長い昔話
Part:21号
目が覚めると同じ部屋だった。しかしベッドではなくソファにいた。もたれかかるような形で置かれたのだろう。目覚めたばかりで手足はだるいが、拘束はされていない。意識も起床後のそれだった。
眩しく白いの明かりの下、誰かが居るような気配がした。近い、ソファのすぐ後ろだ。振り向くとアウグストがいた。ソファと窓の間にイスを置き、彼はそこに座っていた。
彼は大柄な人間なのだが、今はとても小さく見える。浅く腰掛け、組んだ指を神経質そうに動かしていた。
彼はただ黙ったまま私を見ている。その表情からは考えを読む事ができない。思慮深く眉を寄せ、大きく息を吐き出した。
「困った事をしてくれたね」
彼はそれだけ言って口を閉じた。そして私も彼を見続けた。
言い訳する気なんてない、処分するならすればいいのだ。私はもう私であるのが嫌なのだから。殺される機会を逸した事は残念だと感じている。しかし、消えてしまえるのであればもうどちらでもいい。
だが、話の向きは出だしから、おかしな方を向いていた。
「すまない」
私は耳を疑った。あの立派な形のアウグストから、消え入るほどの小さな声で囁かれた言葉はあまりにも突然で、私は意味を量りかねた。
怪訝な顔を向ける私に、彼はもう一度謝罪を口にする。
「本当にすまない。私は君を利用しようとしていた」
私は興醒めするのを隠せなかった。彼の目的など知らない、聞かされてもいない。ただ、言い渡された決定事項に従ったに過ぎない。何より、そんな事など気にもしていなかった。利害が一致しているのならばそれでいい。彼も命掛けであり、それ故に裏切る可能性は低い--と、上が判断しただけだ。
私を利用しない人間なんていないのだ。その事については特に今更何の感情の動きもない。けれども私は彼を見詰めた。
彼の指は落ち着きなく動き続けている。喋り出そうとしてはそれを飲み込む事を幾度か繰り返し、ようやく意を決して言葉に出した。
「儂は復讐をしたかったんだ」
指の動きは止まらない。呼吸も浅く、回数が多い。彼は相当に緊張しているらしい。
「私には息子が三人いる。それは知っているだろう? だが実は、他にもう一人娘がいる……いや、いたんだ」
噛むようにじっくりと唇を舐めた後、一つ大きく息をついたアウグストは、長くて退屈な話を始めた。
昔の事だ。魔が差したとか、出来心だとか言ってしまえば簡単なんだが。そんな女性がいてね。もちろん妻は大事だが、彼女は妻とは違うタイプの人で……一緒に居て楽しかったんだ。
やがて彼女は娘を産んだ。とても可愛らしい子だったよ。しかし一歳になる少し前に妻にバレてね、彼女にも娘にも、もう会わないという約束をさせられて、彼女もどこかに引っ越してしまった。それきりになっていたんだ。
だが、不思議な縁というものはあるものでね。末の息子が連れてきたんだよ、その娘を。
もっとも、儂が留守の間の事で、気付いたのは妻だったんだがね。彼女との会話の中に母親の名前が出てきたらしい。妻は--忘れていなかったようだ。
もちろん同名の他人、偶然だとも思ったらしいのだが……結局は本人だった。
妻は一人で彼女に会いに行った。娘から住所を訊いて、翌日には訪ねてしまった。驚いていたそうだよ。突然の事ではあるし、訪ねてきた相手も相手だ。だが何より訪ねた理由が深刻だった。
彼女は娘の交際相手の事など、何も知りはしなかった。親子の折が良く無かったようで……結局は儂が原因なのだがね。
妻には息子たちの事以外にも心配事があった。儂が約束通りあれ以来会っていないかどうか、彼女に訊ねたかったらしい。いやはや、執念深いというか、ありがたいというか、まったく恐れ入ったよ。
だが心配するような事にはならなんだ。おかしな事にそれから二人は仲良くなってな、性格が似ているとは思いもしなかったが、何か通じるものがあったんだろう。
二人は双方から働きかけて娘と息子の仲を裂こうとした。けれども若い二人は納得しない。血の繋がりはショックだったようだが、本人たちの責任ではないからな。
貿易船を利用して駆け落ちをしようとしたらしい。どこか違う惑星へと逃れて知らぬ人々に紛れ、新たな人生を歩むつもりでいたらしい。
だが、息子は予定の船に乗る事ができなかった。市街で起きた事故の渋滞に巻き込まれて遅れたんだ。我々を煙に巻くために貿易船に便乗したのも失敗だった。
船の出航順はあらかじめ組まれている。定期便はもちろんだが、貿易船にもスケジュールがある。中止すれば再度改めて申請を行い、許可が下りるのを待たねばならない。
息子は娘に先に行くように連絡したそうだ。自分は別の便で追いかけるつもりでな。しかし--それきりになってしまったがね。
娘の乗った船は撃沈された。我が軍の演習に巻き込まれた事故だと、報告書にはあったが実際には的にされたんだ。
調査をしてみると、これまでに多くの艦が被害に遭っていた。事故や海賊退治だのと記録が書き換えられていたが、人の記憶までは換えられてはいないからな。乗務員の聞き取り調査を断行し、おまけに改竄前のデータを保有している者も見つかった。
艦長と、それに近い者どもが狂っておった。奴らの判断基準は自己に傾き過ぎていた。語る言葉には理など無く、我が儘と呼ぶべきものでしかなかった。
全てが露見した後も醜い言い分に辟易させられた。的は本物に近い方が良いからだ--とな。艦に敵艦のフィルターを被せ、逃げようとする艦を打ち落として喜んでいたんだそうだ。
だが一番辟易したのは、その言に支持者がいた事だ。一人や二人ではきかなかった。だが艦には誰が乗っている? 何のために航行しているんだ? そんな道理も分からん奴らばかりだったと知って、儂は心底嫌になった。自分の所属している軍も、延々と終わりもしないこの戦争もだ。
そしてようやく気付いた。戦争が人心を惑わせてしまったのだと。
そんな時にメッセージが届いたんだよ。”戦争を終わらせないか?”--とな。
差出人は知らぬ名、通常とは違うネットワークを経由して届いた事は怪しかったが、それ以上に魅力的だった。
だから儂は--君たちと手を組んだのだ。
アウグストは、長い話を終えたのか、肩で息を吐く。
「それで?」
私にはそれ以上の言葉がない。
「それで、と言われても……な。儂の話だよ、理由と後悔だな。儂は自分が正しいと思っていたんだ」
彼は自嘲気味な笑みを浮かべ、私から目を逸らした。
「何が正しいの? 全てあなたが原因じゃない。浮気も隠し子も、そんなものはどうでもいいもの。誤った過去の自分を正当化したかった? 哀れんででも欲しいわけ? 全ては結果じゃない」
私にとっては意味の無い、ただ長いだけの昔話でしかない。
「そうだ、儂が招いた事だ。あんなことさえ起きなければ、きっと何も知らずにいただろう。だがその方が良かったとは、今は思えない。だが……」
彼はそこで言い澱んだ。そして私を見て悲しそうな笑みを浮べた。
「君を見ていて辛くなった。利用しようとしていた儂が愚かだった」
彼は何を言っているのだろう?
「私じゃあ駄目だっていうの?」
「ああ」
一切の躊躇も無く肯定された。
「君は人成らざる者であるとあらかじめ説明を受けていた。だが、実際の君は人以下だ。とても弱く、非常に脆い。君はこんな任務になど向きはしない」
「ええ、私は人間じゃないわ。だからこそ選ばれたのよ! それは私のせい? 私が人じゃないから? 弱いから? 脆い? 何よそれ? 私は一体何なのよ!?」
体が震えていた。急激な感情の爆発にも動揺もした。コントロールできない何かに突き動かされ、両の目からは涙が溢れていた。
「なあ、儂は幸せとか不幸だとか、一概に言えるものではないと思っている。だが幸せを知らずに来た者は、破滅へと向かう方法しか知らないのかもしれないな」
そう呟くアウグストの声が聞こえ、私の心は更に乱れた。だが、同時に強い睡魔に襲われる。
「閣下、これがアンヌの本当の姿なのですか?」
意識を失う寸前、アルベルトの声も聞こえた。何よ、私は嵌められたんじゃない。
「そうだ。姿とは違い、中身は子供でしかない。アルベルト君、君はどうしたい?」
「僕……いや、私は--」
私は--これでやっと処分される。




