参
これからもこんな感じで亀更新。
戸西先輩はまるで後光でも射すんじゃないかという笑顔で話し始めた。
「夏凪君は、地獄君のことどう思う?」
「どう思うって言われても……偏屈者で気難しくて、なのにやたら人のことよく見てるし……厳しいんだか優しいんだかもわからないし……」
「一言で言えば?」
「変人」
「即答だね……」
変人と言わずしてあの人をどう言うというのか。性格に変人というカテゴリーがあったかは置いておくとしてもだ。
「夏凪君はさ、地獄君がそういう人間っていう認識でしょう?でも昔は君の言うほどの変人じゃなかったのよ」
「え?」
「まさか生まれたときからあの性格だったとか思ってる?……約六歳までは知らないけれど」
「知らないじゃないですか。……僕だってつい最近まで知りませんでしたけど」
「まぁ地獄君をいつから知ってるか談義はまたにして――」
戸西先輩は一度息を吸い込み、ふいっと顔を背ける。
「地獄君だって機械じゃないんだしさ、変化するよ」
そして苦笑いを浮かべ、もう一度僕に向き直った。あの屈託のない笑顔をどこに隠してしまったのだろう。それとも、戸西先輩自身は笑えている気でいるのだろうか。だとすれば笑顔の度合いを計り間違えている。
地獄先輩絡みで過去に何かあったとも取れる仕草だった。
「はいはい、怖い顔しなーい!」
戸西先輩、ここは図書館です。
大きめの声でそう言いながら僕の頬を引っ張り上げる先輩の顔は元の素敵笑顔だった。僕の思いは杞憂だったのだろうか。
脳の片隅で行っていた思考は戸西先輩の攻撃で敢えなく断ち切られた。
「意外と夏凪君のほっぺは伸びるねぇー」
「とにひへんぱい、いひゃいです」
「あー、ごめんごめん、許して!」
別にそう痛くは無かったが、僕もそれなりの年齢なので女性にこういうことをされるとどぎまぎするのでやめて欲しい。ついでに言えば、それを顔に出さないように必死になっていることは許して欲し――
「顔に出てるよ」
「はぁ……」
この人の前で感情を隠そうとしたのがそもそもの間違いだったらしい。
「いやぁ、夏凪君もお年頃ね……。でも健全な反応を見せてくれて嬉しいわ。ムッツリスケベじゃないとわかっただけでも収穫よ」
こんなことで判断できるものなのか疑問ではあるが、ムッツリスケベだと判断されなくて良かったと心底思っている。
事実僕はムッツリスケベではない。
「どっかの誰かさんみたいに何しても無反応な奴ほど案外そうかもしれないじゃない」
どっかの誰かさん。
話の流れから察するに、紛れもなく……
「戸西先輩!地獄先輩ムッツリスケベなんですか!?」
「別に地獄君がムッツリスケベとは言わないけど、女子とどれだけ距離が近くなってもボディタッチがあっても、顔色ひとつ変えないのよ?」
「男はそれだけじゃわかりませんよ!」
流石に地獄先輩が可哀想である。ただのポーカーフェイスだろうに、事もあろうにムッツリスケベの疑いをかけられるとは。地獄先輩の女性に対する見方は知らないが、世の中の男が皆狼だと思ってもらっては困る。そういう類いのことに興味の無い男だっているのだ。
「やけにムキになるね」
「地獄先輩の弁護です。これでも男の端くれですから」
「そう?生物学上、男っていう括りで同じなのかも知れないけど、だからって夏凪君。彼の全てを君は知らないでしょう?あくまで君の思い込み。地獄君の堅物そうで、厳格そうな面だけを見てそう言ってる。君は地獄君に出会ってまだ短いよ。知ってることが少なすぎるの。人が表に出してることなんて氷山の一角。もっと相手の奥を――中を見なきゃ」
「戸西先輩こそ、何をムキにな……って……」
僕はそれ以上の言葉を紡げなかった。いや、紡ぐのをやめたと言う方が正しいか。空気が一変してしまったのだ。それも、数秒の間に。別に素敵笑顔は崩れていない。ただ、戸西先輩から普通でない雰囲気を感じたのだ。強いて言えば、不機嫌の時のそれに近い。
「君の観る目って紛い物?地獄君の観る目を疑うわけじゃない。さっきも言った通り彼は機械じゃないから判断ミスだって起きるわ。でも君のは違う。大方、地獄君に観る目があるって言われて過度に意識してるんでしょう?人の中を見る……観ることってそんな容易なことじゃないはずよ。だって君、今現在全然観えていないじゃない。君のその自称――いやこの場合は他称なのかな――観る目は、謂わば地獄君の判断ミスってところよ。そんな中途半端な夏凪君に、彼の手助けができるのかしら?」
容赦なく降り注ぐ、言葉の矢。言葉を紡ぐのをやめた僕の分まで話すかのように、戸西先輩の口は閉じることを知らない。
「夏凪君、君の為……いや、地獄君の為に提案するわ。このあとどうせ彼に会うんでしょう?その場で彼に伝えなさい、貴方の仕事は手伝えません、ってね」
わからないことが多くなりすぎると目の前がぐるぐると回り始める、何て言うのは作り物の世界の話だと思っていた。が、現実にも起こり得るらしい。と言うより、現に起こっている。思い出してみれば昨日もこんな感覚に陥っていたかも知れない。あれは地獄先輩の話を聞き始めてすぐだったか。この幼馴染みコンビには手を焼いてしまう。
と、そんなことではなくて。
戸西先輩は一体何を言っているのだ。僕に観る目が無い?言われたから過度に意識?いくら戸西先輩と言えど、検討違いにも程がある。僕はそもそも観る目があるとか無いとか関係が無いというのに。
戸西先輩にいつスイッチが入ってしまったのかは知らないが、目の奥が笑っていないということは未だにスイッチが入ったままなのだろう。
「戸西先輩、落ち着いてくださいよ」
「落ち着くってどういうことかしら?私なら至って落ち着いてるけれど」
自覚症状が無いのは問題大ありだ。たぶん、もう僕が何を言っても無駄だろう。残念なことにこの場を立ち去るのも不可能なようだった。
そうとなれば最後の手段。
向こうが気が済むまでの徹底論争だ。
「意気込んでるところ悪いが夏凪、タイムアップだ」
バキッと僕の気持ちを折る、絶妙なタイミング。
どこからか音も無く現れたのは地獄先輩だった。昨日もこんな風に登場した気がする。
「あら地獄君じゃない。噂をすれば影が立つって本当ね」
「夏凪、お前はもう少し時間意識を持つべきだな。キャンパスを一周する身にもなれ」
「ちょっと地獄君?私のことは無視なのかしら?」
「静かにしていろ戸西。今のお前は手に負えん」
「人の名前に異常とかルビ付けないでもらえるかな?」
「今のお前は異常の方だろう」
「いつも言ってるけど、異常って何よ?私は至って正常なんだけれど?」
「これだから手に追えんと言っているんだ。とにかく少し口を閉じていろ」
話から置いてきぼりを食らった僕は一人取り残された感覚が否めない。
戸西先輩は何とも言えない濁った目でこちらを見ているが、地獄先輩の言うことを聞いて大人しくなったようだ。
「失礼したな夏凪」
「い、いえ……そんなことより、よくここだとお分かりにになりましたね」
「戸西がいるのはサークル室でなければ大概図書館だ」
戸西先輩といるなんて一言も話していないんだが。発信器か盗聴器でも付けられているのだろうか?
「別に話されていなくてもわかる」
「じゃあどうして……」
地獄先輩はばつの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。
「お前この大学に、わざわざ会うような親しい友人いないだろう?俺と戸西以外にな」
酷いことをさらっと言ってくれる。残念ながら大当たりだが。
僕の地元は政心大学から電車で三時間(ただしそれは乗り換えが上手くいった場合の話で、乗り換えに失敗すると五時間くらいかかる)。国公立大学ならまだしも一般的な私立大学である政心大学に、わざわざ地元を遠く離れてまで入学を希望する同級生はほとんどいなかった。もちろん僕を含めた数人は入学を希望し、現在は政心大学の学生である。ただ、その数少ない中に僕のさらに数少ない友人及び知人がいたのかといえば……お察しの通りである。
というわけで今の僕には元からの知り合いがいない。そして僕が新たな関係を築くにはまだ時間を要するようである。
よってご指摘の通りに地獄先輩と戸西先輩、今のところこの二人が僕の相関図を織り成しているのみだ。
本当に残念なことに。
「お前の交遊関係がどうだかは置いておくにして、とにかく読み通りで助かった。お前が約束を違えたのではないかと心配していたんだ」
「まさか。破ったりしませんよ」
「なら良かった」
地獄先輩は腕時計に目をやった。昨日はつけていなかった腕時計だが、まるで地獄先輩に元から装着されていたように似合っている。
僕も大学生になったわけだし、時計の一つくらいは持った方がいいのだろう。スマホをいちいち取り出して時間確認するのも面倒だ。
「夏凪、仕事を説明すると言ったんだが、その前に依頼が一件来てしまったんだ」
「では、その一件が終わるまで僕は何もしないでいた方が良い……ですよね?」
普通に考えれば、何も知らない者が手伝ってもただの邪魔にしかならないという考えに辿り着くだろう。というか、下手にやらかして地獄先輩のお怒りを買うのはまずい。
「よし、行くぞ」
突然立ち上がって出口に向かって歩き出す地獄先輩。
つられて僕も立ち上がって歩き出す。
「地獄屋に着くまで、バスに揺られながらでも話はできる。この一件から手伝え夏凪」
「え!?」
そんな無茶な。いや元から無茶苦茶な人だけども。
地獄先輩の歩調は早くて、ついていくのに精一杯だ。僕は小走りでついていく。何だか、飼い主と犬みたいに見えるのは僕だけだろうか。
それより何より、何かすっかり忘れてしまっている気がする。
「地獄ーーーーーーーーー!夏凪朝ーーーーーーーーー!」
後日、図書館の張り紙を無視した女子学生が一人、図書館を一週間出入り禁止になった。
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