赤との出会い
施政所へと通じる大通りをしばらく歩いていると、前方から数人の男達が歩いてきた。一目見て柄が悪そうだと分かる。ああいった手合いには関わらないのが一番だ。四人の思いは一致していた。
先頭を行くレオルも、続くナルもハレスも男達をよけてすれ違う。最後尾のイサラもすっと身をかわした。その身のこなしがあまりにも自然なものだったためか、男達にとっては予想外の結果をもたらした。
「おっ、わっ、おわぁ!」
思いっきりイサラのいた場所に突っ込んできた男が、かわされてバランスを崩し、そのまま前のめりに倒れこんだ。両手がふさがっていたせいか、顔面から突っ込んで痛そうな音を響かせる。
手に持っていた箱も取り落とし、何かが壊れる音がする。
イサラはちらりと横目で確認したが、そのまま歩いていこうとする。
「大丈夫か! ってぇ、おいっ! ちょっと待てよ!!」
男の仲間がわめくがイサラの足は止まらない。
「おいっ! 待ってって言ってるだろ! お前だよ、お前!!」
別の仲間がイサラの肩をつかんで止める。倒れた男はまだうめいている。そこまでしてようやくイサラは歩みを止めて男達を振り返った。その顔には疑問しか浮かんでいない。
「はい、何でしょうか? 何かご用ですか?」
イサラは首を傾げる。この騒ぎにレオル達も立ち止まってイサラの元に集まる。
「そうだ、お前だよ。一体どうしてくれるんだ?」
「はい? 何のことでしょうか?」
イサラの疑問は大きくなるばかりだ。
「何じゃねぇよ。お前のせいで大事な商品が壊れちまっただろうが!」
倒れこんだ男がようやく起き上がり、鼻を抑えながら持っていた箱を指差す。別の一人が箱を開けて中身を見せてきた。元々は皿だっただろう破片が入っている。先ほどの音はこれが割れる音だったようだ。
「と言われましても、わたしが何かしましたか?」
イサラは男にも箱にも指一本触れていない。倒れこんだ男の責任だ。彼らにもそれが分かっているのか目に見えて狼狽する。焦るあまりおかしな結論に飛びついた。
「お、お前がいきなりよけたりするからだ! 倒れちまっただろうが! どうしてくれんだよ?」
「え? ですが、街中ではなるべく人とぶつからないように歩くのがマナーだと思うのですが。それとも、あなた達の間ではぶつかるのがあいさつなのでしょうか?」
そんなあいさつあってたまるか! 集まってきた野次馬たちの心が一つになる。
男達は質の悪い当たりやだ。イサラ達の格好から田舎者のおのぼりさんだと判断し、標的にした。わざとぶつかって倒れ、物を壊して金を巻き上げるはずだったのだが……。イサラが避けたため自爆したのだ。
イサラは本気で考えているのだが、いかんせんずれているため男達の神経を逆なでする。周りからも笑われ、顔が真っ赤になっている。
「うっ、うるせぇ! と、とにかく弁償すれば許してやるって言ってんだよ!!」
もはやただの恐喝だ。
「それは出来かねます。弁償の必要性がありませんし、意味が分かりません」
大柄な男達三人に詰め寄られてもイサラはどこ吹く風だ。丁寧な口調できっぱりと断る。
「痛い目見る前におとなしく弁償したほうが身のためじゃないか?」
「そうだぜ、きれいな顔に傷を付けたくないだろ?」
半分閉じられた目のせいで、とぼけた雰囲気になっているが、顔だちはいいイサラに男達の目にも野蛮な色が宿る。
「ったく……」
頃合いかと間に入ろうとしたレオルだが、その前に別の場所から声が上がった。
「ちょっと待ちな」
騒ぎのせいでできていた人垣から、一人の男が出てくる。年は二十歳前後だろうか。がっしりとした筋肉質な体つき、日に焼けた肌。目の前の三人のように、一見して粗野にも見えるが、目鼻立ちは整っている。赤茶のざんばらな髪と栗色の瞳。無駄を削り、研ぎ澄まされた肉体をしている。
「なんだぁ、てめぇは! 関係ない奴はすっこんでろ!!」
男達の一人がすごむ。しかし、出てきた男はひるまない。
「そりゃ、俺は無関係だ。だが、さっきから話を聞いてりゃちょっと筋が通らねぇんじゃないかと思ったもんでな」
たまたま通り掛けにこの騒ぎに出くわしたのだが、男達のあまりの横暴ぶりに思わず割って入ってしまった。大きな街になるとたまにいるのだ、田舎者を見ると金をせしめようとするチンピラどもが。
「うるせぇな、引っこんでろよ!」
青年の体つきに、少しひるみつつも男達は二人で向かっていく。箱を持った男は手を出さずににらみつけていた。
「おっと、ほっ、はっと」
青年は二人の攻撃を軽々とよけると、そのままカウンターを入れて沈めてしまった。体つきといいその動きといい、明らかに肉体を主体とする戦闘技術を身に付けている。
「で? あんたはどうする?」
「くっ! こ、今回は勘弁してやらぁ! 次から気を付けろ!」
「はい、貴方も足元には気を付けてください」
捨て台詞を吐いてうめく二人を起こすも、イサラにやんわりと無自覚なカウンターパンチをくらわされ、男達は羞恥心に顔をゆがませて走り去っていった。
青年は野次馬の喝采に手を挙げて答えながら、近づいてきたレオルに向き直る。
レオルは青年より頭一つ分低い。レオルが青年を見上げ、一応礼を言おうと口を開く前に青年の方が話しかけてきた。
「お前、彼女の連れか?」
「ん、そうだけど?」
何でもないように答えるレオルに青年はかっとなる。
「じゃあ、何で助けない! 男だろう!」
どうやらレオルが傍観していたことに腹を立てているらしい。
「行こうとしたらあんたが……」
「俺が入る前にだって助けられただろ!」
レオルがすぐに助けに入らなかったのは、イサラの実力を知っていたから。その気になればあんな男達などイサラの敵ではない。しかし、それを知らないものからすればレオルの、レオル達の行動は薄情なものに見えても仕方ない。
頭ではそう理解していても、こうも真正面から突っかかられてはレオルとしても面白くない。基本的に喜怒哀楽がはっきりしているレオルも感情的に言い返す。
「あんたが出しゃばらなけりゃ、ちゃんと助けてたさ。大体、イサラのこと何も知らないくせに」
不運だったのは彼らの方だ。イサラは一見してどこかのお嬢様然としているが、その実ドラゴンよりも質が悪い。
「彼女がどうであろうと、女を助けるのは男として当然のことだ!」
「俺が男じゃないって言いたいのか?」
「ああ、そうだ。あんなのを見過ごすようなやつはな!」
だんだんと険悪になってくる。無責任な野次馬の囃し立ても原因の一つだ。
互いににらみ合い、一触即発かと思われた時、イサラが二人の間に入る。握り締められた両者の手をそっと取る。まるで氷のように冷たい指に、二人の熱も少し冷める。
「二人とも、やめてください。悪漢がいなくなった今、二人が争っても意味がありません」
「そうよ、無事だったんだからもういいじゃない」
フィオナもイサラに加勢する。荒事の苦手なフィオナは、男達がいた時にはイサラのフードの中に引っこんでいたのだ。今はまた肩の上に戻っている。
「けどっ!」
「こいつがっ!」
多少冷静になったが、まだ力が抜けていない。
「レオル、分かっています。あなたは悪くありません。あなたも、ありがとうございました」
レオルに、そして青年に向かって滅多に見せない微笑みを向ける。レオルの行動は当事者であるイサラが一番わかっている。それでいいではないか。他の誰に理解されなくても、イサラが分かってくれさえすれば。
レオルは一度目を閉じて気持ちを切り替える。青年は、というとイサラを見つめたままボケっと間の抜けた顔をしていた。
会話を聞いて思わず飛び込んだので、イサラと呼ばれる少女の顔を見るのはこれが初めてだったのだ。
日の光を浴びて輝く銀色の髪、眠そうに半分閉じられた目は珍しい紫電。雪のように白い肌。まるで芸術品を見ているかのような美人だった。どこか気品さえ感じてしまう。
心臓が痛いほどに胸を打つ。今にも張り裂けそうだ。顔がほてり、頭が真っ白になる。こんな気持ちは初めてだった。いくら今まで女とは縁がなかったとはいえ、こんな高ぶりなど。
「あの、どうなさいましたか?」
イサラの不審げな声が耳に届く。
「はっ、あの、いえ、な、なにも。はい、何でもありません!」
青年はなぜか敬語になった上に、しどろもどろになってしまう。年下だろうに、緊張が隠せない。
「そうですか? ならいいのですが」
いまだに顔を赤く染め、汗をかく青年を見上げてからイサラは握っていた手を離す。誰が見ても大丈夫そうには見えない。普通なら気にするが、イサラに常識など期待してはいけない。マイペースに自己紹介を始めてしまう。
「お名前を教えていただけますか? わたしはファニエール=イサラと申します」
ファンダリアでは姓=名の順で、正式な場での名乗りや公的な書類ではその間に両親の名前が入るようになっている。普段名乗る時は簡略化した形式が主流だ。
「おっ、俺……僕はソレイル=ジェイド。二十歳です!」
青年、ジェイドは聞かれていない年齢まで答えてしまう。
「けっ、何が僕だ」
「うるせぇ!」
レオルが小声で毒づくが、聞こえていたジェイドが同じく小声で一喝する。その瞬間だけは巣に戻ったが、イサラを見てまた笑顔になる。分かりやすすぎるだけに、レオルとしては面白くない。
こういった危険も考えておくべきだった。見た目でいうならイサラは魅力的な美人でもあるのだから。当人にあまりその自覚がないのと、ミール村ではイサラを異性として見る者がいなかっただけに想定外だった。
「普段通りで構いませんよ? 彼はエレザイル=レオル。同じミール村から来ました」
自分から名乗る気になれなかったレオルに変わってイサラが紹介する。ジェイドは鼻を鳴らして一瞥しただけだった。まるで興味がないと言わんばかりに。
レオルはカチンときたが、かろうじてこらえる。イサラに止められたばかりだ。これも旅の苦労の一つ、と自分に言い聞かせる。
その後、フィオナやナル、ハレスの紹介も済ませて五人とフィオナで施政所に向かうことになった。
「そうですか。ジェイドは昇級するためにいらっしゃったのですね」
施政所へ向かう道中、ジェイドは舞い上がって自分のことをぺらぺらとしゃべった。職業武道家であること、依頼を終えて得たポイント加算と、それに伴う昇給の手続きに行くことまでだ。
「ところで、イサラさんは?」
少し慣れて敬語は取れてきたものの、どうしてもさん付けをしてしまうジェイド。イサラ以外は全く目に入っていない。
「わたし達は職業申請に来ました。わたしとレオルは試験を受けます」
向かっている方向が一緒だからうすうす感じていたが、目的地が同じことにジェイドは満面の笑みを浮かべる。しっぽがあれば全開で振っているところだ。
「職業試験を受けるってことは二人は技能か特殊職狙いか?」
試験を受けるということはつまり一般職ではないということ。国家試験は年二回しかないが、今はちょうどその時期でもある。
「はい。レオルはハンターに、わたしは魔道書研究家の試験を受けます」
ハンターと聞いて、少し見直したようにレオルに目を向けたジェイド。ハンター志望なら、腕にそれなりの自信と実力があるということだ。先ほどの言葉も嘘ではなかったのだろう。
だが、それ以上にジェイドを驚かせるものがあった。
「魔道書研究家ってあれか? えっと、魔術関連職の中でも一・二を争う難関ってやつか?!」
合格するものは死亡者のほんの一握り。超難関の職業だ。綺麗だが、どこかほわっとしていてのんびりした風情のイサラがそんな試験に挑むというのか。
「そのようですね。実際に試験を受けたことがないのでよく分かりませんが」
イサラはジェイドの驚愕が分かっていないのか、焦った様子も見せない。
「受けたことないって、そんなこと。も、模擬試験みたいなやつはどうなんだ?」
試験に臨む者なら一度とならず受けているはずだ。
「そちらも経験がありません」
何ということだろうか。ぶっつけ本番で試験を受けるつもりなのか。ジェイドの知人で、魔道書研究家を志望していた者は、幾度となく模擬試験を受け、それでも三年合格しなかったというのに。
「……なんで師匠はやらせなかったんだ?」
信じられないことだ。普通なら少しでも慣れさせておくべきなのに。イサラを教えた師匠はそんなことさえしなかったというのか。
「あの、魔道書研究に関しては師匠はおりません。少し事情もありまして、独学なのです」
師匠がいない、これもまた爆弾発言だ。技能職に就く者は、小さい時から師匠についてみっちり勉強し、それでもかなわずにあきらめる者も多い。それを独学などとは。
イサラに師匠がいないのはある理由があった。実のところ、イサラは国からある命令と処分を受けていた。とはいえ、イサラに何か落ち度だあったわけでも、悪いことをしたわけでもない。ひとえに、理解を得られなかった、それに尽きる。
魔術やそれに関する知識・研究・技術に重きを置いているこの世界では、魔術に関しても国際法が設けられている。この法に同意して、加盟している国は自国の法と共に、この法を守らなくてはならない。
そのうちの一つに、『未成年者の魔術に関する知的財産提出公開の義務』というものがある。どういうことかというと、成人前の者が研究・発見・発掘した魔術理論や魔導書、魔道具は国に提出しなければならないというものだ。
ただし、これは未発表・未発見の物に限る。何かあるたびに一々持ち込まれたのでは対応のしようがない。求められるのは常に新たな魔術だ。
国はそれらを収集、検分して国際的にも価値のある素晴らしいものであれば、通常年二回開かれる定例国際魔術会議の場で発表することもある。
もちろん発見者や開発者は持ち込んだ未成年者になるが、成人するまでは伏せられる。そうやって保護することで、よからぬことを考える者に狙われる可能性を減らしている。
表だって戦争のない今日、水面下での魔術競争は激化するばかりだ。どの国も人材の引き抜きや確保には躍起になっている。
成人すれば正式に名前を公表され、正当な評価を与えられる。国家的にも国際的にも新たな発見には注目度が高く、実績となる。
イサラもまたこの法に基づき、成人前にいくつかの理論書を持ち込んだ。けれど、どれも受け入れてもらえず、破棄された。それでも続けると、ついには国令処分を言い渡されてしまったのだ。
以降、ジフテル国の魔道研究機関への永久的な立ち入り禁止と、国内で魔術関連において誰かへ師事することも禁止された。これは道を断たれたに等しい。この国ではもう魔道書研究家を目指すことはおろか、まともに魔術を学ぶことすら困難だ。
「にしても、よくこの国にどどまったよな。他の国に行った方が楽だったろうに」
ジェイドにこれらの事情を説明した後、レオルがぼやく。あれ以降、イサラは頻繁に旅に出るようになった。独学で学ぶため国内はもちろん、国外に知識を求めたのだ。
「楽だからといって、何かがなせるというわけでもありません。それに、わたしの故郷はミール村です。あの村だからこそ、ここまでできたのだとわたしは思っています」
こう見えてイサラの意志は固い。道を断たれても諦めず、ひたすらに独学で学び続けた。
そんなイサラをジェイドは複雑な顔で見つめる。同じ村の出身者は何の心配もしていないようだったが、ジェイドから見れば合格は絶望的だ。
何度も国に研究理論を持ち込んだということには驚きだが、それが受け入れられなかったということはすでに発見済みか、それ以前の粗末な内容だったのだろう。
師匠がいないゆえの無知であり、無謀な挑戦。たとえイサラにどれだけの思いがあろうと、独学では専門的に学んだ受験者達には届かない。
イサラの悲しむ顔を想像して、ジェイドの胸が締め付けられる。遠い田舎から出てきて夢破れたとなれば、それはどれほどの苦しみだろうか。国令処分を受けても頑張ってきたというのに。
思わず涙ぐみそうになる。
「あの……」
「ここですね」
ジェイドが慰めの言葉をかけようとした時、イサラののんびりした声が割って入る。歩きながら話をしているうちに、首都施政所についてしまったようだ。タイミングを外され、ジェイドは微妙な顔をして口を閉ざした。