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二十三日の午後十一時に——

 二十三日の午後十一時に十字路に五万レラは置かれなかった。

 そのかわりに号外を刷り、懸賞金を七万に上げると知らせた。

 二十四日の午前十一時、社長室にいたコラーゾ議員は窓ガラスに穴を開け、飛び込んできたライフル弾に額を撃ち抜かれて死亡した。

 警察のカメラマンが穏やかな顔で死んでいるコラーゾ氏の写真を撮り、警部はコラーゾ氏を貫通して、壁にめり込んだライフル弾を確認した。

 捜査関係者たちは首をかしげた。コラーゾ議員が死んだのは、あのふたりの警官が殺害された事件に懸賞金をかけて犯人の心象を大いに害したせいであり、新聞から文字を切り抜いたあの脅迫状はただの脅しではなかったことが明らかになった。

 しかし、手口が異なった。後ろ手に縛って、頭を後ろの至近距離から二度撃つものとは大きく離れている。不自然で、まるで犯人が狙撃銃も使えることをアピールしようとしたようだが、それでは最初の事件で見せた、冷徹さに欠ける。そんななか、複数の犯人説が有力になっていた。つまり、人殺しを何とも思わない犯罪者の一団がひとつの目的をもって悪事をし、それを妨害するものを殺害しているということだ。

 その推理はモレッロ警部とカラヴァッジョ中尉が秘密で抱いた確信に近いものだった。モレッロにとって、この殺人は何ら不自然なところがなかった。山賊たちは軍の狙撃兵並みに射撃がうまい。それというのも谷を挟んだ遠距離から警官や憲兵隊と撃ち合いをするので、対面にある古い商業ビルから道路一本挟んだ位置にあるコラーゾ氏の額を撃つことはカタンザッロの手下たちには難はなかった。

 また新聞記者が殺到し、いつもは憎み合う同業者が殺されるや否や、殉教者にされる軽薄さが紙面を埋め尽くした。

 またしても、取調室にリストがかけられた。片方は新聞社と議員秘書たち、もう一方は最近会った知人たちだった。モレッロの担当は知人だった。

「だから、わたしは言う通りにしたほうがいいと言ったのですよ!」医師のピッタルーガ氏は怒鳴るように言ったのだが、その声は遠い異国の宦官みたいに甲高かった。「脅迫状をもっと深刻に受け取るべきだったんです」

「では、ピッタルーガさん。あなたはその脅迫状を出したのは警官を殺害した犯人に違いないと思ったわけですね」

「そうです」

「だとしたら、なぜ、犯人はコラーゾ氏を狙ったのでしょう?」

「それは彼が懸賞金を出したからです」

「懸賞金が犯人にとって不都合だから?」

「ええ、ええ。左様です」

「では、なぜ犯人はわたしに脅迫状を出さないのでしょう?」

「といいますと?」

「つまり、わたしは犯人を捜査し逮捕しようとしている。犯人にとって不都合では?」

「ああ、そういうことですか。あの、これは悪く取らないでほしいのですが、わたしは古王国島生まれの古王国育ちです。〈錆びた盾〉の出身です。だから、分かるのですが、警官がふたり撃たれたあの事件は解決しません。本当に悪く取らないでくださいね。でも、あなたも古王国の人間なら分かるでしょう? 警察や役人から遠ざかるためなら犯罪だって見逃す、極めて公務員を嫌う性格。何度か本土の他の民族に支配されたせいで政府というものをまったく信じない性格。そのくせ、自分の親戚か何かが議員になったら、一族とかいう概念を持ち出して、血縁にあるものに便宜を図らないのは悪だと糾弾する有様。そんな政府がこの事件を解決できるわけがないのです。でも、コラーゾくんは違います。共和国生まれの共和国育ちで、古王国の選挙区から出馬したのだって、古王国を共和国にするという目的からです。つまり、犯人の想像もつかないやり方で犯人を追い詰めるわけです。だから、コラーゾくんは殺害されたんですよ。それにコラーゾくんは議員です。邪魔するものなら議員でも殺害するという見せしめにされたんですよ」

 次は聖フランツィウス教会の司祭だった。

「ご足労をおかけしましたね」

 司祭は首をふった。

「いえ。結局、あの人を救えなかったのはわたしの責任です」

「ピッタルーガさんはあなたが懸賞金だけでも取り下げるように言ったと証言しました」

「コラーゾさんはとても自信に満ち溢れている方でしたので、脅迫状の全部を受けそうには見えませんでした。せめて、要求の半分でも受け入れれば、と思ったのですが、彼の考えは全く別のところにありました。懸賞金を値上げして、挑戦したのです」

「コラーゾ議員は怯えているような様子はなかったのですか?」

「はい。むしろ怒っていました。脅しを受ければ、舌打ちし、表には出さない古王国人とは真逆の反応です」

「みな、彼が共和国人だからと言います」

「むしろ、我々が古王国人だからかもしれません」

「司祭さまにとって、古王国人とはどんなものですか? これは捜査に関係があるというよりは個人的な興味なのですが」

 司祭は苦笑した。

「先ほど、ピッタルーガさんが警部さんを相手に一席ぶったと大きな声で言っていました。そうですね。古王国人というのは名前の通りではないでしょうか? 自分たちは『新』ではなく『古』のなかを生きている。古いことは心地よく、新しいことは酷薄で物質主義にまみれている。そう考えます。我々はよく言います。『真面目に生きる人間が馬鹿を見るようではもうおしまいだ』と。しかし、警部さん。これまでの歴史で真面目に生きる人間が馬鹿を見なかった時代はあったでしょうか? 農民が領主に搾られ、戦争が人間の心と体を破壊し、誤った熱狂がもとで神の名において血が流された。その時代は真面目に生きるものが救われる時代だったでしょうか? もっと簡単な言葉は『古き良き時代』です。古い時代にいい思い出もないのに、我々は現実に絶望すると『古き良き時代』という言葉を持ち出すのです。それから三十年も後にはその絶望した過去の現実を『古き良き時代』と呼ぶのです。我々、古王国人にとって古いことは条件なしに良いものになる。そうでなければ、今を生きていけないのです。反論はもっともです。過去をまったく糧とせず、支えとせずに生きていける人間は全世界で探しても滅多に見られないでしょう。『古き良き時代』に溺れるのは古王国人だけとは言えない。外地の共和国にもいるでしょう。しかし、共和国の人びとは過去を美化するのと同じくらい『新』を称えます。新技術、新音楽、新型の車や飛行機。『古き良き時代』と『新たな歩みの時代』のどちらにも溺れることができるのです。これが決定的に違う点です。古王国人は『新たな歩みの時代』に溺れることは決してありません。わたしたちは『新』を嫌う。溺れるのは『古』に対してのみです。ゆえに我々は外地の人間を蔑視する。しかし、それだって酒に溺れた人間が酒と麻薬に溺れた人間を見て、自分のほうがマシだと思う程度のものなのです」

「コラーゾ議員もまた『古き良き時代』と『新たな歩みの時代』に溺れていましたか?」

「もちろんです」

「そうですか。ところで、倫理や権力は? どちらも古王国人にかかわることです。そして、倫理や権力は更新されることがあります」

「倫理と権力に対する人間の対応も根本は同じです。つまり、自分を害さない限りは存在することを許すというものです。そして、そんな都合のよい倫理と権力はあるはずがなく、ゆえに我々は倫理と権力を憎むのです。倫理と権力の話が出たので、お願いをするのですが、この後、あなたはピエトロを聴取するのですよね?」

「そうですが?」

「あの子は倫理と権力に対して、自分に害するものであっても存在を許してしまいます。繊細なのです。繊細すぎて、何かを憎むことができないのです。どうか、そのことを思い出してあげてください」

「わかりました」

 ピエトロ・テスタは大人しい、線の細い青年だった。品のない言い方をすれば、『トイレの落書きを見ただけで戸惑い、うずくまってしまいそうな』青年だった。

「コラーゾ議員とは言葉を交わしましたか?」

「いえ、すぐに司祭さまに会いに教会へ入られました」

「そうですか。聴取はもう終わりでいいですよ」

「あの」

「なんですか?」

「司祭さまはコラーゾさまを助けられなかったことを悔やんでいましたか?」

「司祭さまを慕っているんですね」

「はい」表情が輝いた。「司祭さまは教会に捨てられた僕を育ててくださいました。十九年もです。もし、司祭さまがこんなに思い悩むとわかっていたら、僕は何が何でもコラーゾさまが死なないようにしたのに」

 その後、モレッロ警部は新聞社関係者の聴取の応援に行かされ、全てが終わったときは午前一時だった。仮眠室は刑事たちで埋まっていて、モレッロは煙草を切らしていた。もう、売店はやっていないが、警察署から四百メートルほど離れたところに自動販売機があった。まだ起きていた巡査長に煙草を買いに出かけることを告げ、外に出た。

〈石の棺〉市は夜になると高地の冷気が隅々まで染み込むように吹いてきて、真夏でも鳥肌が立つほど寒い。道沿いの家や店は鎧戸を閉じていた。星は高い空にさめざめとかかり、通りに口を開ける上り階段の道へ警部の靴音が響いていった。

 自動販売機は道沿いの小部屋にあった。それは扉のない門をくぐった先の小さな車庫のような部屋で、それがひとつだけポツンと置いてあった。マッチを擦って、小銭を入れる口を探し、〈翼〉葉巻のボタンを探した。

 警部はマッチを捨て、ポケットの銃に手を伸ばしたが、後ろから乾いた声が響いてきた。

「撃つなよな、警部さん」

 振り向くと、ハンカチーフで顔を隠した三人の男が出口に並んでいて、真ん中の、二連式の散弾銃を持っている男が言った。

「外したら、あんた、相当格好悪いぜ。それより、気にせず、買い物を続けてくれよ。そうしたら、お出かけといこう。そばに車を待たせてあるからよ」

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