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優しい灯  作者: 豆大豆
2章
70/145

少し先の景色1

《 09:15 駅前バス停》


「けっこう人、いるね」

「だね。親と一緒にいる人も多い。……この列、全部オープンキャンパスかな」


夏休みの朝は既に暑く、バス停の屋根の影に沿って制服と私服がまじった列が伸びていた。

私服姿の咲と悠もその日陰に紛れるように並んでいる。


「桜ヶ丘大学方面行き」

と表示のあるバスが到着すると、冷房の涼しさが車外へ漏れ出し、順番に人を乗せていく。


ふたりも乗り込む。

後方の席に並んで座ると、咲の指先にガラスの冷たさが移る。

バスが動き出すと、車内の手すりの金属がかすかに揺れて、親と来た生徒が低い声で今日の流れを確認しているのが聞こえた。


「緊張してる?」

「うん。……でも、ちょっと楽しみ」

「わかる。俺もちょっと緊張してるけど、それ以上になんかワクワクする。とりあえず午前はそれぞれ体験授業行って、昼に合流する。そんな感じで行こう」

「うん、それで……私、学食を食べてみたいかも。混むかな」

「混むと思う。でも今日はそういうの全部含めて行事ってことで」

咲と悠は笑った。

普段は使わないバスに揺られているだけで、もう特別な一日だった。

窓から見る景色は既に見知らぬ光景になっていて、それが少しずつ大学の色に変わっていく気がした。



《09:40 大学正門・受付》

降車口から人が下りて行って、バスが少しずつ軽くなっていく。

咲と悠も降りると、正門にはオープンキャンパス開催の立て札があった。

構内の案内板にそって建物に向かうと、もう列が出来ていた。

受付から冷房の風が漏れてきて、首元だけひやっとする。

名前を書き、胸札を受け取る。

配られたキャンパスマップについた細く白い折り目が、そこに道が引かれているみたいだ。


「じゃあ、いったん俺は法学部の方に行ってくるよ。終わったら、学食で合流しようか」

「うん。じゃあ、また後でね」

咲は少しだけ頷いて、小さく手を振った。


咲は文学部の建物へと歩き出す。歩幅はややゆっくりで、時おり周囲の風景に目を向けていた。

校舎の壁の白さ、ガラスの反射、あわただしく動き回る学生たち、木陰に座るスタッフたち。

高校とは違う空気の中を歩いているだけで、少し胸が躍る気がした。


《10:15 文学部・教室》

体験授業は、先生の声がよく通って、黒板のチョークが思ったよりも細かった。

隣の席の子が軽くペンを走らせる音が聞こえる。

「高校は読む練習がメインです。大学は『なぜそう読めるのか』を一緒に確かめるところです。ときどき哲学に寄り道することもあります」

先生のその一文を黒板に、咲はノートの端に書いた。

窓の外では葉の影が波のように揺れて、教室の床に明暗を作っていた。



体験授業が終わって廊下に出ると、空気が一段軽く感じられた。

咲はメッセージアプリを開き、短く打つ。

〈こっちは終わったよ〉とだけ送る。

すぐに〈こっちも終わったところ。学食の中で待ってる〉と返ってきた。

廊下の人の流れに乗って外へ出ると、日差しの明るさが一段階上がり、マップの折り目がまた白く光った。


《11:55 学食》

学食の席を見回すと、窓際の席を確保してくれていた悠が手を上げた。

咲は荷物を席に置き、悠と一緒にカウンターへ向かう。


ふたりは誘導に立っていた学生スタッフの案内に従い、学食のトレーを取る。

すでに高校生たちの列ができていて、厨房から立ちのぼる湯気が、窓ガラスを柔らかく曇らせていた。


初めての場所で、メニューを選ぶだけでも時間がかかる。

でも、それすら非日常感にあふれて楽しかった。

「これ……日替わり定食が500円なの?すごく安いね」

「学生向け価格ってやつかな。俺たちもこの料金で良いんだよね……?」

ふたりは同じカウンターから日替わり定食を受け取り、窓際の席に座った。



「文学部、面白かったよ。日向くんのほうはどうだった?」

もくもくとご飯を食べながら、咲は尋ねた。

「思ったより、人が多かった。なんか覚えることは多いんだろうなと思ったけど、面白そうだったよ」

「そっか。よかった。……それにしても、このごはん、おいしいね」

「うん。大学ってすごいんだな……これなら毎日食べたい」

いつもの調子の悠の言葉に、咲はうなずいた。

慣れない場所で、賑やかな声と、トレイを運ぶ音が交錯する。

それでも、悠が居てくれることで、ちゃんと自分の居場所がある気がした。

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