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医師のピッタルーガは何とか友人を——

 医師のピッタルーガは何とか友人を説得しようとした。

「なあ、コラーゾ。これはどうも面白くないことだよ。冗談としても、事実としても。懸賞金なんてくれてやれよ」

「もし、おれがこんな手紙に屈したら、有権者はどう思う? 読者はどう思う? とんだ腰抜けだと思うだろう。冗談じゃない。おれは以前、この古王国をこっぴどく書いてやったときだって、脅迫に屈したりしなかった。『連邦には十二の国家があるが、真の国家は共和制を採用する十一の国家であり、いまだ国王を奉ずる哀れな島国には連邦に所属する資格はない!』。やつらは新聞社に爆弾を投げ込んだが、おれは屈しなかった」

「あれは花火だよ」

「爆弾さ。以来、用心して窓には鎧戸のような柵をつけた。爆弾魔は窓から跳ね返ってきた己の爆弾で死ぬんだ。それにしても、なんて図々しい野郎だ! 懸賞金を取り下げるだけでなく、罰金として自分に払えだなんて!」

 医師と議員は牧草地のそばの田舎小道を歩いていた。聖フランツィウス教会の小使いがときどき面倒を見ているらしいブドウ棚が道の上を丁寧になぞっていて、心地よい日陰を散歩者たちに提供していた。それでも医師のピッタルーガはひどく太っているせいで汗をかき、シャツが出っ張った腹と背中にぴったりくっついていて、盛んに帽子で顔を仰いでいた。

「痩せろよ、チッチョ。医者が肥満で死んだら笑えないぞ」

「おれはいいのさ。人間はちょいと小太りくらいが一番健康なんだ。それより、脅迫文だ」

「脅迫文なんてこの国で一日に何通作られているか分からないだろう? だいたいは他にすることもない、女もない、金もない、友人もない、寂しい哀れなやつの仕業だよ」

「でも、もし本当なら? 警官をふたりも殺したやつがきみの命を狙ってるんだぞ」

「考え過ぎだよ、チッチョ。おれは新聞で飯を食ってるから分かる。こいつは偽物さ」

 聖フランツィウス教会は丘のふもとにあった。なだらかな斜面にはブドウ畑があり、儀式で使うブドウ酒はここでつくられた。いまは小使いの青年がブドウの葉が渇きすぎていないか確かめていた。

「ピエトロ! ピエトロ!」

 ピッタルーガが大声で青年を呼ぶと、驚いて医師のほうを向いた。すぐ、顔見知りと分かると柔和な笑みで返した。

「ピッタルーガさん。お久しぶりですね。司祭さまに御用ですか?」

「そうなんだ。この頑固な石頭を説得してほしくてね」

 教会のなかはひんやりしていた。分厚い石の壁が外の熱を遮断するのだ。それに神と対峙するのにうだるように暑いなんてことは想像ができない。荘厳さと涼しさは切っても切れない関係なのだ。

 聖フランツィウス教会の司祭は白くて大きな顎鬚をたくわえた老人で、七十歳を超えた割にはがっしりした体にこげ茶のフード付きローブをまとっていた。

「司祭さま。まだ生きていますか? 不肖な信者がやってきましたよ」

 司祭はニコニコ笑ってこたえた。

「ピッタルーガ先生はいつも元気ですね。でも、もうちょっと痩せられたほうが男前がぐんとあがりますよ」

「これ以上、男前になったら、困りますよ。こっちは妻帯している身なんですから」

 このやり取りは決まったもので、軽口を叩いて、親密さが失われていないか確かめる儀式だった。コラーゾはこの手の儀式が床屋やカフェで行われるのは見たことがあったが、教会で司祭相手にするのは初めて見た。

「あっ、チョコレートを忘れた」ピッタルーガは焦っているみたいに指をぱちぱち鳴らした。「ピエトロにかわいそうなことをしたなあ」

「どのみち、この暑さじゃ溶けてしまいますよ」

「溶けてもチョコレートはチョコレートですよ、司祭さま」医師は議員に振り向いた。「ピエトロってのは司祭さまが育てた孤児なんだよ。おれたちがさっき歩いたブドウ棚だって、あの若者が面倒を見てる。簡単な大工仕事もしてるし、司祭さまのために鯉を養殖するための池を掘ったり、あと、銃をもたせておけば、適当に鳥を撃ち落とすから食費もかからない。いいやつだよ。でも、なんでもできるように思えるが、チョコレートをつくることはできない。ですよね、司祭さま」

「そうですね。いまでは彼なしではこの教会は立ちゆきません」

「あの。申し訳ないが」

 コラーゾが会話に割って入った。この手の会話の切り方は短気な人ならカッとなり口論のもとになるが、コラーゾのような新聞社のオーナーはむしろ口論がしたくて、面白半分に会話を切ることがあった。ただ、このときは真面目に会話を切ったのだ。

「なぜ、友人がわたしをここに連れてきたのか、分からないのですが」

「なに言ってるんだ、コラーゾ。明らかじゃないか。こんなに素晴らしい人格者の司祭さまにお前を説得してもらうためにここに来たんだ」

 コラーゾはため息をついた。

「そんなこと言ったって、こっちの決意は変わらないぞ」

「だめだめ!」

 司祭は何が起きたのか分からず、少し困った顔をした。

「もし、わたしに手助けできることなら、手助けしたいのですが——いかんせん、内容が分からずでは」

 コラーゾは医師にせっつかれて、内ポケットに入れていた手紙を取り出し、司祭に渡した。司祭はセルロイドの丸い黒縁眼鏡をちょっと動かして、脅迫状を読んだ。脅迫状は新聞から切り抜いた文字を貼りつけてあった。

 ケンショウキンヲトリサゲロ

 バッキントシテ 5マンレラを 

 3バンカイドウと〈ミツバチ〉ドオリノジュウジロニ

 アス23ニチノゴゴ11ジニオケ

 サモナクバ シガオマエニオトズレルダロウ

「懸賞金を取り下げろ 罰金として 5万レラを 3番街道と〈蜜蜂〉通りの十字路に 明日23日の午後11時に置け さもなくば 死がお前におとずれるだろう」

 司祭は脅迫状を返しながら言った。

「穏やかではありませんな、これは」

「ええ、まったく穏やかじゃありませんよ」医師が追加承認を行う。

「それで、どうなさるおつもりですか?」

「懸賞金は取り下げないし、恐喝には応じません」

「ですが、これがもし事実だとしたら、相手は警官をふたり、残酷に殺害した相手ということになります」司祭は十字を切った。「ひどいことです。恐ろしいことです」

「どうってことはありませんよ。わたしは新聞社を持っているんです。決闘を持ち込まれたことだって何度もある。それも先を丸めたフェンシングじゃなくて、ピストルを使ったやつです」

 司祭は脅迫状の最初の行を指さした。「せめて懸賞金を取り下げるだけでもしてみては?」

「だめですよ」と、医師。「全部守って、金も渡しなさい。どうせたくさん持ってるんだから」

「明日の午後十一時に3番街道と〈蜜蜂〉通りの十字路に金を拾いに来たのがお前でも、おれは驚かんよ」

「ひどいな! おれは純粋な友情から言ってるのに!」

「まあ、いいさ。これが本物と考えることにするよ。司祭さまのお邪魔をしたわけだし」

「お邪魔だなんてそんな」

「だが、やっとお前も分かったな」

「ああ。懸賞金は七万レラに上げる。こんなふざけた手紙を送ったやつにはこうするのがいいんだ」

「おいおい、コラーゾ! お前、気は確かか?」

「確かだとも。それに本物だとしても、すぐには殺されんよ。おれは警察サツまわりの記者から身を立てた。だから、この手の犯罪者の意地汚さはよく知っているつもりだ。七万に上がったんなら、十万に上がると考えて、もう一度、新しい脅迫状を出す。そうしたら、おれは十二万に上げる。すると、犯人は十五万に釣り上げる。そうしているうちにこいつは逮捕されるさ。チッチョも司祭さまもそんな顔しないでくださいよ。これはうまい方法なんだから」

「確かに」司祭は困った顔をした。「うまいかもしれませんが、それは共和国の考え方であって、古王国の考え方ではありません。ひどく危険で不安なものです。取り下げるだけでもできませんか?」

「無理ですね」

「そうですか。では、仕方がありません。あなたに主のご加護がありますように」

 医師と議員はその後、犯罪とはまったく関係ない話をはじめ、最後はなぜかふたりで司祭にラジオを買うよう説得していた。

「そうだ。ピエトロに作らせればいい」

「さすがに無理でしょう」

「そうかなあ」

 教会を出ると、洗濯物を干しているピエトロに医師が言った。

「ピエトロ、ラジオは作れるかい?」

 ピエトロがはにかんでいるようにも見える困った顔をすると、医師は大笑いした。

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