停滞感
少し前まで肌を刺すようだった日差しは、日に日に柔らかくなっていく。
一足先に来た咲は、図書室のいつもの席で参考書とにらみ合いをしている。
教科は数学。
もともと得意な科目とは言えなかったが、三年の範囲はさらに難解に思えた。
基礎的な問題は何とか解けているのに、応用問題になるとペンが止まる。
数字がただの記号の羅列にしか見えなくなり、ページを遡っても解き方が思い浮かばない。
何度も式を書いては消し、ノートの上には消しカスだけがたまっていった。
(……他の科目も進めたいのに)
視線を横に動かすと、積まれた教科書の山。
どれも、復習が必要な科目ばかりだった。
ほのかな焦りと、わずかな不安が胸を締め付け、視界が揺れるような感覚に襲われる。
ペンを置き、両手で目元を覆う。
(……私、大丈夫なのかな)
近づいたと思った桜ヶ丘大学の門。
それが、少し遠くに行ってしまったような気がした。
そして、悠の背中も……。
咲の気分が落ち込んでいる中、図書室のドアが静かに開き、悠と夏海の姿が見えた。
夏海はいつもの明るい笑顔で軽く手を振ってくる。
咲も少し手を振り返す。
「先生さー、私たちに雑用頼まないでほしいんだよね。段ボール運ぶの大変でさ~」
「『たち』って……頼まれたの夏海さんだけじゃん。俺、完全に巻きこまれただけだよ……まあ、いいけどさ」
悠はため息まじりながらも、声には笑いが含まれていた。
「うっ、だって男手が欲しかったんだもん……」
夏海は笑いながら「でもありがとうね!」と添えた。
ふたりは雑談を交わしながら、カバンから参考書とノートを取り出し、勉強を始める。
その明るいやり取りに、咲の口元がふっとほころぶ。
まるで、沈んでいた気持ちが引っ張り上げられるようだった。
席について勉強を始めた悠に、咲は少し悩んで、そっと声をかける。
「あの、日向くん……数学のここ、教えてもらってもいい?」
ページを指さしながら、咲は少し申し訳なさそうに続けた。
「どう導けばいいのか、解説読んでも分からなくて……」
悠が顔を上げて、「うん、いいよ」と、ためらいなく返事をする。
咲の問題集を受け取って一緒に考えるも、
「ちょい待って……どうやって解くんだったかな」
悠も一緒に悩み始めて、自分のノートをめくり始めた。
「あ、私わかるよ」
不意に夏海が声を上げ、咲と悠の視線がそちらに向いた。
「えっ……夏海さん、数学苦手って言ってなかったっけ」
悠は思わず聞き返した。
「うん。でも最近、このあたりを理解したんだよね。たしか……こうじゃない?」
夏海は自分のノートを咲の方へ向け、さらさらとシャーペンを走らせる。
ノートには図や数式が丁寧に書き込まれていた。
「ああ、そうか……」
悠は立ち上がって、そのノートを覗き込み、
「すごい……分かりやすい……夏海さん、ありがとう」
咲は心からそう口にした。
自分の中に引っかかっていた靄が晴れていくのを感じる。
「ううん、ここ難しいもんね。また聞いてね」
その言葉に、咲はうなずいた。
優しかった。でも、どこかで置いて行かれているような気もして。
悔しさと無力感が、静かに胸の中に積もっていった。




