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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

金髪縦ロールと幻想植物探索記

 木漏れ日()す森の中で、シンプルかつ洗練された洋服が汚れることも気にせず、お嬢様は丁寧に花の周りを掘り起こす。


「ごきげんよう。(わたくし)はエリナ、ご覧の通り”お花()み”をしていますわ。あら、何を考えたのかしら? 私は今、本当に植物の花を摘んでいますのよ」


 お嬢様は土に向き合い集中し、根が切れないように、幹が折れないように、最新の注意を払う。

 それでも軽口を叩ける程には、彼女は”お花摘み”に慣れていた。


 頃合いを見て、お嬢様は覚悟を決めた。

 両手に力を込め、踏ん張る。


「やりましたわ!」


 地中深くに根ざした花を思いっきり引っこ抜いたお嬢様は、ガッツポーズをした。


「あら、ごめんあそばせ」


 そして、土まみれの手を口元に当て『おほほ』と笑う。


「これは……ハズレでしたわ」


 隠れていた太い根を見たお嬢様は、手で土を払い、残念そうな顔でそれに(かじ)りつく。

 モグモグと食べながら、思いのほか甘かった味に満足していた。

 しかし、目的のものではあるのだが少し違う。

 彼女が欲しかったのは、身体がポカポカして活力が(みな)人参(にんじん)。薬にも使われているそれは、上物だとたった一つで家を買えるという。


「あら、お金で例えないでくださる? 生粋(きっすい)のお嬢様である私が、そんなくだらないものに執着しているとでも思って?」


 これは失礼をした。

 エリナお嬢様は生粋のお嬢様。お金のために植物採取をしている訳では決してない。


「そうですわ。私はお嬢様、誰が何を言おうとお嬢様ですの。訓練されたお嬢様である私は、口調からして洗練されていますわ。そもそも金髪縦ロールの私がお嬢様でないはずが、ない! ですわ」


 お嬢様は少しお怒りだ。頬を膨らまし、プンプンとしていた。


 だが、そんな彼女も疲れたのだろう。地面に座り込み、胡坐をかいて空を見上げる。


「セバス、綺麗だとは思わなくて?」


 お嬢様は目の前に広がる世界に目を輝かせる。

 緑に満ちた視界、その隙間から青色の空が見えた。

 ひんやりとした土の冷たさと小鳥のさえずりが心を浄化し、嫌なこと全てが洗われているようだった。


 そして今更だが、私の名はセバス。エリナお嬢様の執事であり、恐縮ながら良き友として存在させてもらっている。お嬢様とは一心同体であり、彼女の気持ちは手に取るように分かる。

 

「あら、そう言われると恥ずかしいわね……それにしても、屋敷に戻りたくないですわ。私、もっとこの世界を旅したい、の……」


 お嬢様は悲哀に満ちた顔をした。

 屋敷では毎日厳しい勉強をさせられている彼女は、いずれ社交界というなの大人の世界へ送り出される。


「大丈夫よ、セバス。私は抜け出して見せますわ。いつかきっと、自分の力で……」


 お嬢様は立ち上がり、服に着いた土を軽く叩いて落とす。

 彼女は堂々としていたが、諦めにも似た感情は確かに存在し、それはどこまでも心を濁らせていた。

 可哀そうなお嬢様、運命はなんて残酷なのだろうか。


「あら、私はいつも堂々としていますわよ。この程度のこと、水面に浮く水黽(あめんぼ)ですわ」


 お嬢様は表面張力がはじく水を困難とかけたかったのだろうが、少し意味が分からない。

 それでも精一杯の笑顔を振り絞り、彼女は街の方向へと歩み出した。




 しばらく歩くと屋敷が見えた。寂れた街には似つかわしくないほど立派な建物だ。

 お嬢様は大きな門をくぐり、建物の中へと入った。


「エリ」


 お嬢様が中で待っていた教育係の女に呼び出されてしまった。

 女は偉そうで、自分の立場というものが分かっていない。


「私はエリナですわ」

「なぜ外に出た?」


 女がお嬢様の耳をつねり上げる。


 私は我慢の限界に達した。

 この無礼な女を粛清してしまおう、と思うのは当然だった。


 しかし、お嬢様はただ屈辱に耐え、凛とした表情のまま抵抗をしない。

 いつも私を安心させようとする彼女はきっと、とても強い人なのだろう。

 お嬢様の命令なしに動くことができない私は、何もできない歯がゆさを感じた。


「こっちに来い」


 毅然(きぜん)とした態度のお嬢様に対して女はさらに怒り、痛々しく伸びる耳を引っ張りながら歩き始めた。

 お嬢様は諦めたように、抵抗することなく地下に連れていかれた。


 階段を下り、先に続く廊下の先。


 そこには小さく薄暗い部屋があった。鉄格子がはめられた、寒く汚れた牢屋だ。

 折檻(せっかん)のために作られていたそこに、お嬢様は見覚えがあった。


「そこで反省していろ」


 牢屋の中に、お嬢様は投げ入れられる。

 教育係とは思えないほど乱雑な扱いにも、彼女は何も言わず耐えていた。


 コツンコツンと足音が遠のいていく。

 誰も居なくなった地下の空間に静寂だけが流れ始める。

 終わりを知らされていない折檻は、本来ならば人の心を曇らせるはずだが、彼女なら大丈夫だ。


「これは長くなりそうですわ」


 お嬢様は地面に横たわり、天井に張ったクモの巣を眺めて暇を潰した。


「クモは粘着性のない糸を張ることで、自分自身が巣に引っ掛からないようにしていますの……素敵ですこと」


 流石はお嬢様、とても博識であらせられる。

 私は感心しながら聞いていた。彼女の知識を享受(きょうじゅ)できるのは、この上ない喜びなのだ。


「ほら、あの横糸が粘着するのですわ」


 お嬢様は右腕を上げて、クモの巣を指す。

 クモが丁度引っかかった小さな羽虫を捕食しているところだった。


 お嬢様は何も言わず、その様子を見つめていた。

 弱肉強食、捕食者と被食者の関係はどの世界でも同じだ。


「ニンジンを口に入れていてよかったですわ」


 精一杯気丈に振舞っていても、漏れ出している痛み。

 私はお嬢様のことは何でも理解している。だからこそ、執事である私がお嬢様を支えなければならない。


 それから私は、お嬢様と様々な話をした。

 屋敷の外には広大な世界が広がっていて、沢山の未知なる植物があることを。


 引き抜くと悲鳴を上げる──マンドレイク

 羊が成る──バロメッツ

 龍の血が流れる──ドラゴンブラッドツリー

 現実を忘れさせる──ロートスの木

 食べると予知夢を見る──夢見草

 精霊が宿り、癒しを与える──命の葉

 三千年に一度花を開く──優曇華(うどんげ)

 完璧に熟すのに九千年を要する──蟠桃(ばんとう)

 神との交信を可能にする──マジックマッシュルーム

 特別な知識を授ける──ソーマ

 ……

 運命を司る──世界樹(ユグドラシル)


 お嬢様はこの話が大好きだ。

 私も嬉しくなり、次々と言葉を連ねていった。


「世界って美しいですわ」


 気がつくと、お嬢様は涙を流していた。 


 その様子に私は覚悟を決め、今まで言えなかったことを提案する。


「本気で言ってますの?」


 お嬢様は困惑していたが、今日の私は折れなかった。

 ずっと準備していた、人生を、世界を決める選択だ。


「お馬鹿さんですこと……そうですわ……そうですわね! もう、屋敷(ここ)にはごきげんよろしゅうですわ!」


 お嬢様は立ち上がり、天井を見上げ中指を立てた。


「おほほ、流石にはしたなかったですわね」


 そしてすぐに指を降ろし、鉄格子へ向かった。


 お嬢様は堂々と鉄格子を開いた。

 鍵が上手くかからないように、私が細工をしていたのだ。


 私が背中を押すと、お嬢様は一歩踏み出す。


 今こそ自由に飛び立つ時だ。

 お嬢様を(とら)えていた鳥籠には、私が代わりに中指を立てよう。

 『くたばれ!』と。




 お嬢様は牢屋を抜け、地下から脱出した。

 使用人の男たちの下卑た声がゲラゲラと聞こえた。高貴なお嬢様の耳には相応しくない声だ。

 だが、彼らはお嬢様が本当に抜け出すとは思っていない。今までは屋敷から出て行っても必ず戻ってきていたから、警戒などしようはずもなかった。


 お嬢様はこの建物の構造を熟知していた。

 よって正門ではなく、炊事場に向かう。そこにある換気用の小窓から外に出ていることは、まだバレていないのだ。


 息を殺し、身を屈め、暗闇の中を夜目を効かせて進む。

 大きな屋敷内にある汚れた炊事場に着き、お嬢様は換気用の小窓から外に出た。


 それからは早かった。


 お嬢様は日ごろ鍛えた(たくま)しい脚力を活かし、走る。

 暗闇の中、人ひとりいない寂れた村を抜け、森を駆け上がる。

 月光すら彼女には追いつけず、風を切る音だけが背後に向けて流れていた。




 息が上がるほど走り、お嬢様が入ったのは湿った洞窟だった。


「久々に本気の運動をした気がしますわ」


 お嬢様は満足そうに体を伸ばす。

 追手が来ることは分かっているのに、やはり堂々としている。


「長いこと屋敷でお勉強をさせられて、身体がなまっていますわね。この程度で疲れるとは、完璧な(パーフェクト)お嬢様として不甲斐(ふがい)ないですわ」


 お嬢様は地面に座り、洞窟の入口から外を見る。

 ちょうど雨が降り出し、ざあざあという音が他すべての音をかき消した。

 最高のタイミングだ。


「流石ですわ、セバス。ここまで読んでいまして?」


 お嬢様の賞賛に、私は少し得意げになってしまう。

 雲の動き、気温と湿度、そして鼓膜を通して感じた気圧の変化から今晩の天気は予想出来ていた。

 この暴雨がお嬢様の痕跡を消してくれると信じている。


 ただ、着替えも他の装備もない現状だ。雨の中、先へ進むということは悪手といえよう。

 ここは追手の恐怖に耐え、体力を温存させておくのが得策と考えるのが正しい。


 お嬢様は膝を抱え、体温を逃さぬように体を丸めながら目を閉じる。

 時折、洞窟の奥からコウモリが飛ぶ音が聞こえたが、気にせず休む。

 完全には眠るのではなく、ただ脳の機能を一部停止させるように、彼女は(まぶた)の裏を見つめていた。


 時間は進む。


 突然、お嬢様が目を見開いた。


「距離200、人数は5、到着まで残り……」


 そして無機質な声を発し、立ち上がった。


『あら、ごめんあそばせ』


 何事もなかったように切り替える。

 追手が来ていることを悟ったのか、彼女は次の一手に悩んでいた。


 お嬢様を導くのも、執事である私の役目。

 私に出来ることは、完璧な彼女の行動に少し勢いをつけてあげること。


 私の同意と同時に、お嬢様は洞窟の奥へと進んで行った。




 洞窟の奥はさらに暗く、視界は無いに等しかった。

 だが、お嬢様は靴音の反響を頼りに先へ先へと脚を進める。

 その動きは躊躇(ちゅうちょ)という単語とは反対で、まるで見えているかのように歩いていた。


 しばらく歩くと、小さな光源が見えた。天井の穴から一直線に伸びる光の線だ。

 この洞窟の大きさにも驚かされたが、我々を導くように差す月光には運命すら覚えてしまった。


 洞窟内深部にあった小さな部屋、(こけ)が所々に生え、湿って青臭い匂いが漂っているその空間。

 しっとりとした土に、緑色の葉に包まれた紫色の小さな花が見える。


 (かね)の形をしたその花は、毒々しく自己の存在を主張していた。


「マンドレイク……ですわ」


 お嬢様が目を輝かせて、まるで甘い蜜に誘われた虫の様に植物へ向かう。


 獲物を狙う目ではあるのだが、この場合、獲物とはどちらになるのだろうか。

 主君の暴走を止めるため、執事である私は冷静にマンドレイクの情報を並べる。


 ──マンドレイク

 引き抜いたときに叫び声を上げるとされ、その声をまともに聞いた人間は発狂して死ぬ。地中に埋まっている部分の先端が二又に分かれており、人間のように見える。錬金術、魔術、呪術に使われる貴重な材料であり、有名な採取方法としては、直接触れず、懐いた犬に繋いで引き抜かせるというものがある。その場合は犬の犠牲で比較的安全に手に入れられるが、一説によれば、採取者は事前に禁欲を行い、対象の植物に対して性的な言葉ではやしたてなければならないという。


「はしたないですこと」


 お嬢様はかつて読んだ文献を思い出したのか、立ち止まり、マンドレイクに対して冷たい目線を送った。


 そう、マンドレイクには”はしたない言い伝え”が多くある。

 例えば、二本目を採取するならば、踊りながら”愛の神秘”について語りながら行わねばならないだとか、暴れる根っこには女性の体液をかければ止まるだとか……つまり、いろいろだ。

 その結果、媚薬の材料として使われたり、精力剤として活用されたりしている。

 ただ、言い換えれば、マンドレイクは純粋な愛の植物。

 別名にアルラウネというものがあり、それで作られたお守りは持ち主に富と幸運をもたらすと伝えられていた。


 結局のところ、伝承や言い伝えの情報というものは、複雑に多角的に分岐していく。

 だから、お嬢様は自分の目で見て、耳で聞いて、口で食べて、肌で全てを感じたかった。


「本当に強欲ですの……」


 お嬢様は少し恥ずかしそうにしていた。

 完璧な体躯(たいく)に凛とした顔は土で汚れ、白色だったはずのワンピースは所々が破れている。

 それでも縦ロールに揺れる金髪だけは、ブレず乱れず輝く。


 私はお嬢様のやりたいことを応援するだけ。そのための存在だ。

 いつも通り何も言わず、美しい彼女の(かたわら)で背中を押す。


 お嬢様はゆっくりと歩を進め、マンドレイクの上に辿り着いた。


 そして、誰に止められることもなく、一思いに引き抜く。


 直後、『ピィー』だろうか、それとも『ギャー』だろうか、擬音では表せられない金切り音が鳴った。


 お嬢様は発狂しない。この結果は、確定していた。

 なぜなら、彼女は常に狂っているからだ。


「あら、執事の癖に主君に向かって失礼じゃなくて?」


 お嬢様は少し頬を膨らまし、引き抜かれた人間モドキの顔をじっと見つめ、その叫び声をしっかりと聞く。


 耳をつんざく音を存分に堪能した後、彼女は口を小さく開いた。


「ピャー!!!」


 可愛らしくも人を突き刺すような危険性をはらんだ声が、小さな空間に響き渡る。

 それはマンドレイクのを遥かに上回る音量で、壁から壁、地面から天井、ごつごつした岩肌を縦横無尽に駆け巡った。


 格の違う狂気に、マンドレイクは苦しみ悶え、そして動きを止めた。


 お嬢様の顔は最高に活き活きとしていた。

 私は感動のあまり、涙を流す。


 洞窟の入口から感じる複数の気配。

 笑いながら泣くお嬢様は、息絶えたマンドレイクを齧り、その苦みで表情を無理やりこわばらせた。

 今の顔が”完璧なお嬢様”に相応しくないことを理解していたからだ。


「くっそまっずいですわ」


 そう言いながらも吐き出すことはせず、しっかりと完食する。

 お嬢様が頂点、この世界の捕食者なのだ。




 屋敷の使用人は優秀だった。

 雨の中、お嬢様の痕跡を見つけ出し、素早く追跡した。


 お嬢様は抵抗することなく簡単に捕らえられ、屋敷へと連れ戻された。

 地下の牢屋に入れられ、少し前に後戻りだ。


 しかし、場所は同じなのだが、状況は違う。

 使用人の男たちが牢屋から離れようとしない。


「本当にイラつくガキだ。お仕置きが必要だな」


 一人の男がガチャガチャと自分の装備を外しながら言った。


「おい、やめておけ。団長に殺されるぞ。それに、傷物にしたら商品価値が落ちる」


 他の男が彼の肩を掴み、動きを止めた。


「さっさと売り飛ばせばいいものを、大人になるまで待つとか、俺には意味が分からん」

「団長は自分の過去と重ねたんだろうよ。あの戦闘狂(バーサーカー)に残った唯一の良心さ……」


 1人の男はまだ冷静さを保っているが、他の男どもは、やいのやいのと上司の文句を言い始めた。

 お嬢様の使用人にあるまじき醜態(しゅうたい)だ。本当に呆れてしまう。


「あなたたち、仕事に戻りなさい」


 そんな様子にいくら優しいお嬢様でも呆れたのか、主人としての威厳を持って彼らに命令をした。


 少しの間、沈黙が流れる。


「変更だ。少し痛い目を見てもらおう」


 唯一(ゆいつ)冷静だった男が、顔を赤くして怒りを露わにした。

 他の男たちはニヤニヤとしている。


「乗り気になったようだな。まあ気にすんな。最悪、俺たち全員で相手すれば団長だって敵じゃない。この際だ、あのムカつく団長(おんな)もやっちまうか?」


 男たちの下卑た声が不快にもお嬢様の耳に入る。

 本当に救いのない奴らだ。

 主従関係の崩壊は秩序の乱れ。力をもってして、あるべき姿に戻さねばならない。


 私はお嬢様にある提案をする。

 いわゆる”見せしめ”だ。


「哀れですこと……」


 近づいてくる男たちに、お嬢様は大きな溜め息をついた。


 ここは小さな牢屋。窓はなく、鉄格子が扉としての機能を果たしているだけ。

 地下ということも相まって、音の反響にはもってこいである。


 『すぅ~』と息を吸う音が聞こえた。


 主君に対する反逆は、死罪だ──


「ぶっ殺して差し上げますわ!」


 お嬢様の可憐かつ高貴な声が、小さな部屋の中に(とどろ)く。

 『ピャー』という、擬音では表せられない金切り音が彼女の宣言に続けて鳴った。


 バタバタと倒れていく人々。

 ある者は口から泡を吹きだし、またある者は自分の頭を殴り始める。

 全員が全員、苦悶の表情を浮かべながら発狂していた。


 しばらくして、部屋の中から音が消えた。


「セバス、これでよろしくて?」


 お嬢様は、ゴミを見る目で彼らを見ていた。

 私はお嬢様の質問に同意する。彼女の幸せが私の本懐だからだ。


「いつから屋敷(ここ)の使用人はこうも低俗になりましたの……」


 屋敷の主としての責任を感じているのか、彼女は小さく可愛らしい唇を動かし自問自答をする。


 ただし、これに関してはお嬢様がどうしようもないし、この男たちにも同情の余地はあると考えられる。

 なぜならば……


「そんなに褒めても、何も出ませんことよ! 私が美しすぎるなんて、そんな、そんな……当然ですわ!」


 完璧なお嬢様は左手を腰に当て、右手で『おっほっほ』と口元を隠しながら高笑いする。

 少し悪役みたいだが、これもこれでお嬢様だ。


 上機嫌な笑い声が響き渡る中、地下へと降りてくる誰かの気配を感じた。


 お嬢様は牢屋を出て、長い廊下でその対象を待ち構える。


「勝手に動いた結果、全滅かよ。使えねーな」


 薄暗い廊下の先から現れた女は、牢屋の中を確認する前に呟いた。


「新しい使用人を雇ってくださいませ。私が許可しますわ」

「ああ、そのつもりだ。精神攻撃に対する防御を(おこた)った雑魚共など、いくらでも替えが効く」


 女はお嬢様の教育係だ。褐色の肌は闇夜に紛れ、後頭部でまとめられた黒い長髪が揺れている。

 失礼な態度だが、彼女に関しては仕方がない。


 それにしても、女は魔法を使えたようだ。聴力を完全に消し、叫び声に対する対策を取っていた。

 会話が成立しているのも、お嬢様の口の動きを見て、内容を判断しているからだ。

 状況判断からの迅速な対処、賞賛に値する。


「流石は私の教育係ですこと。褒めて差しあげますわ」

「エリ……あのな、マンドレイクの叫び声を完全に真似るなんて、俺でも聞いたことねーぞ」


 女は呆れ混じりの声を出し、短剣を構える。

 そして、その短剣の剣先をペロっと舌を出し舐めた。


「くくく、傷物にはしたくなかったが……まあ、皮は最上級だ、死体でも価値はあるだろ」


 隠しきれていない殺意は、攻撃意志の証拠と受け取るしかない。

 そして彼女の右手にしか存在していなかったはずの短剣が、左手にも握られていたことから、ある情報が分かった。


 ”複製の魔法”だ。

 恐らく、右手に持った物を左手に写すことができるのだろう。


 私は分析した情報をお嬢様に伝え、危険を知らせる。


「羨ましいですわ。私は魔法を使えませんの。良い素質をお持ちになって……」


 しかし、彼女はただ、欲しかったおもちゃを眺める子供のような純粋な目で、女を見ていた。


「恨むなら、あんたを捨てた両親を恨みな。大人しくしてりゃ、どこかの変態貴族様の元で生きていけたのによ」

「リョウ、シン? それは食べられますの? セバスは知ってまして?」


 リョウ・シンなどという植物の名前は聞いたことがない。

 力になれず残念だが、これは罰を逃れるためについた女のデタラメという線もある。


 女は少し悲しそうな顔で『俺が終わらせてやるよ』と言い、短剣を投げた。


 私は人差し指と中指でそれを挟んだ。ちょうど眉間の位置だった。


『良い腕だ』


 思わず褒めてしまった。

 ほとんど動作の見えない短刀投げ。並の実力者では、女の手から短刀が消えたことに気づく前に絶命しているはずだ。


「ばかな! なぜそこまで動ける!?」

『私はセバス、お嬢様の執事をしている』


 複製されては飛んでくる短剣を最小限の動きで(かわ)し、私は一歩一歩前へと進む。


「くそがっ! セバスって誰だよ!? 動いているのはテメーだろ!」


 女が焦っている。支離滅裂な言葉がその証拠だ。


 戦闘中に冷静さを欠いてしまったのは、残念ながら減点対象になる。

 彼女の目と鼻の先で、私はやれやれと首を横に振った。


 女は恐怖の顔で後方に飛び退き、近接戦闘に切り替え、拳を構える。

 左拳を下げ、左肩を前に少し上げる。右拳は顎の右側まで上げ、急所をしっかりと守っていた。

 掴みと打撃、どちらにも対応した良い構えだが、武器を使わない理由はない。

 彼女は本当に焦っていたのか、複製元の短剣まで投げてしまったようだ。


 私は両手を顔の正面に置き、手は脱力のまま開く。

 攻撃を防御するのではなく、()らすことに重点を置いた構えだ。

 この初心者に、少し手ほどきをしてやろう。


 女が一歩踏み出した、素早い動きで左拳を突き出す。

 その速さは人間の反応速度を超えていたが、私は彼女の左足の動きから攻撃を予想していた。


 私は右手で弾くように女の拳を逸らす。

 追撃は来ない。様子見の一撃だったのだろう。


 だが、今の速さで分かった。

 やはり、この女の肉体は強い。魔法で強化しているのかもしれないが、それでも一般のそれを(はる)かに超えている。


 だからこそ、残念だ。

 お嬢様のような強靭な精神力をを持っていれば、とつい思ってしまう。


「思い出したぞ。セバスって、あのクソ小説の主人公かよ。くそが……思い込みと知識だけでそこまで強くなれたら苦労しねーぜ……」


 女は苦虫を嚙み潰したような表情をしていた。

 戦闘中によそ見、更に減点だ。


 私は左足を前に動かし、左拳に力を込める。


 女の動体視力が反応し、彼女は上体を後ろに反らした。


 女の意識がほんの一瞬上に向くのを確認し、私は重力に従い体を落とすように身を低く屈める。

 拳は見せかけだ。


 女は次の攻撃を察知したのか、左膝で蹴りを放とうとした。

 素晴らしく最適なカウンターだが、私の方が一枚上手だったようだ。


 地面を這うように移動した私は、女の軸足となっていた右足の首を掴み、そのまま押し倒した。

 横たわる女の上に、私が乗っかる形となる。


 彼女の抵抗が止んだ。

 よく見ると、涙を流していた。

 戦闘中に戦意喪失、落第だ。


 私が自分の仕事が終わったことを悟ると、お嬢様が嬉しそうな声を出した。


「とても美しかったですわ! 一瞬の攻防、くぅ~、手に汗握りましたわ!」


 特等席で観戦していたお嬢様は、まだ興奮冷め止まぬようだ。

 女の上に馬乗りになりながら、彼女の胸元を可愛く叩いている。


「そんな力がありながらぁ、なんで囚われていたんだよぉ。うぐっ、ひぐ、何度見逃しても戻って来やがってぇ……頭おかしいんじゃねぇかぁ……」


 嗚咽(おえつ)交じりの声が、地下に流れる。

 先ほどまでの強気な姿勢は、完全に消えていた。


「おっしゃる意味が分かりませんわ。ここは私の屋敷でしてよ。それにあなた、何年私の教育係をしていまして? セバスが執事になったのは、つい先日のことですわ」


 そう、私がお嬢様に拾われたのは、本当に先日のことだ。

 元傭兵で暴力しか知らなかった私に、彼女は別の道を授けてくれた。

 一応執事ではあるが、友人としても私を認めてくださるお嬢様を、私は心から尊敬している。

 だからこそ、私はあくまでも対等な立場として、彼女を支えたい。


「私は盗ぞ……」

「本当は私の力であなたに勝ちたかったのですけど、私もまだまだですわ……いえ、伸びしろですわ!」


 お嬢様の自立心は強く、普段は私を頼ってくれない。私が彼女の背中を押すことはあれど、代わることはない。

 だから、今回の件は本当にくやしそうだった。


 しかし、完璧なお嬢様は落ち込まない。更なる高みを目指し、先へ先へと進む。


「あはははは!」


 女が気が狂ったように笑いだした。

 見ていられない、可哀そうな光景だ。


「あら、私は叫び声をあげていませんわよ?」

「すごい、本当にすごいな! 思い込みの力ってものは! あのクズ共が恐れるわけだ! てか今考えたら、なんで素で縦ロールなんだよ! くせっ毛のレベルじゃねーぞ! なにもかもが滅茶苦茶だな! あはははは!」


 女は勝手にひとしきり笑い狂った後、糸が切れたように意識を失った。

 彼女にも反逆の罪があるのだが、お嬢様の教育係として、同性の理解者として、他の使用人の下種な心を封じてくれていたことを評価しよう。

 再犯の可能性はないようだし、お嬢様なき屋敷を任せるためにも、今は放置だ。


 お嬢様も切り替えが済んだようで、立ち上がる。


「セバス、行きますわよ!」


 そして、胸を張って歩き出す。


「マンドレイクにも感謝ですわ!」


 今回はマンドレイクもそうだが、物真似が大の得意だったお嬢様の手柄だ。


『どちらへ向かわれますか?』


 私は執事らしく、丁寧な口調で質問した。


「お花摘み、ですわ!」


 お嬢様はとびっきりの笑顔を見せ、外の世界へと飛び出した──




 それから日時が経ち、お嬢様の目の前、受付台には一冊の本が開かれていた。


 ……運命を司る”世界樹”。かつて存在した神々の(たわむ)れなのか、この世界は不思議で溢れていた。人々は峠を、山を、川を、海を越え、どこかに存在する”置き土産”を求めた。拡散する欲求は国境さえ越え、同じ目的を持った者たちは引かれ合った。この幻想的(ファンタジー)な世界で神々の痕跡(ロマン)を探す彼らを、何人(なんぴと)も止めることはできない。夢を追う意志はどこまでも平等で、美しいほどに強靭(きょうじん)なのだ。──探索者組合創立史


「素晴らしいですわ!」


 お嬢様の拍手が建物内に響く。


「ははは、それは良かったです……」


 受付に座っていた女性が、引きつらせた笑顔で接客をする。

 ここは探索者組合、ハンターと呼ばれる探索者を管理する組合だ。


 屋敷を抜け出して、お嬢様は『龍、カッコイイですわ!』と言った。

 彼女の鞄には、龍の装飾が施された銀色に輝く剣が付けられていた。小さな剣で、切れ味などあるはずもない。

 どこかの土産屋にでも売ってそうなそれを眺める瞳は、尊く純粋に輝いていた。

 本物の龍を探すのはほぼ不可能だが、その血が流れるというドラゴンブラッドツリーであれば、何とかなるかもしれない。

 そこで、情報もなしに探し回るのは非効率だとして、私は街にある組合での情報収集を提案した。

 今この場に居る訳は、こんなところだろう。


「あの、どういったご用件でしょうか?」


 受付嬢は戸惑いながらも、しっかりと仕事をこなそうとしていた。


「あら、ごめんあそばせ。本を見るとつい読んでしまいますの」


 お嬢様はしっかりとお辞儀をして、謝った。

 知識欲の塊なのだ、許してあげてほしい。


「その本をちゃんと読んだ人、初めて見ましたよ。規則に従って置いてあるだけなので……」

「歴史を知ることは大切ですわ」

「はあ……あの、もしかしてですが、組合に登録しようとしてます?」


 登録までは考えていなかったが、今後のためには必要かもしれない。

 というより、組合員にならなければ、情報を公開してもらえないのだ。

 お嬢様もそこに関しては諦めたようで、堂々と胸を張って頷いている。


「あの、やめた方がいいですよ……」

「私のどこに問題がありまして?」

「いや、あの……」


 受付嬢がお嬢様の後ろ、組合内に視線を向けた。

 そこには、筋肉隆々の大男に高価そうな杖を持った魔法使い、傷だらけの装備が目立つ剣士など、歴戦の猛者たちが居た。

 汚れ一つない真っ白なドレスを身に着けたお嬢様では、完全に場違いだ。


「服装に関してはご容赦くださいませ。屋敷にはこれしか置いてありませんでしたの」

「屋敷ってやっぱり……あの、ご両親はこのことを知っているのですか?」

「リョウ、シン? それは食べられますの?」


 確かにハンターは危険な職業だ。

 受付嬢が心配する気持ちも分かるが、私がついている以上安心して欲しい。

 

「絶対に場違いですよ……まあいいか、どうせ試験で落ちるし……ごほん、では、こちらに必要事項をお書きください」


 受付嬢は咳ばらいをして、笑顔を顔に張り付けた。


 お嬢様は差し出された一枚の紙に、綺麗な筆で情報を書き連ねていく。


「私はドラゴンブラッドツリーの情報をいただきたいだけ、なのですけれど……」

「ご協力感謝します。そもそも、組合員”には”情報も含め平等というだけで、ここは一般に開かれた組織ではないのです」

「世知辛いですわ」


 幻想植物と呼ばれている貴重な植物の情報は、探索者組合が独占している。

 当初の理念がどうだったのかは分からないが、夢を追う意思に対しては、ここに入ってからやっと平等になるみたいだ。

 それでも、組合は国をまたいで運営されており、組合員のハンターは国境のしがらみを超えて活動できる。

 だからこそ、所属には厳しい条件があるみたいだ。


 お嬢様は自由に対する不自由さを感じながらも、全ての情報を書き終え、受付嬢に渡した。


「はい、エリナさんですね。エリナ、何さんですか? 家族姓が書かれていませんが……」

「エリナですわ!」

「いえ、ですから、エリナ・アルベールとか、あ、エリナ・フォンティーヌとかも似合いそうですね」

「エリナ、ですわ!」

「ええ……もういいや、エリナ・エリナと」


 受付嬢は納得していないようだったが、確認の作業を続けた。

 しかし、それもすぐに止まる。


「あの、住んでいる所ですが、この”リミー村”は、あの……」

「一番大きな建物が、私の屋敷ですわ!」

「そうではなくて、ここは、すでに滅んだ村で、それに危険な魔の森に接していますし……」


 この世界は、人々が住む比較的安全な人間界と、未知の法則と危険が蔓延(はびこ)る幻想界に分かれている。

 そして、お嬢様の屋敷があった場所は、その境という訳だ。

 好奇心旺盛なお嬢様にとっては最高の環境、だからこそ、屋敷はそこに建てられた。


「何をおっしゃいまして? 私の元教育係が屋敷の管理をしていますわ」

「はあ、そうですか……規則だと調べる必要が、うーん、まあそこまでやる給料もらってないしいいや……問題ない、です」

「これで私も組合員ですわ。それで、ドラゴンブラッドツリーの場所はどこですの?」

「えーっと……今日の空きは……」


 あまりお嬢様を待たせないで欲しいのだが、受付嬢はまだ書類を確認している。


「それ、僕がやるよ」


 お嬢様の隣に立っていたのは小さな子供。中性的な見た目でも、微かな胸の膨らみから辛うじて少女だと分かる。

 しかし、気配がほとんど感じなかった。組合の中がざわめいていることからも、彼女が実力者だということに間違いはないだろう。


「アンスさん!? いらっしゃたのですか!?」

「誰ですの?」


 受付嬢には、彼女の存在が予想外だったようだ。

 キョトンとしているお嬢様をよそに、興奮気味に声を出していた。


抗老狂(アンチエイジング)のアンスですよ! 知らないんですか!?」

「その呼び方、馬鹿にしてるようにしか聞こえないんだけど……僕は用事のついでにここに寄っただけだよ。それで、試験だよね? 僕がこの娘を見てあげるから、まずは”龍”の情報をちょうだい」

「ドラゴンですの!?」


 会話の中に出てきた”龍”という単語に、お嬢様は目を輝かせ、アンスという少女に詰め寄る。


「びっくりした……」

「私もドラゴンを見たいですわ! 連れて行ってくださいまし!」


 銀色に輝く竜のキーホルダーが、アンスの顔面に突き出された。


「うわ、大人でそれ付けてる人、初めて見たよ」

「アンスちゃんも、ドラゴンが好きですの!?」

「ちゃんって、僕はこう見えても君より年上なんだよ」


 アンスは受付台に置かれていた本をとり、最終ページを開く。

 そこには著者として『アンス・フゥルッス』と小さく書かれていた。


「素晴らしいですわ! アンスちゃんの年齢でこんなに難しい本を書くなんて、天才児ですわ!」

「え、そうなる? いや、僕はこの組合の創立から……」

「世の中には、まだまだ私の知らない強者がいますのね! 燃えてきましたわ~!」


 お嬢様は興奮冷めやらぬのか、人目もはばからず右拳を天に突き上げる。

 そして、左わきにアンスを抱え、駆けだした。


 唖然としている受付嬢、彼女がアンスに渡そうとしていた紙は、しっかりと奪われていた。




 お嬢様は組合を飛び出し、駆ける。それは全て、童心に帰るため。

 ドラゴンが嫌いな子など、いないのだ。


 街からも離れ、紙に書かれていた場所を目指す。

 ここからは全力で走って、丸一日といったところだろうか。

 アンスは不思議と抵抗せず、右手を顎に当て考え込んでいた。


 お嬢様が草原にまで辿り着いた時、決意の籠った声がする。


「うん、決めた」

「なんですの?」

「今日から君は、僕の弟子だ。ハンターについての全てを教えよう」


 何とも素晴らしい提案だ。

 お嬢様の先代教育係は、力不足によって使用人へ格下げされていた。

 アンス程の天才になら、お嬢様が学べるものも多いはずだ。


「セバス、流石に年齢が低すぎますわ」


 お嬢様は納得がいかないようだが、執事である私の強い推薦がある。

 ここはひとつ、諦めて貰おう。


「セバス、か……いいね、最高だ」


 アンスは周りを見渡した後、口角を上げた。


 お嬢様は森に入る手前で立ち止まった。

 組合の建物があった街からは少し離れた場所だ。


 組合は幻想界に入るための前線基地としての役割もあるため、基本的には人間界の端に建物を構えている。

 よって、今お嬢様が居る”竜泉の入口”と呼ばれる地点へは比較的苦労もなく辿り着けた。

 問題は、ここからなのだが……


「うん、体力に関しては問題ないね。地図の読み方も完璧だし、流石はお嬢様だ」

完璧な(パーフェクト)、お嬢様ですわ!」


 ずっと抱えていたアンスを放し、お嬢様は腰に両手を当てて胸を張る。


「まあ、合格はすでに決まってるけど、これも規則なんでね」


 アンスは両手を上げ、身体を伸ばしながら欠伸(あくび)をした。


 道中、彼女は”試験”というものについて説明をしていた。

 探索者組合の一員になるためには、組合から認められた一部の試験官、つまりはベテランのハンターの監督の元、幻想植物の採取を成功させなければならない。

 それは最終段階の試験で、本来ならば、基礎体力を含めた探索のための前提技能が、組合の職員によって事前に確認される。アンス曰く、大半の志願者はそこで落ちるらしい。


 そして、今回はアンスの権限を使い、全て彼女が担当するという。

 若くして大人の社会で盤石(ばんじゃく)な地位を築いている、末恐ろしい子だ。


「ドラゴンブラッドツリーの樹液の採取、それが目標だけど、大丈夫かい?」

「ドラゴン、ですわ!」

「いや、まあ、植物なのかな、一応は」

「ドラゴンですわ~!」


 お嬢様は夢見心地に体を揺らす。

 脳内では、龍の背に乗る騎士としての自分が浮かんでいた。


「ふふ、君なら本当になれそうだね、伝説の龍騎士に……さあ、行くよ」


 アンスは笑い、森の中に入っていく。

 お嬢様は期待に胸を躍らせて、彼女の後に続いた。




 先程までいた草原とは打って変わって、森の中には怪鳥の鳴き声が響き、不気味さが漂っていた。

 幻想界の木々は高く太く、侵入者を拒むように視界を塞ぐ。

 時刻は昼過ぎだというのに、辺りは薄暗く、方向感覚などとうに意味をなさない。


「どうやって奥へ進んでいるのか、聞いてもいいかい?」


 お嬢様の背後から、アンスが声をかける。


「樹皮の形ですわ。ここの樹木は、樹皮の形が龍の鱗に似ていますの」


 ここはまだ”入口”なのだろうが、樹木には龍の気を感じる。まるで、奥にある何かを守っているかのように。


「人間界を向いている側の樹皮、ほら、密度が違うと思いませんこと?」


 お嬢様は一本の木の前に立ち止まり、優しくその表面を撫でた。


「まさか!? これがドラゴンブラッドツリーですの!?」


 そして、何かに気がついたように目を見開く。


「違うよ、それはただの樹木さ」


 アンスがはっきりと否定し、お嬢様は『し、知って、存じ上げておりましたわ! おほほ』と高笑いで誤魔化(ごまか)した。


「でも、エリナの考えは正しいよ。ここの木々、その表面は方向によって少しだけ密度が違うんだ。でも、さっきまで触れていなかったのに、よく気がついたね」

「龍が私を呼んでいるのですわ!」


 お嬢様は、さあ急げと歩みを再開する。

 両腕を大きく振り、大股で歩く。

 旅のお供である大きな袋を背負う彼女の周りには、ルンルンという擬態語が浮かんでいた。


 アンスがそんな彼女の隣に立ち、後ろで手を組みながら歩く。

 そのまま、弟子に教えを与える師匠の立場で話し始めた。


「幻想界ではね、勘が大切なんだ。勘が当たれば生き残り、外れれば死ぬ。それがここの掟だね」

「そうですの?」

「僕が言うからには間違いないよ。それで、深部まで潜って生き返った者たちには、全員”別の世界”が見えているらしいね。肉体が認識できる”事実”だけを見ていたら、この幻想的(ファンタジー)な世界ではやっていけないというわけさ」


 アンスはそう言いながら、ポケットから一本の小瓶を取り出した。

 彼女は短パンに半袖シャツという元気っ子の見た目だ。

 小さなポケットにどうやって物を入れているのか、非常に興味深いが、お嬢様の関心は”龍”にしかいっていない。


「ちょいと失礼」


 アンスの言葉と共に黒色の瓶、その蓋が開けられた瞬間、私は飛び退いた。


『血か、どういうつもりだ?』


 厳重に密閉され、魔法による処理まで施されていた瓶の中からは、(わず)かな鉄の匂い。

 それは、新鮮な血の匂いだ。

 出過ぎた真似かもしれないが、執事として主の安全は確保しなければならない。


「君がセバスだね。気にしないで、これは定期的な栄養補給だから」


 アンスはぐびぐびと美味しそうに綺麗な赤色の液体を飲み干す。


『誰の血だ?』

「そんなに怖い顔をしないでくれよ。若々しさを保つために、元弟子が協力してくれているんだ」


 アンスからは敵意の欠片も感じない。

 それに瓶に入っていた血にも、ストレスの痕跡を感じなかった。

 言っていることは本当だろう。


「あら、ごめんあそばせ。うちのセバスは心配性ですの」


 お嬢様は丁寧にお辞儀をした。


「うんうん、いい執事を持ったね。羨ましいよ」

「分かってくれますの!? セバスは元傭兵で、それはもう強かったのですわ……」


 私は少し、恥ずかしさを覚えてしまった。

 お嬢様と出会い、変われた私は、かつての自分を黒歴史としか思えないのだ。


 執事の恥部が主によって、鮮明に語られる。

 最強の主人公が送る痛快バトルのごときその語りは、止まることのできない濁流のようにお嬢様の口から放出された。


「……ですわね。セバスは全ての感覚が人類の最高点にまで達していて……」

「そろそろやめてあげよう。セバスの顔も赤くなっているからね」

「そ、そうですわ。私ったら、つい……」


 アンスの助け舟もあって、ついには設定集と化していたお嬢様の語りが終わった。


 会話は時間の進みを早めてくれる。

 ずっと歩いていたお嬢様とアンスは、いつの間にか暗闇の中にいた。

 まだ日は落ち切っていないはずだが、この森の中では光の活動時間が短いらしい。


「今日はここで休もう。走って歩いて、エリナも疲れたよね?」

「私は大丈夫でしてよ?」


 お嬢様は両腕で力こぶを作り、健在さを表現する。


「いや、正直言うと僕が疲れたんだ。老体を(いた)わるとでも思って、今日は休もう」


 アンスは地面に座り、またもやポケットから何かを出した。

 それは、銀色の小さな龍だった。


「ドラゴンですわ!」


 もちろんお嬢様は、身を乗り出して目を輝かせる。


「違うよ、これはただの像さ。昔、友人に貰ったんだ。エリナ、使えそうな枝を集めてくれないかい?」


 アンスはお願いをして、野営の準備を始めた。

 彼女の短パン、そのポケットからは、大きな鍋を含めた様々な道具が取り出されていた。


 お嬢様は周りに落ちていた枝を拾い、一か所に集める。

 小さな焚火の元ができ、立派な拠点の完成だ。


 最後に、アンスが龍の像を枝の山に向けた。

 すると龍の口から小さな炎が吐き出され、暗闇に立派な光源ができる。


「ドラゴンブレスですわ……」


 お嬢様はその光景に感動していた。

 

「これには龍の力がこもっていてね。危険な生物はこの炎を嫌うんだ」


 そんな彼女に優しい顔を向けながらも、アンスは手際よく料理をしていた。

 食材を切り、焚火に置かれていた鍋に入れる。頻繫(ひんぱん)に味見をしながら、ポケットから出した調味料を加える。

 そのあまりにも様になっている姿は、祖母の存在を思い出させた。


「うん、良い感じだ」


 出来上がったスープの味に満足したのか、アンスは頷く。


「素晴らしい匂いですわ……」


 お嬢様はアンスから受け取ったお椀から立つ湯気に、恍惚とした顔をした。


「冷めないうちに食べて。おかわりはたくさんあるから」

「お言葉に甘えさせていただきますわ」


 華奢(きゃしゃ)な両手が合わせられ、ピンク色の唇がお椀の端に当たる。

 直後、お嬢様は目を見開いた。


「くっそうっめぇですわ~!」


 立ち上がり、感情を露わにするお嬢様。


「少し言葉が汚いかな。でも、僕はそっちの方が好きだよ」


 そんな彼女に対して、アンスは頬に手を当てながら優しく落ち着いた声をかける。


「アンスちゃん、私の料理人になってくださいまし!」


 怪鳥の声はいつの間にか消え、獣の(うな)り声が聞こえる森の中。

 それでもふたりは、襲われることなどない。


 それは龍の炎の力なのか、いや、違うだろう。




「満足ですわ~」


 食事も終わり、お嬢様はお腹を叩きながら横になる。


「作った僕も嬉しくなる食べっぷりだったね」


 アンスは調理道具を片付けながら器用に小瓶持ち、血を飲んでいた。

 

「屋敷で出される料理はダメダメでしたの。久しぶりに”美味しい”を感じましたわ」


 お嬢様は横になり、消化に(いそ)しんいる。

 その光景に執事の私は、教育上どうなのか、とつい思ってしまう。


 お嬢様は手伝おうとした。

 しかし、アンスは『若人は食べることが仕事さ』と言うだけだった。

 今の教育係はアンスだ。彼女の方針に従うのが、最善だろう。


「食べてすぐに寝ると、消化に悪いからね。少し、お話をしよう」


 片付けが終わったアンスが、お嬢様の向かい側に座る。少し真面目な声音だ。


「この世界については、どれだけ知っているかい?」

「どの世界のことでして?」

「ああ、そうだね。この場合は幻想界のことだよ。人間界は、うん、どうでもいいみたいだね。それには同意するよ」


 アンスはお嬢様の瞳を見て、言葉を続けていく。

 彼女には、全てがみえているようだった。


「幻想界は面白くてね。地域によって環境が全くといっていいほど違うんだよ。法則すら違うんだ。エリナは空に浮く島を見たことがあるかい?」

「まだ、ですわ」

「そうだよね……」


 それからアンスは、幻想界の不思議について語り始めた。


 ある所に、一本の豆の木がありました。

 それは天高くまで伸びていて、雲を突き抜けていました。

 みすぼらしい姿をした一人の少女が、幹を抱き、(つた)を掴み、葉を避けながら、空を目指しました。

 時には雨が降り、時には風が吹き、やっとのことで天上の国に辿り着きました。

 そこには、彼女の倍の大きさはある、巨人たちが住んでいました……


 語りは優しく、絵本を読み聞かせる母親を想像させる。


 お嬢様は真剣な表情で、静かに聞いていた。

 それでも、大きな瞳の輝きが、彼女の興奮を表していた。


「……別れ際、少女は心優しい巨人たちに、一着の洋服を貰いました。それには、大きさを自在に調整できる働きがありました。少女はそれを使い、まだ見ぬ世界へ飛び出したのでした……終わり」


 アンスが話し終え、腕を上げ、身体を伸ばした。


 少しの間、沈黙が流れた。

 それは、周りに居るはずの獣たちでさえ無言を貫かざるを得ない圧が、一人から発せられていたからだ。


「感動、ですわ……」


 パチパチと音が鳴る。

 お嬢様の頬を、水滴が伝っていた。


「あれ、信じるんだ。まあ、信じるよね。これを信じられないと、僕の弟子にはなれないからね」


 アンスは少し嬉しそうに微笑む。


「あたりまえですわ! アンスちゃんに、そんな辛い過去があったなんて、なんて……もう大丈夫ですわ!」

「え、そうなる?」


 いつの間にか、お嬢様はアンスに抱き着き、彼女の頭を撫でていた。


「これからは、私がアンスちゃんを育てますわ! 私がお母様ですわ!」


 お嬢様は泣きながら宣言する。

 彼女の年で子持ちになるのは、すこし早い気がするが、それも成長だ。


「そうだねエリナ、君は最高だ」


 アンスは抵抗することなく、お嬢様の背中に腕を回す。


 母と子が、愛情を確かめ合う神聖な光景だ。


 そのあまりにも尊い姿に、森の獣も両手を組み、祈りを捧げているだろう。




 興奮も収まり、落ち着いたふたりは会話を再開させる。


「まあ、幻想界については必要以上に語らないさ。初めて見た時の感動を、エリナにも味わってほしいからね。次は僕たちについてかな」


 世界の説明はある程度で切り上げられ、続いてハンターについての話題に移る。


「知ってると思うけど、組合に所属しているハンターは平等さ。集められた情報はすべて受け取る権利がある。それにね、基本的には、組合員同士の戦闘は禁止されているんだ」


 アンスが『基本的には』と言った理由には心当たりがある。

 資料で見た寄生型の植物の存在だ。

 自意識を失った組合員に対しては、戦闘も致し方ない。


「ただ、もちろん組合に所属しないハンターもいる。中には他のハンターの採取物を横取りしようとする奴らもいるから、気をつけてね」


 それについては、お嬢様は理解している。一番くだらない種、それが人間だからだ。

 それでも、相手が”人”であれば、元傭兵の私が対処すればいいだけで、結局のところ問題はない。


「少し気になっていたのですけど、アンスちゃんが呼ばれていた、あんちえいじんぐ、というのは何ですの?」

「あー、それね。人々が勝手につけるんだ。古代言語だとかなんだとか、特定の分野において最高に狂っているやつらのことを言うらしいね」


 アンスはその二つ名が気に入らないようで、少し頬を膨らませた。


「他にもいますの?」

「いるよ。エリナはいつか会うと思うよ」


 今後戦うことになるかもしれない強者たちだ、関心は(おの)ずと生まれてしまう。


「一番強いのは、誰ですの?」


 お嬢様は、そんな私の気持ちを()んでくれたのか、アンスに聞いてくれた。

 ただし、質問が直球すぎる……


「いい質問だね。対人戦闘でなら戦闘狂(バーサーカー)だけど、彼女は引退したんだっけ、まあいいや。それで、総合的な強さで言えば攻略狂(ゲーマー)かな。彼は組合員だから安心していいよ」


 一番強い相手が組合員(こちら)側なのは助かった。

 間違ってもお嬢様の敵にならないことを祈ろう。


「あとは機械狂(メカニック)、野良のハンターだよ。こいつに関しては気をつけてね。危険というより、生物に対する興味が皆無なんだ。もちろん、人間に対してもね。まあ、ハンターの強さ基準は曖昧さ。笑顔で死地へ向かう奴らだ、全員まともじゃないよ」


 聞いたことのない二つ名が、次々と出てくる。

 お嬢様は外の世界に飛び立ったばかりだ。社交界では出会わないような”感じ”を持つ者たちに、これから対処できるだろうか。

 執事の私がしっかりと支えよう。


「アンスちゃんは強いですの?」


 お嬢様は純粋な疑問を投げかけた。

 確かにアンスも、二つ名を付けられている。


「残念だけど、僕は弱いよ。特技は生き残る事だからね。さあ寝よう。夜更かしすると、肌が荒れるよ」


 アンスはポケットから白色の湿った紙を出し、自分の顔に張り付けていた。

 先程からも、話しながら体中に謎の液体を塗ったり、変な姿勢で体を伸ばしたりしていた。

 何の効果があるのかは分からないが、彼女なりの習慣(ルーティン)というやつだろう。


 もちろんお嬢様にも、寝る前の習慣がある。


 森の中に、美しい歌声が響き始めた。繰り返されているのは、一つの言葉。

 『ですわ~、ですわ~』と、完璧な旋律(メロディー)(つむ)がれる。


 即席の独唱会は、短く濃い時間を生んだ。

 お嬢様は丁寧なお辞儀をして、幕引きとなる。


「なにそれ?」


 地面に敷かれた布団の上で、アンスが欠伸をしながら聞いた。


「ですわの歌、ですわ。私の精神を落ち着けてくださるの。では、ごきげんよろしゅう」


 視界が闇に染まる。

 お嬢様がふかふかの布団で寝るのも、久しぶりのことだ。




 熟睡の後、怪鳥の鳴き声で目を覚ます。

 お嬢様は飛び起き、辺りを見渡した。両手が軽く開かれた、完璧な脱力と共にだ。


「おはよう。朝ごはんは食べるよね」


 先に起きたアンスが、食事の準備をしていた。


「もちろんですわ!」


 お嬢様は笑顔で頷く。

 食って寝て、また食う。これほどまでに幸せな生活はあるだろうか。


 幻想界の中とは思えないほど普通な、朝のひと時が終わった。

 ハンターというのも、意外と悪くないかもしれない。

 お嬢様の身を常に案じている私は、少し、ほんの少しだけ安心した。


 探索の旅は再開され、森を進む。本当に何も無い、順調すぎる旅路だ。


 道中、お嬢様が急に止まる。

 高い木々に囲まれた、少し開けた場所だ。


「ここですわね」


 お嬢様は靴先で地面の土を叩いている。

 じっくりと感触を確かめ、違和感を確信した。


「正解」


 アンスが満足そうに頷いた瞬間、お嬢様が……落ちた。


 気がつけば、空の上。

 先ほどまで薄暗い地面に立っていたはずだ。

 しかし、今は青々と明るい視界が、脳に情報として伝えられている。


「自由落下ですわ~」


 お嬢様は楽しそうに両手を広げた。

 彼女の視線の先、そこには”森”があった。


 流石は幻想界、始まりから期待を裏切らない。



 お嬢様は体を器用に(ひね)らせ、空中で仰向けになる。

 空の上にも森があった。先ほどまで足をつけていた森だ。

 樹木のてっぺんはこちらを向いていて、地に落ちたのではなく、空に落ちたのだと理解させられた。


 つまり、森と森に挟まれた空、そこにお嬢様はいるのだ。


「このままだと死んじゃうよね。今回は僕が手伝うよ。そもそも、ドラゴンブラッドツリー程度なら(さっき)の森で見つけられたからね。でも、それだと満足しないでしょ?」


 アンスがお嬢様の背中に抱き着いた。

 薄い袋越しに身体が密着する。


「もちのろんですわ!」


 お嬢様は元気に返事をして、アンスに身を(ゆだ)ねた。


 最悪の場合、出来るだけ柔らかい場所、木々の枝が緩衝材になる落下地点を選び、接地(せっち)の瞬間に全身に衝撃を分散させれば、生き残ることはできる。

 しかしその場合、高確率でお嬢様の一張羅(いっちょうら)の服が破けてしまう。

 魔法か何かで安全に降り立つことができるのなら、それに越したことはない。


 ぐびぐびという何かを飲み干す音が聞こえると、お嬢様とアンスの位置が変わり、急速に近づく森が見えた。

 そして、今度は体が上に引っ張られた。


 バサバサと羽ばたく音と共に、風が吹く。

 お嬢様は小刻みに上下し、空中に停まっていた。


「ドラゴン、ですわ……」


 お嬢様が振り向くと、漆黒の翼を持つ少女がいた。

 翼は小さいが、可愛らしく懸命に動いている。


 先程アンスがが飲んでいた液体は、血だ。

 だが、いつも彼女が摂取しているものでなはい。匂いが違っていた。


 アンスは目的地が決まっているかのように飛び続ける。

 『まあ、訳ありでね』と翼については語らず、この地についての説明を始めた。


「そういえば、僕の目的を言っていなかったね。僕は定期的に、ここ竜泉に来ているんだ。竜泉というのは、人々が勝手に付けた名前だよ。ドラゴンブラッドツリーの群生地、竜の血が湧く泉という意味らしいね」


 お嬢様の視界が、急に発生した霧に包まれた。

 それでも、アンスは迷うことなく先へ進み続ける。


「話がそれたね。僕の目的は古い友人に会うことだよ。まあ、里帰り、かな」


 再び視界が開けると、そこには一つの街があった。

 上空からは見えなかったはずだが、森を切り開くように確かにあった。

 レンガ造りの家々が建ち並ぶ、古い様式の街並みだ。その中心には、水のない噴水広場がある。


 アンスは広場に向かい、お嬢様を噴水の前に降ろした。

 薄気味悪い街だ。

 およそ”生”という単語など、この場には存在しないのだろう。


「昼間は皆、寝ているんだ。だから、つまらないと思うよ」

「あら、昼夜逆転ですこと」


 明るい日の差す街の中、お嬢様はアンスの後に続いて歩く。

 街の中心から放射線状に伸びる道は、左右を建物に挟まれながら、ずっと先へと続いている。


 大きな家、小さな家、豪華な作りの家、質素な作りの家、教会のような場所にお城のような建物、そのすぐ近くにボロボロの家……

 不自然なほどの密度がこの街を作り物だと思わせた。

 まるで童話の中にでてくる街並みだ。物語の必要条件を満たすための、舞台といってもいい。


 アンスが一つの家の前で立ち止まった。

 (つた)と葉に覆われた、家というより、小屋だった。


「汚いけど、勘弁してね」


 少し恥ずかしそうに微笑む少女。

 そんな彼女にお嬢様は『慣れていますわ!』と胸を張る。


 小屋の中は、(わら)があった。

 いや、藁しかなかったというのが正しいだろう。

 木造の小屋の中には、敷き詰められた藁と、その上に置かれている藁の(かご)があるだけだ。


「ただいま」


 アンスは、籠に向かって声をかける。

 もちろん返事はない。

 なぜならば、そこには小動物の形をした骨が入っているだけだからだ。


「香ばしいですわ~」


 お嬢様は藁の山に飛び込み、思いっきり深呼吸をする。


「匂いは良いよね。本当に落ち着くよ。でも、見た目以上にチクチクするんだ。今はそれすらも懐かしいけどね」


 アンスは彼女の隣に座り、天井を見上げる。

 そのまま、今後の予定についての説明を始めた。


「ここ竜泉と呼ばれる地域はね、位置が定期的に変わるんだ。竜泉の入口って呼ばれる森があったでしょ? 同じ名前の森は複数あってね。どれが”今の”入口かは分からないんだ。だから、組合に行って、最新の情報を貰っているというわけ。優秀な組合員のおかげで、本当に手間が省けるよ。前までは運に頼っていたから、それはもう、大変だったんだ……ってそれどころではないようだね」


 アンスは説明を切り上げ、お嬢様を見る。


「龍が、私を、呼んでますの……」


 お嬢様は直立して、遠い目をしていた。

 直感が彼女を支配する。


「行こうか、龍の住処へ」


 アンスはポケットから小瓶を取り出し、一気に飲み干す。

 そして漆黒の翼を背に、お嬢様に手を差し伸べた。




 空の旅は再開され、しばらく風を切った後、森の中へと降り立った。

 空から見れば、どこも同じ木々の集団だったが、いざ地面に降り立つと、隠されていた洞窟が見えた。

 地面の下に続く洞窟だ。森の風景に溶け込んでいるそれは、大きく口を開けていた。


「ドラゴン、ですわ……」


 お嬢様は確信して、アンスを置いて先へと進む。


 水滴が落ちる音が反響する洞窟内で、暗闇は彼女を止められない。

 最後には駆け足となり、大きな空間へと飛び出した。


「ちょっと待って、明るくするから」


 しっかりとついて来ていたアンスが、なにか作業をした。

 すぐに、空間内を優しい光が包んだ。


 岩肌に刺された松明、数十本はあろうかというそれらすべてに、炎が灯っている。


「龍、ですわ……」


 お嬢様は、背負っていた袋を降ろす。

 ほとんど何も入ってないそれには、剣に巻き付く龍のキーホルダーが付けられている。


 お嬢様はドラゴンが大好きだ。

 そして、鳥のように大きな翼を持った竜より、蛇のように細長い龍が好きだった。


 空間の中心に眠っているのは、細長い骨格。

 長く立派な角に小さな手足が、その骨の集合体を龍たらしめていた。


「久しぶりだね。起こしちゃってごめん」


 アンスが骨に話しかける。

 彼女はゆっくり近づきながら、時折頷きながら、一人言葉を(つむ)いでいく。

 内容は世間話で、どこまでも普通だった。


 お嬢様は邪魔をしない。

 龍と対話する少女に、ただ憧れの瞳を送っていた。


「……れで、少し助けて欲しいんだ。うん、そうだよ。いやいや、殺さないでよ。彼女は僕の弟子なんだ」


 操られるように動き始める龍。

 よしよしと龍の頭を撫でたアンスが、お嬢様に向かって言う。


「エリナ、血を貰うよ。穏便に済ましたかったのだけど、君の執事は許さないだろうからね。少し強引にいかせてもらうよ」


 お嬢様は急展開に動じない。

 この流れに対しても、彼女は楽しんで笑顔を見せる。


「ドラゴン・スレイヤー、ですわ!」


 剣を抜く動作をして、その剣先を龍へと向けるお嬢様。

 その姿は正しく英雄で、物語の挿絵に描かれていそうだった。



 お嬢様は剣を振った。

 もちろん何も起きない。実際には剣など握っていないからだ。


「仕方がありませんわね……セバスから学んだ徒手格闘術の出番ですわ!」


 そう言ったお嬢様は両拳を握り、龍とアンスに向かって駆け出した。

 今回は私の出番はないようだ。強い意志が彼女を動かしている。


 お嬢様の動きを見ていたアンスが、龍に命令を出す。

 骨組みだけの龍は、それに頷くように頭部を動かし、口を大きく開けた。


 次の瞬間、魔法で生み出されたであろう火柱が、一直線にお嬢様を襲った。


 しかしお嬢様は、予備動作をしっかりと把握いていて、身体を重力に従って落ちるように地面へと這わせる。

 完璧な重心移動が攻撃を避け、前へ倒れる直前に右足で地面を踏み込み、跳ぶ。

 一足で、アンスとの距離を詰める。


「今の君は、どっちだい?」


 アンスの声は少しだけ驚きを含んでいた。

 だが、彼女は目と鼻の先に居るお嬢様に対して、冷静に対応をする。


 ゴン、という鈍い音が響く。


 突進の勢いをそのまま使われる形で動きの方向を変えられ、お嬢様の額は地面に激突していた。


 金髪縦ロールの髪が空中に浮く。

 硬い地面にぶつかったというのに、まるで球のように頭が空へと跳ね返った。


 アンスが膝を上げ、足を突き出し、前蹴りを放つ。

 無駄のない動作だ。身体を閉じて開く、全身の力を込めた美しい蹴りだった。


 お嬢様は額を足裏で蹴られ、そのまま壁際まで飛ばされてしまった。

 岩肌は少し(もろ)かったのか、彼女は壁に大穴を開け、めり込んだ。


 土煙が辺りを覆う。


 頭部、つまりは急所への二度の有効打。

 普通の人なら死んでいる。そう、普通の人なら、だ。


「いってー! ですわー!」


 お嬢様は土煙の中、しっかりと二足で地面に立っていた。両手では頭を押さえている。

 意識が朦朧(もうろう)としているわけでもなさそうだし、ほぼ無傷だといっても大丈夫だ。

 頭に大きなたんこぶを作っていたが、それはそれで可愛らしい。


「流石に気絶くらいはすると思ったのだけどね。というより、なんで普通に生きているの?」


 アンスの声は、いつもより低い。

 この結果に関しては想定外だったみたいだ。


 ここでやっと、私は先ほどの状況を理解した。

 お嬢様がアンスの脚に触れる直前、地面に平行に動いていた頭は、垂直の妨害を上から受けたのだ。


「龍、強敵ですわ……」


 お嬢様が羨ましそうに見つめている先には、一人の少女の身体を守るように巻き付く、骨となった龍の尻尾があった。尾先だけでもアンスの身長と同じ長さがある。

 そんな巨体で、認識からの誤差なくお嬢様の最速の突進を防いだということだ。

 その事実は、その龍が実態であることの証明にもなっていた。


 壁際に追い込まれたお嬢様は、それでも私に手出し無用と念を押す。

 

 ハッキリ言って、二人を相手にしている今の状況は危険だ。

 龍だけだったらお嬢様だけでも対処可能だったろう。

 しかし、想定外だったのはアンスの戦闘能力。伊達(だて)に二つ名持ちではない。当たり前だといえば当たり前だった。


 私はある作戦をお嬢様に伝えた。

 即席で作った”共闘作戦”だ。


 幸運にも、アンスはお嬢様の奥の手を知らない。

 もちろん防御の魔法、前の教育係が言っていた精神攻撃の対策はしているはずだ。

 だから、できるだけ彼女に接近し、直接脳に声を叩き込む。


 お嬢様は、私が提案した作戦を、というより最後に決める必殺技名が気に入ったようで、承諾してくれた。


『私が相手だ。お嬢様の額にたんこぶを作った礼は、きっちりさせてもらう』


 私は土煙から飛び出し、岩肌を駆け上がる。一歩進むごとに、壁に亀裂が走る。

 平面ではなく、もっと立体的に、この空間を使う。魔法などは使わない、脚力によるゴリ押し壁走りだ。


 天井に着く前に、数多の火球が襲ってくる。

 避けられない、ならば突っ込むのみ。


 私の進路を予測して放たれた火球だったが、まさか攻撃に向かってくるとは思っていなかったのだろう。


 私は空中で体を(ひね)り、火球を躱す。薄皮一枚だ。


 そのまま龍を無視して、アンスの頭上に(かかと)を落とす。これは、先ほどのお返しになるはずだった。


「長く生きているとね、対人格闘術なんて嫌でも覚えるんだよ」


 アンスは両手を頭上で交差させ、私の足を受け止めていた。


 威力が最大限に乗る前に止められた。

 それでも、彼女の足は固い地面にめり込んでいる。


 すぐに龍からの追撃が来る。尾による叩きつけだ。


 視界に迫る尾……


 少女の腕に乗るような形で、私は空中にいる。

 だがおかしい。

 龍の尾は、アンスの背後から振り下ろされている。

 それならば、私に直撃した後、彼女も潰されてしまうではないか。

 

 秒にも満たない一瞬。

 私はアンスと私、片方が当たって、私がに当たるまでの尾の時間を計算した。

 結論、私に直撃した後、回避することは不可能。


 ならば、今私が取るべき最善種は”下”に退くことではない。


 そもそも、今までの戦い、その前提条件が違っていた。

 先程、お嬢様が受けた攻撃は龍からではない。

 実体の証明など、魔法があればいくらでも作れる。


 そう、お嬢様が戦っていたのは、最初から一人だったのだ。

 

 背中に風を感じた。

 私は、アンスの腕を踏み台に、迫りくる尾に向かって”上”に跳んでいたのだ。


「二度も、か……感心だね」


 背中には羽の生えたアンスが、満足そうに頷いた。

 彼女の正面、その先にある洞窟の壁に、数多の亀裂が入っている。

 開かれた羽から、何らかの攻撃をしたのだろう。

 上体に多くある急所を守るため、身体を反らすなどしで下に逃げた場合、私の身体は(きざ)まれていた。


「でも、残念だったね」


 再び壁際まで退いた私に、アンスは笑顔で言った。


 彼女の手には、血の入った小瓶。

 私の脚には、一線の切り傷がある。


 アンスは躊躇することなく、その血を飲み干す。

 そして、狂気に染まった笑顔で、自分のお腹を嬉しそうにさする。


「僕はね、家族の力で生きているんだ」


 彼女の顔は普段通り優しくもあった。


「ここにいるのは誰だと思う? この子はね、僕なのさ」


 疑問に答える者を待たず、語りが始まる。


 遥か昔、ある少女が求めたのは、家族だった。

 彼女は死にたくなかった。自分の子供に手を握られてしか、死ねなかった。

 

 そしてついには狂ってしまった少女。


 年齢に抗い続け、老化を極度に恐れた少女の目的は、いつの間にか入れ替わっていた。

 自分を新たに作り続けることで、永久不滅の命を手に入れる。子供は自分の複製だと、いつの日か考えてしまった。

 

 それでも、突き抜けた狂気の先には、聖母のごとき慈愛に満ちた表情が残っている。

 運命のいたずらだろうか、子を宿すことができない少女には、人一倍の母性があった。


 ──彼女はただ、母になりたかっただけだ。


『アンスちゃん、食べ過ぎですの? 体の右側を下にして、横になったらいいのですわ』


 私が、アンスに言う。

 彼女は嬉しそうにお腹をさすり続け、夢見心地のまま説明を続ける。


「魔法と言うのは、想像(せかい)さ。思い込みの強さが、現実に干渉する。人には人それぞれの視点、世界があり、それが個人の特性となって、特有の魔法を生んだ。だから、僕に君の世界を分けてもらった」

『あら! もう一人の私ですって! カッコイイですわ~』


 私は能天気な顔と、真剣な顔を繰り返す。

 お嬢様なら、こうしていたはずだ。


「エリナ、君は最高だ。君の魔法は、想像を現実にする。僕も感じるよ、これがもう一人の自分なんだね……」

「何を言ってますの? アンスちゃんはアンスちゃんだけですわ」


 突如、アンスの背後に現れたお嬢様。


「龍の咆哮、ですわ!」


 元気な技名と共に、奇声が発せられる。

 その甲高い声は、密閉された空間内に響き渡り、完全に油断していたアンスは、耳元で発せられたマンドレイクの叫び声に対応が遅れた。


 小さな少女は、両腕を自分のお腹に当て、我が子を守るように気を失うのだった。




 しばらくして、アンスが目を覚ます。


「僕の……世界が……」


 少し冷静になったのか、それとも先程の意味不明な言動を恥ずかしく思ったのか、膝を抱えるように座り込んでいた。


「もう、アンスちゃんはまだ、色々と、早いですわ!」


 そんな彼女を(なぐ)めるように、お嬢様が頭を撫でていた。


「もう少し大きくなったら、私が教えてあげ、あげ、あげてもよろしくてよ?」


 お嬢様は恥ずかしそうに聞く。

 色恋というものに疎いのは、彼女も同じはずだが、それでも年長者としての威厳を見せたかったのだろう。


「ダメだ。僕は今、想像ができない。きっとそれは、世界が上書きされたからなんだろう。今の僕は、エリナの世界の住人でしかなく、つまり、これが主体性というものを奪われた状態なんだね……」


 アンスはブツブツと自分を納得させるように独り言を言った。


 死ぬまではいかないとは知っていたが、お嬢様の叫び声を聞いて思考回路を維持できているだけで大したものだ。

 私が矢面に立ち戦闘し、その隙にお嬢様がアンスの背後に迫る。そして完全に彼女が油断した瞬間、叫び声を放つ。

 それが私の考え付いた勝機だった。


「それにしても、すごいよエリナ。僕に幻覚でも見せていたのかい?」

「何を言ってますの? 彼はセバス、ですわよ」


 お嬢様は私の方を向いて、首を傾げた。


 アンスも顔を上げ、私の顔を見るなり目を丸く見開いた。


「え、え? うん、僕にも見えるよ……エリナがふたりだ。ちょっと待って、君の世界だと本当にふたりいるってこと? それだと、さっき飲んだ血は、君のではなく……」

「セバスの血って美味しいですの?」


 お嬢様から危険な目線を感じた。

 私は思わず身を引いてしまう。


「そうか、彼の世界に入ってしまったのが敗因か。だから僕は、背後の気配に気づけなかったんだね。血を飲んだことで認識したんだ……君”たち”の世界は滅茶苦茶だ。僕では少し、役不足のようだね」


 アンスは納得したように立ち上がり、横たわっていた龍の骨に手を当てた。


 すると、骨は直立し、頭を空に向けた。

 背骨は幹の様に、太くしっかりと地面に突き刺さる。

 天へと向く骨の頭が口を開け、中から小さい龍の形をした骨が複数現れる。

 そしてその小さな龍の口から、さらに小さな複数の……


「綺麗ですわ……」


 お嬢様はその幻想的な光景をただ眺めていた。


 龍は脱皮をするかの如く分裂を繰り返した。

 天に近づくにつれ、小さくなっていった龍は枝となる。

 全体を見ると、最終的に立派な大木の様相を(てい)していた。


「これが本当の龍血樹だよ。不老不死の龍が、死して残した希望の木さ」


 骨で出来た幹をさすりながら、アンスが悲しそうな顔で言った。

 綺麗な龍の木は、天井から差す一本の光に照らされている。


 知っているドラゴンブラッドツリーではない。

 いや、こんな龍血樹は誰も見たことがないだろう。


「僕は本当に幸運だよ。巨人、龍、そして弟子たち……なんで皆、僕を助けてくれるのだろう」


 アンスは遠い目で、過去と現在を見ていた。


「アンスちゃんが、優しいからですわ!」


 お嬢様は親指を立てて、彼女に屈託のない笑顔を見せた。




 それからお嬢様は、龍の血を採取した。

 幹に少し傷を入れると、大量の血が溢れ出してきた。

 『ドラゴンになりますわ!』と飲み干す勢いで飛びついたお嬢様だったが、『苦いですわ……』と顔をしかめてしまった。良薬は口に苦し、当たり前のことだ。

 龍に関して少し消化不良だったのか、お嬢様は複雑な表情になっていた。

 そんな彼女を哀れんでくれたのか、アンスが野営の時に使った龍の像を渡してくれた。『君の未来を、僕の友も祝福しているよ』という言葉と共に。


 何はともあれ、目的は達成された。

 アンスが明日朝にここから元の森へと送ってくれるみたいで、それまでは街でゆっくりしようとのことだった。


 お嬢様はアンスに過去のことを聞かなかった。聞く必要もなかった。

 必要なのは、未来、そして現在だけだ。


 そんな優しいお嬢様が今、何をしているかというと……


「ですわ! ですわ! です……」


 いつもとは少し違う陽気な歌と共に、踊っている。


 龍にお別れを言い、街へ飛び帰ると、広場で謎の舞踏会が始まっていた。

 もちろん、楽しいことが大好きなお嬢様は一緒に踊る。理由も知らず、骸骨と踊る。

 そう、不思議なことに、この街の住民は全員骸骨だったのだ。


 昼間の静けさは何処へ行ったのか。

 王冠を被った骸骨、十字架を首にかけた骸骨、立派な服に身を包んだ骸骨、そして、ぼろきれしか纏っていない骸骨。

 年齢身分、そんなものは関係ない。皆が平等に踊り狂う。


 灯る炎に影が映る。

 楽器を持った骸骨たちが、楽団を結成した。

 音楽は街全体に鳴り響き、楽しい音色は動物さえも躍らせた。


 大きな獣、小さな獣、そのさらに小さな獣まで。

 猫のような骸骨が、鼠のような骸骨を背にのせる。

 空には龍が現れ、弧を描くように飛んでいる。


 生きとし生きたものは全て、肩を組み、足を蹴りあげる。

 

 いつもはお嬢様の傍から離れない私でも、この瞬間に限っては、その光景を俯瞰(ふかん)してみていた。


 すると、可愛らしい声が”私”の近くから聞こえた。


「今の僕には君が見えるよ。なにせ、世界を分けてもらったからね」


 私の隣で、アンスが立っている。

 いい機会だ、少し気になっていたことを確認しよう。


「ん? ああ、そのことね。僕は飲んだ血の力を少し使えるんだ。龍の血だったら羽が生える、とかね。森で飲んでた血? あれは、そうだね、僕の元弟子のものさ。彼女も最高だよ。自分のことを人ではなく精霊だと認識している、自称エルフの面白い娘だよ。君のお嬢様とは仲良くなれそうだね」


 高貴なお嬢様と、そんな狂人が合うとは思えない。

 しかし教育上、友人という存在が必要なのは確かだ。


「彼女は今、北の王国に居る。三千年に一度咲く、優曇華(うどんげ)を目指しているらしい。あと、エリナに伝えておいてくれないか? 君は卒業だよ、とね。僕が教える必要など、最初からなかったみたいだ」


 それには同意しかねる。

 アンスの知識、お嬢様はその片鱗(へんりん)を見たにすぎない。


「エリナが近くに居て、僕が欲求を抑えられると思うかい? そういうこと。僕は今まで通り、生命に関する幻想植物でも探すさ」


 勝手に弟子にしておいて、なんてわがままな人だ。

 だが、さっき飲まれていたのがお嬢様の血だったら、と思うと少し恐怖を感じる。

 洞窟内で言っていたことの意味は不明なままだが、彼女なら本当に生命さえ作り出してしまいそうだ。それほどまでに、アンスの欲は深い。


「いいじゃないか。ちゃんと組合には伝えておくさ。君たちはもう、立派なハンターだよ」


 アンスの視線の先には、骸骨と踊るエリナがいる。


 そういえば、里帰りのためにここに来たとアンスは言っていた。

 今日は何か特別な日なのかもしれない。


 私はふと、一つの寓話(ぐうわ)を思い出した。

 ”死の舞踏”という話だ。

 遥か昔、疫病が蔓延し、人口の三分の一が消えた。人々は死に恐怖し、狂乱の中踊り狂ったらしい。

 まさか本当だったとは、非常に興味深い。


 死から逃げ続けた人々は、この地に集まり踊っている。

 表情筋のない骸骨にも、笑顔が見える。

 『ですわ、ですわ』と声が響く、死者による舞踏会は、今回限りの特別仕様。

 お嬢様を中心に回る、生と死が混在するこの世界に、一切の不純物は無い。

 金髪縦ロールは、どこへでも、どこまでも、輝きを届けるはずだ。


 次はどのような世界が待っているのか?



 ------



『エリナお嬢様の幻想植物探索記は続く──』


 薄茶色の羊皮紙(ようひし)に、締めの一文が書き連ねられた。

 その後、(ひと)りでに動いていた筆が紙上に倒れる。その衝撃で、インクの染みが(にじ)んだ。


 カーテンが自然と開き、小さな部屋に朝日が差し込む。

 質素なベッドから誰かが立ち上がった。


「ごきげんよう、セバス」


 綺麗な金髪の縦ロールが揺れる。

 パチンと指を鳴らす音が鳴り、景色が入れ替わった。


 地平線の先まで広がる草原の上に、少女は立っていた。

 心地良い風が彼女の長い金髪を揺らす。


 雲一つない青空、遮るもののない視界。

 とても現実世界とは思えない場所で、少女は腕を天に伸ばし、気合を入れた。

 すると、彼女の背後から声がした。


「よくも暢気(のんき)に寝られたものじゃ、()()お嬢様」


 厭味ったらしい言い方と共に、耳の長い女性が少女の隣に立った。

 銀の髪をたなびかせ、手には弓を握っている。


「あら、夜更かしは肌荒れの原因になりますことよ? 自称精霊さん」


 少女は自分の肌を自慢するように顔を突き出す。


「我はエルフじゃ!」

「私はお嬢様ですわ!」


 ふたりの間で火花が散る。

 一触即発の状況に、筋肉質な巨体が割って入った。


「やっぱりアンスの弟子たちだね。それにしても、いいのかい? 俺たちの味方をして……」


 それは申し訳なさそうな声だった。

 少女は自分の影を覆い隠した存在を見るために振り返る。


「大丈夫ですわ! なんたって私は、完璧なお嬢様ですもの!」


 胸を張って宣言する彼女の目の前には、その数100にも及ぼうかという巨人たちが、武器を持ち臨戦態勢で構えていた。


 そして彼らの背後には、巨大な豆の木が見える。


「問題ないのじゃ。組合の実力者が合流する手筈(てはず)になっているからのう」


 銀髪の女性が、巨人たちの代表である青年を安心させるように言った。


「その……なんで人間界、それも探索者組合が俺たちを助けてくれるのですか?」


 しかし、青年はまだ不安そうだ。


「お主らがいなかったら、そもそも組合など存在しておらん。師匠が世話になったからのう」

「そんな昔の話で……」

「優しさは(まわ)る、ですわ! この縦ロールのように!」


 少女の言葉の反応したのは、風の音だけだった……

 少しの間の後、誰からともなく小さく吹き出す笑いが漏れる。


「大丈夫じゃ。この自称お嬢様は、こう見えて”最狂(パーフェクト)”じゃ」

「みたいですね! 頼もしい限りです!」


 青年の顔にも笑顔が浮かび、丁度その時、広大な草原の上空に亀裂が走った。


 次々と降りてくるのは、白いローブを羽織った人型の物体。


「ゴッド・スレイヤーですわ!」


 少女はその物体に向けて、剣を向ける仕草をする。


「やりますわよ、セバス!」


 同時に、相棒の名を叫んだ。


『もちろんでございます、お嬢様』


 不思議なことに、その場にいた全員の耳に、落ち着いた大人の声が聞こえた。


 少女の物語はまだまだ続く。

 過去を忘れ、未来に期待し、現在を楽しむ。


 そんな”お嬢様”を記録する”執事”は、笑っているはずだ──

以前連載していた同作者の作品を、一つの物語として残させていただきます。

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