第二章 ②①
お母さんが参観日に来なかったのは、お母さんのお母さん、つまりお母さんの方のお婆ちゃんが死んだからだった。
その事を知ったのは、学校を出た所で私を待っていたお爺ちゃんから聞いたからだ。
お爺ちゃんが小学校まで来た理由は、お母さんの代理として私の参観日に来る為だったそうだ。
お母さんが参観日に行けなくなった事を、畑仕事で出ていたお爺ちゃんは電話で知り、既に始まっているであろう参観日に出席する為にお爺ちゃんは急いで軽トラに乗り込み小学校へ向かった。
だけどいざ学校に来てみると、校舎の前にはパトカーが停車され、2人の警察官が慌ただしく校舎へと向かって行く姿に出会した。
お爺ちゃんは学校で何かあったのかと考えたが、直ぐにそれを確認する事は出来なかった。
その時、頭の中に私の姿が過ったそうだ。
慌てたお爺ちゃんは路上駐車禁止にも関わらず、校門の側で軽トラを止めた。運転席から飛び出すと背後からけたたましいクラクションを鳴らされた。後方確認を怠った為の結果だった。
お爺ちゃんは肝を冷やしたわーと後になって笑って話していたが、最悪、車に跳ねられてもおかしくない状況に私もゾッとしたものだ。
お爺ちゃんは冷や汗を流しながら、校門を抜け、校舎へと向かった。
その先にはガラス戸があり、奥には下駄箱がありそこには多くの保護者や子供達の姿があった。
やっぱり何かあったんや。そう思った直ぐ後に、数名の保護者達が外に出て来た。
お爺ちゃんはその人達の所へ向かい呼び止めた。話を聞くと、どうやら雫の教室で1人の生徒の保護者が暴れたという。
お爺ちゃんは心配になり、中へ入ろうとしたが、その保護者達に止められた。既に先生達に取り押さえられているし、警察も入っているから、仮にお子様がいたとしても無事ですと説得された。
何でも暴れた保護者は自分の娘を殴ったらしいから安心だと。それを聞いたお爺ちゃんは肩を撫で下ろした。
娘を殴ったのが保護者なら、殴られたのは雫じゃない。これは間違いなかった。
洋二郎は仕事に行っているし、君江さんはお母さんが亡くなられ、慌ただしく東京へと向かった。
そして自分はここにいる。殴られた子には申し訳ないが、心底、安堵した。
それがわかるとお爺ちゃんは車へと引き返して行った。こんな騒ぎの後じゃ、参観日どころじゃない。
ならここで雫を待った方がいいと考えたようだった。
帰らなかったのは、私が怖い思いをしただろうから、アイスでも買ってあげたいと思ったようだ。
実際、あの日の帰り道にお爺ちゃんはアイスを買ってくれしばらくの間、軽トラで町中をドライブした。
あれから一週間、朱音ちゃんは学校に来ていない。先生の話だと検査入院しているという。
その間の数日、お父さんはお婆ちゃんの葬式に出る為、東京へ行った。
私は来なくていいとお母さんに言われ、何だか嫌な気持ちになった。
お婆ちゃんとは殆ど会った事もなかったし、葬式にも出たくはなかったけど、東京には行ってみたかった。
その気持ちがあったから、来なくていいと言われた時、嫌な気持ちになったのだ。
なので私は仕方なくお父さんとお母さんが帰って来るまでお爺ちゃんとお留守番となった。
朱音ちゃんのお見舞いに行きたいと先生に聞いたら、その必要はないと突っぱねられた。
理由を聞くと朱音ちゃんの家族の問題らしかった。
先生の言ってる意味はよく分かった。私のお父さんもあんな風だったらと思うと、怖くてたまらない。
けれど、だからって家に戻ってしまえば朱音ちゃんは又、殴られる事になると思う。
そういうと先生は、
「そんな事にならないように、今、大人達で相談しているんだ」
それを聞いて私は少し安心した。又、朱音ちゃんの元気な姿を見たかったし一緒に勉強をして、わからない所を教えて貰いたい。
先生の言葉を聞いて私は朱音ちゃんが学校に来る姿を思い浮かべた。
お父さんは3日で東京から戻って来た。
お母さんは、まだしばらく向こうにいるらしい。
それは私を喜ばせる話だった。お母さんがいなければ、毎日、うるさいくらい勉強しなさいと言われなくて済む。
けど、だからと言って予習や復習をやってないと、お母さんが帰って来た時、必ず同じ事をさせる筈だ。
その時、わからないってなる訳にはいかなかった。私が想像出来ないくらいに怒りそうだった。
だから私は欠かさず勉強を続けた。朱音ちゃんがいないのは寂しかったし、わからない事について聞けるのが先生だけになるから、それが一番辛かった。
朱音ちゃん早く学校に来てと私は思った。
その後もまだ朱音ちゃんが来ない日々が続いた。
私はそんなに長い間、入院しなければいけないのか?と思った。
当時、私は人には2つの傷があり、その内の1つしか知らなかった。その1つは外傷で、つまり暴力を振るわれて出来る傷の事だ。
そして知らなかったもう1つの傷。それは心の傷の事だ。暴力を振るわれて出来る外傷と同時に心も傷つくという事実。それが他人から発せられた何気ない言葉や悪意のある言葉からでも、心に傷が出来るという事も最近なって知った。
けれどあの時はそれを知らなかった。
だから私は朱音ちゃんが休んでいる間、1度、朱音ちゃんの家に行ってみた。
退院した後、家に帰った朱音ちゃんをお父さんが殴り、もっと酷い怪我をして家から出られないと思ったからだった。
私は記憶を辿り、朱音ちゃんの家へと向かった。
近寄るにつれ、足が震えた。口の中が乾き、何か飲みたかった。間近でみる平屋の家は、本当、ボロくて小屋のようだった。玄関の戸の塗装も剥がれ落ち、ノブも壊れているのか、固定されている場所から外れ外側へ向かって垂れていた。
玄関側の側面にある、唯一の窓ガラスには中からブルーシートが貼られている。
隙間風が入るからだろうか。あちこちにガムテープで目張りされていた。
足音に気をつけながら玄関から離れた。家の裏へと周る。至る所から雑草が伸び放題の裏側には物干し竿が立てたらている。
勝手口の横に洗濯機が置かれてあり、雨よけの為か、ブルーシートで覆われていた。
その側の上部からアルミ製の煙突が飛び出し、そこから湯気が出ていた。音に気を配りながら近寄ると誰かの歌い声が聞こえて来た。
気分良さげな声は、間違いなく朱音ちゃんのお父さんだ。ここからでは家の中に朱音ちゃんがいるのか、わからなかった。
中に入って確かめたい欲求が昂るけど、その度、参観日でみたあの姿が甦る。
普通に声をかけてみる手もあったが、それは気が乗らなかった。いや、単に朱音ちゃんのお父さんが怖いから会いたくないだけだ。
私は諦めて家に帰る事にした。その場からゆっくりと下がって行く。表に周った瞬間、走り出した。
自分でも思わなかったくらい、私は朱音ちゃんのお父さんを恐れているようだった。
他人の私でさえ怖いのに、そんな人が父親だなんて、朱音ちゃんはもっと怖いんだろうなと思った。
本当、あんなお父さんは最悪だ。
頭の中でそう考えながら走った。その時、
「雫ちゃん!」
と名前を呼ばれた。聞き覚えのある声だった。
立ち止まり振り返ると、玄関の所に朱音ちゃんがこちらを向いて立っていた。
退院したのだと思い、駆け寄ろうとしたが、隣に3人の見知らぬ大人の男女が立っていた為、そちらに行くのを躊躇した。
少し痩せたように見えるのは気のせいだろうか。長かった髪の毛は綺麗に短く散髪されている。
切ったのはお父さんに引っ張られたせいかも知れない。そんな髪の毛の先を摘みながら、少し恥ずかしげに微笑んだ。
「退院したの?」
「うん」
「学校は?」
「明後日から行く」
「そっか。嬉しい」
「心配かけてごめんね」
「大丈夫」
「じゃあね。雫ちゃん
「うん。明後日、待ってるね」
私がいうと朱音ちゃんは小さく手を振った。
私も振り返した。
「髪の毛、似合ってるよ」
私はいい、こちらを見る大人3人の視線を避けるように駆け足でその場を去った。
走りながら自然と顔がほころんだ。
正直、ここに来るのは怖かったし玄関で声をかける勇気もなかったけど、朱音ちゃんに会えた事で、心から来て良かったと思った。




