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創世の書  作者: マリヤ
第一章 赤の書
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試験合否結果発表

 イサラはある意味、大人達の生み出した、大人達のエゴによって生まれた悲劇の天才だ。悪条件が重なり、何もかもを狂わせ、誤った認識に縛られ、だがそうすることによってはじめて生まれた天才。ピースが一つ欠けただけでここまでの変化はなかっただろう。

 まるでそうなるように定められているかのように、決められたことのように天才の道を歩んでいく。孤独という影を引き連れて。


 キリカはイサラの体を抱きしめて、こらえきれずに涙を流した。イサラもまた一滴、二滴と両親を失った時でさえ流れなかった涙を流していた。悲しみで泣くことができなくなっていた。だが、嬉しさからくる涙は自然とあふれてくる。

「あなたはあなたでいいのよ、イサラ。それがどんなに普通じゃなくても、周りからは価値がないように見られても、あなたの本当の価値はわたし達が知っているわ。あなたはあなたでいいの」


「はい。遠からず必ず、蓄えた資産で皆さんにお返しします。いくつか構想していることがあります。それによって必ず、みなさんが長い冬の間に、寒さで徒に命を落とすことのないよう、食べ物が少なくて飢えることのないよう、このフェール山脈の中にあって誇り高く生きていけるように尽力させていただきます。……家族の、一人として」

 イサラの中で絡み合っていた呪縛が解かれた瞬間だった。孤独という名の影を振り払い、光ある道へ歩み始めた瞬間でもある。そしてまた、本当の意味でイサラがエレザイル家とミール村の一員となった瞬間だった。




「それからのイサラは見ての通りよ。まだかなり変なところも残っているけど、というより変なところも進化しちゃったみたいだけど、イサラはああしてここにいるわ。宣言通りのことを成し遂げて、十分すぎるくらいの恩返しと恩恵を村に与えて。すべての養育費を二乗する勢いで成長して、ちゃんと目標に向かって歩いているわ」

 フィオナは長い昔話を終えて一息つくと、シリルの肩に座る。あれから二時間近く、イサラはまだ剣を振り続けている。いつもより何割増しか真剣な顔をして、いつも以上に汗をかいて、いつも以上に激しく動きながら。


「あの子はねぇ、それから一日一回の約束は必ず守ったわ。もちろんキリカさん達もね。わたしと会った後にもそれは変わらなかったわ。村にいる限り、どんなに忙しくても何かに夢中になっていても必ず守った」

 それ以外ではしょっちゅう食事を抜かしていたし、睡眠もほとんどとらないことは前と変わりなかったが、一日一回でも食事を取ることで前よりもかなりましになった。極まれに寝不足で倒れるくらいだ。


 そこで、今度は別の人がイサラと約束を交わした。いつも倒れたイサラの面倒を見ていた医者だった。次にまた倒れるようなことがあれば自分は医者を辞める、と。医者と患者は信頼関係で結ばれて、医者の言うことを患者が守ることで病や怪我を治す。

 イサラの悪癖も一つの病気だ。何度注意しても倒れるということは、信頼関係が結ばれていないということだから、医者でいる資格がない、といったのだ。


 これには周りも驚いたが、イサラには効果覿面で、それ以降二度と寝不足で倒れて運ばれることはなくなった。これを見た残りの村人達も徐々に便乗していき、約束というほどではないが、イサラとのおなじみのやり取りが繰り返されるようになり、だんだんと溶け込んでいった。

「そして、あの子は今の地位を手に入れた。誰もが知り、誰もが親しみを込めて変人と呼ぶ。すべてはあの子と周りの努力があったから。諦めずに歩み続けたから。あなた達はここで絶望して立ち止まっていていいの? そうなれば本当にイサラとの距離が開いてしまうわよ?」

「でも、でもイサラはわたしよりずっと強くて……才能だって……」


「当たり前じゃない。あの子はそれだけの時間を費やしてきたんだもの。才能もあったでしょうけど、そんなのは些細なことよ。あの子は才能を理由にしたり言い訳にしたりしないわ。村の人達に見合うだけの自分になるって、やらなければならないことのために一生を捧げるって寝る間も惜しんで努力し続けてきたんだから。あなたに負けるわけがないでしょ?」

 フィオナの話が終わったからか、あるいは時間が来たからか、イサラの動きが止まった。体から立ち上る水蒸気の量は二時間前にウルタ流のおさらいをしてきたときの比ではない。


 イサラは一度大きく剣を振ってから背中に納めると、結界を張っていた四隅の道具を回収して、小さな袋に入れてポーチにしまい込む。それから身に付けていた魔道具の一つに魔力を込めると、汗や土ぼこりを含めた衣服やイサラの体の汚れや水分が浄化されて消えていく。

 旅をするならいつでも身を清められるわけではないため、その代わりができる魔道具も当然のように開発され実用化されていた。初級魔術の複合式魔術で難易度は上級以上とも言われるそれを、難なく魔道具にしてしまえるイサラの発想と開発力には脱帽するしかない。

 イサラはヤックを元に戻すと、シリル達の方に歩いてきた。


「お疲れさま、イサラ」

「はい、ありがとうございます。それと、おはようございます」

「うん、おはよう。昨日はありがとうね、運んでくれて」

「いいえ、こちらも色々と助けていただきましたので。ナル達のことやそれ以外のことでも……。ですのでお互い様です」

「ふふっ、そうね」

 イサラはシリル達にちらりと視線を動かしてフィオナと会話を続ける。フィオナもすぐにイサラの元に飛んでいき、肩に座って話し込む。終わったばかりの頃は少し乱れていたイサラの息もフィオナとの会話中には整い、元のように戻る。


「そろそろ朝食の時間よ」

「そうですね。レオル、ジェイド、行きませんか?」

「おーう、矢と的回収したら行く!」

「今すぐにっ!」

 レオルは構えていた分の矢を放つと、弓をしまって的に向かって歩き、ジェイドは蹴りを途中で止めてすぐに寄ってきた。目がキラキラしていて、なんだか大型犬を思わせる。飼い主が大好きで、呼んだらすぐに飛んでくる忠犬を。

「…………申し訳ありません。稽古のお邪魔をしてしまいましたでしょうか?」


 イサラの方を微妙な表情で見ていた二人に、申し訳なさそうに向き合うと声をかける。イサラは自分が何をやっていたのか分かっているつもりだった。目の前で自分達の流派の型や技を取り込まれ変化させられたりすれば気分はよくないだろう。

「いや、いいや。わたしが……弱いだけだった。Bランクでも上の方だからって、胡坐をかいていただけだ。自業自得だ、鍛えなおさなければな」

 サーシャは頭を振りながら、師匠として剣士として決意を見せる。一歳の子供が絶望の淵から這い上がりここまで鍛え上げたのだ。負けてなどいられない。


「わたしは……己惚れてた。同世代で一番勉強がよくできて、一番剣術がうまかったから。イサラよりずっと恵まれた環境だったのに、それに甘えて満足してた」

 あれほどの実力を持っていながら、なおその先を目指すイサラ。どれほどの知識と技術を得ても、満足することなくさらに求めていく姿勢。見習うべきだと思った。誰よりも前を歩こうとする友人を。

「これから、もっともっと頑張るわ。きっとわたし、職業試験受かっていると思う。イサラもでしょ? だから、いつかきっとイサラが見ている世界のほんの一部でもいいから、見られるくらいに進んでみる」

「はい、お互いに精進いたしましょう。成人して職を得て、これからがスタートラインです」

「そうね、じゃあ朝食に行こっか。その後一緒に結果発表を見に行きましょう?」

「はい、もちろん喜んでご一緒させていただきます」


 両親に裏切られ、捨てられ人が信じられなくなっていたイサラ。イサラは周りの人達に支えられて、失ったものを徐々に取り戻していった。今こうして出会い、隣を歩いていることこそ奇跡なのかもしれない。シリルはひそかにそう思った。




「はー、やっぱり人が多いわね。全然見えないわ」

 イサラとレオル、ジェイド、フィオナ、シリルの五人は今施政所の中にいた。朝食を食べて少し休んでからここに昨日の試験の結果発表を見に来たのだ。だが、同じように発表を見に来ている人々の波で掲示板が全く見えない。

「少し落ち着くまで待ちましょうか?」

「そうね、ここに突入する気力はないわ。つぶされちゃう」

 イサラとフィオナは後ろに下がり、シリルもついていって椅子に座る。レオルはハンター試験の結果発表を見に行き、ジェイドはちゃっかりイサラの隣に座っていた。やはり犬にしか見えない。


「でも驚いたわ。五時間以上剣を振り続けることも習慣だなんて」

 イサラは村にいる時でも、外でも平均して一日五時間以上は剣を振る。余裕があればそれを朝晩、時として昼も振っていることがある。一日の半分は剣を振る習慣になってしまっている。

「長年の習慣ですので、しない方が落ち着きません。ただ、街中に泊まる場合は難しいですので、街の外に出てからということも珍しくはないのですが」


「ふぅーん、変な目で見られない?」

「そうですね。終わると見ていた人から拍手をもらったことはあります」

 もはや大道芸のレベルらしい。案外おひねりの箱を置けばお金が集まるのではなかろうか。

「でも、そんなに堂々と見せても平気なの?」

「見たからといってどうこうできるわけではありません。真似をしたとしても、それを上回る筋を持って返せばいいだけのことです。そもそも、シヴァ流は相手によって対応を変えられる柔軟性を持っております。定まった型も筋もありませんので、見られても不利には働きません」


「……そうだったわね。ふぅ、大丈夫だろうとは思っていても、やっぱり結果を見るのは緊張するわね」

 大分少なくなった人垣を見ながらシリルがため息をつく。いくら手ごたえがあったとはいっても、発表があるまで確定ではない。それに、シリルは二度この場所で苦汁を飲んでいる。

「そうですね」

 同意はするも、全くそう見えないイサラ。これは怒ってもいいところなのだろうか。シリルはそんなことを考えながらじっと掲示板に集まっている人達を見つめる。八割から九割の人の顔は暗く、涙を浮かべている。


 魔道書研究家の試験は、毎年ジフテルだけでも一万人近くの人が受験する。しかし、その中の合格者はわずか十人足らず。年によって増減はあるが倍率自体はさして変わらない。中でも新成人受験者の合格率は極めて低く、一発合格など百年に一人出るか出ないかだ。

「行きましょう」

 人垣が切れたのを見てシリルが立ち上がる。イサラもそれに続き、掲示板の前に立った。合格者の番号が載せられているだけの簡単なものだが、これにはある法則性がある。受験番号の順番に関係なく、好成績順に上から並ぶのだ。点数までは張り出されないが、順位だけは確認できる。


 シリルは一度目を閉じて、ぐっと両手を胸の前で握りしめ、目をあけて合格発表の用紙を見る。シリルは三十六番、イサラは四十番だ。

 焦点のあったシリルの目には、はっきりと自分の受験番号を確認することができた。合格したのだ。初受験で、とまではいかなかったが現役合格することに成功した。シリルは小躍りしたいのを何とか自制し、それでもこらえきれない笑みを浮かべながら他の番号にも目をやる。


 受験者の中での順位で、研究機関での地位も決まったりするからだ。シリルの番号は上から二番目、つまり二番目に成績が良かったということになる。そのことにもまたシリルは笑みを浮かべた。

 今回の試験では、受験人数に比べ合格者が多かったようで、四十人しか受けていないのに三人も合格者がいる。一人はシリル、一人はシリルの下に二十七番と書かれた人物。そしてもう一人、シリルの上にある番号は……四十番。イサラである。


 それを見て、シリルは素直に喜ぶことができていた。笑いかけることができていた。昨日イサラに出会おう前のシリルなら、なぜ! と大声で騒ぎ立ててもおかしくない。

 なぜあんな態度で、あんな無知で、あんなにわけのわからない子が、自分を差し置いて一位で合格できているのか、と。でも、今はその理由がよく分かっている。だからこそ祝福したい。

 イサラのこれまでの努力が、また一つ報われた瞬間を。


「おめでとう、イサラ」

「はい、ありがとうございます。シリルこそおめでとうございます」

「ありがと、フフッ、なんだかくすぐったわいね、こういうの」

「はい。ですがこうやって喜びを分かち合える相手がいるということはとても幸せなことだと思います」

「そうね、その通りだわ。変なのに、こういうところはまともなんだから」

「そうでしょうか?」

「ほら、それが変なのよ」


 こうしたイサラとのやりとりも楽しくてしょうがない。まるで何年来の友達のようだ。昨日出会ったばかりの他人だったというのに、本当に人との縁というものは分からない。

「……ぐすっ……」

 フィオナはイサラの肩に座ったまま涙をぬぐっている。さながら親の心境なのだろう。あるいは姉としての。

「さすがイサラさん、俺なんかの心配なんて必要なかったな」

「いいえ、気にかけていただいてありがとうございます。嬉しかったです」

「そっ、そうかっ。はははっ、ま、まあな。心配するのは自由だからな」

「はい。わたしとしてはなるべく心配をかけないような行動を心がけるつもりです」

「そうか……」


 浮かれたり落ち込んだり、なんだか感情の上がり下がりが激しいジェイド。しかし、イサラはなぜそうなるのか分からず、首を傾げる。

「よーっす、合格してたぞー」

 微妙になった空気にも軽く入ってきたのはレオルだ。どうにかこうにか人の群れをかき分けて突き進み、掲示板を見てきたためか若干髪型が乱れている。見るまでもなく合格だという確信はあったが、念のため、確認してきた。

 受験者も合格者も多かったハンター試験だったが、レオルの番号はすぐに見つかった。成績上位者を示す上の方、それも一番最初に書かれていたからだ。レオルもハンター試験トップ合格ということだ。


 レオルはそれを見ても特別な感慨は抱かず、ハンターも案外普通の奴らばかりなんだな、という少しずれた感想を抱いていた。ミール村という閉鎖された村で腕を磨いたせいか、近くにイサラという規格外がいたせいか、レオルは自身の実力を一般の者と正確に比べたことがない。レオルのレベルで普通より少しまし位だと思っていたのだ。

 なぜなら、レオルが試験でやったぐらいのことはミール村の狩猟グループや自警団なら誰もができる程度のことでしかなかったからだ。精密な速射で行けばレオルには及ばなかったが、みんな村を支えていくだけの実力を持っていた。


 外に出てみると、レオルの腕は一般的に見ても一流から超一流に値するものであり、気づいていないのは本人だけだった。ミール村の人達はみんな一流ということだ。ずっと一緒にいたせいで、イサラの常識外れが多少なりともレオルにも移ってしまっていたらしい。はた迷惑なコンビだ。

「おめでとうございます」

「おめでとう、順位は?」

「ん、トップだった」

「えっ、一番ってこと?」

「トップは一番しかないだろ。おっ、やっぱイサラもトップか。にしても三人て多いのか少ないのか分からんな」

「多い方だそうです」

「へー、向こうは番号ごちゃごちゃあったけど、これなら見やすくていいよな」

「それはそうですね」

「ちょっ……あんた達!」


 合格発表の紙を見ながら談義する二人を、シリルは急いで腕を引いて掲示板から遠ざける。少し離れたところまで連れてくるとシリルはため息をついた。ジェイドも慌ててついてくる。

「あのね、本当のことではあるけどもう少し気を使ってくれる?」

「気を使う……ですか?」

「はぁー、そういうとこは田舎者って思うわ。暢気で、事実をそのまま受け入れられる。素晴らしい長所だとは思うけどね、それで済まない人も、都会にはいるの」

「あぁ、やっかみとか逆恨みってやつ?」

「……ええ、一度の試験で三人の合格者はかなり多い方よ。一人も出ないことだって少なくないもの。難易度が高いし、合格率も低いからハンター試験みたいにたくさんの合格者で紙が埋まることはないわ」


 レオルは先に気付いて納得した。イサラは首を傾げたままだ。

「まあ、つまり、見やすいってことはそれだけ自分が落ちたってことも分かりやすいっていうことでもあるの。落ちて落胆しているところにあんな会話を聞いてみなさい、どう思う?」

「そうですね、あまり気分はよくないのではないかと」

 イサラもシリルの言いたいことが分かったのか、少し声を落として答える。

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