求めていたもの
Part:イブ
声が聞こえていた。男の声、なのにその声はとても心地良い。何故なのかは分からない、なのにその声は乾いた土に染み入る水のように心に沁みた。頬に触れる誰かの……手? 温かく、遠慮がちに触れている。そのぎこちなさが、温度と一緒に優しさまで伝わってくるようだった。
私は声に集中する。知っている、この声は聞いた事がある。つい最近聞いたばかり。そう、よく覚えている。
「この声はウォルター?」
ドキドキする、彼の言葉に。信じていた人に裏切られた過去。だから絶望して、色々な事に背を向け続けた。自分をずっと騙していた。不幸だと思うのは耐えられなかったから。でも一度そう思ってしまうと簡単な事だった。その代わり、自分の事も嫌いになった。
自由の無かった今までの時間は、本当に息苦しかった。でも外に出た今は不安で、どうしていいのか分からない。
57号がずっと傍にいて、何も言わなくても全てをやってくれる。彼女は一生懸命で、遠慮がちで、独善的だ。感謝はしている、でもその前に居心地の悪さを感じてしまう。自分は一体何なのだろう? ずっと胸にある疑問、それは未だ晴れる事が無い。
彼の言葉が心地良いのは何故だろう? 分からないけれど、彼は私の声を聞いてくれそうな気がしている。私のしたい事、したくない事、知らない事、知りたい事、そんな不満が満たされそうな予感がする。
もちろん不安もある。信じるのは怖いから。もう騙されるのが嫌だから。私はずっと臆病だから。ううん、でも彼は私が聞いてる事なんか知らないはずだ。だからきっとその言葉は本心。そう信じたい、そしてまだ信じる事ができた頃の自分に戻りたい。
私は目を開けた。あぁやっぱり彼だった、ウォルターと名乗った男。頬にある彼の手に自分の手を重ねると、ピクリと大きく反応があった。
「戻ってきたのか、コピーが無事に連れ戻したみたいだな」
コピー? 一体何の事だろう?
「違う。僕じゃない」
傍で57号の声がした。私の隣で不機嫌そうに起き上がる。
そういえば、私は何故転がっているんだろう? 何故ウォルターがいて、57号がいるんだろう?……暫く考えてようやく思い出した。私が外に飛び出した理由なのに、何故忘れていたんだろう?
「57号駄目! お願い、彼を殺さないで!!」
飛び起きて57号に頼むと彼女は驚いていた。そして段々不機嫌になっていく。
「……57号どうしたの? そんな顔をして、何か困るような事でもあったの?」
「何でもない!」
しかしその言葉は不機嫌に言い放たれている。何でもないなんて、そんな感じじゃない。
「何だそりゃ? 緊急事態じゃなかったのか? お前連れ戻しに行ったんだろう?」
「行ったさ! でもイブを連れ戻したのは僕じゃない、あんただ」
「はぁ? どういう事だ、意味が分からんぞ」
「僕だってさ!!」
怒っている57号と、当惑しているウォルター。二人は同時に私を見て、彼は申し訳無さそうに口を開く。
「とりあえず、この手は離してくれない? こんな美人に手を握られてたら、オッサンでもちょっと恥ずかしいなぁ」
言われるまで気付かなかったけど、私は彼の手をしっかりと握っていた。私はビックリして、慌てて離して謝った。体が熱い、どうしよう恥ずかしい。
「あ、あの、ごめんなさい!」
「あぁ、いや、そんな謝ってもらうような事じゃないんだけどさ」
でも彼は更に困っている。
「イブどうしたの? おかしいよ? 熱でもある?」
57号がそう言いながら覗き込む。額に手を当て確認を始めるから、私はその手を振り払った。
「熱なんかないわ」
「でも少し熱い気が……」
「大丈夫、ないもの」
この過保護が嫌なの。
「で、結局どうなってんだ? イブのイメージがどうにも違うんだが、こういう性格だったのか?」
「違う、イブはこんなに感情を表に出さない、僕にもどうなってるのか分かんないよ」
二人とも不思議なものを見る目で私を見ていた。私の様子が違うと言って、二人だけで何か話している。何かずるい、いつもそう。私は置いてけ堀にされてばかりなんだもの。
少し経って57号が私に言った、その言葉は私にとってショック以外の何物でもない。
「ねえ、君は誰? イブの中に誰かいるの?」
始めは意味が分からなかった。そして分かると悲しくなった。彼女は何故、私の中に私以外の誰かがいると言うのだろう? 引っくり返せばそれは、彼女は自分の望んだ通りの私を求めている。つまり今の私は否定されている。
「……何を言ってるの? 私は私よ。私は他の誰でもないもの。」
私がずっと感じていた違和感、その正体はこういうものだったのかもしれない。ザカリアの望む私、喜んでもらえる私。でもそれは私であって私じゃない。もう私にはできない。したくない。急に涙が溢れた。
「え、あ……イブ?」
目が熱い。長い間忘れていた感覚だった。いつから泣いてないんだろう? いつ泣くのを止めたのだろう?
「何でそんなに泣くの、泣かないでよ」
取り繕うような57号の声が聞こえてきた。でも、私には興味がない。彼女だって今の私に興味がないんだから、おあいこだろう。
「泣かせてやれよ。泣きたかったんだろ?」
でもウォルターはそう言った。
「何でだよ。泣いてるんだぞ? どうにかしてあげないと」
「お前、泣く事が悪い事だと思ってんだろ? だが人間どうしても泣きたい時がある。そういう時は、しっかり泣きゃいいんだよ。な、しっかり泣いとけ」
彼は私の頭に手をやった。ポンポンと叩いて、そのまま撫でる。だから我慢できなくなる。私は彼にしがみ付いた。
「うぉっ!?」
しゃがんでいた彼は勢いで尻餅をついた。……ごめんなさい、でも今は声になりません。出てくるのは嗚咽だけ、涙もまだ止まらない。
「何だか子供みたいだな」
彼はまた頭を撫でてくれた。それがとても嬉しい。彼に抱かれた格好になっているのに、何故か全く怖くない。本当に彼は不思議だ。ううん、何だか懐かしくて、私はとても安心した。