夢
やり直し
私はゆっくりとだるい体をダブルベットから起こした。身体中が痛い、朦朧とする意識と頭痛に苛まされながら頭をさする。今日も一日が始まってしまった。さて、今日はどうやって生きていこう。サイドテーブルを一瞥すると、ホテルのキーを上して今日の生活資金が置いてあった。これが私の価値。拾ってくれる神がいるだけでありがたいが、ああ、どうして私は生まれてきたのだろうと、これを見るたびに思う。やりたいこともない。やれることもない。ただ身体とそれなりに男うけする顔があっただけだ。
学力がないから母親には見限られ、父親には性的虐待を受ける日々。そんな家庭からもう解放された、私は私の人生を自分で生きるのだと決心して辿り着いたのは結局はこんなところしかなかった。それはそうだ、だって何もできる能力がないのだもの。
私は顔を洗って、シャワーをあびる。昨日は酒を飲まされてそのまま寝入ってしまった。こんな汚れた体を表面上だけ洗ったって何の意味もないけれど、あまり臭くては体を売ることもできない。ただ、生きるためだけに形式上だけ体を綺麗にした。髪を乾かして、櫛でとかす自分の虚無感に満たされた表情をただ真正面から見つめるこの時間は、じつに虚無的だ。そんな自分を隠すように私はメイクを顔に施す。肌の色から目の大きさ、まつ毛の先まで抜かりなく。そしてスーツケースに入っていたフリルのよくついた衣装を取り出す。別に自分の好みというわけではない。この方が目につきやすいからだ。でも何日も着まわしていた数限り内服だから流石に汗臭いだろうか。私は脇の部分をかいで反射的に少し眉をひそめてから、その部分だけ流水で洗って備え付けの洗顔用石鹸で洗った。それからドライヤーで乾かす。寝坊したせいでチェックアウトの時間が近い。急がなくては、私は携帯の充電を抜いて身支度を済ませた。
ネオンの消えた昼の繁華街は青空の青に染まっていた。だけど私にはいつだってモノクロに見えている。大体はスーツで行き交うサラリーマンや、普通の格好をした一般人、そこから外れているバカらしく屯している若者を横目で見て突っ立っているだけだ。あいつらはこうして立っているだけで声をかけてくることもあるから困る。私はそういうのとは違う。私は私だけの価値があるはず。あいつらとは違うんだ。今は生きる術がないから同じようにして生活しているだけで。
結果私にはどこにも居場所というものはなかった。SNSでまた互いに生きる術を満たし合える奴を探すべくスマホに目を落とすのみ。
何のための生なのか。私に実感できるのは女の体だけ。
ただただ私という存在が白日の元に晒されているだけ。
そんな日々も限界になった。
ある日の晩、私は廃ビルの屋上に登った。
結局私という人間はどこにも欲されていなかったのだということに気づくのにはさほど時間がかからなかった。要するにいてもいなくても同じ。私がいなくても悲しむ人間などいない。特に死にたいというわけではなかったけれど、生きる理由はなかった。都合よく適した場所があったので登ってみて、手すりの向こう側に立って夜風に吹かれてみると、久しぶりに何か受け入れられたような気持ちになった。
その時不意に、後ろから声がした。
「生きてる実感が欲しい?」
はっと息を呑んで振り向くとそこには少女が佇んでいた。全身黒ずくめの、ローブを羽織った十代半ばほどの少女だ。パンク系の格好で身軽そうな格好をしている。一瞬またあの同類かと思ったが何か雰囲気が違う。まるで何もかも見透かしているようなその視線は私をみているのか、私の奥底を見ているのか。
「人はいつだって何か欲をもっているもの。それがこの世界を回していて、あなたは今もそういう意味では立派に生きていると言えるんだけどね」
しかし言っている意味がまるでわからない。私はしばらく呆然としてその少女を穴の空いたように見つめることしかできなかった。けれど、その興味も一瞬で失せた。どうせ全てのことなんて、私の前では無意味だ。こんなどうしようもない現実にはどうしようもない人間しか回ってこない。きっとそういう類だ。もしくは幻覚か何かだ。私は視線を外して、騒がしい街に目を向けた。それでも私に再度投げかけられる。
「あなたはずっと何かを変えたいと思って、この現実世界をもがいてきた。それが叶わなかったから現実が無意味だと思ってる?」
私は思わず歯を食いしばった。すると自然と涙がこぼれてきた。
「私にはもう生きる力がなくて。もう全部どうでもよくなっちゃってさ」
「そんなことはない。死のうとするからこそ、そこには強い生きる力があったはず。今は観測する側面がそこにあるから、そこに向かおうとしているだけ」
「あんたに私のなにがわかるっていうの」
「全部。だって私たちには『管理』する役目があるから。」
そういうと同時に少女が手を拡げる。すると、足元がふわりとした感覚に包まれる。思わず小さく悲鳴を上げた。気づけば景色が何も無くなっていた。あたりが星空のような空間に包まれる。ここには私と少女しか存在がなくなった。
「ほら、あなたには見える。これが今の世界よ。所詮、世界は無数に舞う粒子の集まりでしかない」
宙に浮いているようだけど足はついている。夢にしては感覚がリアルすぎる。少女との距離は変わらない。まさか、私はさっきと同じ場所に立っている?
「そう。これは現実世界よ。私があなたに干渉して見せている。普段の人間にはそれぞれが観測した世界が見えている。それが目に見えるもの」
「観測?現実は現実でしょ?」
「言ってしまえば、目の前に見えていることも、他人も、あなたの観測でしかない。つまり、あなた以外は実態がないし存在しない。全て、あなたが作り出している世界なの」
途方もない話に私は面食らう。私しかいない?何を言っているんだ。それ以前に私が作り出している世界だなんて。冗談じゃない、こいつは何を言っているんだ。親ガチャに失敗したことも、こうやって男に媚びるだけの人生を送っていることも全て自分の望んだことだって?
「望めば、あなたはいつだって現実を変えることができる」
「そんなわけないじゃん」
「わかりやすく言えば、もっとポジティブになろうってことだよ。悪い現実を悪いと捉えることも、生きていることに価値を感じることも自分の観測次第。世界はそういうものなの。ほら、また始まるよ」
そしてまばたきをすると先ほどまでの世界は消えて、私はもといた手すりの向こう側に立っていた。唐突な現実感に、思わずふらついてしまって、足を踏み外してしまう。
その瞬間に思った。
私は何が欲しかったんだろう。ただ生きているという感覚が欲しかったのかも知れない。
この瞬間に生まれて初めて生というものを感じた。これが生きているということか。
もしも全てが無数の星屑だとしたらそれに帰るのか。でも、あの少女の言う通り観測さえできれば、また現実を始められる。そうだ、信じればいい。それがきっと観測すると言うことなのだ。だってこの目に見えているものは、全部私の夢なんだから。ああ。もしかしたら私はこの瞬間のために生きていたのかも知れない。すると不思議と、これ以上ないくらいに幸せな気持ちになった。ああ私は、今日も生きている。




