表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

ドーナツ

 久々にお互いが同じ日に休みを取れたので、たまには遠出しようと彼の手を引いてみた。彼は面倒そうな顔一つしないで、それもいいなとコートを取りに行った。一緒に住んで二年になるのに、この部屋で彼を眺めるのはずいぶんと少ない気がする。お互いリズムの合わない生活でよくすれ違う。それでも、行ってきますとただいまは言うようにしているし、行ってらっしゃいとおかえりなさいとちゃんと応えている。一緒に過ごす時間は同居する前からあまり変わらないが、一緒に暮らしいているという事実がなんだか暖かい。

 だからこそ、それに加えて恋人らしい思い出を増やしたかった。平日の昼間はどこも空いていて簡単に二人だけの雰囲気に浸れる。面白そうな映画のポスターを見つけてはそれを見るために映画館に入り、二時間後にその感想を喫茶店で語り合う。お互いの感動した場面は違ったけれど、それが楽しかった。甘いケーキと苦いコーヒーを堪能しながら、彼の顔を伺う。湯気の出ているコーヒーカップを持ち上げて、一口二口のでまたソーサーに戻す。その動作一つ一つが優雅に見えて、ほーっとため息が出てしまう。

「どうした?」

「いや、今日も君は素敵だなって」

 そう答えると、彼は恥ずかしそうに視線を外して携帯電話を取り出した。やっぱり年下の男の子は可愛い。見慣れた照れ隠しに笑が零れる。他の誰も知らない彼を知っている優越感。その全てが私を幸せにしてくれる。

「それより、良かったんですか? ほとんど私に付き合わせるようになっちゃったけど。君が行きたいところがあるなら、今から行きましょうか? 」

 食べ終わったケーキの皿をテーブルの端によけて、肘をついて彼にたずねた。朝から気まぐれで彼を振り回してしまった自覚はある。特に拒否せずに、黙って彼はついてきてくれた。見る映画を決めたのも入るお店を決めたのも、全部私だ。一人だけはしゃいで、カレの楽しさを置いて行ってはないだろうか。

「いや、今日の予定は特に決めていなかったからなんの問題もない。お前が連れ出してくれなかったら、部屋でゴロゴロしているだけの休日になっていただろうし」

 それに、と少しだけ言いかけて携帯電話をまたポケットにしまう。頬杖を付いて私の目を真っ直ぐに見て、本当に格好いい笑顔を向けてこう言った。

「お前と過ごせるなら、どこだってなんだっていい」

 さっき食べてたケーキよりも、甘い甘い言葉に顔が赤くなる。とっさに顔を片手で隠しても、彼には全部見えてしまっている。恥ずかしくなって、でも顔はそらせないで、残ったコーヒーを一気に飲み干した。彼はまだ、笑顔で私を見ている。茶化すような態度をとってしまう私に反して、彼の愛情表現はどこまでも真っ直ぐだ。そんなところが、本当に敵わない。コーヒーの苦味なんかでは、私を満たす甘さには敵わない。

 帰り道は、お互いがよく知っている商店街を通った。いろんなお店が並ぶ中、一軒だけやけに長い行列を作っている店があった。もうだいぶ遅い時間で、あたりも暗くなりかけている。けれど、その列はなんども折り返しを繰り返しては、店から少し離れた場所まで続いている。ざっと見て二時間はかかりそうだった。

「あ、このお店」

「知ってるのか? 」

 お店のスタッフが持っている看板の文字には見覚えがあった。この前テレビで特集していたドーナツ屋だ。作りたてのドーナツとそれにかかっているシロップが絶妙な美味しさらしく、食べていた芸能人も絶賛していた。それを見て私も食べてみたいなと思ったけれど、常に行列が出来るお店と知って諦めていたのだ。

「この前テレビでやってたんですよ。美味しいドーナツ屋さんだって」

「気になるか? 」

「気にはなりますけど。ここで二時間待つのはなんだかもったいないし」

 私も彼も、甘いものは嫌いじゃないしむしろ大好きだ。テレビを見て、このドーナツを一緒に食べたいと思ったのは本当だ。けれど、それよりも今は残された休日をただ一緒に過ごしたい。この気持ちが何よりも大きかった。

「ドーナツがなくても、君がいれば」

 甘いから。最後の言葉は恥ずかしくて小声になってしまった。しかし、聞き取れなかったもののなんとなく言っている意味はわかったようで、彼も恥ずかしそうにそっぽを向いている。ほら、ドーナツなんかなくったって、私たちはこんなにも甘くて幸せなんだよ。彼の大きな手を引いて、帰り道を早足で歩いた。


 それから数日後、今日は私だけがオフの日だった。特にやることもなく、仕事に出かける彼をベッドで見送って贅沢にも二度寝した。彼がいなくて広くなったベッドは、快適だけれどとても寂しい。ベッドの端から端までゴロゴロと転がっては、掛け布団にしがみついて一人の寂しさに耐えた。そんなことをやっているうちにお腹が空いてきて、フラフラとリビングに向かう。冷蔵庫から材料を取り出して簡単な食事を作った。適当につけたテレビも適当に広げた新聞もつまらない話ばかりだ。置きっぱなしにしていた携帯電話が光っていることに気付いて画面をつけた。一件のメッセージが来ている。確認すると、今日は早く帰れそうという彼からの連絡だった。それを見て、年甲斐もなく喜んでしまう。にやける顔を抑えられない。こんなにも彼が好きなんだと気付かされる。

 それから数時間後、彼から今から帰るという連絡が届いた。それに短く返事を返して、私も彼を迎える準備を始める。彼は、帰ってきたらまずお風呂に入りたがるだろうから、お風呂は洗っておこう。すぐにご飯が食べられるように作っておこう。今日はなんだか機嫌がいいから、献立は全部彼の好物だ。洗濯物も早めに片付けて、掃除もして、彼が帰ってきたときにはなにもすることがない状態にしよう。彼とゆっくり過ごしたい。テレビを見ながらでもいいし、本を読みながらでもいい。隣に座って、肩にもたれるだけでもいい。早々にベッドに入ってウトウトするのもいい。たまには二人でゲームするのも楽しそうだ。

 そう考えて一時間、彼はまだ帰ってこない。携帯電話を確認しても、彼からの連絡は来ない。帰りが思ったよりも遅くなることなんてよくあることだから、あまり心配せずに待っていた。

 それからさらに四時間たった。普段の彼だったらもう帰ってきている時間だ。出来上がった料理はすっかり冷めてしまった。机に突っ伏して携帯電話を見ても、彼からの連絡は来ていない。かといって、私から急かすようなメールは送れなかった。少しだけ心配なのは、なにかあったときは必ず連絡する彼が、全くなんの連絡だったもしてこないことだった。連絡をしたくないのかできないのか。突然上司にでも絡まれたのか。それならいいんだけれど。

「早く帰ってきて」

 小さいため息。ちょっとの睡魔が襲ってきた。

 ガチャッと玄関が開けられる音がして、跳ね起きた。知らずのうちに寝てしまったようで、あれからさらに一時間ほどたっていた。ただいまと言う声はいつもよりも疲れていて、やんごとなき事情で遅くなったことがなんとなく伝わった。

「おかえりなさい。ご飯もお風呂も出来てますよ」

「ああ、すまない。それと」

 これ、と差し出された紙袋は、あのドーナツ屋のものだった。受け取ったそれは、二つ分のドーナツの重さを感じた。紙袋と彼の顔を交互に見る。少し頭の整理が追いつかない。

「え、もしかして、これを買ってたから遅くなったんですか? 」

「列がこの前よりも短くなってたから、これならすぐ買えるかなと……。実際は三時間ぐらい待たされたが」

 呆気に取られて彼の顔を見上げていた。私は、彼が短気で長い時間じっと待っているなんてことに耐えられない人物であることを知っている。テーマパークのアトラクションでも、三十分待ちですら渋ったのだ。そんな彼が、一人で三時間以上も列に並んで待っていた。

 しかもお一人様二個までで、気になった商品全部買えなかった。そうブツブツ言いながら、コートを脱いで風呂場へと向かう。慌ててタオルを持ってその後ろを追いかけた。

「え、待ってよ。君、あんな長時間待てないでしょう? そんなにこのドーナツ気になってたんですか? それなら私が買いに行ったのに」

「別にドーナツをそこまで食べたかったわけじゃない。お前が食べたそうにしてたから、買って帰ったら喜ぶと思って」

 いじけたようにブツブツと小言を続けている。年よりそうとう幼く見えるその姿に、私はこらえずに吹き出した。不服そうになんだよと詰め寄る彼に、タオルを押し付けて言った。

「それなら今度、一緒に買いに行きましょう。気になる商品がまだあるんでしょう? 私と一緒に行ったら、ドーナツを四つも買えますよ」

 その言葉に、彼は驚いて目を見開く。

「でも、二時間も待つのはもったいないと言っていたじゃないか」

 確かに、たかがドーナツに二時間も費やすのはもったいない。けれど、その二時間を互いが互いのことを考えながら、一人で過ごすのは寂しすぎる。彼のことを考えながら部屋で待つ二時間と、私のことを考えながら列で並ぶ二時間。それならば、長い長いと文句を言いながらでも、同じ二時間を共有していたい。

「君と待つ二時間は、少しももったいなくなんかないよ」

 少し背の高い彼の首に腕を回した。合わせるように、彼は少し屈んで私の腰に手を置いた。ドーナツなんかなくとも私たちは甘くて幸せだけれど、ドーナツがあったって幸せなことには変わりない。風呂なんて後にして、先にドーナツを食べよう。微笑み合いながらリビングに戻って、袋の中のドーナツをお皿に出した。思ったよりも大きいそれは、別々のシロップとソースがかけられていた。半分に切って食べ比べをして、どっちが好きか言い合って。じゃあ次は私が選びたいなと言ったら、今度の休日の予定ができたなと笑った。

 甘い甘いこの空気。ドーナツよりも甘い甘い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ