肆
「まずは、戸西の対応、お疲れだったな」
「い、いえ……」
地獄先輩について市街地へ向かうバスに乗り、後部の座席に座ると早速話が始まったようだ。
さっきまで戸西先輩の言葉攻撃(やっぱりネーミングセンスが無い)を受けていたから、地獄先輩の言葉がとても緩く感じる。つい一時間前までは逆だと思っていたはずなのに、人間の脳は簡単なものだ。
「お前、あの戸西と論争しようなんて冗談でも思うなよ」
(バレてたか……)
「あの戸西は戸西であって戸西じゃない。戸西だ」
「戸西先輩は……二重人格者なんですか?」
「たぶんそうだろう。医者にかかってないから本当にそれかはわからんが」
二重人格。あれも一応精神病の一種だった気がするから、もし戸西先輩がかかるとすれば心療内科か精神科か……と、そんなことはさておき。
「地獄先輩、その正常と異常ってどういうものなんですか?ジキルとハイドみたいな……」
「まぁ、それが例えとしては近いか。仕事の方も説明せねばならんし、戸西の話題はこれを話したら終わりにしよう」
いつもの戸西先輩――つまり『正常』の方――は、誰にでも優しく、リーダー性、カリスマ性があり、謂わば人の手本になるタイプ。それに対して『異常』の方は
「悪魔だ」
悪魔だという。
いやいや、悪魔って。
「攻撃的で何事も自分優先、他人の事は二の次、そういう奴になるんだ。さっきお前は身を以て感じたと思うが」
確かにあの時、戸西先輩は自分の思ったことばかりを僕の思考なんて無関係に、かなり棘のある言葉で捲し立てていた。
でも悪魔というのは言い過ぎでは無かろうか。
「いや、あれは悪魔だ。戸西には極力関わりたくない」
「ですから、悪魔は言い過ぎでしょう」
「少なくとも俺にとっては悪魔なんだ。あいつがああなった一因が俺にある……らしいのでな」
「……え?」
「俺と戸西が小学校からの付き合いだってことはもう知ってるな?」
小学校からの付き合い、なんて長ったらしく言わず幼馴染みと言って欲しい。地獄先輩と戸西先輩は何だかんだで似ている。
と、だからそんなことはさておき。
「地獄先輩に一因があるって、何かやらかしたんですか?例えばこう……」
そこで僕は思い出す。
そうだ、戸西先輩は言っていたではないか。地獄先輩は――
「貴方、実はムッツリスケ」
「なわけないだろう。お前はあれか、俺が戸西にセクハラでもしてあいつが心を病んだとでも思ったのか」
言っておいて何だが、物凄く申し訳なくなってきた。
なんかバスの乗客も何人かこっち見てるし。特に女子学生。
だいたい、戸西先輩も「本当にムッツリスケベかどうかは知らない」と言っていたじゃないか。何言っちゃってるんだ僕。
「俺も何かの弾みに戸西にそう言われただけだからな。本当にこれから言うことが合っているかは保証しない」
さらりと話を流してくれる辺りが地獄先輩である。
「話の真偽は僕が自分で判断します。最近よく言われているでしょう、情報が正しいかどうか判断して自分に取り込みなさい、と」
「それもそうだな。お前も大学生、心配することは無さそうだ」
「まるで親戚の叔父さんみたいな言い方ですね」
「俺が老けてると言いたいのか」
そういうことじゃない。
地獄先輩と仲良く(?)なったのはつい昨日のことだ。にも関わらず、僕を昔から知っている人のように話す地獄先輩に親近感が湧かないわけがない。そう言いたいだけだ。
「夏凪、ところでここはどこ辺りだ?」
「まだ大学を出て十分程の所です」
「問題は無いな。あと三十分もあれば全部話せる。まずは戸西にどうして正常と異常の人格ができてしまったか、だったか」
「はい、その通りです」
「本当に聞きたいんだな?」
「え?」
「だから、本当にこの話を聞きたいんだな、お前は」
今更何を言うのかこの人は。これだけ引っ張っておいて話さないとでも言う気なのか。
「聞きたいです。話してください。これだけ引っ張ったのですから洗いざらい一から十まで」
途端に地獄先輩は盛大な溜め息をついた。その顔に浮かぶのは苦笑い。
「できれば話したくないんだが……というかこんな話自分でするものではないだろう……」
「こんな話だかあんな話だか知りませんがらしくないですね。別に話をネタにからかおうだなんて微塵にも思っていませんよ」
ほら、と地獄先輩を急かす。
僕に地獄先輩らしくない姿を見せるには些か早い気もするが、そんなことにつっこみを入れる余裕はもう無くなってきてしまった。
何を隠そう、この話のあとには仕事の話も聞かなくてはいけないのである。
現在状況を振り返ると、地獄先輩が全て事の発端であるので、自分でけりは付けて頂きたい。
「…………だ」
僕が一人悶々としている間に地獄先輩は話し始めていたらしい。
「すみません地獄先輩もう一度――」
「知らぬ間に俺が戸西を振っていたんだ」
「…………はい?」
「何回聞き直したらお前は気が済むんだ……」
「そりゃ誰でも何度でも聞き直しますよ!?地獄先輩が、戸西先輩を、振った、なんて!」
「馬鹿!あまりでかい声で騒ぐな!」
さっきのセクハラ発言の倍近い視線が(しかもやけに鋭い)飛んできている。後部座席に乗ったのが間違いだった。いや、たぶん前方の座席に乗っても背中にそれが刺さるか前に刺さるかくらいの違いだ。
「余程驚いたと見えるな。これくらいのネタ、世間一般いくらでもあるだろう」
「それは、まぁ確かに……」
そうだろう。他人の恋愛事情が大っぴらにされていないから知らないだけで、そこらじゅうに色恋沙汰は転がっている。地獄先輩もそのうちの一つだったということだ。
ましてや出会って数週、親しくなって一日の人の恋愛事情を――それだけではなくその他諸々の事も――知っているわけがない。
だから知らなくて当たり前だ。何の事はない。
ないのだけれども。
「地獄先輩のイメージ的に……」
「恋愛の『れ』の字の一つもないお堅い奴、と?」
「………………はい」
「はははっ、素直でいいな、お前は。まぁ実際にはそれで八割正解だ。俺の頭に女と付き合うなんてことは勿論、誰が誰を好きだとか、俺が誰を好きだとか、そんなことを考える隙間は無い。だが、あくまでそれは俺が、さらに言えば今の俺が、というだけだ。つまりは俺から起こる恋愛ってものはない。今まで俺の周りで起こった恋愛は全部相手からだ。というより、そうでなくては知らぬ間に戸西を振っていた、なんてことは起こり得ないだろう?」
地獄先輩の並べる言葉が鮮明になっていくと共に、地獄先輩の目が揺らぐ。
「夏凪、この話はくれぐれも内密にな」
「も、もちろんですよ」
「俺もな、戸西程の奴がそんなことであんな風になるとは思ってはいないんだ。目下調査中だが、どうにもわからん」
そこで地獄先輩は神妙な表情を浮かべた。。
「今まで見てきた限り、あいつは自分に人格が二つあるなんて思っちゃいないんだよ。勿論、下手に怒らせたくないというのもあるが、それに気付いたとき、戸西がどう思うかと考えたら、言ってやることもできなくてな」
まったく、俺も情けないな、と地獄先輩は呟いて、目線を窓の外にやった。バスは街まであと半分くらいの山の中を走っている。ここら辺りの木々も青々とした新葉をつけていた。
それを見ているのかいないのか、地獄先輩はこちらに顔を向けない。
こっそり覗き込んでみれば、静かにほくそ笑んでいる地獄先輩がいた。
恋愛なんて興味がない。それが自分のスタンスだと訴えんばかりに言っていたが、本当は、地獄先輩も好きなんじゃないだろうか。
カリスマ性と、人望と、ついでに二重人格も持った、あの女学生を。
彼のそばに、昔からいたという彼女を。
未だに外を見つめ続ける彼の横にいるべきは、僕ではなくてその女性ではないだろうか。そんなことをふと思った頃には、僕にしては珍しく、バスの揺れに合わせて船を漕いでいた。
◇◇◇
お久しぶりでした(((^_^;)




