接触
Part:ウォルター
「あなたは軍の手の者ね?」
さすがに芸術品と呼ばれるだけあって、『イブ』はその声までもが美しい。凛として耳に心地良く、無粋な言葉を喋らせておくのは勿体ない。できれば俺の名を、もっと望むなら喘ぎ……いやいやそんな暢気な状況じゃないんだ
嗅ぎ付けられていたか、あるいは先ほどの受身が怪しかったのか? とにかく、どこで見破られたのか分からないが……いや、まだ見破られてはいない。
「な、何の事だよ?」
ここはとぼけておくのがセオリーだろう。彼女は見目麗しい姿をしているが、俺以上の化け物だ。今ここで『敵』だと宣言してしまうのはゲームオーバー以外の何物でもない。
「あなたは彼らと同じ臭いがする。軍服の臭い、嫌な臭い」
何だそれは? この女はそんな事で判断してるのか? 彼女は銃口と同じく、険しい顔を真っ直ぐ俺に向けている。だが俺は、最近めっきり軍服なんぞ着ていない。『イブ』の調査は私服で行っている。今も開襟のシャツにジャケットというラフな格好であり、警察犬並みの嗅覚を発揮されても逃げ道はある。何せ彼女には常識がない。だから誘導が可能なはずだ、しかもそれはきっと容易い。
「何、そんな臭いする? それじゃあ……さっき軍人さんとぶつかったからじゃないかな? 酔っ払いどもが我が物顔で歩いてたからね。それより、その物騒なものしまってくれないかな?」
両手を上げて降伏を示し、できるだけの笑顔で彼女に向かった。言葉の内容と俺の態度、彼女には判断しかねたのか迷いが見える。よし、良い兆候だ。このままナンパとして続行し、彼女が呆れてくれる事を期待しよう。
「それに……せっかくの美人なんだから、怖い顔すると勿体ないよ? ほら、笑ってみなって、騙されたと思ってほら、ニッ」
内心必死なおかげで口の方はよく回る。だが彼女の目は鋭く俺を捉えたまま、また俺に向けた銃の標準も逸れない。さすに人外の俺でも、嫌な汗が背中を伝う。
「お嬢さん? 俺、殺されるの? そりゃあどっかの野郎に殺されるより、こんな美人に殺される方が嬉しいってもんだ。だがその前にデートでもしてくれないかな? 冥土の土産? そう是非」
「意味が分からない」
「ああ、俺も殺される意味が分からない。だからおあいこだ。そうだな、もしここで殺されるなら、俺はお嬢さんを祟らなきゃならないな。だってあまりにも無念だろう? その無念を晴らすべく、幽霊にでもなって、ストーキング行為に及ばなけりゃならない」
「幽霊? ストーキング?」
「非科学的だって思う? 違うね、これはロマンだ。科学が発達して謎の多くが解明された。だが死後は、現代に残る桃源郷さ」
「おかしな人」
「おかしいなら笑ってくれ。美人の怖い顔も悪くないが、折角なら花のような笑顔を見たいものさ」
「理解出来ない」
ああそうだろう。何を言っているのか、もう俺自身よく分からなくなっている。
「簡単に理解されても困るな、男心ってのはこれでも結構複雑なんだ」
「……何を言っているの?」
「美人を口説いて命乞い。至って普通だろう? 誰だって命は惜しいし、”いい女”を自分の物にしたいのが男ってものさ。つまりこれは本能的な欲求だ」
言葉を交わすたび、彼女の様子は変化し続けた。表情に浮かぶ迷いは大きくなり、照準は振れ始めた。『理解出来ない』実際そうなのだろう。バランスの悪い知識と技能しか持たない、綺麗な綺麗なお人形……心があって、冷徹でなくて助かった。
俺は飛び起きて女の銃を払い落とした。そのまま腕を掴んで捕らえ、銃を遠くに蹴り飛ばす。
「君に銃は似合わない。握るなら俺の手で十分だろう?」
俺はまだ韜晦を続ける。今、ここで捕まえるのは好ましくない。ターゲットは二人だ、おまけに俺は素直に従うつもりが無い。よって、次へ繋ぐ必要がある。おかしな奴ならそれでいい、変態でも痴漢でも何でもいい。ただ敵でさえなければだ。そう思われれば俺の命が危うくなる。
「触らないで」
彼女は拒絶し手を振り払おうとする。殺人兵器として創られた女の力は尋常ならざるものだった。だがもちろん俺も、人並みではありはしない。
「釣れないなあ。こんなに細い手首で、白くて綺麗な肌なのに」
俺は腕を掴んだまま、軽薄な笑みを浮かべた。普段なら抱き寄せるところだが、さすがに今は自重する。今は印象さえ植え付けてしまえればいい。何より、隠したナイフでズブリは遠慮したい。
「放して!!」
彼女がそう叫んだ瞬間、俺と『イブ』との間に小さな影が跳び込む。上からだ。そしてすぐさま右腕を狙って一閃する。足か? 受け止めるにはやや鋭い。瞬時にそう判断し、俺は躊躇せず『イブ』から手を放した。
使命と利き腕、そんなものは天秤にかけるまでもない。これまでのやり取りは、おそらく次へと繋がるものだ。
小さな影は『イブ』を抱えて飛び退いた。彼女を下げ、庇うように前に出るのは、おそらく一緒に逃げたコピーだろう。目立ち過ぎる髪や目を隠すため、帽子やゴーグルで変装してはいるものの、一房垂れた髪は闇の中で白く浮かぶ。半分以上隠れた顔もはっきりと『イブ』に似ている。ただし全てが小作りだ。背は低く、未だ体のメリハリも無い。そこへ向けて男児の服を着ているため、一見少年のようにしか見えないのだ。”小さなナイト”そんな言葉が頭を過ぎり、緊張の場面でありながら笑みが浮かぶ。潮時だな。
「俺はウォルター。美人さん方、またどこかで」
後ろを向いたとたん……なんて未来も安易に予測できる。しかしめいいっぱいの虚勢を張って背を向けた。おそらくその確率は低いはずだ。言い換えれば願望とも呼ぶべきものだ。だが歩き出した僅か後、靴の鳴る小さな音とほんの少しの風を感じた。振り返ると既に二人は消えていた。それを確認して俺は大きく息を吐く。
……よかった、命拾いができた。
『気障ですね』
「うるさい、俺だって恥ずかしいんだよ」
耳に貼ってある小さな小さなイヤホンから、研究室の協力者、トーリア・エンデの声がした。彼は『イブ・メンタル・ネットワーク・システム』通称EMNSの管理責任者で、『イブ』の計画そのものに疑問を抱いている一人だ。見た目は研究やってますとしか言いようがないが、中身はなかなか人間らしい。
彼は資料以上の『イブ』の事、そして今回の事件の詳細を教えてくれた。同時に彼自身の願望を俺に押し付けてきた気もするが、まあいい。なるようになれだ。ただし、彼女達が望めばの事だ。