秘密兵器『イブ』
Part:ウォルター
これが例の女……いや、捕縛対象の『イブ』か。俺は彼女を見上げ息を飲んだ。夜の暗がり、ビルの狭間の雑踏で、彼女はネオンの光を背負っていた。その姿は逆光でも繊細で美しい。いや、ざっくりとゆるく纏められた長い髪が、逆光によって金糸のようにキラキラと輝き、妖精の女王ででもあるかのように錯覚しかけた。
だがそれを引き留めたのは服装だ。残念ながら彼女のセンスはいただけない。色気の無い男物のでかいコートを無頓着に羽織り、その下にはやたら派手な服が覗いている。足元の黒いだけのブーツも可愛げというものが皆無だ。その姿はあまりにもちぐはぐで、俺は残念で仕方がない。できれば彼女に似合う服を見繕って、そのまま街を連れ歩きたい……というも願望があるのだが、今はそれについてじっくり考察をめぐらせているような余裕は無い。
何故なら、闇に浮かぶほど白い彼女の手には銃。そしてその銃口は今、無様に地に這いつくばる俺に真っ直ぐと向けられている。
『イブ』は軍の秘密兵器として、Dr.ザガリア・ニスビー以下、一部の研究者が独断かつ秘密裏に心血を注いで作り上げた芸術品である。彼女は美しく、また強くあるために遺伝子を操作されて誕生した人工生命体である。その姿は呆れるほど完璧で、また、意図せずとも男を惹き付けるフェロモンを発生する能力を持っている。それは寝首を掻くために組み込まれた能力で、最初から女性型である事を最大限に利用するつもりで研究されていたらしい。いやいや、恐ろしいねぇ。そして胸糞が悪い。
彼女の容姿デザインは、Dr.ザガリアの趣味を反映したものであるらしい。件の研究者の趣味は、なかなか良い趣味をしていたものだ。
だが実際、彼女は本当に美しい。彼女の資料を見るたびに、もしこんな女を連れて歩けたら、とても気分が良いだろうと考えたものだ。同僚たちが見せ付けてくる写真の中の彼女とは、次元もレベルも遥かに桁の違う美しさだった。
白く透き通るような肌に、髪は白に近いプラチナブロンド、瞳の色は青く、光の具合で神秘的な紫を帯びる。鼻筋はスッと通り、唇は紅を差さずとも赤い。
もしこの出会いが任務ではなく、ましてや今彼女に銃を向けられている状況でさえなければ、俺は全力をかけて彼女を口説きにかかった事だろう。
俺はウォルター・アーヴァイン、惑星グラファイト宇宙軍の特殊部隊所属、現在の階級は大尉。三ヶ月前までは少佐だったんだがな。
一ヶ月前に特殊部隊を管轄する中将閣下から、直々に極秘の任務を賜った。開発者であるザガリア・ニスビーと軍上層部の数名を殺害し、研究所から遁走した生物兵器『イブ』、及びそのコピーである汎用型生物兵器一体を無傷で回収する事。
正直言ってかなりの無理難題だ。彼女たちは美貌ばかりでなく、身体能力も人間の範疇を軽く超える。俺も特殊部隊所属であり普通の人間ではないが、二人というのはどうだろう? 『イブ』のデータを見る限り、やや俺の劣勢か戦い方次第で勝てるかどうかという辺りか。それが二人、そして無傷で回収? 完全に勝機の目がない。
閣下の態度から、彼女たちの今後の処遇についてどうするべきか、困っているのは何となく見えた。確かに彼女たちの存在は、倫理、人権、ご婦人方の心境と様々な側面で問題を抱えている。だが俺にはそれ以上の問題がある。この任務そのものだ。これは絶対にペナルティー、嫌がらせでしかない。営倉入りと降格処分ではまだ足りないという事か?
我が特殊部隊を『化け物の巣窟』と吹聴して面白がっていた迷惑な輩を、ちょっとばかしぶん殴ってやっただけだってのに。まあ、内臓に傷が入っていたようなので、当分は病院での生活を満喫してもらう事になったようだがな。
そう、俺自身も後発的にではあるが、体を改造した人間である。5年ほど前に少々自棄を起こして人体改造の募集に手を挙げてしまった。理由はごくプライベートな事なので、詮索は無用に願いたい。今は若干後悔している節もある。まあ、おかげで俺は視力、聴力、運動能力と、フルコースで化け物の一員だ。
研究所の協力者のおかげで潜伏先はあっさり見つかった。彼女たちの生体反応は、この惑星にいる限りどこにいても捕捉できる。可哀相だが逃げられない、彼女たちはカゴの鳥という訳だ。
暫くは二人を監視した。生活パターンを把握し、つい行動を見守っていた。”無傷で”という命令がある以上、餓死でもされてはたまらない。俺はつい見るに見かねて、影で何度か手を貸した。
カゴの鳥、いや、良く言えば箱入り娘か。世間知らずここに極まれり。何も出来ないペットを野に放っても、当たり前のように何もできない。
それでも二人は徐々に世間のルールというものに慣れ、市場で会う物好きな連中が気にし始めた。だがそうなってくると俺にとっては都合が悪い。何せ極秘任務だからな、どこに間者がいるとも知れない。生体兵器の存在、上層部の不在とその理由。何れも敵軍、惑星エクリュの陣営に知られるのは不味い。
発端は資源惑星の所有権。以後半世紀もの間、人員、資源、時間を浪費してなお、解決に至らず今に至る。現在の戦況は停滞中、ここ数年は睨み合いつつ互いに手出しを躊躇している状態だ。だから、これが転機になってはたまらない。偽りでも平穏は愛しい。
俺は『イブ』への接触を試みた。タイミングを計って自然な流れで仕掛けたつもりだ。だが、彼女の行動は俺の予想を超えた。人通りの少ない夜の雑踏で、軽く声をかけただけだというのに、彼女はこれ以上ないほど綺麗な投げ技を見舞ってくれた。
ちなみに『女の一人歩きは危ないよ』という極一般的言葉だ。同時にナンパの常套句でもあるが、そこはそれというものだ。無意識に上げていた手を掴まれたかと思うと、世界がぐるりと一転した。咄嗟に受身を取ったものの、再び彼女に視線を戻した時には、既にこの状況に陥っていた。
何故声をかけただけでいきなり投げ飛ばす? そして何故銃を向ける? まったくこいつは危険にも程がある。今までにこんな被害に遭った野郎はどれだけいるのだろう? そしてその末路、そいつらは無事だったのだろうか?
さて、脳内での現実逃避はもう十分だろう。いい加減考えなければならない。どうすればこの状況をひっくり返せるか、どうすれば俺が生き延びられるか、それが問題なんだ。
筆者的には、時間と……夏休み中の子供との戦いです(←)
(改)マークは、こっそり誤字訂正って事で(^^;