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朝まだきの花  作者: 薄桜
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赤い色

 Part:イブ


 男というものは、私に嫌な事をする存在だと思っていた。だから昨日の彼もそう。でも何か違う気がした。だからずっと昨日の夜の事を考えていた。答えは出ない。でもあの良く分からない話は不思議。思い出してもおかしくて……何だか変。


 少し前の事になるけど、いきなり57号が私の前に現れた。彼女の事は知っていた、ずっと前から。とても、とても辛かった時、彼女は私の心に話しかけてきた。私の事は知ってるって、私が何をされて、何をして、何に絶望したのかも。そしてその全てに蓋をしようとしているまで。

 僕には君の心が見える。だから僕の心の中も好きにしてって。とても不思議な感覚だった。私からも彼女に話しかける事ができて、彼女の思いが見えた。でも、一番不思議だったのは彼女自身。彼女が小さかった頃の私に思えたの。だからビックリしたり、ショックを感じるよりも懐かしくて。すんなり彼女を受け入れた。まだ何も知らない、無垢だった頃の私。

 ザカリアが私を創り出した。科学者で親みたいな人。私は彼を尊敬してて、誇りに思って、大好きだった。守ってくれる人だと思ってたの。ザカリアが喜んでくれるなら、辛くても嫌な事でも頑張ろうと思ってた。でも違ったの、始めから全てが。

 初めて見た実物の57号は真っ赤だった。幼い私の顔は血飛沫に濡れ。白い服も、手も染まっていた。そしてその手を私に伸ばして言ったの。

『イブは自由になれる。そのために楔は消した。イブは自由になればいい、僕と行こう』

 でも私は迷った。すぐにその手を取る事はできなかった。血の臭いがとても濃い。その血が誰のものか、臭いですぐに判った。一人ではなく複数分。全部知ってる、忘れられない臭い。

 57号は私の全てを知っている。その通りだったんだと改めて気付いた。殺してやりたいと考えた事はある。蓋をして閉じ込めていた感情。

 彼女は本当に私だった。諦める事を覚えても、諦めきれない自分がいた。それに与えられた形もまた、私だったという事なのかもしれない。

 だから私は彼女の手を取った。そして二人で外へと飛び出した。


 私にとって、ずっと世界はあそこだけだった。私の部屋、検査の部屋、訓練の部屋、勉強の部屋、大嫌いな部屋、そして窓の向こうに見える実験棟と大きな鉄塔。

 ずっと外の世界に憧れていた。本の世界と教材と、一番好きなのは人の話す外の世界。他愛もない事なのにって呆れられたけど、私はとってもワクワクしていた。

 ビルの窓ガラスに映る空の色、水かさの増した川、雨に濡れた街、街の喧騒、デモ行進、渋滞、遅刻の言い訳の話も面白かった。私は全部知らないから。

 大きくなってから、何度か外に連れ出された事もあったけど、それは面白くも何ともなかった。これは任務で、それが私が造り出された理由だって言われたの。それにザカリアには個人的な理由もあった。彼は興奮しながら話して、笑ってた。だから悲しかった、だってそれは私じゃないもの。身代わりなんかにしないで欲しい。

 それから外の世界への憧れは随分削がれた。怖くなったから。


 そういえば研究所から逃げ出す時に、助けてくれる人が何人かいた。知ってる人も知らない人もいる。急かされて、疑問を抱く暇すらなかったけれど、あの人たちも私の知っている男とは違うのかもしれない。

 それから、57号と一緒に見た外の世界は楽しかった。珍しくて、綺麗で、凄まじくて、色々な事に圧倒された。特にたくさんの人がいる事に驚いた。街を歩く人々は忙しそうで、色んな服を着ていた。でも私の知っている世界の登場人物の数はあまりにも少ない。それに服も。皆は白衣で、私も白いのを着せられているだけだった。疑わなかった事と知らなかった事、本当に知らない自分がショックだった。

 隠れて住む場所を探してた時、ボロボロの建物とその内部にも圧倒されたけど、そこで見つけた赤いソファには魅せられた。その目の覚めるような赤は、57号の赤い手と、街で見かけた人々の服を思い出させた。決別と、これからと。私の胸は高鳴った。彼女がここにしようかって、そう言ってくれたから私たちは……ここから始める。新しい自分をこれから改めて。

 思ってるより簡単にはいかなかったけどね。何も分からなくて、どうしていいのか分からなくて。57号が頑張っている、私のために。それが辛い。それと、57号の事を『彼女』と呼んでいいのか実は少し悩んでる。自分は女の子じゃないって言ってるから。でも『彼』なんて呼ぶのは私が嫌。あんな男たちと同じ呼び方なんてしたくないもの。それを知ってるから、たぶん彼女も何も言わないんだと思う。


 ぼんやりしていると、突然彼のイメージが流れ込んできてドキリとした。もちろん彼とはウォルターと名乗った男の事。57号の強い苛立ちと、焦燥感も同時に伝わってきて私は驚いた。

 彼女は普段あまり強い感情を向けて来る事はない。ジンワリと柔らかい優しいものばかりだ。私は彼女が意識的にコントロールしてくれているのを知っている。極稀に彼女が激しく感情を震わせるような時は、繋がりがプツリ途絶える。それは彼女の優しさなのだと思う。

 だけど今は刺々しく攻撃的な強い感情が、そのまま次々と流れ込んでくる。昨日の男と、不信感と嫌悪感、そして羨望。

 今彼女に何が起きているのだろう? ここから出かけて行ったのは知ってたけど、行き先は聞いていなかった。考え事をしていたせいで彼女の事を見ていなかったから。だから、行く先を告げて行ったのかどうかも知らないというのが正しい。

 やがて怒りや殺意までが私の心に沁み入ってきた。火のように熱く、また同時に氷のように冷たい。彼女の中の激しい心。

「……駄目、それは駄目」

 そう咄嗟に口から出た、血に濡れた彼女が過ぎる。今度は彼の血に染まるつもりだ。

 私はこの力に頼るのが好きじゃない。いらないとさえ思っている。この人とはかけ離れた力を使う事は、人の中で暮らしていく事に矛盾する。でも57号は違う。彼女はそんな事など考えていない。それでは何も変わらない。それに、彼が殺されるのも嫌だ。私はまだ、この胸にある変な感覚が何なのか分かっていない。


 反射的に体が動いた。ソファを離れて部屋を出た。廊下の端の壊れた窓から宙へ向けて躍り出る。力を使いたくはないけれど、彼女を止める必要がある。仕方がないと納得させた。言い訳かもしれない。レンガの道路を蹴って再び宙に身を躍らせた。高い場所に行きたい。そこなら二人を探せるかもしれない。傍にあったビルの屋上へと駆けた。外壁を蹴り上へ上へと。

 屋上から見下ろすと、眼下には規則正しく並ぶ煉瓦の道。そして色とりどりのテントを張った露天もたくさん並んでいる。初めて見た時も、今もまだワクワクする。57号に意識を集中させると、怒りも殺意も小さくなっていた。今はそれよりも不安が多い。少し見えた景色には何となく覚えがあった。どこだったかな? もっと見晴らしの良い場所に行けば思い出せるかもしれない。見回すと、少し先にずば抜けて大きなビルが一つあった。あれにしよう。私は隣の濃い色のビルの壁を蹴り、一気に上へと駆け上がる。そしてもう一つ向こうのビルへと。

 着いたビルの屋上はとても高かった。本当に遠くまで見渡せる。これが外の世界……そう感慨に浸りそうになるのを止めて。私は57号の事を考えた。ビルの間、細い道、57号の前にはウォルター。市場の袋を持っている。意識すれば私にも見えるのね。57号ほど得意じゃないけど私にも結構使えるらしい。

 今度は方向を確かめるため、ぐるりと一度見回した。けれどそれが失敗だった。見慣れていた鉄塔が見えた。幼い頃に憧れた外の世界の象徴は今、悪夢の象徴に成り下がった。嫌な事が一度に蘇り、胃は逆流するような不快感に苛まれた。

 駄目だ、57号を探さないと。そう思う気持ちはあったのに、私の意識は耐えられなかった。

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