第零幕 「ただの智将ですよ」
此の物語はフィクションです。実在する団体、歴史、人物等とは関係ありません。
――金属がぶつかり合う音と酷く鼻に残る鉄が焦げたような臭いが辺りに充満している。
彼はそんな環境の中にいながら目の前に存在するそれをジッと観ていた。
ただ一点、瞬きさえも忘れてそれを冷たい視線で射抜いていた。
今、彼等は鬼と呼ばれる種族と戦をしている。
鬼、とは古来より伝わる人間の亜種と呼ばれる存在だ。
見た目は様々で赤、青、黄色、など色で言えばカラフルで綺麗な物である。
だが、その存在は決して綺麗なものなんかではない。
青鬼、赤鬼、黄鬼と呼ばれる三色の鬼。
見た目は御伽噺などで見た事がある人が多数いるだろう、体格は人間のそれとは比較にならないほど大きく逞しい――否、逞しい、なんてものじゃあない。
巨大で厳つく、不気味だ。
身体の色もそれぞれ名にある通りそれぞれの色、一色で染められている。
唯一共通している点は額に存在する角。
これだけである。
鬼とは古来より存在しており、各地で度々目撃されていた。
だが、度々と言われる通り、表立って数多く目撃されていた訳ではない。
それも、人間と戦出来る様な数は居なかった筈なのだ。
ならば、何故今彼等は鬼と戦をしているのか。
理由は簡単だ。
ある日を境に急激に鬼の目撃が広がり、増えていった。
それからというもの人間同士で争っていた戦国時代は一旦終わりを迎え、変わりに人類はそれ以外との生物と戦をする新たな戦国時代を迎えた。
そして、彼は思う。
相手が人間だろうがなんだろうが戦などなくなってしまえばいいのに、と。
こんなに醜悪で異臭を放つ光景など、なくなってしまえばいいのに。
一刻も早く此の光景から逃げる為に彼は刀を鞘から抜き放つ。
そう思いながら、彼はその刀を前方へ向け一言、叫ぶ。
「掛かれぇぇぇええええええ!!」
その一言を切欠に彼が率いる部隊は大津波のような怒涛の勢いで戦場を駆け巡る。
――そして、彼の部隊の活躍によりその戦は人間の勝利で終わった。
だが、指揮を行っていた彼の姿はその戦を期に見えなくなったという――
*****
尾張国。
尾張国とは国内最強と謳われる大名、織田家が納めている国である。
そして尾張の首都、清洲。
此処は織田家現当主である織田雪奈が収めている土地だ。
雪奈は女の身でありながら戦国の地に最強の名を轟かせている織田家の当主になった才女だ。
法術こそ扱えないが刀の腕では他の追随は許さず、智にしても十分な力を持っていた。
だから、彼女は女だからという事で軽んじて見られる事もなく実力で当主の地位に付いたのだった。
そんな彼女の納める清洲。
とある少年と青年の出逢いがこの物語の始まりである――
「はあはあ……」
ある少年は清洲のとある田舎町の中を懸命に走っていた。
理由は酷く簡単だ、町のすぐ外に鬼らしき姿を目撃したからである。
田舎町とはいえ、こんな御時世だ、町を守る人間くらいは存在する。
それが派遣されたものであったり雇われたものであったり自身の町で構成された部隊であったり形はまちまちだが此の町では三番目のものに該当する。
自衛団、彼等はその部隊をそう呼んでいた。
此の町には残念な事に国にとって有益になるものが存在しない。
その為、国としては此の町に武士を派遣する事はしなかった――否、出来なかった。
こんな御時世だからこそ各地で護衛要請がそれこそ山のように毎日来るのだ。
だが、その全てに護衛を送れるほど国に余裕はない。
ならばどうするか、――答えは優先順位をつける事だった。
国にとって有益な施設、もしくは地形、土地がある場所を優先的に護衛を付ける。
そして、それ以外の町には余裕が出来次第随時送るという手法を取っていた。
こうした手法の為、溢れる町は少なくなかった。
少しでも余裕のある町は国に属していない者を護衛として独自に雇ったりもしている。
だが、少年が住んでいる此の町はそんな余裕はなかった。
その為、有志による自衛団なるものが出来上がったのだ。
少年は懸命に走り、漸くひとつの建物へ辿り着いた。
一見、酒場のように見える建物だ。
まあ、酒場というのはある種正解ではある。
何故なら自衛団の本部である建物であるが、それ以外にも酒場としての顔もあるからだ。
自衛自体はボランティアでやっているようなものではあるが自衛行為が全く金が掛からないもの、という訳ではない。
組織として成り立たせる為には少なくとも金は掛かるものである。
その資金稼ぎとして彼らが行っているのは酒場であった。
無論、町の人間もその事を承知で良く此の店へと足を運ぶようにしている。
自分達を守ってくれている人達が経営している店だ、日頃の感謝を含めついつい足を運んでしまうのは仕方がないだろう。
まあ、味もこの辺では一番美味しく値段も格安だというのもリピーターを増やす理由にもなっているのだが。
余談ではあるが美味しいのに値段が安いというのは派遣出来ない事に申し訳なさを感じている国のご好意によるものであったりする。
そんな酒場兼自衛団本部の扉を軽く叩き慌しく店内へ入る、――ノックは形だけで済ませて返事が返る前に少年は急いで入ったのだった。
「む? どうかしたか?」
扉を開ければ、そこにはひとりの老人がカウンター越しにグラスを磨いて立っていた。
ノックこそあったが此方の返事を待たずに慌てた様子で入り込んできた少年に老人は声を掛ける。
老人は此の町出身の元武士だ。
現役を引退し、田舎で隠居とばかりに町へ戻ってきたのだが此の町の自衛手段の少なさに眉を顰め自衛団を設立した設立者である。
その彼が少年の行動に疑問を抱き決して脅さぬよう優しい声色で問い掛けた。
「お、鬼が……」
懸命に走って来たためこれだけの言葉を発するのに思い通りにいかない。
その事に蟠りを感じずに入られなかったが老人は多くを聞かずに現状を的確に把握した。
「守康!!」
「はっ!」
少年の言葉を聞き眼を見開いた老人――否、老兵は人の名を叫ぶ。
それと同時に隣の部屋から慌しくひとりの男が出てき老兵の言葉に反応する。
「鬼が現れたらしい、すぐに今出撃可能な者を集め戦闘準備に取り掛かれ!」
鬼が現れた、その言葉に守康は眼を見開き、額から嫌な汗を流す。
鬼、人間の亜種であるが人間より凶暴で強大な存在だ。
鬼一匹を倒すのに最低でも人間十人は必要とすると言われているほどだ。
その鬼が現れたと報告を受ければこんな田舎町なら絶望的に――それこそ死の判決を言い渡されたようなものだ。
だが、死を覚悟したとしても負けるつもりはなかった。
守康は老兵の言葉を受け無言で店の外へ出て行った。
返事する時間さえ惜しかったのだろう。
彼は戦闘要員の確保のため街を走り回る――町の為、町民の為に。
「さて、鬼を見たのはどの辺りなのかね?」
あくまで優しく老兵は問い掛ける。
急かす事もしない。
老兵は少年が話す言葉を真摯に聞く事だけに集中した。
*****
守康と呼ばれた男は老兵の副官的な位置にいる男だった。
年齢は三十を過ぎてそろそろ後半へと差し掛かる歳だ。
人生を多く生きたわけでもないが少なく生きた訳でもない経験もそこそこにあり、真面目な性格から老兵の信頼は厚い。
だが、彼が行っている今の仕事はパシリに近い。まあ、かと言って不満がある訳でも文句がある訳でもないのだが。
彼は必死に町中を走り回り有志に声を掛けていた。
有志と言えども常に全員が店内にいるわけではない。
休暇の者もいれば出勤前の者もいる。
だから、そういった店にいない人間に声を掛けるのが今の彼の仕事だ。
そこには文句も不満も存在しなかった。
何故なら自分の仕事がどれだけ重要なものか理解していたからだ。
――四人目になる有志に声を掛け事の重要性を伝えた時、彼は道行く人混みの中にひとつの違和感を感じた。
人混みの中に視線をやる。
別にいつもと変わらない光景がそこにはあった――のだが、何故か違和感を感じる。
だが、かと言って原因不明の違和感に気を取られている訳にもいかず守康は疑問に思う思考を無理矢理奥へと押しやって再び喧騒の中へ駆け出した。
――違和感の正体である青年は駆け出した守康の後姿をただ眺めていた。
*****
「ふむ……」
老兵は顎に立派に生えた髭を軽く一撫でして溜息に近い言葉を呟く。
思った以上に事態は深刻だ。
少年からの報告によれば鬼の数は五。
その全てが青鬼とはいえ、気休めにもならない。
自衛団の人数は二十人。
これでは相打ちさえも難しいであろうと老兵は判断する。
鬼とは一匹に付き人間十人は必要とされている種族だ。
そんな存在が五匹もいて対するこちら側は必要とされる人数の半分も満たしていない。
此れは真っ向からやっても勝ち目は薄い。
だからと言って諦める訳にもいかない。
老兵は必死に此の状況をどうにか覆そうと様々な案を考える。
思い付いては自身で没にし、また思い付いては没、それを何度も繰り返す。
有効的な案が思い付かない。
それどころか相打ちにする方法さえ思い付かない状況だ。
どうしたものかと老兵は頭を抱えるしかなかった。
地形を利用するにしてもこの辺は安全で、唯一使えそうな物も川くらいなものだ。
だがその川の水深も精々百八十センチくらいで、楽に全長二メートルを超える背丈が当たり前である鬼達にその川が有効打になるとは思えない。
まさに八方塞であった。
「どうしたものか」
誰にでもなく己自身に問い掛けた言葉、――だった筈だった。
「なら、少しだけ知恵を与えましょうか」
その言葉に老兵は驚き、顔を上げる。
驚いたのは言葉の内容ではない。
店内に入ってきているのに自身にその気配を感じさせなかった事に驚いているのだ。
「……何者だ?」
老兵はそう言って青年を睨み付ける。
青年は、と言うと老兵の視線に全く気付かない振りをしながらその言葉を受け取り笑みを浮かべ答える。
「ただの智将ですよ」
そう、自分はただの智将なのだ。
青年は誰にも悟られぬように心の中でそう呟くのだった。