転換点
ここから2章、次の違う”イブ”です。
Part:21号
私は彼を愚かだと思っている。彼--57号は私達の中では特異な存在だった。そう”彼”だったから。そして彼だけがこの小さな世界を捨てて飛び出した。創造主を殺し、本物の”イブ”を連れて。
私は彼を理解できなかった。分からない。ここにいれば不自由する事なんてない、迷う事もない。私たちは生まれてきた意味を知っている。存在意義だって分かっている。私たちは、人が必要として生み出した都合の良いものなのだから。
指示に従う事、それが至上とされる。
壊す事も殺す事も厭わない。それは必要な事で、邪魔だから取り除くのだ。私たちはそのための訓練を受け、その技術も習得している。躊躇なんて意味もない。だってそれが私たちの存在理由で、何より、私たちは違うものなんだもの。
--新たなる種、とでもいうべきかしら? 人の手によって作り出されたものであれど、彼らよりもずっと、ずっと優れた存在。そう、外見も身体的能力も、私たちの方が遥かに優れている。私たちを作り出した人々は所詮、古い種でしかないのだから。
この世界は変遷していくものなんでしょう? 新たなる種が古い種を淘汰して、より新しい世界へと変わり続けている。太古の昔からずっと、ずっと。私の講師はそう言っていた。ならば……新しい種である私たちは、古い種を淘汰する使命を負っているはずよ。
”彼”も愚かだ。この彼とは、私を生み出した研究所に勤める一人で、私の世話役でもあるマーク・ハイドの事だ。古い種の一人ではあるものの、彼は私にとって特別な存在になる。私の手駒だもの。利用できるうちは利用して、使えなくなれば捨てればいい。
創造主が選んだ私たちの容姿と、生まれながらに組み込まれている男を惹きつける能力。これがあれば造作もない、意識せずとも古い種は私の虜になる。
……今も、彼は悦楽の目で私を見上げている。この冴えない男は私のために働いてくれる。何とも愚かしく、哀れで可愛い。
罪悪感なんて更々無い。物事は全てギブアンドテイクでしかないのだから。彼は私の身体で欲望を満たし、支配した気になっている。だから私はねだる、”自由”以外の望みを。
57号は古い種とつるみ、仲良く一緒に逃亡しようとしていた。私たちと古い種は所詮相容れないものなのに。信じるほどの価値もないのに--だから失敗したのだ。
私は彼を見ていた。そしてその情報をマーク・ハイドに与えた。彼らがどこにいて、何をしようとしているのか。そして、それがいつであるかを。
おかげでマーク・ハイドは手柄を得、権限を増し、ここでの影響力を強めた。そして私は気が晴れた。僅かにね。57号には苛々させられていた。腹の底がざわついて、それなのに目が離せない。そして彼がずっと見ていたイブは、その存在自体に腹が立つ。
57号が消えた事も、イブが57号の中にいる事も、いい気味だと思う。困ればいいのよ。
しかし予想外の事も起きた。57号の代わりに、イブがEMNS--イブ・メンタル・ネットワーク・システム--に現れた。彼女はこれまでそこに繋がれていなかったはずなのに。そして、古い種の男まで侵入してきた。
この男の事は知っている。57号の視界の中にいた。ウォルターと呼ばれ、57号とイブと行動を共にしていた。
EMNSに来た今も、彼はイブといる。楽しそうに二人だけで。
イブとはいったい何なのだろう? 何故彼女なのか? 彼女と私たちは一体何が違うのか? 私たちが彼女のコピーである事は勿論分かっている。同じ遺伝子情報を持ち、同じ外見を持つ。年こそ違うが、それなら私の方がより若い。私はコピーの二世代目なのだから。
彼女は気弱で、頑固で、愚直で、男に甘えているだけの女にしか見えない。それなのに……。
一体イブのどこが良いの? 何故彼女がいて、私がいなければならないのだろう? それとも彼が……この男、マーク・ハイドとは違うものなのだろうか?
互いの位地を換え、好きに動いていたマーク・ハイドが動きを止めた。そして汗で湿る体で私を抱き締め、いつもの繰言を耳に囁く。
”君を愛してる”でも、私はその言葉に興味がない。彼が満足する笑顔と、抱擁を返すだけ。だって、私はそういう存在なんだもの。
ある日、マーク・ハイドがいつも以上の冴えない顔で私の前に現れた。今にも泣き出してしまいそうな、情けない、絶望的な表情をしていた。
もしや私との関係が露見し、叱責でも受けたのだろうか? いや、それなら既に処分を受けて、二度と私の前に現れる事などない……とも思う。
カメラやセンサーの類には監視者を欺くための細工が施してある。それが彼の得意分野で、自分のためにも抜かりはないはずだ。そう簡単にばれるもの……なのかしら?
彼は研究所内の警備も兼任している。カメラの位地もセンサーも、全て把握して、その弱点も知っている。だから安心していた、彼に任せておけば確実だと。
急に体が震えた。私は自身に及ぶかもしれない何かを恐れた。違反へのペナルティ……いや違う、私は何の違反もしていない。明確な規定など知らない。何も禁じられてはいない。私はただここに、この世に存在した時からずっと、捕らわれ続けているに過ぎないのだから。
彼が黙っている間、私は色々な事を考えた。そして、やっと彼は消え入りそうな声を搾り出す。
「君が……」
けれど彼は、たったそれだけで言葉を詰まらせる。ひどく辛そうにして、続く言葉を逡巡し続けた。
「私が何? これから話す事は私の事? ならマーク・ハイド、あなたの事ではないのでしょう?」
私は急かした。話すのなら早く話して欲しい。彼の感傷など、時間を無駄にする以外の効果なんてない。結果、彼は一瞬怯み、目を彷徨わせた。そして、何か覚悟を決めたように、やっと話を続けてくれた。
「君はエクリュに行く事になった。そこで、ある将校を籠絡するのが任務だ」
私の迷いは全て、杞憂でしかなかった。彼が話した事は、これからの私についての確認だったのだから。そう、私の意思など意味はない。決定事項の内容を聞かされるだけなんだもの。
エクリュ? ……は別の惑星のはずだ。ここの人間たちと戦争をしている敵であったはずで。つまり、私は外に出られる? そいう事になるのだろうか?
「君は有力な軍人の縁者と偽って、将来を有望視されている将校と引き合わされる。君だけでなく、向こうも立場上拒否権は無い。そういう相手が選ばれる。そして君はその将校の妻となり、裏からその男を操る事になる。できるできないの話ではなく、やるんだ」
彼は辛そうに顔を歪め、搾り出すように命令を口にした。しかし私は彼の苦悩など興味も無い。
「エクリュはどんな所かしら?」
そう問うと彼は私を凝視した。そして落ち着きなく彷徨い始め、どことも知れぬ虚空で止まる。
「ここ--グラファイトと大差はないよ。技術レベルや軍事力、政治力だって差はないだろう。どちらの陣営にも、この腐れ縁のような戦争の決着を付けるだけの能力が無いんだからな」
「そう、それでもこことは違うのよね? 一体どんな場所なのかしら? 私はその男を操ればいいのね?」
『あなたのように』私は心の中でそう付け足す。胸には命令への抵抗も、気負いも無い。ただ湧き上がるような喜びに溢れていた。
「……あ、ああ。そうだ、それが君に課された使命だ」
「分かったわ。それはいつから?」
外に出られる。その事実がとても嬉しかった。57号のようにただ逃げるのとは違う。これは任務なのだから。
私は……私は期待されている? そうよ、期待されているから選ばれたのよ。




