文化祭の欠片2
文化祭の出し物がタピオカミルクティーに決まって、数日が経った放課後。
家庭科室には、試作中のタピオカミルクティーの甘い匂いが静かに漂っていた。
ゆっくりと立ち上る湯気が、少し低くなった秋の陽に照らされて、白く揺れている。
机の上には、カップ、透明なストロー、茹でる前の固く小さなタピオカの粒、いくつかのシロップ。
準備された道具たちが、子どもが集める実験道具のように机の上を埋め尽くしていた。
「この鍋、空いてるー? タピオカ入れちゃっていい?」
「ミルクの分量、誰か見てー! これ合ってる?」
「ねぇ、誰かシロップ開けた?」
飛び交う笑い声、狭い家庭科室を走る足音や、水が流れる音、コンロの点火音が重なっていた。
教室とは少し違う、火と水の気配があるこの空間が、まるでどこか屋台の裏側のように見えた。
咲は、その輪の少し外側にいた。
部屋の端、テーブルの上に置いたラベルの束とカップを前にしていた。
ひとつずつ手に取りながら、印刷のずれを確かめて、カップへと丁寧に貼り付けていた。
何かを探していた女子が、ふとその様子に気づいた。
「えっ、これ全部きっちり貼ってるの? まじで?」
少し驚いたような声が上がった。
咲は手を動かしながら、小さく笑った。
「うん。見た目揃ってた方が、気持ちいいかなって」
その言葉に、
「いや~すご。藤音さん、そういうとこ手ぇ抜かないよね」
とだけ返して、女子は笑って去っていった。
反対側のテーブルでは、悠が鍋の前に立っていた。
真剣な表情で、タピオカを菜箸で静かにかき混ぜている。湯気が顔をかすめるたびに、小さく顔をしかめていた。
咲は、何気なくその姿に声をかけた。
「……日向くん、様になってるね」
つぶやくような声に、悠が顔を上げる。
「え? 俺?」
「うん。料理に慣れてる人みたいに見える」
「いやいや、家じゃインスタントラーメン作るくらいしかしないよ」
照れたような笑い声が、湯気にまぎれて聞こえた。
悠は鍋の中をもう一度のぞき込んでいた。
「藤音さんのほうは、順調?」
「うん。ほら見て。今これぐらい」
そう言って、積み上げられたラベルが貼られたカップの束を指さした。
10個ずつでワンセット。それが何個もできていた。
咲が指さした反対側には、ラベルの束と何も貼られていないカップがまだまだ残っていた。
「先は長そうだね……。でも、すごい丁寧。きっちり揃ってるし」
「……ありがとう。たぶん、好きなだけ」
その時、教室の中央あたりで、ひときわ明るい声が上がった。
「第一号できたー!ねえ、味見したい人ーー? 」
「私も飲みたい!カップが足りない~! 誰かストロー取ってきて!」
「私の分も!誰かー!」
その騒ぎに、悠が少しだけ笑った。
「……俺、ちょっとストロー届けてくるね」
「うん、こっちは任せて。鍋、見ておくから」
咲は、悠が残していった鍋の前に立った。
お湯の中では、タピオカが小さく踊っていた。
しばらくして、悠が二つのカップを両手で持って戻ってきた。
その中には、淡いベージュのミルクティーと黒く丸い粒。甘い香りが鼻先をかすめた。
「ついでにもらってきたよ。味はわからないけど、たぶん飲めると思う」
「それ、けっこうな博打じゃない?」
咲はくすりと笑いながら、カップを受け取って一口飲んだ。
「……おいしい。ちゃんとしたタピオカミルクティーだね」
「ほんとだ、おいしい。試作なのに、しっかりできたね」
「うん、売れそう。……ちょっとだけ甘いけど」
「……まあ、そこは試作だから、ご愛敬ってことで」
「ふふ。そうだね」
片づけの時間が近づき、咲は持っていたメモを一枚めくって、まとめ役の女子に声をかけた。
「あの、ラベル……明日もう少し刷ってくるね。予備があった方が安心かなって思うし」
「えっ、ありがと! 藤音さん、マジ女神じゃん。ほんと助かる〜!」
両手を合わせて笑う声に、咲は少しだけ照れたよう笑った。
日が落ちた時間の校内を、咲と悠は並んで廊下を歩いていた。
ふたりの影が、蛍光灯に照らされてゆっくりと揺れて伸びていた。
遠くで誰かの足音が反響して、やがて静かになる。
にぎやかな文化祭に向けた、この静かな準備の日々が心に残るようだった。




