仲間はずれ 5
さっきと変わらない表情だ。まるで人形の様だった。チラリと地面に伸びた彼女の影を探す。黒いその塊が、彼女が実在するのだと伝えている唯一のものに感じた。
「いい? 揺らすから。取ってよ!」
僕の声にその子は頷いたように見えた。
僕は跨ったまま両手をできるだけ先の方にやって掴むと、全身で揺らした。太い枝はそれで折れはしなそうだったが、それでも少し怖かった。
帽子が、花びらから飛び立つ蝶のように枝から離れた。それはやはり緩やかに舞い降り、持ち主の手の中に戻って行く。
その子が帽子を手にしてかぶった。
つばの大きい帽子にあの顔が隠れる。
僕はホッとして思わず空を仰いだ。さっきなかった入道雲が忽然と現われていて、その白に清々しい気持ちになった。
「ありがと」
またあの声がすぐ傍で聞こえた気がした。目を見開いて下を見ると、もうそこにはあの子の姿は、あの影と一緒に消えていた。
僕はまるで夢を見ていたかのような錯覚に陥る。
慌てて周りを見回す。ただただ青々とした稲穂が揺れる水田が続くその景色に、姿を隠す場所なんか見当たらない。視線をゆっくりと巡らしても、遠くの山に辿り着いただけだった。
「なんだったんだ……」
呟く僕自身の声さえ、偽物のようだ。真夏の白昼夢って奴か?
しばらくぼぅっとしていたら、風が吹いた。
真昼には吹かない昼下がりの風は、夕方を連れてくると誰かに聞いた。汗をさらう風は心地よく、揺れる前髪をかき上げようとした時だった。
僕はバランスを崩しかけ、慌てて手をつきなおした。
そうだ、今、僕のいる場所は……。
そぅっと、下を見る。目も眩むほどの高さだ。登って来る時は考え事をしてたから気が付かなかったけど、どうしよう。これ、どうやって降りるんだ?
途方に暮れ、溜息をついた時だった。
「お前、そこでなにしてんだ?」
足元から声がした。
肩越しに振り返る形で見ると、その木が背負う草むらに、光と数人の子ども達が僕を不思議そうに見上げていた。
格好の悪い事に、自分で登った木から降りるのに僕は人の手を借りてしまった。
しかも、最も借りを作りたくない奴の手を借りる羽目になったのだ。
けれど、貸した方であるはずの光はそんな事は一向に気にしていないようだった。てっきり恩に着せられると思っていた僕は拍子抜けした。
もし、塾の連中だったら、ろくに手もかさずに大人に言いつけて、後で影で笑ったりしていただろう。でも、光は僕が降りられないのを悟ると、他の連中を先に行かせてから自分は難なく木に登って来て、一緒に手を書ける場所、足を置く場所を教えてくれながら降りてくれたんだ。
降りてから、僕は恥ずかしさと悔しさに俯きながらぼそっと言った。
「誰にも言うなよ」
「言うかよ。何のために皆を先に行かせたと思ってんだ。馬鹿」
光の声は怒っているような、また呆れているような声だった。そうか、光は僕に恥をかかせまいと……そう気がつくと、僕は自分のつまらない自尊心を感じて、余計に恥ずかしくなった。
「それより、なんであんな所にいたんだよ」
光が歩きだしたので、僕はついて行く形で続く。
「帽子が引っかかったんだ。それで」
「帽子なんか被ってないじゃんか」
「僕のじゃないよ」
「じゃ、誰のだよ?」
光は口を尖らせて振り返った。
もう、これ以上焼きようがないんじゃないかと思えるくらいに真っ黒に日焼けした顔は、一つ年下のくせに生っ白い僕なんかより逞しく見えた。
僕はさっきの女の子の事を思い出す。
白い肌。切れ長の目。長い艶々した黒髪。水色のワンピースから伸びたすらりとした手足……。
まるで陽炎の様だった。
もう一度会いたいな。そう思って僕は光に逆に尋ねた。
「女の子の帽子だよ。背は希ちゃんくらいで、長い髪の。知らない?」
「誰だ、それ?」
光は首を傾げた。隣に並んで歩く彼の表情にはとぼけている様子は窺えなかったが、僕は彼女にもう一度会いたい一心で、しつこく尋ねた。
「この村には他にも子どもいるんだろ? 他の学年とか……」
しかし、光はのんびり首を横に振った。
「いいや。子どもで女って言ったら、希とあとは2才と3才のガキだけだ」
「え……」
僕は思わず足を止めた。
じゃ、僕は誰に会ったんだ?
というか、あの子は本当にいたんだろうか?
振り返ってみる。
夏の日に照らされたさっきの木は、変わらずそこに立っていたけど、あの子がいたと証明するものは一つもなかった。
僕は、夢でも見ていたのだろうか。
「あ、もしかして、お前……」
数歩先で立ち止っていた光が、ニヤリとしてこちらを見ていた。
「幽霊に、会ったんじゃねぇの?」




