寺を焼こうが問題ない
――おかしい。
シゲルは首をかしげた。
浅井長政が織田方の将として生きている。
それに伊勢長島の一向一揆が、一瞬にして鎮火してしまった。
シゲルの知っている歴史とは、あきらかに違う展開だ。
「なんでじゃ? わいらはなんもやっとらんというのに」
変わったことといえば、信長の妹が正道に嫁いだくらいだ。
そんなことで、歴史が変わるはずがない。
と、シゲルは思っているが、もちろん実際は違う。
長政に地図を与え、熱田を強大化して伊勢湾海運を支配し、信長にまで地図をやれば、歴史が変わらないはずがない。
しかし、シゲルはそうは思わない。
「……そうか。わいらと同じような境遇のヤツが居るんじゃな? そいつのせいで歴史が変わったんじゃ。おのれぇ、わいの出世のタネを横取りしおってぇ!」
見えない敵に向かってシャドーボクシングし始めた。
◆
元亀元年(1570年)。
織田と比叡山延暦寺との仲は、最悪になっていた。
信長の、比叡山寺社領の横領に端を発する関係悪化は、いくつかの応酬を経て、比叡山の浅井朝倉連合軍への加担をもって完全に決裂した。
一月に、横山城の浅井長政が、信長の要請を受け、大坂から越前国に通じる水路、陸路を封鎖し、双方の連絡を断つ。
それから石山本願寺法主顕如の命で起こった近江国一向一揆、および甲賀郡の六角義賢(承禎)を、織田軍主力による神速とも呼べる機動をもって次々に撃破、救援に出た浅井軍も破った。これにより浅井久政、長政親子による北近江の主権争いの天秤は、おおきく長政に振れる。
状況は整った。
七月、信長は比叡山の膝元、大津の三井寺に入る。
うわさが流れた。
信長は山門(延暦寺)を焼くつもりだ、と。
「ほんまにそんなことあるんかいな」
京雀はさえずる。
「そりゃあ、あるやろ。今までにも無かったわけやないし」
「そうなんか?」
「ああ。室町の世になってからでも二度、焼かれとる」
「ゆうてもなー」
「せや、恐れ多いわ」
「恐れ多い? 山門の悪僧どもの乱行を一度でも見とったら、そんな言葉でてこーへんぞ? お前ら若いさかい知らんやろけどな、四十年前の法華一揆。わしはあのことを忘れとらんぞ。あの連中、京の町を焼きくさりよって。寺燃やされたとしても、そりゃ天罰や!」
「それでも、今上陛下の弟君が座主を務めてはるんやし……」
「せや。なんぼひどうても寺は寺や。燃やすなんて、恐ろしいこっちゃ」
◆
遠く離れた熱田でも、信長の比叡山との対立は、人の口に上っている。
「織田の殿さま、今度は比叡山を焼くおつもりらしい」
「ひええ、あの鎮護国家の大道場を!? なんまんだぶなんまんだぶ」
「いや、うわさでは、比叡山も今では悪僧がはびこっているらしいが……それでも仏罰が怖いのう」
「本願寺も敵に回してしもうて……うちの殿さん、大丈夫なんかのう?」
比叡山から遠い分、かの寺の堕落も他人事に近い。
その分、都の民衆よりは焼き討ちに忌避感を持っているようだった。
「心配ねェさァ」
うわさ話を聞きつけた正道は、輪の中に入ってきて笑い飛ばした。
「あ、山田様、これは」
「し、失礼いたしましたっ」
「気にすんなァ。たしかに寺ァ燃やすなんてヤベエよなァ」
恐縮する皆を前に、正道はしみじみと言う。
「――でもよォ、よく考えてみろよォ。いまの世の中で一番国を守りたがってるやつァ、そのために動いてるやつァ、織田信長なんだぜェ? もし仏がほんとに国を守ってくれるってんならよォ、罰があたんのァむしろそれを邪魔する坊主どもだろォ」
「は、はあ……しかし三宝(仏法僧)をないがしろにしては」
「もし、あいつに天罰なんぞ当ててみろォ……このオレがァ、寺という寺をこの世から消してやるさァ」
言っていることは、無法無道だ。
しかし熱田の人々は、怒りでも、理でもなく、穏やかにそれを言う正道に、不思議な安心感を覚えていた。
「んなことより、さあ、祭だ祭。津島の天王祭に負けねェデカイ祭ぶちあげてやろうぜェ」
「それも、そうですな。ご舎弟方も張り切っておられるようですし」
「ああ。喧嘩と祭に目のねェヤツらばかりだからよォ」
「熱田の若い衆も、山田形に決めて、はりきっておりますよ」
「おおォ。どォりでやたら長ランやリーゼントが居ると思ったぜェ」
己のリーゼントを誇示しながら、正道は道行くリーゼントたちに白い歯を向けた。
◆
比叡山は焼かれた。
かの寺が近江に持つ広大な寺領は、信長の手に収まった。
琵琶湖の水運も、信長は手に入れた。
近江一帯の安定にはまだ時間がかかるが、それでも、この巨大な水運の安定化は、信長に巨大な利益をもたらすだろう。
「そのためには、銭と、人が足りぬ。それを集めるには……」
信長の脳裏に、巨大な城下の建築が、構想されている。
※
濃姫「(チラッ」
信長「違うから。銭と人集めに要るのはお前じゃないから。出番かな?みたいな顔されても困るから」
※現在の熱田の状態
信長「比叡山は潰す。琵琶湖水運の掌握的な意味で。あと敦賀はなにがあっても分捕る。日本海交易の拠点確保だ」
熱田「スゲェ。みんなの力が全部オラに集まってくる!」