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創世の書  作者: マリヤ
第一章 赤の書
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イサラの価値 前編

「そこから先は少しは知っているでしょ? イサラはそれまでのことが嘘みたいに積極的に精力的に動き始めた。身を守るために必要だからと剣を取り、より多くの知識が必要だからと村中の書物を読んで、足りな分は買ったり借りたりして一人で研究を始めたの」

 イサラが人形から脱却したのは嬉しかった人々だったが、まるで何かに追い立てられているかのごとく、遅れを取り戻そうとしているかのごとく取り組むさまは別の意味で恐怖を誘った。


 それほどまで劇的にイサラを変える何があの本に書かれていたというのか。だが、イサラはその本を誰にも見せなかったし、触らせようとさえしなかった。それだけが心のよりどころであるように大切にしていた。

 普段の生活というより、食事だけはエレザイル家で取っていたがそれ以外の時間は全て将来の目標に向けられていた。研究は昔住んでいた家で、剣術は修練場でと、それ以外の場所で姿を見かけることもなかった。


 同年代の子供達が遊んでいる頃イサラは剣を振り続け、眠っている頃イサラは本を読み研究を進め実験を繰り返す。そんな生活をしていた。

 六歳になるとエレザイル家に来ることさえ稀になった。部屋にこもるか修練場にこもるか。頻繁に倒れるようになったのもこの頃だ。

 それまでは戸惑いも多く、本当の子供ではないことから少し遠慮していたキリカ。今まで育ててきた子供達とあまりに違うため戸惑ってもいたキリカだったが、そんなことが続くとついに業を煮やした。


 家で本を読んでいたイサラを無理やり連れだし、家に連れて帰った。そして椅子に座らせ、家族全員揃ったところでイサラの言い分を聞いた。知らなければならなかった、イサラが何をしようとしているのか、何を考えてこんなことを続けているのか。そうでなければ、今度は肉体的にイサラが壊れてしまうと考えたから。

 イサラが三歳の時に言ったのは、『これからわたしが何をすべきか分かりました。そのために動きます。今までご迷惑をおかけしました、これからもお世話になるかと思いますが、わたしのやりたいようにさせてください』という、何とも子供らしくない言葉だった。


 やりたいことや進むべき道が何かは言わなかったし、驚きのあまり誰も聞けなかったが、もっと早くにちゃんと聞いておくべきだったとキリカは後悔した。自分の意志で動くようになったが、それでも人形以前のイサラとは全く違っていた。

 話しかければ答えるし、挨拶も礼儀正しく行うが、にこりともしなければ表情一つ変えない。その目は昔の輝きを取り戻してはいたが、はるか遠くを見据えており、自分達を映してはいない。


 キリカはイサラの目を真っ直ぐに見ながら、何がしたいのか。進むべき道は何なのかを聞いた。そのために、こんな生き方をしているのか、しなくてはならないのか、と。

 このままではイサラは人と全く関わりを持つことなく、自分を顧みることもなく孤独に生きることになりかねない。血はつながっていないが自分の娘と思って五年間面倒を見てきたのだ。そんな悲しい人生を送らせたくはなかった。


 キリカにそう聞かれて、初めてイサラの目がキリカ達をとらえた。その頃にはもうすでに今のイサラの原型ができており、いつも眠そうにしているところは変わらなかった。だが、その時ばかりは瞼を開いて、もう一つの家族を見ていた。

 イサラは重い口を開き、自身の考えを告げた。成人後は魔道書研究家の職を得ること、職を得た後は村を出て旅をすること、そのためには知識と強さが必要であること。それも半端ではなく誰にも負けないくらいに賢く、強くなければならない。


 イサラはこの村の生まれだが、両親は異国の者でありトラブルを抱えていたため、そちらの関係で何かあった時に村人達を巻き込まないように関係性を薄めておこうと思ったこと。いずれ両親と同じように村を捨てる自分が、当たり前のような顔で貧しいこの村に居座ることなどできず、かといって両親が送ってくる多額のお金はすべて魔道書や素材などの研究資料に充てているため村に寄付もできない。

 ただでさえ二年間面倒をかけっぱなしだったのに、これ以上村の人達に迷惑をかけるわけにはいかないと考えたこと。恩返しもできないなら、せめて手間をかけないようにしようとしたこと。しかし、体が無理に耐え切れず結局迷惑をかけてしまい合わせる顔がなく、悪循環に陥っていたことを打ち明けた。


 イサラ自身このままではいけないと思いながら、どうにもならないところまで来ていた。そこにキリカがやってきたのだ。

 話を全て聞いたキリカは、娘としてイサラを引き取って以来初めて本気でたたいた。それでもイサラは顔色一つ変えず、声一つ上げない。まるで人形だった頃のように、何も感じていないような顔をしてキリカを見上げていた。

 イサラは愛想をつかされても仕方ないと考えていた。でも、そうすればこれ以上この家族を苦しめることもなくなるだろうと。最悪村からも追い出される展開も考えていたが、絆が強く情が深いミール村のことだ。親もなく帰る場所もない子供を雪山に頬りだすことだけはしない。


 見限られたとしても自業自得で、そうなれば今後イサラがどうなろうとこの村に影を落とすことはない。イサラ自身やるべきことに没頭できるはずだと、そう考えていた。

 キリカはこの時のイサラとの問答を十年以上たっても鮮明に覚えていた。フィオナがイサラについてきた時、これからも一緒にいるなら知っておいた方がいいと話して聞かせた。イサラの心に残る傷の大きさと深さを知っておくために。




「どうして? どうしてそんなふうに考えるの? わたし達がそんなに信じられない? なぜ自分を大切にしないの!」

 たたかれたのはイサラなのに、キリカの方が痛そうな顔をしていた。それを見て初めてイサラの表情が動いた。ひどく辛そうに、苦しそうに。キリカが痛みを感じることこにこそ痛みを感じているように。

「わたしには分かりません」

「何? 何が分からないの?」


 普通の子供よりずっと早熟なイサラ。もはや知識においてはミール村の大人達をも追い抜いていると思われるイサラ。そのイサラが分からいこととは何だろうか。

 一体何が分からないのか、自分に分かることなら教えてあげたい。少しでもいいから親らしいことをしてあげたい。キリカはそんな思いから聞き返した。

「わたしには誰かに大切にされるほどの価値があるのか、愛される価値があるのか、心配して面倒を見てもらうほどの価値が本当にあるのかどうか、ということです」


 イサラが表情を変えたのは、キリカが心の底からイサラを心配していることを感じたから。怒っていても、呆れていても、イサラを見捨てず見放さず、他の子供達と同じように心からイサラのことを思っていることが伝わったから。親として叱ってくれたから。

「な……んで? どうしてそんなふうにしか思えないの? 価値って何? イサラは、人はそんなふうに価値だけで表せるものじゃないでしょう?」


 イサラの中で、どこでそんなふうに歪んでしまったのか。何が原因か。聞くまでもなく、両親のことだ。だが、なぜそんな結論に至ってしまったのか。キリカにはどうしても理解できなかった。

「わたしもそう思います。この村の人達を見ていると人の価値は……いえ、存在はそんなに軽いものではなく、複雑でいてそれぞれに個性があり尊重されるべきものだと」

「それが分かっているならなぜ? そこまで理解していてなぜ自分のことはそんなふうにしか思えないの?」


 六歳とはとても思えないほどの深い人生観。大人でもこんなふうに考えることができる者はそう多くないだろう。それなのになぜ、イサラは自分自身のことだけは軽んじるようなことをして、除外するようなことを言うのだろう。

 キリカはますます分からなくなる。再び人として生き始めてから三年間。その間に、キリカとイサラの心の距離はここまで遠くなってしまったのだろうか。それとも、最初から近づくことも触れることもできていなかったのか。


 キリカは人形になってしまったイサラを世話していた二年間が、全くの無駄だったような気がした。けれど、それを肯定してしまえば、イサラ自身を否定してしまう気がした。あの期間があったからこそ今のイサラがあり、自分達の絆があったはずだ。

 キリカは子育てに見返りなど求めていなかったはずだ。注いだ愛情が帰ってこないからと、伝わっていないかもしれないからと投げ出すわけにはいかない。心が通じ合わないからと言って、言葉を交わすことまで諦めることはできない。今イサラは自分の娘同然で、ただ信じ無償の愛を注ぐべき存在なのだから。


「わたしの両親はこの村の出身ではありません」

「え、ええ。そうね、異国の出身で両親とも国許もそれぞれ違うと聞いているわ」

 唐突に変わった話題に、キリカはとっさに答えてしまう。葛藤を置き去りに会話が続いていく。イサラの両親のことは当人達に直接聞いたこともあるし、イサラにあてた手紙にも書いていた。

 ただ、それがどこの国でどんな家のどんな立場だったのかは明かされていない。その国では地位や権力のある家柄だ、ということしかうかがえなかった。


「しかし、わたしはこの村で生まれ、この村で育ちました」

「そうね。レオルとも生まれた月が近かったからよく覚えているわ」

 レオルが生まれた一月ほど後にイサラも生まれた。そのため、イサラの母親とキリカは個人的にも親しくしていた。初めての子育てのことを、六人の子を持つ親としてアドバイスしたこともあった。イサラの母親は美しくて気品があり、おっとりと落ち着いた雰囲気ではあったが、意志の強さや心の強さを感じさせた。


「ですから、両親の国や家ではどうであれ、わたしにとっての家族のあるべき形や姿というものは、この村で見て学んできたものだと思っております」

「そうね、そうなるでしょうね」

 人は生まれではなく育ちで人格や価値観が決まる。ならば、イサラにとっての家族というものもまたミール村のそれであっても不思議はない。このイサラの言葉が先ほどのイサラの結論にどうつながるのか。キリカにはまだ見えないでいた。


「この村では、たとえ何があろうとどんなことが起ころうと、家族は互いに支え合い助け合って生きています。その行動の結果、死ぬことになろうとも家族を見捨てたり何も言わずに置いて行ったりしません。どれほど厳しい道になろうとも、その先に死が待っているのだとしても、共に生きる道を最後まで探そうとします。相手が大切だからこそ、たとえ離れ離れになったとしても生きている限り何があっても家族の元に帰ってこようとします」

 イサラの言っていることはまさしくミール村の家族の形だった。時に愛が重たく感じようともそれだけ深い絆があるからこそ、このような環境でも生き残ることができている。それは血のつながりだけではなく、村全体につながる絆でもある。


 イサラの会話の内容で、エレザイル家の大人達も、だんだんと大人に向けて成長していた上三人の兄弟もイサラの言いたいことが分かってきた。イサラは比べているのだ。ミール村の家族と、自分の家族を。そして、比べてしまったからこそ絶望している。自分が両親において行かれたということを。何も伝えられなかったことを。一度も会いにさえ帰ってきてくれないことを。

「ではなぜ、わたしの両親はわたしを置いて行ったのでしょうか? なぜ何も言ってくれなかったのでしょうか? なぜ共に生きてはくれないのでしょう? なぜ、帰ってきてくれないのでしょう? 一度も……一度さえ、顔を見せることさえ、してくれないのでしょう?」


「それは……」

 キリカは言葉に詰まる。先ほどからの展開でこう言われるだろうことは予測できたが、キリカ自身その答えを持っていない。自分の中にもない答えを、どうして教えることができようか。キリカもまたミール村の家族の中で育ち、今まで生きてきたからこそ分からない。

 今のイサラの気持ちも、イサラの両親の気持ちも理解することができない。

 キリカもイサラと同じ疑問を抱いていた。最初から置いていつもりならなぜ生んだのだろう? 生んだことは許せるにしても、なぜすぐに出ていかなかったのか。まだ両親との絆が生まれる前なら、イサラもこれ程傷つくことはなかったのに。二人はイサラの成長の速さの秘密を知っていた節があるのに、余計不思議に思う。


 そして、出ていく前にイサラに何も伝えず、そぶりさえ見せなかった。あとから手紙が送られてきたとはいえ、それはイサラを騙したと同義だ。そのせいで、イサラは無理をして体を壊した。心でさえも一度壊れてしまった。

 愛する家族の裏切りに近い行為をどう感じるか考えなかったのか。イサラが何を思い何をするか分からなかったのだろうか。絶望しながらも、どこかで愛する家族の帰りを待っている者の心情が理解できないのだろうか?

 生きていることがはっきりしているのに、イサラを迎えに来ないのはなぜなのか。迎えることはできなくても、イサラの元に一度でも戻ってきて顔を見せるくらいできないのだろうか。


 共に暮らせない事情があったにしても、あまりにも薄情ではないのか。カッコウのように他所の村に生み捨てて別の親に育てさせるぐらいなら、なぜ本物のように自分達の姿さえ認識させないような措置をとらなかったのか。

 相手の事情を知らず、分からないゆえに浮かぶ一方的で理不尽にも思える考えが浮かぶ。だが、本当に辛いのも苦しいのも、怒っていいのもイサラだけだ。そんな理由も不確かな不条理を押し付けられたイサラにこそ両親を責める権利がある。

「……手紙には書いてあっただろう?」


 葛藤で返事ができないキリカに代わってテッドが答えた。そう、イサラの問いの答えに近いものは両親からの手紙によって書かれていた。ただ、イサラもキリカも、もちろんミール村のみんなもその答えに納得がいかなかった。それでも受け入れるしかないのが現状だ。テッドの言葉にはそういう意味が込められていた。

「はい。両親はそれぞれ別の国の出身で、国許ではそれなりの地位と権力がある家柄同士であるということ。今は友好的な関係にありますが、元は敵対する国同士であり家族や周りの人達に交際や結婚を反対されていたこと。それでも互いに惹かれ合い諦めきれず、反発を振り切って二人で逃げてきたこと。その道中でわたしを授かったこと。二人の間にできた子供を何としても生みたくて、追手の目に届きにくく静かで小さな知名度の低い場所が出産のために必要だったこと。その条件にあっていたミール村が選ばれたということですね」


 手紙は二枚だったとはいえ、大きめの紙に細かく丁寧な字でぎっしりと書き詰められていた。一歳だったイサラにはまだ難しい表現なども使われていたことから、おそらく両親はイサラがある程度大きくなって落ち着いたころに見てもらうことを前提としていたのだろうと思わせた。

 イサラの両親は、イサラの成長ぶりは知っていても、その気質やミール村の人々の行動までは読み切れなかったようだ。自分達がいなくなっても、イサラは親しくしていたミール村の人達に頼り生きていくだろうと。ミール村の人々も親のいなくなったイサラを村の一員として迎え入れてくれると。幼いイサラのために両親についてある程度ぼかしながらもフォローをしてくれると楽観的に考えていたようだ。

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