権利の剥奪と奪還への道
「そのため、流民の皆様は街や国や世界が発展しても、生活が改善することはありませんでした。いえ、むしろ以前より悪化したと言っていいでしょう。慣習的に、そしてわずかに残る罪悪感から居住区までをも奪われることはありませんでしたが、豊かな暮らしも……人並みの人権でさえ望めなくなってしまいました」
当時の流民達はどのような目で、思いで人々を見ていたのだろうか。功労者であるはずの自分達の暮らしは一向に変わらず、悪くなるばかりなのに通り一つ向こうでは考えられないほど発展し豊かになった人々の姿と街がある。
どれだけ悔しかっただろうか、どれだけ悲しかっただろうか。どれだけ人々を、恩知らずで無情な人々を恨んだだろうか。暴動が起きなかったのは、ひとえに流民達の自制心のなせる業だ。街の人々から向けられた謂れのない濡れ衣を流民達が行動を起こすことで現実のものにしてしまうわけにはいかなかった。
流民は略奪者などではなく、無法者でもなく、ただ安住の地を持たないだけなのだと何より自分達が知っていたから。そうすることは未来の子孫達に負の遺産を残すだけだと分かっていたから。
そしてまた、生活基盤がかけ離れていくほどに、成功する見込みもまた薄れていたこともある。暴動など起こせば、より厳しく、辛い暮らしが待っているだろう。多くの命も奪われるに違いない。
流民達は涙を呑み、焼けつくような怒りと、深い絶望と、忘れえぬ恨みを封じ込めてかろうじて命を繋いできた。
「交流と交易が進むほどに流民と市民の格差は広がって生きました。流民の皆様は旅の扉を使うこともできず、自分達の足で移動を繰り返し、心を押し殺して仕事に就き、理不尽な仕打ちにも耐え続けました。そんな皆様に世界は、国々は追い打ちをかけました。二度と、国や世界に関われないようにするために。流民の皆様の仲立ちのおかげで発展したからこそ、その場所を奪われないために」
そこまで来るともう鬼畜の所業としか思えない。世界的に豊かになりつつあった時でさえ前時代的な生活を強いられ、碌な発展を望めなかった流民達にこれ以上何をしようというのか。なぜそこまでしなくてはならなかったのか。
「国家間で世界的に交流が進むことで、世界の人々は知ったのです。世界中に存在する流民の総数の多さと、その居住区の広がりを。世界中のどの地域にもどの国にも流民が存在し、その数は国を持つ人々と同数に近いものであったと」
今までは迅速で正確な通信手段も存在せず、国内でさえ全てを把握することはできていなかった。だが、いざ知ってみるとそれは十二分な脅威となった。
もし世界中の流民が一斉蜂起すれば、国や世界は呑み込まれてしまうかもしれない。それほどに流民達の能力と数は危機感を抱かせるものだった。
「そこで国々が協議を行い、世界的にある決定が下されました。それが流民の皆様の市民権、および一部を除く人権の剥奪と相互不干渉というものでした。流民を公的に政治に参加できないようにし、人としての当然の権利さえ取り上げ、なおかつお互い干渉してはいけないという一方的なものでした。そこに流民の皆様の意見や意思は一切含まれておりません」
イサラが取り戻そうとしているもの、それは自然に消えてしまったものなどではない。強制的に、有無を言わせることなく、一方的な思惑で奪われてしまったものだったのだ。
「これにはさすがに流民の皆様も反発しました。当たり前です、流民を人ではない、と言い切ったようなものですから。人として扱わないと公に定められたようなものですから。しかし、決定は覆りませんでした。不干渉とした以上、流民の皆様の言葉は何一つ届かなかったのです。流民に残された権利は、許された区域内での一時的な居住権とわずかばかりの就労権でした」
それが今なお続いているのだ。流民達は旅の扉を使うことを許されず、自分達の足で世界を渡り歩き、発展した街の片隅で取り残されたかのような貧相で朽ち果てたような建物に住み、満足に仕事にすらつけない。
すべては過去の過ち、大きな罪から生み出された歪みだ。
「ですが、流民の皆様はその環境でも強く生き抜きました。同時に、それを子孫へは伝えないことを決めたのです。自らに起きた悲劇は受け継がれ続けた悪意から生じました。それを子孫が繰り返さないようにするためです」
それがどれほど大変なことだったのかは、言葉で表すまでもなく明らかだろう。許したわけではない、許せるわけがない。ただ、どうにもならない現実を耐え、同じ過ちを犯さないように、子孫達に負の遺産を受け継がせず、光ある未来を望んだ。
謂れなき迫害を受けたからこそ、その愚かな行為を子孫には繰り返させたくなかった。流民達の意地にかけても。
周りがどれほど流民達を人として扱わなかろうが、流民達は人であり続けることを己に課した。獣のように生きるのではない、人として生き続けるのだと。
「結果的に、流民の皆様は自分達だけの世界を構成し外の世界との交流を避けるようになったのは無理のないことといえます。ですが、あれから五百年以上経ちました。時代はまた変革期を迎えております。今こそかつて失われたもの、奪われたものを取り戻す時ではないでしょうか?」
時代のうねりと、新たな魔道技術の台頭により失われ奪われた流民達の権利。同じような変革が起きようとしている今こそ、流民達もまた変わるべきではないだろうか。
「なるほど……魔術によって失われ奪われた我らの権利を、魔術によって取り戻すというわけですか。いやはや……痛烈な皮肉ですな」
頭はイサラの糸を了解し、薄くなってきた髪を撫でつけるようにして頭をさする。
「はい、世界にとっても国々やそこに住む人々にとってもこれ程の皮肉はないでしょう。魔術の発展による恩恵を独占し、謂れなき理由から善意を踏みにじり、結ばれるかもしれなかった絆を自ら手放しました。そんな彼らが、新たな魔術の発展のためには自らの罪と行為を悔い改め、絆を紡ぎなおすしか方法がないというのですから」
イサラとて人並みの感情はある。表に出にくいだけで、怒りや恨みに思う気持ちもある。イサラを育んでくれた村人達のかつての同朋。彼らに対する仕打ちを憤らずにはいられない。ミール村もイサラ自身もまた似たような境遇でもあるのだから。
「罪を認められず、発展を手放すというのであればそれまでのことです。そうした国や地域からは手を引き、流民の皆様も別の国や地域に移動します。ご存知のように魔術の普及と発展には本来長い時間がかかります。罪を認められない者は、時代から取り残されることになるでしょう。かつて自らの祖先が犯した行いの報いを受けるかのように」
イサラのように反則的な、次代を飛び越えるかのような魔術の発展や普及は普通の人には到底無理だ。イサラの理論を知ったところで、それを実用化し普及するには長い時間が必要となる。流民の手を借りれば数日だろうが、普通にやれば数年数十年単位の大仕事になる。
流民達の手を突っぱねて困るのは目に見えている。和解に成功した周りが次々に発展を遂げる中、取り残され、時代に遅れていくことになる。それを避ける手立ては一つ、本当の意味で流民と手を取り合う道だけだ。
「流民の祖先が意図して歴史を隠蔽したのとは違い、他の人々はただ忘れただけです。都合よく、自分達に勝手がいいように忘れてしまっただけです。思い出させてあげてください、彼らの罪を。上塗りされてきた過ちを。どの国にも記録は残っています。当時の数少ない、けれど良識ある方々の残した歴史が。そうして国や世界が過ちを認め、罪を償い、かつてあった権利を取り戻せた時、皆様方も彼らを許してあげてください。今度こそ間違えないように、共に発展の道を歩んでください」
イサラは一方的に迫害を受けたからといって、それをやり返すことはしない。それは流民達の祖先も望んだことだ。そのために子孫達に辛い歴史を隠してきたのだから。怨嗟に狩られ、復讐に走ることを止めようとしたのだから。
きちんと償いをすれば許し、魔術と言う財産を分け与えるつもりでいる。今度こそまちがえることなく、互いが互いを虐げることなく共に発展できるように。
「我らのためにそこまで……そこまでのことを見込んですべてを采配なさっていたと……ありがたきことです。幸せな……ことです」
頭は声を詰まらせる。流民達は皆涙を流しつつもまっすぐ前を向き、イサラを見ていた。
「とはいえ、わたしにできることはここまでです。あとは皆様方が自分達の力で未来をつかみ取ってください。そして、クロードさん、全てを知ったあなたが誤ることなく正しい道を進んでいただくことを期待しております」
イサラは計画し、準備を整え、采配することはできる。だが、実行するのはあくまでも流民達であり、世界の国々や人々だ。誤算もあるだろうし、予測もつかない事態が起こることもあり得る。すべてを統制することはできないし、未来を予知することもできない。
できることは、予測して先回りし、警戒して危険を減らすこと。そして、最悪の事態にも対応できる備えをすることだけだ。
「お任せください。長きにわたり自分達の足だけで生きてきた意地を見せてやりましょう」
「俺もだ。真実を知ってそのままにしておけるほど腐っちゃいない。その歴史とやらも調べればすぐに分かるんだろ?」
イサラが口にする以上、それは本当のことだろうが、確認のためにクロードが聞く。
「はい、この街の資料館にもあるはずです。昔の記録であり、そして自分達にとってあまり都合のいいものではないため見る人の少ない、忘れられたような記録ですが残っております。他の歴史書と比較しながら見てみるとその違いにも気づけるかと思います」
「分かった、早速明日からやってみるさ。この街の奴らだって、心底悪党といえるようなやつは少ない。本当のことを知ったらちゃんと変わるさ」
自分もそうだったし、この街で生まれ育ったクロードには街の人々のことはよく分かっていた。最初の驚きは大きいだろうが、そこは自分がフォローすればいい。そして、流民達に実際に会ってみれば分かるはずだ。気づくはずだ、両者の間に世界を隔てるほどの違いなどないのだと。
「それでももし、もしもすべてがうまくいかず、流民の皆様と他の人々が敵対するようなことがありましたら……その時には逃げ場も用意しております」
五百年前の悲劇が繰り返されないとは限らない。そしてまた、同じことがあれば今度こそ流民達は人々を許すことはできないだろう。そうなれば全面対決ということにもなってしまう。街にも国にも流民達の居場所はなくなる。そうなった時のため、イサラはこの計画を立てた時から準備をしていた。
「逃げ場……ですか?」
「はい、あるいは拠点とも言いましょうか。誰も住んでいない無人島ですが、いくつかに細工を施し、住めるように体裁を整えております。万が一の時はそこに避難すれば、何人にも手出しをさせない仕掛けをしております。流民と皆様の認めた登録者以外は出入りできません」
住めるように、といってもあくまで魔術障壁を張り、立ち入りを制限してその区域内で安心して眠れる様にとのことだ。家を建てたり、畑を作ったり村や町としての体裁を整えているわけではない。それは流民達自身がやるべきことだと考えていた。
かつての流民達が自ら村を切り拓いたように。イサラは場所と安全を提供するだけだ。そして、そこへの移動手段を。
「もしうまくいったとしても、その場所は皆さまの安息の地として使用できます。元々どこの領土でもなく、誰も住んでいない場所ですから。そこを流民の本拠地とすることも可能でしょう。そこから全世界に出向することも可能ですので」
イサラの施した魔術は流民達にとって極めて有利に働く。外からは決して入ることはできず、中からはあらかじめ流民街のある町の中に仕込んだ転移魔法陣に移動できる。どれほど外の警備を固めても、内側から攻めることもできるのだ。しかも、その場所へ続く道もまた流民にしか使えない。
今現在流民の数は全世界の人口の五分の一程度だが、それでも大きな脅威となるだろう。敵に回すより味方として懐柔する方が賢い選択だ。しかし、幾度も世界と人々に裏切られてきた流民達を思い通りにできるなどとは考えない方がいい。本当の意味で和解する以外に早期の発展は見込めないということだ。
「イサラ、お前いつの間にそんなことまでやってたんだ……」
レオルは呆れるしかない。村では研究にいそしんでいる姿と、剣を振っている姿しか見たことがなかった。最近は一年の半分以上は旅に出ていたが、そんなことをしているなど夢にも思っていなかった。
「彼らに出会って真実を知ってから、ですね。本格的に動くのは成人してからにしようと考えておりましたが」
成人するまでは何かと制限が付く上に、自分一人でできることも少ない。下手に何かしようとすれば、自分だけではなく世話になっている村に迷惑がかかることもある。それを避けるためにも、自由に動くことができ、責任ある大人として一定の権利を認められるようになるまで待っていたのだ。
「偶然とはいえクロードさんと出会えたのは僥倖でした。そうでなければ別の人を探さなければならなかったでしょうから」
イサラは成人を期に、あの研究資料を提出するつもりでいたため、いつか変革が来ることは分かっていた。だが、マレトの天才が先に矛盾だけを発見して発表していたため予定を繰り上げざるを得なくなった。
本来であれば半年から一年近い猶予があったが、それももはやない。何かが加速しているようだと、イサラ自身感じていた。だからこそ、少し急がなくてはならないと考えたのだ。
クロードと出会えていなければ、明日依頼を終えた後にでも適任を探す気だった。だが、今日クロードと出会い少しだけだが話をしてその資質を見極めた。任せるに値すると。
「そいつは光栄なことだな。変革ってのが具体的に何なのかは聞かないが、重要なことなんだろ? 世界を巻き込むくらい」
「はい、旅の扉以上の混乱を巻き起こすでしょう」
「そうか。俺はギルドの警備が仕事だ。ギルドってのは情勢がそのまま反映される。俺の仕事をきっちりこなすためにも頑張らせてもらうさ」
「我々も、同朋と共にイサラ様の意に沿えるよう、そしてまた我らが奪われて失ってしまったものを取り戻せるように誠心誠意努力していきます」
クロードと頭はイサラにそれぞれの決意を伝えた。流民達をそろって何かを決意し、前を見据えていた。イサラはそれを見て、嬉しそうに口元をほころばせる。
「わたしにもできることがあればお手伝いしたのですが、まずはこちらのことを優先させていただきます」
「それはもちろんです。いざという時の備えまでしていただいたのです。安息の地を約束してくださったのです。これ以上は望めません。あなた様は自由に世界をお巡りください。我々も微力ながらお手伝いさせていただきます」
頭は一も二もなくうなずく。イサラには十分すぎるほどによくしてもらっている。これ以上望むのは強欲だろう。すでに未来への道を拓き、安息の地まで与えてもらったのだから。
「夜もだいぶ更けてまいりました。今日はお休みになられますか?」
食事も片付き、盛り上がっていた会話も一段落ついたところで頭がイサラに声をかけた。イサラはレオルとジェイドとフィオナ、クロードを見る。
三人とも少し疲れた顔をしていた。身分証の交付や討伐自体は手間取らなかったとはいえ、それ以外にはいろいろあった。気疲れしているのだろう。
「はい、それではお休みさせていただきます。それと、わたしは……」
「存じております。こちらにお部屋を用意させております」
イサラは四人がそれぞれ案内されていくのを見送って、頭に向き合う。イサラは休むといっても眠るわけではない。いつもの日課をこなすのだ。そのために剣を振りまわせる場所を、心置きなく読書や研究ができる場所を求めていた。
頭に案内されて着いた殺風景だが広い部屋で一人、イサラはいつも通り本を読み実験を行い、そして残りの時間を剣を振ることに費やしたのだった。




