サイバーギャング事件2 ~シズカ登場~
なんてことだ。
せっかく犯行現場に一番乗りして、久しぶりに手柄を立てるチャンスだってのに。
頼みにしていた相棒のシズカが、アフター5で業務終了となってしまうとは。
シズカの記憶回路には、向こう3ヶ月分の勤務予定表がインプット済みだ。
それによると、本日は午前9時から午後5時45分までの日勤勤務に当たる
だから定刻になると同時に、彼女は規程どおり勤務モードを解除したのだった。
20世紀末にあったという、バブル時代のOLじゃあるまいし。
ドライっていうにも程がある。
「おいっ、シズカ。そんな割り切り方ってないでしょ」
4丁のサブマシンガンを突き付けられ、僕は真っ青になって震えていた。
サイボーグどもの銃は、レベル3以上の威力を秘めている。
僕が着ている支給品のボディアーマーなどは、紙同然に貫通してしまうのだ。
「ほらっ、敵は目の前にいるんだぞ。シズカ」
情に訴えようとしたわけではないが、僕の声はみっともないくらい弱々しかった。
だが、ロボコップの電脳がそんなものを斟酌してくれるはずもない。
彼女は「何を言ってるの?」という風に、怪訝そうに僕を見詰め返すだけだった。
「キャハハッ、こいつはいいや。業務時間外に暴れると、自分が法律違反に問われるんだってさ」
サイボーグの小僧は皮肉っぽく唇を歪めた。
「公務員の融通の利かなさが、こんなにありがたいと思ったことはないぜ」
見た目10代半ばに見える小僧は、腹を抱えて笑い転げる。
ああ、そのとおりだ。
思えばほんの数ヶ月前、僕がお前に撃ち殺されたのも、余計な時間外労働をしたからだった。
あの時の激痛は、今でもハッキリと覚えている。
「安心しなよ。アンタをブッ殺した後、そのお姉ちゃんは俺たちが可愛がってやっから」
「ウヒヒヒッ。ボインボインのオッパイ、たまんねぇッス」
「いや。俺、むしろこの兄ちゃんの方が……」
サイボーグどもの欲望に濁った目が、シズカのボディを舐め回す。
くっそぉ、何とかしなくちゃいけないが、4対1では勝ち目はない。
まして腕力も体格も女の子並みで、射撃の腕は並み以下しかない僕にはどうすることもできない。
「それじゃそろそろ殺るか」
小僧がトリガーに掛けた指に力を込めた。
「アッディーオ、お巡りさん」
続いて「パパパパパン」という軽快な銃声が連続する。
やられた。
僕は反射的に目を瞑り、顔を背けた。
だが、襲いかかってくるはずの衝撃と激痛は、いつまで経っても到着しなかった。
恐る恐る目を開けた僕が見たものは──両手を一杯に広げ、僕を庇うように立っているシズカの後ろ姿だった。
「シ、シズカ?」
助かった──けど、どうして。
驚いたのはサイボーグどもも同じだった。
無理もない。
今まで素知らぬ顔をしていたシズカが、予告もなしに戦闘モードに入ったのだから。
ウーシュ0033タイプを敵に回しては、連中が束になっても手に負えない。
それを承知している彼らは、恐怖に駆られた挙げ句に逆上した。
「このアマァッ」
マッチョなサイボーグが右手の義手を外し、剥き出しになったロケットランチャーをシズカに向ける。
「死ねやっ」
轟音と共に発射されたロケット弾が、シズカの腹部で炸裂する。
至近距離から撃ち込まれた徹甲弾の爆発は、シズカを後方に吹き飛ばしてしまった。
MBTの前面装甲すら貫通する対戦車ロケットである。
まともに喰らえばロボットだって無事に済むわけはない。
大きな弧を描いたシズカの体が、勢いよく路面に叩き付けられた。
「シズカッ」
僕は銃で狙われていることも忘れてシズカに駆け寄った。
ボディの中央から煙を上げるシズカは、アスファルトに横たわってピクリとも動かない。
「シズカ、しっかりしろ」
機能が完全に停止してしまったのか、定期的に行われる瞬きすらしていない。
この時、僕は半狂乱になっていた。
僕がこうして取り乱せるのも、シズカが身代わりになってくれたからだ。
彼女は僕にとって命の恩人なんだ。
「こんな……いったい、なんだって……」
いくらロボット婦警だといっても、これじゃあんまりだろ。
茫然自失になった僕だったが、ふとシズカの耳を見て驚いた。
メモリーチップがアクセス状態にあることを示す、例のピアスが点滅していたのだ。
やがてシズカは瞬きを繰り返し、続いてむっくりと起き上がった。
「……お、おい……シズカ……さん?」
「問題ない……直撃弾を受けた際のデータが…不足していた…だけ……」
シズカは何事もなかったようにボソッと呟いた。
「衝撃に対処する…重心移動のデータは…収集…保存された……」
そう呟く彼女のエプロンには、焦げどころか綻び一つ無かった。
おぉっ、ドイツの科学力は世界一ィィィーッ。
サイボーグどもの驚きは僕以上だった。
「アンタのボディは主力艦の装甲並なんですかぁーっ?」
「おねぇーさんは『お勤めゴクローさんでした』だったんでしょーがぁ」
「これからディスコでフィーバーじゃないんですかぁーっ?」
今まで任務を放棄していたシズカが、いきなり戦線に復帰したことが納得できず、パニックに陥っている。
僕だって納得できる理由を聞きたい。
「勤務時間は…終了……でも…刑事訴訟法213条の定めにより……現行犯人の逮捕は…私人にも可能……」
つまり、彼女は見ていない強盗には手を出せないが、目の前で行われた僕への殺人未遂については対応可能だというのだ。
ついでに言うと、警察官は勤務時間外であっても、現行犯人を取り扱う際には付与されている権限をフルに活用できる。
「警告……武器を捨てて…投降せよ……」
シズカは小僧どもに向かって右手を差し出した。
握手をする時の動作だが、彼女が連中に友好を求めているのではないことは確かだ。
だって、顔が怖すぎるもの。
「重ねて警告……武器を捨てて…投降せよ……」
シズカの手首がジャキンっと90度回転し、手のひらが地面に対して平行になる。
「うるせぇーっ」
「俺のマグナムを喰らわせてやるっ」
やけになった小僧どもが、腕や肘に仕込んだ重火器を一斉に抜きはなった。
次の瞬間、遂にシズカのバトロイドとしての本領が発揮された。
グワッと横向きに開かれた4本の指先から火箭が迸る。
電磁カタパルトを利用した速射破壊銃、通称ミニ・レールガンだ。
電磁誘導で加速された超高速の徹甲弾が、サイボーグどもの土手っ腹に風穴を開けていく。
文字通り、目にも止まらない連射だ。
カテゴリー3のサイボーグとなると体表は強化され、人間とは比べものにならいくらい頑丈にできている。
支給品の9ミリ拳銃じゃ5、6発撃ち込んだくらいでは効果がないほどだ。
しかし、さしもの強化皮膚も人工筋肉も、シズカの超兵器の前にはスポンジ同然だった。
マッチョを始め3体のサイボーグは、腹部から上下に切断された格好になり絶命した。
ただ1人、例の小僧だけは腰を抜かして尻餅をついていたため無傷だった。
撃たれる前に銃を放り出した小物っぷりが、偶然にも彼の命を救ったのだ。
彼はお漏らししたのか、股間辺りのアスファルトがみるみる変色していく。
それを見ても、僕は彼を笑う気にはなれなかった。
と言うか、そんな資格など僕にはなかった。
かく言う僕も、とっくの昔にチビってしまっていたのだから。
シズカは冷たい目を小僧に向け、指先の向きを下へとずらしていく。
彼の抵抗の意思を慎重に確認しているのだ。
「撃つなシズカ、もう戦意を喪失している。それにそいつには聞きたいことがあるんだ」
僕が命じると、シズカは戦闘モードを解除した。
「どうせ…C3サイボーグの犯罪者は…廃棄処分……」
彼女の言うとおり、許可なくカテゴリー3以上の人体改造を施した犯罪者に人権は認められていない。
したがって、罪を犯しても法で裁かれることはないが、正当な裁判を受ける権利もない。
つまり、憲法で保障された被疑者の権利は一切与えられていないのだ。
後日に鑑定を受けて違法改造と認定されれば、単なる機械として処分されることになる。
要するに珍走団の違法改造車と同じ扱いだ。
酷なようだが、彼らが人間を捨てたのも自分で選んだ自由意思なのだから仕方がない。
どうせ廃棄処分になるのだろうけど、その前にこいつを取り調べて背後関係を洗い、黒幕の有無を捜査する必要がある
「ヒューガー・イッセーだな。僕に対する公務執行妨害および殺人未遂。それと3ヶ月前の僕殺しの容疑で逮捕する」
僕は小僧にそう告げると、ベルトのケースから手錠を取り出した。
この手錠は、怪力で引きちぎろうとしても、切れた部分から次々に再接合していく特殊な金属繊維でできている。
たとえサイボーグでも外すことはできないのだ。
それをヒューガーの両手に掛けてやる。
それでも彼はまだ放心状態にあった。
こうして僕たちコンビは初出動で強盗事件を解決し、指名手配中の凶悪サイボーグを検挙する手柄を挙げたのだった。
* * *
逮捕手続きを終えてヒューガーを留置施設にぶち込むと、ようやく今日の仕事から放免された。
ほっと一息ついていると、卓上の電話が鳴った。
直ぐに隊長補佐のところまで来いという呼び出しであった。
褒めて貰えるのかと喜び勇んで補佐の執務室まで出向くと、意外な状況が僕を待っていた。
隊長以下の幹部が勢揃いしていたのだ。
どういう訳か、一人残らず仏頂面をしている。
「クロード・フジワラ巡査部長。困るんだよねぇ」
何が困るのかと訝しがっていると、徐々に幹部たちの真意がハッキリしてきた。
「ロボットに手柄を立てさせおって。君は、自分の立場を分かっておらんな」
「あのロボットがヘマをしてくれれば、ロボコップ計画はお流れになるというのに」
僕は褒められるどころか、かえってネチネチと責められ始めた。
彼らはシズカに功績よりも大失態を期待していたのだ。
つまり、そうなれば計画の発案者たる白河法子都知事の失点になるからだ。
警視庁の年間予算の数パーセントという、莫大な税金を注ぎ込んで始めた計画だ。
それが無駄になるとすれば、納税者たる都民が黙っていないだろう。
近々行われる知事選挙にも影響を及ぼすことは間違いない。
警視庁上層部としては彼女より、持ちつ持たれつの仲である保守派の知事がいてくれた方が何かと都合がいいのだ。
「とにかく我々にとっては、またとないチャンスなんだよ」
「上手く小娘を失脚させられたら、中央のお偉方にも喜んでいただけるんだし」
どうも論点は高度に政治的な方向にすり替わってきているらしい。
「いいかね、君は何もしなくていいから」
「その代わり、万事上手くいったら……君も悪いようにはしないよぉ」
気色の悪い猫なで声を背中で聞きながら、僕は執務室を出た。
酷く腹立たしい気分になり、せっかくの浮き浮き感は消し飛んでしまっていた。
待機室に戻ると、本日の立役者が僕を待っていた。
「やあ、今日は大活躍だったね」
僕はシズカに笑いかけたが、特に目立った反応はなかった。
ロボットは褒められても嬉しがったり、照れたり、誇らしげにしたりしないのだ。
「けど少し勉強しなくちゃ。連中は強盗を行った直後だったんだから、直接の目撃なしでも現行犯として対処できたんだよ」
そう言った僕は、自分が後輩を指導するような口調になっていることに驚いた。
彼女とはどうせ一週間の付き合いだと割り切っていたのに。
どういう心境の変化なのだろうか、自分でもよく分からない。
「ところで、君はこれからどうするの? 宿舎とかあるの?」
稼業時間以外は電源を切って、保管庫に収納ってわけじゃないだろうけど。
「何も…聞いて…いない……」
上の人にとっては「ロボットなどどうなろうと知らん」ってところか。
まさかこのまま放っておくわけにもいかず、僕は仕方なく提案した。
「それじゃ、うちに来る?」
* * *
僕は独身寮の8階に上がると、通路に誰もいないことを確かめてから背後を振り返った。
そしてエレベーターホールに待機させていたシズカに合図を送る。
それを見た彼女は言いつけどおり、足音を忍ばせて近寄ってきた。
「自分の宿所に…帰るのに…変……これは…潜入捜査の訓練……?」
シズカが何か呟いているが、聞こえない振りをして自室のロックを解除する。
ここは一応女人禁制ということになっているから、堂々と女の子を入れることはできないんだ。
と言ってもみんな結構彼女を連れ込んでるようで、その辺はお目こぼしとなっている。
しかしメイド姿の美少女は、さすがに問題があるだろう。
他人に見つかれば、どんな噂が立つか分かったもんじゃない。
「さあ、入って」
僕はシズカの腕を取って玄関に引き入れ、素早くドアを閉めた。
中は6畳の居間と寝室、それにダイニングキッチンとバスが付いた簡素なものだ。
けど若い独身男が一人で暮らすには充分であり、都心のど真ん中に格安で住めるとなると不平があるわけがない。
むしろ待遇の良さに感謝しなければいけないくらいだ。
「今日はありがとう。いや、ホントに助かったよ」
僕は改めてシズカに労いの言葉を掛け、自慢のソファを勧めた。
量販店で買った安物だが、一応は有名メーカーの輸入品という触れ込みであった。
座り心地もよく、割と気に入っている。
ところがシズカはそれに腰掛けようとはしなかった。
どうかしたのと思っていると、彼女はいきなり着ている物を脱ぎ始めたのだった。
「お、おい…君ぃ……ちょっと……シ、シズカ…さん……?」
シズカは慌てふためく僕を尻目にエプロンを外し、紺のメイド服を脱ぎにかかる。
ブラとパンティを外すと、純白のストッキングだけのあられもない姿になった。
想像していたとおりの完璧なプロポーションだった。
メイド服を盛り上げていた2つの膨らみはメロンサイズだ。
キュッとくびれた腰からお尻にかけてのラインは神の造形を思わせる。
そして、睫毛から下には、一切の植毛はなされていなかった。
生唾が涌いてきて、喉が自然にゴクリと鳴った。
すっかり裸になると、シズカはようやくソファに腰を下ろした。
そしてエプロンのポケットに忍ばせていた何かの容器を取り出す。
直径5センチほどの円筒型カプセルで、長さは20センチってところか。
キャップを外したところを見ると、中に何か詰まっているらしい。
「シズカ君……何を……」
情けないことに、僕の声は完全に裏返っていた。
「今日は…戦闘モードに入ったから……蛋白燃料を補充する必要が…ある……」
シズカは訥々と説明した。
彼女の主動力は機密事項とかで聞けなかったが、戦闘モードに入るには通常時の数倍の出力を絞り出す必要があるらしい。
その触媒というか、添加剤として働くのが蛋白燃料ということだ。
これなしでは、シズカは戦闘支援バトロイドとして機能しない。
また、全身の表層を覆う生体組織は、独立メンテナンス仕様になっているという。
この生体組織を生かし続けるためにも、蛋白燃料を定期的に摂取しなければならない。
シズカが持っている筒の中身は、合成蛋白を主体に作られた液化エネルギーに、生理活性物質であるプロスタグランジンを混ぜたものである。
これは生体組織を活性化させ、彼女が人型を維持するためには不可欠なものなのだ。
戦闘モードに入ると、蛋白燃料は強大なパワーを生み出す添加剤として急激に消費される。
これが欠乏すると彼女はフルパワーが出せないばかりか、人間としての外見を保っていられなくなるのだ。
そして、失われた蛋白燃料は外部から補充しなければならない。
僕が顎をガクガクさせていると、ソファに座ったシズカは下品に足を広げた。
「注入口には…装甲が施せないから……被弾率の最も低い部分に…設置してある……」
シズカはそう言うと、露わになった燃料注入口に円筒形の容器を突っ込んだ。
容器が最深部の注入口に到達すると、彼女は尾栓のボタンを押して内容物を体内に取り込む。
「済んだ……」
抜かれた容器の先端からは、ドロリとした白濁色の液体が垂れていた。
空になった容器がテーブルの上に投げ出され、カランと音を立てて転がる。
その乾いた音が、呆然としていた僕を現実に引き戻した。
呆然となって当たり前だって。
アンドロイドとはいえ、こんな綺麗な女の子のあられもない姿を見せ付けられたとあっては。
恥ずかしい話だが、この時僕の脳みそは完全に機能を停止していたのだ。。
直後にあの悲劇が起こっていなかったら、僕はおかしな行為に及んでいたかも知れない。
その悲劇とは──。
「こんばんわ、クローさん。また遊びにきちゃった」
いきなりドアが開かれたと思うと、幼馴染みのサトコが飛び込んできたのだった。
サトコは、僕が養子に行ったフジワラ家の近所に住んでいた女の子だ。
幼少の頃から高校までずっと一緒だった親しいGFである。
サトコはいわゆる「良家のお嬢さん」であるが、気取ったところがなくてみんなの人気者だった。
家族ぐるみの敬虔なクリスチャンだから、たまに堅苦しい説教をしてくるのが難点といえば難点だったが。
それ以外はなんの問題もなく、顔もとびっきり可愛らしいし、GFとしては申し分ない存在だった。
僕が警察官を志していると知った時、最初サトコは猛反対した。
そんな危険なことは止めろと心配してくれたのだ。
それでも僕の意思が変わらないと判断すると、彼女は引き止め工作は諦めて、試験勉強を手伝ってくれることになった。
自分自身は海外留学を志望していて、その準備に追われているのにもかかわらずだ。
彼女の協力もあって、僕は見事に警視庁の採用試験に合格した。
その後、僕は府中の警察学校へ、彼女は念願のヨーロッパへ、それぞれの夢のために一時別れることになった。
それから一年後、僕が殉職から復職を果たしたころ、サトコは留学先から帰国して都内の女子大に入学したのだった。
同じ帝都の住民になったわけだが、こっちは激務の特機隊員で、向こうは厳格なミッション系の女子大生だ。
今ではなかなか会う時間もないが、それでも暇を見つけては差し入れを口実に独身寮まで遊びに来てくれる。
今日、この部屋を訪れたのもそういうことらしい。
手には近くで営業しているケーキ屋さんの箱が握られていた。
「ケーキ、一緒に……食べ……よ……」
最初は張りがあったサトコの声は、文節が進むにつれて確実に弱まっていった。
一人だと思っていた僕の部屋に、見知らぬ女の子がいたのだから仕方がない。
間の悪いことに、その女の子は裸であった。
おまけに、お尻にへこまされた革張りのクッションには、白濁色の液体が小さな水溜まりを作っている。
まあ、誤解を受けるには、考えられる最悪のシチュエーションだったと言えよう。
僕をして、咄嗟に「弁解しても無駄だから放っておこう」と思わしめたほどであった。
でも後日のために、誤解は解いておかなければならない。
少なくともその努力は払うべきだ。
「待てっ、サトコ。君は勘違いをしているっ」
返事の変わりに飛んできたのは、差し入れのケーキだった。
生クリームタップリのイチゴショートが、見事に僕の顔面で炸裂した。
これが熱々の肉汁タップリの小籠包でなかったことを、僕は感謝すべきだったであろう。
大火傷を負わずに済んだし、クリームに視界を遮られ、鬼の形相になったサトコの顔を見ずに済んだのだから。
「バカにしないでぇっ」
サトコは大声で僕を罵ると、思い切りドアを蹴飛ばして部屋を出て行ってしまった。
「待ってくれ、3分、いや1分でいい。君を納得させる自信はあるから、弁解の機会を与えてくれ」
よせばいいのに、僕は前が見えないまま彼女を追ったため、締まろうとするドアをカウンターで喰らってしまった。
サトコを追う気力も体力も、一気に奪うような衝撃であった。
「クロー……周囲の状況を確認しないまま…飛び出すのは…危険……」
うるさいっ。
全部お前のせいなんだからな。
本当は迂闊にもドアロックを忘れていた僕が悪いんだが。
いや、そんなことはどうだっていい。
クビだ。
こいつ、絶対クビにしてやるぅっ。
だが、本来ならこの時の僕たちは、こんなラブコメを演じている場合ではなかったのである。
警視庁がサイバーギャング団に襲われ、あのヒューガーが奪還されたこと。
そして、連中が郊外の廃工場に立て籠もったという事実を知っていたら、痴話喧嘩などしている余裕はなかっただろう。
こんな酷い目に遭いながらも、僕はまだ幸せだったのだ。