みんなが止めても止まらない
比叡山を焼き討ち、信長は南近江を確保した。
北近江では、横山城の浅井長政が、磯野員昌や宮部継潤らの帰順に成功、浅井久政の篭もる小谷城をさらに圧迫せんと、指呼の間にある虎御前山に付城する。
越前の朝倉義景は浅井を助けるため、小谷へ派兵するが、道路地図により進軍路を予測していた織田軍に、隘路を通って後背からの奇襲をうけ、有力武将を多数失う痛恨の敗北を喫する。
だが、危機はまだ続く。
面従腹背の将軍、義昭。
いまだ健在の石山本願寺。
向背定かならぬ畿内の諸勢力。
そして、山が動く。
◆
三河の徳川家康が窮地に陥っている。
必死の義昭が、ついに甲斐の虎、武田信玄を動かしたのだ。
美濃へ、三河へ、遠江へ。
まるで掌を返すように織田との、徳川との関係を反故にして、その領国に攻め込む。
火のごとく急な進軍。同時に起こった松永久秀らの反乱への対応に苦慮しながらも、信長は尾張でも三河に隣接する地域の国衆を、かろうじて援軍に送りだす。
そして三方ヶ原が起こる。
「……あれ? 山田様は?」
「ああ、図書のとっつあん。千秋のあんちゃんが二時間ほど状況の説明をして、徳川家康がやべぇって理解したら……平蔵とか身軽なの何人かと、熱田の若い衆連れて三河の方へ……」
舎弟の脳天気な言葉。
それが意味する深刻な事態を悟って……図書助は悲鳴を上げた。
「たたたたいへんだーっ! 山田様に討ち死にされたら熱田が、熱田が信長様に潰されるーっ!!」
「はは心配性だなあ、とっつぁんは」
「そうそう、オレらの頭は不死身だっつーの」
彼らの脳は今日も平和だ。
「はっはー! いまァ助けに行ってやるぜェ、家康よォ!」
バイク風にデコられた愛馬を駆りつつ、正道は東海道を東にひた走っていた。
◆
「あの、よかったのですか? 来てしまって」
「あたりまえだろォ、弥三郎。家康のピンチなんだぜェ?」
途中、織田方の援軍と合流した正道はそう答えた。
弥三郎は信長の重臣を斬り、一時期出奔していたが、現在は赦されて、正道が身柄を預かっている。
援軍の指揮官である佐久間信盛は、顎を地面に落としそうな顔をしながら、震える声で「最後尾に居てくだされ」と指示していた。
焼け石に水の援軍を、邪魔者扱いしたわけではない。
領地が近く、山田衆とも交流の深い佐久間信盛は、山田正道という一個の存在の重さを、嫌というほど理解している。
具体的には正道が死ねば、たとえ武田を退けたとしても首が飛ぶ。
武将生命的にも、物理的にも。
「わかったぜェ、佐久間のォ。ケツ持ちすりゃあいいんだなァ?」
佐久間信盛の要請に、正道は鷹揚に応じた。
もちろん正道は信盛の意図を理解していない。
軍がピンチになったら殿を守るよう頼まれたと思っている。
結果的に、むしろ信盛が粛清される確率がアップしてしまったのだが、両者とも気づいていない。
「おひさしぶりです。山田さま」
「おお、ひさしぶりだぜェ、徳川の」
浜松城で、ふたりは再会を喜びあう。
「やべぇらしいなァ、徳川の」
「はっはっは、それほどでもないですぞ」
「おお、腹ァ座ってんなァ。さすがだぜェ」
状況は悪い。
一言坂、二俣と続けて負け、武田軍がつぎに狙うのは、家康の居城、浜松だ。
ここで負ければ、家康はいままでにじり寄るように奪ってきた遠江を失うことになる。
そうなれば、三河が揺らぐ。
ただでさえ、息子信康に心を寄せる岡崎衆とは、微妙な間柄になりつつある。
正道らが加わり、軍議を進めていると、報があった。
「武田方、転身! 三方ヶ原を越えて堀江城へ向かっております!」
「……詰み手か」
戦えば負ける。
だが、堀江城を見捨てて城に籠もり続ければ、浜松衆からの信望を失うだろう。
家康は、しばし、苦渋の表情を噛みしめながら、決断した。
「――追うぞ。追って武田の後背に噛みつく。それも、相手が三方ヶ原を下るときに、だ。唯一武田を破れる機会があるとすれば、そこだ」
家臣の反対を押し切り、家康は出た。
それこそが武田の思う壺だった。
◆
罠だった。
家康がそれに気づいた時には、すでに手遅れになっていた。
三方ヶ原に登りついた家康が目にしたのは、万全の布陣を終えてこちらを待ちかまえる武田軍だった。
熾烈な戦いとなった。
武田軍二万。対する家康・信長連合軍は一万一千。
しかも急行軍で布陣の整っていない家康に対して、武田方はすでに攻撃の準備を完了している。
家康の陣は一瞬にして粉砕され、「何某討ち死に」の報がつぎつぎと届く。
崩れ、敗走を始める家康・信長連合軍の、最後尾。
そこに、ひときわ異彩を放つかぶき者が飛び出した。
「ちょ、山田様ぁ!」
「逃げな、弥三郎ォ。ケツ持ちは、オレだぜェ!」
言って馬を走らせながら、にやりと笑うリーゼント。
「――山田殿!」
「佐久間様! 無駄です! ああなっては止められません! この上は、我らが一刻も早く落ち延びることです!」
「弥三郎……あいわかった!」
織田軍が、家康軍が逃げていく。
その最後尾に単騎で駆ける男の姿を確認するや、武田信玄は吼えるように命を下した。
「あれは山田党の山田正道ぞ! 生かして捕えよ!」
理由は複数ある。
この頃、甲州の鉱山収入が減少傾向にあったこと。
熱田の主として莫大な富を集める山田党党首なら、途方もない身代金が期待できたこと。
そして伊勢湾に富をバラ撒き、あまねく恩を施している山田正道を万が一殺せば、せっかく遠江をとっても、伊勢湾海運の利権に噛めなくなるという事実。
しかし、信玄がこの命を下したことにより、命運は決した。
「おらオラァ! かかってこいやァ!」
追いすがる兵士たちの鼻先でローリングしながら、正道はみごとな馬さばきで進軍を妨害する。
並びかかる騎馬には、金属バットが襲いかかる。一方的なハンデを課せられ、満足に鉄砲や矢を射かけることもできず、武田方の武者は歯噛みしながら、暴れまわる正道を見送ることしかできない。
くやし紛れに馬に向けて放った矢が、馬腹の三連マフラーに弾かれたところで、勝負はついた。
すでに日は傾き、黄昏の暗さになっていた。
あくまで、無謀とハンデがうまくかみ合った結果である。
しかし、厳然たる事実として。正道は三方ヶ原に伝説を残した。
だが、正道は満足しない。
黄昏の向こうに消えた武田軍に向けて、言葉を吐く。
「武田のォ。いずれ、ケリィつけるぜェ!!」
※
信長「……おい、山田のに殿任せやがったボケはどいつだよ」
佐久間信盛「」