サイバーギャング事件3 ~シズカ登場~
どうしてこんなことになったんだ。
緊急呼び出しを受けて本庁に戻った僕は、情景の余りの陰惨さに吐き気を催した。
留置施設のある22階のフロアは血の海になっており、あちこちに看守勤務員の死体が転がっている。
それらはことごとく原形を留めておらず、完全にオーバーキルの状態にある。
当然のように、看守台や鉄格子なんかの施設も滅茶苦茶だ。
僕は口をきくこともできず、戦場跡と化した現場に立ちつくしていた。
こともあろうに新霞ヶ関の本庁舎が襲われ、留置中の犯罪者を奪還されたのだ。
これをショックと言わずして何と言おう。
機械の獣どもは、何の躊躇いもなく正義の本丸を直接襲ってきたのである。
警戒力が手薄になる宿直中とはいえ、ここまで一方的な結果が出るとは想像もしていなかった。
やはり人間は、マシン兵器に対して絶望的なまでに無力なのだ。
敵は屋上のヘリポートから侵入し、換気ダクトを通じて留置施設に忍び寄ったらしい。
そして独房にいたヒューガー・イッセーを助け出すと、看守たちに八つ当たりの銃撃を加えたのだった。
武器を持たない看守たちがサイボーグに勝てるわけがなく、勝負はワンサイドゲームの様相を呈した。
非常ベルにより応援が駆け付けた時、連中の姿は既に消えていたという。
とんでもない事態になったのは、その後であった。
脱獄したヒューガーから、挑戦状めいた連絡が入ったのだ。
僕とシズカに対し、2人だけで郊外の廃工場まで来いという内容だった。
人質も取らずに何を強気な態度に出ているのかと思うが、来なけりゃ警視庁一の臆病者として内外に喧伝するとか。
まったくその通りなので、悔しくも何ともないのだが。
奴が復讐を企んでいることは読めている。
彼の仲間を射殺し、彼自身をブタ箱にぶち込んだのは僕たちなのだから。
いや、正確に言うと僕は現場にいただけで、全てシズカの手柄なのだけれど。
「どうして現場で射殺してしまわなかったのかね」
「判断が甘かったんじゃないのか」
「君のせいなんだから何とかしたまえ。我々は知らないよ」
補佐たちは僕に全責任を押し付け、我関せずを決め込む体勢に入った。
こうなったら招待に応じるしかない。
たとえ指名がなくても、脱走犯の居場所が分かっているのだから、出動するのが警察官として当然の務めである。
それに、今ヒューガーを逃がせば、二度と検挙できなくなる可能性が高いのだ。
しかし、突入班がたった2人というのが非常に問題である。
おまけに今のシズカは勤務時間外だ。
普通にいくと例の如く無関心を貫くだろう。
考え込んでいる間にも時間がどんどん経っていく。
くそ、シズカのAIに搭載された、腹立たしいまでにリアルな公務員根性をどうにかできないものか。
テレビに出てきた憧れのヒーローたちは、休みも彼女もなしで滅私奉公していたというのに。
何でも「規則、規則」の現実は、僕が思い描いていたヒーローの姿とはかけ離れすぎていた。
規則?
そうだ、大事なのは規則だったのだ。
僕はシズカを従わせるのに、またとない良策を思いついた。
「シズカ、今からヒューガーの立て籠もった廃工場へ向かうぞ」
「通常勤務に服する警察官の勤務時間は……1週間につき40時間とし……その割振りは午前9時から午後5時45分まで……」
思った通り、シズカは勤務規程の29条について論じ始めた。
僕は右手を挙げてその口を封じる。
「君は超過勤務を命じられたんだ。一緒に来てもらうよ」
そういった途端、シズカは反論するのを止めた。
同じ規程の39条によれば「所属長は必要に応じて職員に超過勤務を命じることができる」とある。
僕たちはたった今、直属の上司を通じて「何とかしたまえ」との隊長命令を拝領したところだ。
その正当な職務命令を、シズカはもちろん素直に受け入れたのだ。
「了解……ただ今より……超過勤務に……入る……」
最初からこうすりゃよかったんだ。
彼女は残業を嫌がったり、僕に反抗していたわけではない。
単に就業規則に従っていただけであり、超過勤務を命令しなかった僕が悪かったのだ。
そうと決まれば話は早い。
僕は武器庫で重火器の払い出しを受けると、地下ガレージへと急いだ。
* * *
ヒューガーが立て籠もる廃工場までは、アフラRX9で半時間の距離であった。
車を降りると、破棄されたはずの設備プラントが稼働しているのが分かった。
サイボーグどもが目眩ましのために火を入れたのだろう。
もの凄い騒音が響き渡り、あちこちから間欠泉のように蒸気が噴き上がっている。
お陰で視覚と聴覚が利かない。
人間の僕でさえこうなのだから、聴覚の優れたシズカにはさぞかし邪魔な音だろう。
「問題ない……特定の周波数帯を…オミットすれば…いい……」
シズカはサラリと言ってのけると、涼しい顔で工場の中へ入っていく。
僕は慌ててM6カービンの装填を済ませ、シズカの後を追った。
中は体育館ほどの広さの作業場になっており、吹き抜けの天井に薄暗い照明がついていた。
いたるところに動力プラントが設置されてあるため、水平面の視界は確保できない。
敵は設備の陰に身を潜めているに違いない。
姿は見えずともこちらを狙っているのは確実だから、一瞬の隙が命取りになる。
本部を襲った敵は4体。
脱走したヒューガーを合わせ、少なくとも5体のサイボーグがいる計算だ。
仲間を殺られたサイボーグどもは、仇討ちに燃えていることだろう。
その興奮が連中の思考を乱し、僕たちに有利に働くことを祈るしかない。
と考えていたら、思いもよらぬところから敵の先鋒が襲いかかってきた。
そいつは天井に張り付き、僕たちを待ち伏せしていたのだ。
そして、僕たちが真下を通り過ぎるのを待って、いきなり飛び降りてきた。
三対の手にマシンガンを持ったそいつは、残った足の間にロープを挟み、逆さまになって落ちてくる。
クモと言うよりは阿修羅像だ。
アシュラはロープを使って滑空しながら、3丁のマシンガンを撃ちかけてきた。
僕は近くの遮蔽物に転がり込んだが、上から襲われては身の隠しようがない。
身を潜めた木箱の山に連射が命中し、バラバラに砕けていく。
シズカは、と見ると、弾丸を身に浴びながら冷静にアシュラを凝視していた。
何を見とれているのかと思ったが、彼女は振り子運動を続ける敵の軌道計算を行っていたのだ。
やがて計算を終えたシズカは、選手宣誓をするようにサッと右手を掲げた。
「火器使用および取扱い規範…6条但書き……予告する暇のない時は…威嚇なしに直接攻撃…できる……」
シズカはそう呟くと、右手に装備した速射破壊銃を発射した。
人差し指から小指まで、4本の指に組み込まれた超ミニレールガンが、電磁誘導された特殊徹甲弾を高速で吐き出していく。
超高速の弾丸は狙い違わずアシュラに命中し、その半身を吹き飛ばした。
彼は下半身だけをロープに残し、硬くて冷たい床面に墜落していく。
「やった」
だが、喜んでばかりはいられなかった。
アシュラを貫通した弾丸が、そのまま軌道上にあったプラントの一部に命中したのだ。
途端に化学反応が起きて動力プラントが大爆発を起こす。
「あちちちっ」
頭上から灼けた金属片が降り注ぎ、僕は物陰から飛び出した。
「もう少し。いや、ほんのもう少しだけでいいから、穏やかな武器はないのかい?」
こんな物騒なもの振り回していたら、それこそ工場ごと吹き飛ばしてしまう。
「……ない」
僕の心配を一言で片付けると、シズカは止めていた歩みを再開した。
先ほど天井方向からの攻撃を受けたばかりだったので、水平線より上に注意が行きがちになる。
それを見透かしたように、第二撃は真横から襲いかかってきた。
今度の襲撃者は人型ではなかった。
ガラス窓を突き破って場内に飛び込んできたのは、重さ数トンはありそうな巨大な鉄球だったのだ。
敵の狙いはシズカであった。
横殴りの鉄球を食らった彼女は、壁の破片もろとも軽々と吹っ飛ばされた。
ミニスカートが3段フリルのペティコートごとめくり上がり、純白のパンティが丸見えになる。
が、そんなものに目を奪われている場合ではなかった。
割れた壁面をぶち抜いて、クレーン車が突入してきたのである。
運転しているのは例のヒューガー・イッセーだ。
彼は鉄球を巻き上げながら、ご機嫌にカンツォーネの「フニクリ・フニクラ」を歌い上げる。
本場のオペラ歌手顔負けの美声と歌唱力だが、歌詞は何故か日本語の「鬼のパンツ」だ。
「鬼のパンツは、いいパンツ。強いぞぉ、強いぞぉ~っ」
ヒューガーは鉄球を一杯まで巻き上げると、横たわっているシズカの真上へ移動させる。
安全規格を越える衝撃でバランサーがいかれたのか、シズカはまだ起きあがれずに藻掻いている。
彼の意図に気付いた僕は、M6カービンをクレーン車に向けて警告した。
「止めろっ、このイカレ野郎」
ヒューガーが警告に従わないと見るや、僕は22口径の連射を浴びせかけた。
しかし、無骨なまでの頑丈さが取り柄のクレーン車はビクともせず、火花が虚しく散るだけ。
「履こう、履こう、鬼のパンツ。履こう、履こう、鬼のパンツ」
ご機嫌に歌い続ける小僧は、遂に滑車の留め金を外すレバーを引いてしまった。
もの凄い音と共に直径2メートルの鉄球が落下し、シズカのボディに叩き付けられた。
衝撃で上半身と足が持ち上がり、シズカはV字腹筋運動を強いられる。
普通の人間なら胴の部分で千切れているところだ。
それでもヒューガーは飽きたらず、鉄球を巻き上げると再度シズカ目掛けて落下させた。
鉄球は何度も落とされ、そのたびシズカがピョコピョコと跳びはねる。
腰の辺りが床にめり込み、分厚いコンクリートにひび割れが走っていく。
やがてシズカがピクリとも動かなくなると、ようやく鉄球が止まった。
鎖が巻き上げられ、最上部に上がったところで滑車が停止する。
これは流石にヤバイだろ。
いくらアンドロイドといっても、あれだけの打撃には耐えられまい。
「兄ちゃん。用心棒のメイドはおネンネしちゃったぜぇ」
ヒューガーがクレーン車から身を乗り出し、勝ち誇ったように叫ぶ。
「どうだい、俺ッチの頭の良さは。俺ッチはな、こう見えても元はティラーノ一族の若様なんだよ……傍流だけどな」
ティラーノと言ったら、現在の世界では最も栄華を極める国際貴族の雄である。
世の政治経済を表裏から牛耳る権力は、彼らに「ティラーノに非ずば、人に非ず」とまで豪語を許すほど強大だ。
けど、傍流とは言えティラーノ一族のおぼっちゃまが、どういうわけでC3サイボーグなんかに落ちぶれてるんだ。
尋ねてみたいが、逆上されるのは明白だから止めておく。
「だから、平民のお前らに、最初から勝ち目なんか無かったのさ」
ヒューガーが合図の口笛を吹くと、隠れていた他のサイボーグどもが姿を現せた。
鋭い刃物の手を持つカマキリ野郎や、一見普通の人間に見えるような奴までバリエーションは豊富だ。
ランニングシャツを着たデブのサイボーグがシズカに近づく。
「も、も、も、勿体ないんだなぁ。ま、まだ充分使えるんだなぁ」
朴訥ながら下劣極まりない呟きに、男たちは大爆笑した。
デブは電磁ネットを張った虫取り網を床に置くと、シズカの顔を覗き込んで満足そうに破顔した。
「ぼ、ぼ、僕はロボットの女の子が大好きなんだなぁ」
デブはシズカの両足を自分の肩に乗せると、彼女にのし掛かっていく。
くそ、どうしてだ。
どうして、こんなに無念な気持ちになり、デブに憤りを感じるんだ。
ヲタ体型のモテなさそうな男が、壊れた人形を使って残虐趣味の欲求を満たそうとしているだけじゃないか。
いや、違う。
そこに転がっているのは人形の残骸なんかじゃない。
僕の相棒であり、命を救ってくれた恩人なんだ。
「止めろっ、汚い手でシズカに触るなっ」
僕は飛び出そうとしたが、途端に何丁ものマシンガンが火を噴いた。
足元を狙い撃たれた僕は一歩も進めず、虚しく足踏みを繰り返すしかない。
くそっ。
相棒が最後の尊厳を踏みにじられようとしてるのに、僕には何もできないのか。
余りにも悔しすぎる。
だが、僕のインターセプトがなかったとしても、デブは思いを遂げることはできなかったのだ。
シズカはまだ死んじゃいなかった。
そして、彼女はデブヲタ風情にどうにかできるようなヤワな女の子ではなかったのだ。
いきなり再起動したシズカは、自分の置かれた状況を一瞬で理解すると、直ちに反撃を開始した。
いちいち悲鳴を上げたり怒ったりしないところが、実に合理的でロボットらしい。
シズカは両足でデブの上体を挟み込んで固定すると、野太い右手首を握りしめた。
そして、デブの上腕部で彼自身の首を絞め上げ始めた。
柔術でいうところの三角締めだ。
デブは人工筋肉の馬鹿力で逃げようとするが、シズカもフルパワーを掛けていく。
「ひでぶぅぅぅーっ」
強烈な締め付けが、脳を生かしている維持装置のパイプ類を破壊した。
デブはそのまま昏倒してしまった。
シズカの不死身っぷりを目の当たりにして、サイボーグどもが大きくたじろいだ。
僕はその隙にシズカの元へ駆け寄る。
「シズカ、大丈夫なのか」
本来なら僕もたじろぎたい一人なのだが、今はこの化け物じみたロボットだけが頼りだ。
凶悪なサイボーグどもを叩き潰すためには、どうしても彼女の助けが必要なのだ。
「衝撃で……一時記憶領域が……オーバーフローした……だけ……問題ない……」
流石はドイツ製、怖ろしいまでの頑丈さだ。
「ひぃぃぃっ、化け物ぉっ」
ヒューガーは悲鳴を上げると、レバーを引いて滑車の留め金を外した。
またしても巨大な鉄球が落下してくる。
しかし、今のシズカは自由に動ける状態にあった。
僕の手を取ると、鉄球の落下ポイントから離脱した。
格闘漫画に出てくる「見切り」みたく、僕の鼻先ギリギリのところを鉄球が掠めていく。
正確に計算した結果なんだろうけど、できればもう少しゆとりをもってかわして欲しい。
こういうのは、慣れていないと心臓によくないから。
ここでイレギュラーな不運が僕たちを待っていた。
鉄球の落ちた場所が悪かった。
先程からの衝撃により、床のコンクリートは非常に脆くなっていたのだ。
そして更に不幸なことに、その部分の床下は大きな空洞になっていた。
足元を踏み抜かれた僕たちは、そのまま深い闇の底へと転落してしまった。
「痛たたたぁ。シズカ、大丈夫か?」
尻を強かに打った僕は、闇に溶け込んだシズカに尋ねた。
「問題…ない……」
ポケットからフラッシュライトを取り出し、尾部に付いたスイッチを入れる。
状況は最悪だった。
僕たちがいる場所は、かつて廃液を貯蔵しておく地下タンクだったらしい。
頑丈なコンクリートで造られた大きな箱を想像して貰えれば理解しやすいと思う。
十数メートルの頭上に僕たちが落ちてきた破孔があり、それが今は鉄球の下半分に塞がれているのが分かった。
脱出を図るには絶望的な状況だが、それでも僕はあまり不安を覚えなかった。
シズカなら何とかしてくれるだろうという、漠然とした信頼感が生まれつつあったのだ。
「さて、シズカ君。ここをおいとまするには、君のどの機能を使えばいいのかな?」
僕は脳天気に質問してみたが、返ってきた答えは耳を疑うものであった。
「2人で脱出……するのは……不可能……」
なんだと。
このロボットは、自分だけが助かろうというのか。
冷血というか、酷薄なのは分かってはいたが。
追い込まれると、ロボットでも自己保存機能が働くんだな。
「違う……脱出するのは…クローだけ……」
シズカは無表情のまま呟いた。
「えっ?」
何を言っているのかよく理解できず、もう一度聞き直した。
「その隅に…二次タンクへのパイプが…通っている……」
シズカは座ったまま、タンクの角を指した。
「そこから処理室へ続く…排水路があり…その先は川に通じている……敵はおそらく…ノーマーク…だから……」
流石はスーパーアンドロイドだ。
広大なネットの海のどこかから、既に廃棄されたこの工場の設計図を拾ってきたのだろう。
けど、それなら2人で逃げればいいって話じゃないか。
どうして僕一人なんだ。
「先ほどの戦闘で…添加剤が尽きかけてる……敵が川まで追ってくれば…勝ち目はない……」
シズカは動力に異常を来したわけではない。
しかし、あのスーパーパワーを発揮するための、いわば触媒が欠乏しているのだ。
普通に行動する分には支障はないが、それではサイボーグの力には対抗できない。
「だから……クローが安全圏に到達すれば…シズカは自爆…する……」
このロボットはとんでもないことを口にした。
「逃げるなら2人一緒だよ。どうせ僕一人じゃ逃げきれっこない」
サイボーグが追いかけてくるのなら、1人でも2人でも同じことなのだ。
どうせ殺されるにしても、2人で協力してできるだけの抵抗はしたい。
しかし、シズカは仏頂面で僕を睨み付けてきた。
「大丈夫……奴らはクローを追えない…信頼して…ほしい……」
信頼しろって言われたって。
「シズカの体には…強力な爆弾が内蔵されて…いる……ここで起爆して…サイボーグを道連れに…する……」
シズカは問答無用とばかりに言い切った。
「そんな悲しいことあるかよ。そうだ、ロボット三原則の第3条じゃ、自爆は許されてないんだろ」
正直、僕だって命は惜しい。
けど、女の子を犠牲にしてまで助かりたいとは思わない。
「問題ない……危険を看過することで…人間に危害を及ぼしてはならない……第1条は第3条に…優先する……」
シズカは事も無げに言いきった。
「クローは大丈夫……シズカは…そのために…造られたのだから……」
僕にはもう何も言えなくなってしまった。
シズカは僕を助けるため、あくまで自らの命を投げ出すつもりなのだ。
こんな自己犠牲の塊のような子が、どうして冷たい機械だったりする。
自分勝手な上層部の方が、よっぽど非人間的じゃないか。
どうしてシズカが死ななければならないんだ。
ああ、ここにあの蛋白燃料さえあったら──。
「プロスタグランジンなら……ある……」
えっ?
あまりにも重要なことを、あまりにもサラッと言うもんだから、僕はうっかり聞き逃すところだった。
「プロスタグランジンは…男性の体液に…多く含まれているオータコイド…だから……」
シズカはそう言うと、黙って僕を見詰めてきた。
なんだ、その。
つまり男の体液の中に、そのプロスタグランジンってのが含まれているのか?
「クローがパイプを…シズカに接続し…直接タンクに注入すれば……」
それで蛋白燃料は補給完了だという。
僕は呆気に取られ、しばらく口を利けないでいた。
それならそうと、自爆するとかの前にどうして言ってくれなかったんだ。
「……………」
まさか、恥ずかしくて言い出せなかったのか。
「補給してくれるの……くれないの……?」
させていただきますよ、当然でしょう。
なにせ、命がかかってるんだもの。
* * *
燃料注入を終え、しばらく待っていると、シズカが戦闘モードで再起動を果たした。
「もう…大丈夫……クローのおかげ……」
そう礼を言うシズカの顔は、幾分和らいでいるように見えた。
無表情だが、少なくとも仏頂面ではない。
僕に対する警戒心が薄れ、表情筋をコントロールするセンサーが緩んだのであろうか。
「それじゃ……反撃……開始……」
哀れなのは、ここまで勝利を信じていたサイボーグどもであった。
彼らは半分床にめり込んだ鉄球を、余裕の態度で見詰めていた。
そこに、いきなり背後からシズカの奇襲を食らったのである。
「ちょっとぉ、なんで後ろから現れるのぉ?」
「アンタたちはイリュージョニストじゃないでしょーがぁ」
そんな不平が通じるシズカじゃないってのに。
速射破壊銃の恐ろしさを知るサイボーグどもは、動力プラントを飛び越えて逃走を図った。
シズカは床にしゃがみ込むと、ストッキングとともに膝関節をずらす。
ポッカリ空いた空洞から迫撃砲弾が発射された。
僕もこれが初見となる必殺のニーモーターだ。
曲射された砲弾は動力プラントを越え、設備の向こう側で炸裂した。
僕たちがプラントの向こう側へ行くと、破片を食らったサイボーグどもがのたうち回っていた。
血も涙もない美少女は、速射破壊銃でトドメを刺していく。
「ひぃっ、お助けぇっ」
ただ1人残されたヒューガーは許しを乞うが、シズカは耳を貸さない。
ヒューガーの襟首を掴むと、自分の顔の高さまで無理やり引き起こした。
「あなたは……前に……クローを殺した……」
シズカは冷たく呟くと、いきなり右ストレートを浴びせた。
握り締めていたシャツの襟元を残し、ヒューガーの体が遙か向こうに吹っ飛ぶ。
シズカは顔を覆って転げ回るヒューガーに歩み寄ると、今度は襟足を掴んで立たせた。
完全にビビっているのか、命令されたわけでもないのにヒューガーは気を付けの姿勢になっている。
「そして……今日……もう一度殺そうと……した……」
シズカの蹴りが腰部に入り、小僧のサイボーグは前転を繰り返しながらボロ布と化していく。
もう完全に敗北を認めたのだろう、彼は僕の足にすがって助けを求めてきた。
こんな奴でも死ぬのは怖いのか。
「お助けを……謝りますから……お助け……ひぃぎゃぁぁぁっ」
背中に落ちてきたニードロップが、彼に断末魔の絶叫を強いた。
冷たい目をしたシズカはヒューガーを掴み起こすと、今度は払い腰で床に叩き付ける。
グシャッと嫌な音が響いた。
半殺し、というより3分の2殺し状態になったヒューガーに、容赦のないスタンピングが降り注ぐ。
シズカの奴、わざと火器を使用しないで奴を痛めつけてる。
絶対敵にしてはいけないタイプだ、このお嬢さんは。
「お願い……します……命ばかりは……なんでもいうこと聞きますから……」
気が付けばボロボロになったヒューガーが足元にすがりついていた。
こうなれば段々この瀕死のサイボーグが可愛そうになってきた。
僕自身が一度殺された身である。
虐殺される恐怖は誰よりも知っている。
留置場に戻ってもどうせ破壊される身だが、彼はもう充分に罰せられたと思う。
なにせ、いっそ破壊して貰った方が楽なくらい、滅茶苦茶にボコられたんだから。
「もう悪さをするな。いつでもシズカをけしかけるからな」
僕が許す旨を伝えると、ヒューガーは涙を流して喜んだ。
「これからが…本番…なのに……」
シズカは不服そうに呟いた。
こうして警視庁襲撃事件は、犯人および脱走者の全滅という形で幕切れを迎えたのであった。
* * *
それから一週間が経過した。
この間、特に大きな事件もなく、シズカの実務研修は無事に終わりを告げた。
今日は都庁でロボット巡査の試験運用にかかる効果検討会が開かれる。
僕も普段着慣れない制服姿で、その会議に出席していた。
この検討会の結果次第で、シズカの行く末が決定されるのである。
「……であるからして、結果の判断もせずに行動に移る不安定な存在は、人類の友とするには甚だ不適当でありぃ……」
警視庁の上層部はロボット巡査の不採用──というより知事の足を引っ張るためだけに能弁を振るった。
機械の敵と戦うのに、機械を味方にするのは早計である。
融通の利かないロボット巡査は、同僚とするには不安な存在だと主張したのだ。
都議会の代表たちも警視庁と同じ見解だった。
ついでに言うと反対する理由も同じだったりする。
都のトップに君臨する若干27歳の女性は、その美貌に冷ややかな笑みを湛えて成り行きを見守っていた。
元ミス東大で花形アナウンサーの経歴を持つ白河都知事は、頭蓋骨の内側だけでなく外側も超一級品だ。
テレビで見るより遙かに魅力的な女性である。
長い茶髪のソバージュや派手目のメイクがキャバ嬢を想起させるが、それも彼女には実に似合って見える。
都民の大半が支持しているのも当然のことだと思う。
「では、指導に当たったクロード・フジワラ巡査部長に研修の総評をお願いします」
いよいよ僕の番が回ってきた。
警務部の参事官は、僕に向かって意味ありげで気色の悪いウィンクを送ってくる。
おそらく心中で「よろしく頼むよ、君ぃ」とか言ってるのだろう。
僕は壇上へ進むと、マイクを引き寄せて思うところを述べてやった。
「ロボットは融通が利かないということですが、それはつまり誰に対しても公平で平等であるということだと僕は思います」
予想に反する僕の言葉に、警視庁のお偉いさんたちが呆気に取られるのが分かった。
同じ行為を行っても、誰が行ったかによって有罪無罪が変わるのでは、市民は混乱を来すだろう。
法令は人を公平に裁くために定められているのであり、それを執行するのが僕たちの使命である。
大根1本を値切るのとは違い、融通が利くとか利かないとかは別次元の問題なのである。
「それともなんですか。内密な金品しだいで幾らでも融通が利く、ってのが先生方の美徳なんですか?」
無礼な質問に、今度は身に覚えのある都議会議員たちが渋面を作る。
いきなりの僕の裏切りに、上層部は眉をひそめてざわめき始めた。
白河法子知事だけは「ほう」と感心したような顔をした。
「また、結果を判断しないまま行動に移すのが不安だとか心配する意見もありました」
僕は居並ぶ上層部のお偉方を睨め回す。
「あなた達は、そもそもなりたての巡査に何を求めてるんですか? 確か『結果を怖れぬ行動力』だったんじゃないですか?」
僕は自分が採用試験を受けた時のキャッチコピーを盗用してやった。
お偉方は忌々しそうに睨み付けてくる。
なんだその目は?
後輩に失敗をさせないよう導いてやるのが上司の役目であり、その上司を監督するのがお前らの仕事だろう。
「確かに不安な要素の残るロボット巡査ですが、まだ何も知らない新任だと思えば当然のことなのです。
それでも真っ白ゆえの正義感は我々人間となんら変わりませんし、行動力は我々を凌駕するものです」
僕は能弁ではないが、シズカの弁護士になったつもりで彼女の有用性を語ってやった。
それこそ思う存分。
「そろそろ結論をお願いしていいかしら。ハンサム君」
美人の知事は微笑を湛えて僕を促した。
* * *
宿舎に帰るとメイド姿のシズカが出迎えてくれた。
彼女も今日のことを知っているのだろう、少々不安になっているように見える。
「……で……どうだった……?」
ロボットは人間に奉仕することに存在意義がある。
役立たずの烙印を押されることは、自分の価値全てを否定されることになるのだ。
「もちろん本採用に決定したよ。明日からもよろしくな」
僕はニッコリ笑って合格を告げた。
「そう……けど、当然……シズカは優秀……だから……」
嬉しそうに喜ぶ姿を期待していたのだが、シズカはごく冷静に相づちを打っただけであった。
まあこんな相棒だが、頼りにはしている。
ところで例のヒューガー・イッセーだが、すっかり改心して僕の情報屋として働いてくれることになった。
今では僕のことを命の恩人として「アニキ、アニキ」と慕ってくる。
少々調子のいい小僧だが、こっちも頼りになる存在だ。
さて、人外の子分を従えた僕が繰り広げる今後の活躍は如何に。
と妄想に浸っていると、シズカが割り込んできた。
「ところで、シズカ……また蛋白燃料が…切れて…きた……」
ああ、遠慮しないで補給したまえ。
わざわざ断ることもなかろう。
「スペアの支給は…ない……アレはとても高価だから……巡査部長の給与じゃ…賄えない……」
なんてこった。
シズカの維持費は本物の女の子以上に高く付くのか。
「けど…問題ない……クローのがある…から……」
気が付くと、シズカはじっと僕を見つめていた。
廃工場でシズカに蛋白燃料を補給した時は、なんでこんな都合のいいシステムになっているのかと疑問に感じたものだった。
だが、後でとんでもないことを知らされた。
アレこそが正式な燃料補給の手順で、カプセルによる注入は代替手段に過ぎないという。
ウーシュ0033タイプは、単身赴任している政府要人の用心棒と家政婦を兼任している。
つまり、新婚の奥さんと同様に、常にパートナーとして自分の側にある存在なのだ。
それならば2人が親密な関係である方が望ましいのは当然だ。
だから親密さを増すことを目的に、元々と言うか、わざわざそういう風に設計されているのだ。
互いを尊重し、愛情を確かめ合うのに、アレ以上の手段があろうか。
「シズカ……前のご褒美…まだ貰って…ない……」
彼女はそう言うと、着ているエプロンを外しに掛かった。
そう来たか。
まあ、今後は2人で同棲生活を送るんだし、親交を深めておくにこしたことはない。
これからもちょくちょくご褒美をあげることにしよう。
それに明日は公休日だから、ゆっくり時間を掛けてメンテナンスしてあげるのもいい。
望むところだと、心の準備を整える僕だったが、この時とんでもないことに気付かされた。
以前やった愚かな過ちを、懲りもせず再び犯していたのだった。
「クローさん、この前はゴメンなさい……」
鍵を掛け忘れていたドアが開いて、サトコが入ってきたのだ。
ヌードのシズカを見て、サトコはまたしても逆上した。
「クローさんっ。この破廉恥な女、いったい何なんですっ?」
サトコも今度は逃げなかった。
元々決着を付けるつもりで、腹を据えてこの部屋を訪れたのだから。
「ちゃんと説明してっ」
サトコは僕とシズカを交互に睨み付ける。
いや、説明するにはちょっと事情が複雑すぎる。
それに最後まで聞いて貰える自信もないし。
しどろもどろになっていると、とうとうサトコがキレてしまった。
「もういいわっ。あたしもここに住みますからっ」
サトコは床にどっかと座り、乱暴に胡座をかく。
そして、テコでも動かんとばかりに腕組みをすると、僕を睨み付けてきた。
これに対するシズカの反応も鮮やかであった。
「だれ……?」
言葉少なに呟く彼女の表情は、また元の仏頂面に戻ってしまっている。
せっかく人間らしくなってきたところだったのに。
これはどちらを敵に回しても命の保障はないようだ。
こんなことならマシン犯罪者を相手に撃ち合いをしていた方がまだマシである。
どうやら、戦いに明け暮れる僕に、安息の日は当分やって来ないらしい。
「はぁぁぁ」
出したくもないため息ばかりが何度も漏れる。
勢い込み、先走ってしまった燃料棒の先端がやけに冷たく、そこはかとない物悲しさを覚えた。




