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創世の書  作者: マリヤ
第一章 赤の書
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試験開始

「シリルさん」

「シリルでいいわ。同い年でしょ」

 シリルもイサラの敬語は癖だと気付いたのか、名前だけは呼び捨てるように言う。格好は田舎者だが、顔だちなどを見るにいいところのお嬢様だろうか?

「それでは、シリル。聞いてもよろしいでしょうか?」

「何?」

 先ほどよりは柔らかいが、多少不機嫌な声を出す。今更何を聞きたいというのか。復習もせず余裕ぶっているが、今から受ける試験の難易度を知っているのか。


「あの、試験とはどのような流れで行われるのでしょう? 筆記と面接と書類審査があることは聞き及んでいるのですが、これから受けるのは筆記試験でよろしいのでしょうか?」

 唖然とするしかなかった。とたんに会場内で爆笑が起こる。隣室に控える監査官室でも同じことが起きていた。イサラを監視するはずだった若い監査員は苦笑を浮かべるしかない。

 一体あの子は何をしに来たのかと、声を上げる者もいる。そんな基本的なことも知らずに試験を受けるなんて、恥知らずを通り越して命知らずだ。どれほどの人が命を削るようにして試験に挑んでいるのか知っているのだろうか。血眼になって勉強をしている人が聞けば殺されかねない言葉だ。

 時々いるのだ。記念に試験を受けてみようか、なんていう愚か者が。


「……あ、なたっ! そんなことも知らずに!? な、なにを考えているの? 馬鹿じゃない!」

 シリルは立ち上がって怒鳴りそうになるところをどうにかこらえる。理論式が頭の中から二つ三つ飛んでいきそうだ。どうしてそんなことも知らない子が試験を受けに来ているのか。怒りがわいてくる。

「ははっ、そう言うなって」

「どうせ記念受験でしょ」

「落ちたって自慢できるもんな」


 会場のあちこちから声が上がる。魔道書研究家の試験は誰もが知る超難関だ。試験を受けた、それだけで金持ちの間ではステータスになる。

 ここぞとばかりに野次が飛ぶ。係員も自由時間だから止めたりはしない。自業自得というものだ。ただでさえ神経の高ぶっている受験者達を挑発するようなことを言ったのだから。

「記念受験とは何ですか?」

 聞きなれない言葉に、イサラは首を傾げてシリルを見る。


「その職に就く気も実力もないのに試験を受けることよ。あなたみたいにね! 金持ちの道楽になんて付き合っていられないわ。真面目に答えてあげてたわたしが馬鹿みたいじゃない」

 イサラの妙に落ち着き払った態度も、試験前の行動もそれなら納得できる。最初から本気などではなかったのだ。自分達が死に物狂いで学んできたことを笑いに来たのだ。真剣に相手をして損をした。もう二度と構うものか。シリルはイサラに見切りをつけて前を向く。

「なるほど、そんな方もいらっしゃるのですね」


 イサラはというと、ぽんと手をたたいて納得した顔をする。白々しいにもほどがある。自分もその口のくせに。そう考えると、のんびりした態度もとぼけた口調も憎らしくなってくる。いっそたたき出してしまおうか。

 物騒な考えがシリルの頭に浮かんだが、イサラの次の言葉で吹き飛ばされてしまった。

「ですが、わたしは別にお金持ちではありませんし、記念のつもりもありません。今日の試験に合格して魔道書研究家になります。そのために今まで学んできたのですから」

 ぴたり、と会場の笑い声が止まる。みんな信じられないものを見る目でイサラを見る。無表情で相変わらず眠そうな目をしているが、冗談を言っている様子ではない。


「じゃ、じゃあ、なおさら変でしょ? なんで知らないのよ、こんなこと。師匠は教えてくれなかったの?」

 相手にしないと決めたのに、イサラの信じられない言葉につい反応してしまう。もし、本気で目指しているのなら知らないはずがない。シリルだって初受験の時から流れは知っていた。

 魔道書研究家の師匠が教えてくれたし、筆記試験にしても何度も模擬試験を受けた。それはここにいるみんな同じはずだ。


 もし、師匠が教えなかったのだとすれば、合格させるつもりがないのだと思う以外ありえない。受けさせてみて、諦めさせようとしているのだろうか。こんなにのんびりした子だ。案外あり得るかもしれない。叶わぬ道を目指すよりも、現実を見させて考えを変えさせるために。

「生まれ育った環境や、ある事情がありまして。そもそもにおいて、わたしには師匠がいないのですが、やはりそれは珍しいことなのでしょうか?」

 またしても開いた口が塞がらない。

 変だ変だとは思っていたが、ここまでとは思わなかった。まさか師匠がいないなんてこと。


「そ、れで……試験を? どうやって勉強したの?」

「独学です。……おかしいでしょうか? 身近に同じ道を志す方がいらっしゃらなかったので、よく分からないのですが」

 シリルはめまいがしてきた。彼女は道楽者でも愚か者でもなかった。今はっきりと分かった、彼女は突き抜けた大馬鹿者なのだ。現実も世間も知らず、田舎から出てきた暢気者。当人はいたって真面目だが、周りから見れば滑稽でしかない。

 シリルは怒りが消えて、彼女が憐れに思えてきた。もし、自分が彼女の立場だったら、耐え切れず逃げ出しているかもしれない。閉鎖的で、レベルの低い田舎で生まれ、世間知らずに育ったのだろう。


 魔術が普及してきたといえど、辺境の田舎ではまだまだ認知度は高くないし、そのレベルも低い。そんな中で、誰も彼女に忠告できる者達がいなかったのだろう。無謀な挑戦を止められる識者が。

「はぁ……まぁ、普通じゃないわね。いい、一度しか言わないからね」

 シリルが小細工するまでもない。彼女はライバルにさえならず消えていくだろう。ならば、情けをかけるのも悪くはない。本人自体は善良なようだし、見捨てると後味も悪い。シリルは一度呼吸を整える。


「午前中は筆記試験よ。二百問を五時間かけて解答するの。問題の難易度は初級、中級、上級、最上級、特級まで含まれるわ。全問正解で千点になるの」

 イサラは真剣に聞き入っている。全問正解で千点とは言ったが、試験開始以来満点を取った合格者は世界中探しても存在しない。

 なぜなら、職業取得以前に学べる知識は上級までで、最上級・特級の知識は研究者として熟達した者しか理解することは難しいとされているからだ。もちろん基礎の応用にもなるため、全てを理解できないというわけではないのだが。


「合格ラインは七百五十点以上。上級までは全問正解を狙っていく必要があるわ。最上級からは部分点もあるから一問一点はとりたいところね。特級になるとそれも難しいし」

 これはシリルが師匠から教わった合格の秘訣だ。ここまで教えてあげるのはシリルの親切心と同情心からだ。

「最後に、二百一問目として自由課題があるの」

「自由課題、ですか?」

 相槌を打っていたイサラがシリルを見返す。

「まあ、ボーナス点みたいなものね。今までの自分の研究成果とか、現在の研究について自由に記入できるの。その評価点が筆記試験の点数に加点されるのよ。筆記で七百五十点以上取れなくても、自由課題で埋め合わせができるってこと。どうバランスをとって時間配分するかがポイントよ」


 シリルは自分にも言い聞かせる。時間配分をしながら、いかに自由課題を充実させるかが合格の鍵だ。

 自分のために研究時間を割いてくれた師匠のためにも、現役合格して見せる。自分の才能を見込んでくれた師匠にできる最初の恩返しだ。

「なるほど、五時間で二百一問ですか。長いですね」

 イサラはシリルの気持ちも決意も知らず、暢気に考え込んでいる。

「実際にやってみたら時間なんてとても足りないわ。あっという間に終わってしまう」

 シリルも最後まで問題を読めたことがない。いつも途中で時間がきてしまう。


「あの、もし時間が余ったらどうしたらいいのでしょうか?」

 それなのにイサラはこんな質問をしてくる。いい加減イサラの常識外れに慣れてきたシリルは面倒くさそうに返事する。

「見直すなりなんなり好きにすれば? 人の邪魔をしたり、不正したりしなければ大丈夫でしょ」

「そうですか。では寝てもいいでしょうか?」

 またもや失笑が漏れる。どこまで暢気なのか。試験内容を知らないとここまでボケられるなんて、ある意味うらやましいくらいだ。

「っ! 好きにすれば。いびきをかいたりしなければ平気でしょ」


 相手にしていると、自分がおかしくなりそうだ。本気なのか冗談なのかさっぱりわからない。本当に変な子だ。

 そうこうしているうちに、時間が迫ってきた。いよいよだ。問題と解答用紙が裏返しで配られる。不正を防ぐため、羽ペンとメモ用紙は用意されたものを使用することになっている。荷物も一時的に預けられ、簡単な身体検査を受けた。

 イサラのヤックを脱ぐかどうかの問答があったが、何かを隠しておける場所もないため、そのままの格好で受けることが許された。

 イサラとしてもこれはありがたかった。ヤックを脱ぐとなると、他にも外さなければならないものが出ることになるからだ。


 時間が近づくにつれ、緊張が高まってくる。音をなくした会場の空気は重い。

 ただ一人、イサラだけが平時と変わらなかった。

「それでは、始め!」

 係員の声が大きく響き、一斉に紙をめくる音と、筆を走らせる音があふれる。いよいよ始まったのだ。将来をかけた試験が。




「お前もあたりって言うか、災難だよね」

 魔術によって生み出された数十cm四方の画面に映された映像で受験者を監視している若い監査員に、別の監査員が声をかける。監査員は、通常若手の魔道書研究家が仕事の一環として請け負っている。

 それぞれ苦労しているだけに、受験者への目も厳しく、また不正を見抜きやすいというのが理由だ。

 彼もまた成人三年目にしてようやく合格した。研究所内ではまだ見習いに等しい。監査員達は受験者のように常に待機しているわけではない。担当が決まっていて、試験開催が決まると知らせを受けて集まってくる。半刻前に締め切られるのは、監査員達の準備があるためだ。


「でも、この子。結構、というよりかなりの速さで回答していますよ?」

 試験開始から半刻、彼女は最初からハイペースで筆を走らせ続けている。一度たりとも迷うことも途切れることもない。あれでは問題を呼んでいるのかも疑わしい。

「解答欄を埋めることと、正解することは違うだろ。当てずっぽうでも書いてたらもしかするかもしれないしな。それに最初はみんな飛ばしてるさ」

 先輩は軽く受け流す。自分にも経験があることだ。最初は分かる問題ばかりで順調に進んでいける。けれど、彼女のそれとは少し違う気がする。


 よく見ていて気が付いた。彼女の手が回答を書き込む時、彼女の目は問題用紙を向いている。解答を書き込みながら、次の問題を読んでいるのだ。その問題の答えを書く時にはさらに次の問題へと。

 手と頭がまるで別の意思を持っているかのようだ。書くべきことを分かっているかのように手は動き、目は問題をなぞる。先輩の言うようにでたらめでもとにかく埋めているのか。とてもそうは思えない。確信を持った動きだ。書き直しも、メモを使ったりもしない。

 『天才』。ふとそんな言葉が浮かんでくる。彼女のような芸当ができ、それが正しい答えであるならば、まさしく彼女は天才なのではないか。奇矯な言動も、天才ゆえのずれなのだとすれば。


 確信が持てないまま、一時間が過ぎた。そろそろつまずき始めるころだ。

 ちらりと他の受験者を見る。首をひねったり、頭を抱えたりしている。ここからが苦しい時間となるのだ。最上級や特級の問題など、今の自分でも満足には解けない。

 上級にしても解けても時間はかかるだろう。成人前に学べる範囲が上級までと定められているのは、それ以上になると危険な技術や知識も多いからだ。未熟なものが学べば間違いを起こしてしまうかもしれない。

 だが、イサラという少女の筆は一向に止まらない。めくった問題の枚数からいってももう最上級に入っているだろうに。


 涼しい顔をして、寝ぼけ眼のまま、その瞳のみを素早く走らせながら。考え込むこともなく、ノータイムで書き込んでいく。

 どんどんと問題用紙が薄くなっていく。特級に入ってもペースは落ちない。監査員は額から汗が零れ落ちるのを感じたが、目を離すことができなかった。

 そして、開始から一時間と半刻、イサラは全てを書き終えた。信じられない速さだった。五時間あっても七割・八割目を通すのがいいところだというのに。問題を読むだけでも三時間以上はかかるはずなのに。


 だが、問題は中身だ。受験者の採点は監査員が行うことになっている。はたして正解をかけているのだろうか。

 画面の中の彼女は問題用紙と解答用紙を軽くそろえるとわきに置く。見直しは必要ないということなのだろうか。それから、十分すぎる余裕を持って最後の自由課題へと取り掛かった。

 用紙を前にして少し思案している風だった。無理もない。今日初めて試験の内容を知ったのならば、試験用に研究をまとめているはずがない。自由課題はその題材もさることながら、どれだけまとめられるかもカギだ。


 何について書くのか、どのような結論に至りそれをどう証明するのか。枚数の制限はないが、まとめるのに苦労する。明快で、論理的で、矛盾のない形に仕上げる。何度も練習して、ようやくまともになってくる。あとで見直して、内容に齟齬や矛盾が出ることもしばしばあるのだ。

 ところが、すぐに書くことが決まったのか、すごい速さで書いていく。それこそ、解答を書いていた時とは比べ物にならない。手が霞むほどの速さで次々と書き上げていく。

 一体彼女は何を題材として選んだのだろうか。少し楽しみになっている自分がいて、それにも驚く。きっと先輩達が言うように、彼女は世間知らずのおのぼりさんなのだろう。万が一、いや億が一にも合格はあり得ない。独学で合格できるなら、自分達の苦労は何だというのか。


 けれどもし、彼女が自分が感じたような天才だったとするならば。彼女の存在は、理論はこの国を、世界を揺るがすものに違いない。

 そんな彼女の巣立ちの瞬間に立ち会えたとするならば、自分はとんでもなく幸運なのかもしれない。災難などではなく、奇跡だ。

 静かな興奮は、決して消えることはなかった。そう、半刻後、試験を説き終えた彼女が宣言通り眠ってしまった後も。周りの者が、もう駄目だな、諦めたなと心無いことを言って笑っても。




 いい調子だった。頭もさえている。今回は行ける。最上級に入っても分かる問題は解答を書き込めたし、いくつか最後まで解くこともできた。確かな自信が自分の中に広がるのが分かった。

 そんなシリルにとって、一番の気がかりだったのは隣のイサラだ。

 試験前にあんなことを言っていたが、まさか本当に寝てしまうなんて。それも始まって二時間ほどで。

 合格するんだ、などと偉そうなことを言っておいて、試験の難しさに匙を投げたのか。初見ではシリルもろくな点は取れなかった。イサラも同じだろう。


 一つ気になることといえば、眠る前まで隣でずっと絶え間なく聞こえていた筆を走らせる音だろうか。そううるさいものではなかったが、ほとんど止まることがなかった。それが不意に止んで、ちらりと見てみれば寝ていたのだ。机に突っ伏す形で。

 まさか解き終えたのか? ふとそんな思いがよぎる。いくらなんでも早すぎると、その思いを振り払う。すべてに目を通すのにもこの時間では足りないはずなのだ。解くなんてとても無理だ。

 大方わかるところだけを埋めて、あとは諦めたのだろう。今回は様子見として次にかけるために。それにしても、残り三時間もあるのだ。もう少しあがいてもよかったのではないか。潔いというよりは投げやりに思える。


 ついイサラに意識が向きそうになり、シリルは慌てて問題に意識を戻す。いけない、せっかくいい調子なのだ。他のことに気を取られて落ちるなんて冗談ではない。

 シリルは気持ちを切り替えて問題に目を通す。

 残り一時間になったところで、まず自由課題に取り掛かる。こっちは特訓を積んで、半刻もあれば完璧に仕上げる自信があった。題材も師匠が感心してほめてくれたものだ。きっと高い評価をもらえるだろう。

 一回目と二回目は焦ってちゃんと書けなかった。今度こそ自分の研究成果を発表して見せる。

 シリルは頭の中でまとめたことを書き写していく。もう少し……完成だ。一番前にある時計を見る。あと半刻余り。最後の大詰めだ。


 周りも焦ったように筆を走らせているのが分かる。先ほどの続きから始めるが、はやり難しい。特級など、どの理論を用いて、どう解けばいいのか見当もつかないものがある。

 後一刻。みんなの目の色も変わってきた。必死に頭をかいている人もいる。もう少し、もう少しだ。

「そこまで! ペンを置いて、席を立ちなさい」

 何とか最後まで行くことができた。分からずに飛ばしたものも多いが、最後まで読めたのは今回が初めてだった。シリルの中に自信とともに充足感が広がる。なんとなく確信が持てた、今回は合格すると。

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