ガキの名前は似合わない
歴史上の人物や地名は、特に理由がない限り、その人物が持つ一番有名なものに統一させていただきます
「山田さま。お久しゅうございます」
桶狭間の戦いから二年も経ったある日。
熱田の正道の元に、そう言って訪ねてきたのは、知った顔の主だった。
「おうゥ、加藤のとっつあんの息子かァ」
「はい。弥三郎に御座います。先だってはよき兜をいただき、ありがとうございます。主にも、装束を褒められる栄誉をいただきました」
「いいってことよォ。オレも、親父さんには世話になってるからよォ。喜んでくれてうれしいぜェ」
「そんな、もったいない」
はにかんでから。
弥三郎は思い出したように表情を変えた。
「――まずは我が主よりの言伝を。山田様に会わせたい者がいるので、清洲まで来てほしい、と」
「会わせたい人間ン? 誰だァ?」
「三河の松平元康様にございます」
松平元康は、しばらくのちに徳川家康を名乗る。
未来の天下人だ。
今川家の準一門として義元旗下にあったが、このところ三河での割拠を図る動きを見せている。
信長との同盟締結の最終段階として、清洲城を訪れるのだ。
そのことを簡単に説明してから、弥三郎は言った。
「――昔、尾張に人質として居られた時、東加藤で預かっておりまして、わたしとも縁のある人なのですよ」
「おォう。なら、お前も会うのが楽しみだなァ」
「いや、わたしなど。味方のなかには、つい先ごろまでの敵ということで快く思わぬ者も多いですし……遠目で、懐かしい姿を拝見できればいいのです」
弥三郎は、気恥かしげに頭をかきながら応えた。
――松平元康じゃとぉっ!? 徳川家康じゃねーか!!
たまたま聞いていたシゲルがアップを始めた。
◆
織田信長と松平元康の同盟――清洲同盟は、成った。
たがいに盟を交わし、その後一席が設けられた。
部屋の中には、信長と元康のほかは、最低限の員数しかいない。
膳が運ばれてきて、食事となった。
「久しいな、竹千代」
「お久しゅうございます。信長さま。いまは元康と名乗っております」
ふたりの間には、親しげな空気が流れている。
元康の尾張での人質時代、このふたりには交流があったのだ。
「もっとも、“元”の字は義元公よりいただいた偏諱ゆえ、近々名を変えるつもりですが」
「ほう? なんと名乗るつもりか」
「我が祖先、八幡太郎義家にあやかって、家康、と」
「……いい名だ」
信長は、言って笑った。
もちろん自称だ。そもそも松平氏は源氏ですらない。
この変名は、元康が三河一国を手に入れようという野望の現れであり、それを評価して、信長はいい名だと褒めたのだ。
それから昔語りなどして、しばし時間を過ごしてから。
元康は、空席になっている場所を見て、首をかしげる。
「ところで、本日は、他にどなたかいらっしゃるのですかな?」
「竹千代。そのことよ。貴様に会わせたい者がいるのだ」
ちょうどその時、正道が姿を現した。
雲を突く巨漢だ。
そのうえ、前頭部から伸びた変わり髷が、他を圧するようにそそり立っている。
かぶき者、にしても、異様というしかない。
「よーゥ、兄弟。顔ォ、見に来たぜ」
「おう、山田の。こちらが三河の松平元康よ――竹千代、あれがわしの兄弟、山田正道よ」
「山田、あの山田党の!?」
熱田の山田正道は、この頃相当な名になっている。
桶狭間で勝敗を決め、熱田大宮司千秋家に仮寓しながら近隣に威勢を張り、織田信長の妹婿になった男。
「よろしくなァ、松平の。加藤のとっつぁんと弥三郎がよろしくってよォ」
「これはご丁寧に。熱田の加藤家には、それがしも世話になりまして。山田殿は、やはり尾張源氏の山田氏の方で?」
「しらねェよ」
正道はきっぱりと言った。
出自や先祖など聞かれても、純粋に知らないというだけだが。
だから、正道はかわりに、というように己のリーゼントを誇示した。
「――オレは山田正道だぜェ。こいつが名乗りよォ」
元康はショックを受けた。
これから三河を治めるために、源氏の権威と資格を借りるつもりだった。
そんな元康から見れば、体一つで乱世に身を立てようという正道の意気は、バカらしいと思う以上に―― 一人の男として、震えが来るほど羨ましい。
「竹千代。兄弟はどうだ?」
「羨ましゅうございます。それがしはそこまで開き直れない」
ため息とともに、元康は首を振った。
信長はうなずいてから、正道のほうに顔を向ける。
「山田の、竹千代はどうだ?」
「おっと、織田の。そいつァいけねェよ」
正道は信長を咎める。
が、信長には、なんのことだかわからない。
「なにがいかんのだ?」
「織田の。竹千代ってのはァ、ガキの頃の名だろォ? ここに居る男はァ、腹にドス呑んでる立派な漢だぜェ?」
言われて、信長は破顔した。
笑顔のまま元康に向き直り、詫びる。
「すまんな、元康殿。懐かしくてつい昔に返ってしまったわ」
「いえいえ。信長さま。それがしも童心に返る思いでした」
宴は、万事滞りなく行われた。
その、はるか手前で。
「わいは正道さんの舎弟じゃー! 松平元康に会わせてくれーぇ!!」
「馬鹿を言うな! そのまっとうな装い、明らかに山田党じゃないだろう!」
「第一、松平殿を呼び捨てにするとは無礼千万!」
「ふんじばって山田党の元に突き出してやれ!」
シゲルが無意味な奮闘をしていた。
※
家康「出自もあやしいのに、なんでこんなに偉そうなのこいつ」
源義家、世良田義季@草葉の陰「つーかお前がだれだよ」
ちなみに
源義家……源頼朝と足利尊氏の共通の御先祖様。京都の石清水八幡宮で元服したから八幡太郎義家。
世良田義季……新田源氏庶流得川氏の初代。家康が子孫を自称した人。