ドリンクのCMで、広く国民に知られた人気タレントでもある。
フジワラ家の義妹、オルガも彼女の大ファンで、よく「ガッガ~ン」というCMの物まねをしていたっけ。
見た目はごつい強面だが、顔の作り自体は割と整っている。
そこそこ美女と言っても差し支えあるまい。
「なんでもこの兄さんは、戦闘サイボーグを素手で一捻りするって噂だ」
ザオーネは端正な顔に薄ら笑いを浮かべ、両手の指関節をボキボキと鳴らしながら近寄ってくる。
誰だ、そんな迷惑な噂を垂れ流しているのは。
「こんな機会は滅多にない。なあみんな、折角だから一手ご教授願おうじゃないか」
ザオーネが手を伸ばしたと思ったら、僕は無重力状態に陥ったような感覚に包まれた。
次の瞬間、全身の骨がバラバラになりそうな衝撃が襲いかかってきた。
続いて、悲鳴も上げられないほどの強烈な激痛が追いかけてくる。
「…………かっ……はぁぁぁ……?」
僕はザオーネの肩車を喰らい、3メートルの高さから畳に叩きつけられたのだ。
脳震盪を起こし、意識が飛びかける。
「こんなもんじゃないでしょうが、英雄さまの実力は」
ザオーネは僕の襟元を握り締め、軽々と引き起こした。
そして背中に僕を担ぎ、前傾しながら思い切り前方へ投げ捨てる。
彼女が五輪の決勝戦で見せた、必殺の背負い投げだ。
壁の羽目板に叩きつけられた僕は、あり得ないほどバウンドしてザオーネの足下に戻ってきた。
「おやまあ、特機隊の英雄さまはフェミニストらしいですな」
割れそうな頭の中で爆笑が反響する。
このままじゃ不具者にされる。
何とか逃げようと上半身を起こすが、運動神経が麻痺してるのか足に力が入らない。
「ほぅ、まだ動けるのですかい。あれだけやりゃ、たいがいは伸びちまうもんですがね」
二重にぼやけたザオーネが、意外そうに眉を開くのが見えた。
2メートルを超える巨人が宙に舞い、フライング・ボディプレスで僕に飛びかかる。
落下してきた巨大なバストが僕の顔面を押し潰した。
彼女の決め技の一つ、下四方乳固めだ。
通常人の尻よりはるかにでかいバストが僕の顔を挟み込み、呼吸を完全に止めた。
この女は、なんだって僕につっかかるんだ。
自らの強さを誇示したいのか。
力の強弱は誰が見たって明らかだろうに。
「ふふふ、ティラーノのスパイめ。お前が人事一課長の意を受けて送り込まれた間者だってことは先刻ご承知よ」
ザオーネが僕の耳元でとんでもないことを囁いた。
なんだって。
この女は何か勘違いしている。
「ミーナを突破口にして、術科特練に内紛を起こさせようって魂胆だろ? 情報は入ってるんだよ」
何の情報だか知らないが、とにかく誤解を解くために話し合わないと。
僕は降参の意を示すべく、唯一自由になる左手でザオーネの右脇腹を3度タップした。
ところが僕のギブアップは受け入れられなかった。
それどころか、超乳に体重が掛かり、僕を押し潰す圧力が更に上がる。
「こ、殺されるっ」
この女は本気で僕を抹殺しようとしている。
そう理解した瞬間――僕の理性は吹き飛んでいた。
タップを繰り返していた僕の左手が、意思とは関係なく人差し指を残して握り込まれた。
ピンと伸ばされた一本指がザオーネの右脇腹にめり込み、そのままズブズブと皮と肉を突き破る。
錐のように脇腹を貫いた指先が肝臓に達した。
「ぎゃあぁぁぁーっ」
巨人が身の丈に相応しい、耳をつんざく悲鳴を上げた。
筋肉や骨格は強化していても、内臓は生身のままのようだ。
文字どおり身を切られる痛みには、如何に金メダリストであろうが耐えられまい。
ザオーネは跳ね起きようとしたが、僕は自由になった右腕で彼女のボディを抱え込む。
なんとか逃れようと必死で暴れる彼女を、渾身の力でがっちりホールドする。
その上で、更に左の人差し指をグリグリとこね回す。
「あぎゃぁぁぁーぁぁっ」
再び絶叫が上がった。
肝臓を覆っている腹膜は痛覚の固まりだ。
肋骨による防備がないから、横腹に打撃を受ければ耐え難い苦痛が生じる。
キンタマを蹴られたときの激痛を思い浮かべてくれれば、男なら簡単に理解できると思う。
それを直接に指で抉られているのだから、如何に巨人といえども耐えられるわけがない。
ザオーネは苦し紛れに僕を殴ろうとするが、完全に密着している状態では効果がない。
僕の頭部は、自分の胸の谷間に半ば沈み込んでいるのだ。
格闘技オンチの僕がどうしてこんな反撃手段を思いついたのか。
正直言って自分でもよく分からない。
だいたい、僕は肝臓の正確な位置すら知らないはずなのに。
これも種の保存本能がなせる業なのか。
生命維持度ゼロの危険に際して、秘められた力が解放されたのだった。
やがてザオーネは全体重を僕に預け、そのままピクリとも動かなくなった。
死ぬほどの激痛で精神がおかしくなる前に、脳が意識をシャットダウンさせたのである。
ザオーネが完全に動かなくなったのを確認してから、僕はゆっくりと指を引き抜いた。
左手の人差し指は、付け根まで血でドロドロになっていた。
ザオーネの巨体を押しのけながら、脂汗で湿ったユニタードで指を拭う。
あまりに壮絶な決着に、柔特の連中は呆然となっている。
自分たちのボスがこんな小男に負けるわけがないと、頭から決めつけていたのだろう。
実際、途中までは圧倒的な力の差を見せつけ、一方的な殺戮劇を演じていたはずであった。
それがどうしてこんな結末になったのか、理解できないでいるのだ。
「こ……こ……この……」
ようやく現実を受け入れた数人が、ブルブルと痙攣を始める。
「こんのヤロォォォ」
ボスの敵を討とうと、我に返った連中が一斉に飛び掛かってきた。
「来るなぁっ」
僕が一喝すると、彼女らは雷に打たれたように縮み上がった。
噂に聞く『帝都の若き英雄』への恐怖で腰が抜けたのであろうか。
屈強の柔術家たちが、へなへなとその場にへたり込む。
「今の僕には手加減ができない。死人まで出すのは本意じゃないから」
攻撃本能を制御できない現在の状況で、これ以上力を解放するのは危険すぎる。
ザオーネだって自ら離れようとしたんだから、そのまま逃してやるべきだった。
如何に自分が殺されかけたからって、同じことを相手にやり返す必要はなかったのだ。
なにより、女性に怪我をさせてしまったことが悔やまれる。
「それより、君たちのボスを医者に診せてあげて欲しい」
外傷が小さいから出血はほとんどないが、体内では肝臓に開いた穴から大量に出血しているはずだ。
見た目より、ずっと危険な状態なのだ。
「早く病院に運ばないと、取り返しのつかないことになるぞ」
僕に諭され、ようやくことの重大さに気づいたのか、特練員たちは救急車の手配を始めた。
右往左往の大騒ぎに紛れて、僕は柔術道場を後にした。
コントロールしきれない力のせいで、要らぬ敵を作ってしまったようだ。
地上最強の格闘家を撃破したというのに、勝利の感激は沸き上がってこない。
ただ、虚しさと後味の悪さだけが長く尾を引く。
この身に備わった奇跡の力は、僕をどんどん不幸にしていくような気がした。




