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サヨナラも言えない

 遠ざかっていく背中に向けた腕を引っ込める。アイツは何も言わずに走り去って行った。追いかけることはできなかった。引き留めることもできなかった。

 さっきまで怒鳴りあっていた声が、耳の中でこだまする。罵り、怒りをぶつけるだけの叫びたち。胸ぐらをつかんで唾を飛ばして、生まれて初めてこんなにも感情をあらわにした。目元に熱を感じて、初めて泣いていることに気づいた。悲しいわけでもないのに。

 お前なんて知るか。それが最後の言葉だった。突き飛ばされた胸は少しだけ痛む。普段はそんなことをしないヤツだった。擦りむいた掌に滲む血が、涙に触れて薄くなっている。

 喧嘩の原因なんて覚えていない。口論がエスカレートしていくうちに、互いの触れてはいけない部分にまで飛び火してしまったのだ。アイツも自分も悪気があったわけじゃない。ただカッとなった頭では、謝罪の言葉がでなかっただけだ。きっとアイツは、明日以降までは会いにこない。そして、全ての原因が自分にあるかのように、深く誠実に謝るのだ。つられて自分も謝り、それで互いに水に流す。一日置いての仲直りが自分たちのてっぱんだ。しかし、今回はアイツよりも自分の方が早く冷静になってきた。

 いろいろと言いすぎたかもしれない。そもそも、原因は自分にあったかも。関係ないこともほじくり返して、さらに相手を怒らせようとしたのは確かだ。自分も充分悪かった。

 今から追いかけても、アイツは相手にしないだろう。いつも通り明日仲直りをしよう。いつもと違うのは、今回は自分から謝ってやるのだ。驚くアイツの顔が目に浮かぶ。それはなんだか優しい仕返しみたいなものだ。


 そして翌日、アイツはあらわれなかった。

 何も知らないまま何日も過ごした。

 そして出会ったのは、アイツの名前が刻まれた石だった。

 詳しい話は聞かなかった。

 ただ、最期にアイツは、「謝らなくては」と言ったらしい。

 結局最後の喧嘩でも、謝ったのはアイツからだった。


 悲しいのに涙は出なかった。

 唇が震えて声も出なかった。

 ついていけない頭と先走る感情でどうにかなりそうだった。


 アイツにはもう、どんな言葉も届かない。

 罵倒も感謝も謝罪の言葉も。

 サヨナラさえも言えないまま。

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