表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

7

バレンタインは、警察署の駐車場に停めている4ドアセダンのクライスラー300Cに乗り込む前に助手席のドアを開けると、手に持っていたテーザー銃が隠されているトレンチコートを助手席に置き、次いで周囲を見渡して誰も近くにいないことを確認してから徐に右の尻ポケットに入れていたEMP拳銃を取り出すと急いでトレンチコートの下に隠した。それから比較的ゆっくりと運転席に乗り込むとエンジンを始動させる3.6リットルV型6気筒DOHCが動き出すと大人しく全長3,048ミリメートル、全幅1,882ミリメートルの車体の5速ATをドライブレンジに入れて駐車スペースを後にした。


強行班のトム警部は、昨夜の襲撃犯のうち負傷していなかったメンバーの取り調べを行っているが、全員が襲撃の実行部分については比較的正直な受け応えをするものの、ブルーノファミリーの幹部を主犯格として検挙するために必要な核心部分になると全員が判で押したように「分からねぇ、知らねぇ」の一点張りで埒が明かない。流石に、昨夜から徹夜で対応しているトムも疲れが溜まってきているので、一旦は取り調べを中断するとトムは取調室を出て署内に設置されているコーヒーの自販機に向かいブラックコーヒーのボタンを押して、取り出し口から紙コップを取り出すと壁に凭れ掛かりながらブラックコーヒーを一口啜っているところへ備品係の主任が通り掛かる。

備品係の主任がトムに気付くと

「よぉ、昨夜の捕り物で捉えた連中の取り調べか?だいぶ難航しているみたいだなぁ」

「まぁな、しかも捕まえてきた連中は間違いなく汚れ仕事の実行部隊専門の下っ端連中だろう。お陰で、ちっとも肝心な事を吐かねぇから埒が明かないよ」

備品係の主任からの言葉に、トムは答えた後で溜息を吐くと、備品係の主任がトムの隣で同じく壁に寄り掛かって

「そりゃ大変だ。それに引き換えコミッショナーときたら何を考えてるのか」

と言ってトムと同じように溜息を吐く。

「コミッショナーが?一体どうした」

トムは何気無く問い掛けてブラックコーヒーの入った紙コップを口元に持って行くと

「何を思ったのか突然、制服警官の装備品が見たいとか言い出してきたので、今朝一番に秘書のナンシーのところへ一式持って行ったところだよ。今更、何を調べようって言うのか、さっぱり分からん」

備品係の主任が軽く首を左右に振りながら言うのを聞いたトムは、口元へ紙コップを運びかけた動きが止まると

「制服警官の装備品?」

その言葉を怪訝そうな感じで口にすると突然、飲み掛けのブラックコーヒー入りの紙コップをゴミ箱に投げ捨てると

「すまん、急に調べものを思い出した」

早口で言うと不思議そうな表情を浮かべた備品係の主任を無視して駆け出した。

署長室やコミッショナーのオフィスがある最上階まで階段を駆け上がったトムは、階段を登り切った所で両手を膝の上に着き、口を大きく開けながら背中を波打たせて乱れた呼吸を整えている。ある程度、息が落ち着くと歩いてコミッショナーのオフィスに向かい女性秘書がいる秘書室前でドアをノックする。

「はい?」

という秘書のナンシーの声が聞こえたのでトムは静かにドアを開ける。ドアを開けたのが強行班のトム警部であることが分かったナンシーは

「トム警部、何かコミッショナーに御用ですか?」

と問い掛けてくる。

「コミッショナーは在室しているのか?」

トムは藪から棒に秘書のナンシーに問い掛けると

「コミッショナーは、所用があるとかで不在にしております」

ナンシーは笑顔を見せて答える。その答えを聞いたトムは、まさかコミッショナーが不在中なのに室内を見せろとは言えないので

「コミッショナーは、いつ出掛けられたのかな?」

比較的穏やかにナンシーに続けて問い掛けると

「30分ほど前に出掛けられましたよ。何かコミッショナーに用件がありましたか?」

ナンシーの受け応えに

「いや、少々伺いたい事があったのだが、いいでしょう。また出直してきます」

とトムは言って退室しようとドアを閉め掛けるとナンシーは

「コミッショナーは午後一番にお戻りになるそうです」

とトムに伝える。

「ありがとう、では」

トムが笑顔で礼を言って静かにドアを閉めると、踵を返して駆け足で階段に向かい急いで階段を地下へ向けて駆け下りた。地下にある公用車専用駐車場へ向かったトムは、公用車管理の詰所に居る担当の警察官から覆面パトロールカーの鍵を受け取り、指定された覆面パトロールカーのシボレーマリブXLに乗り込んでエンジンを掛ける。

ATミッションをドライブモードに入れてステアリングを操りシボレーマリブXLを発進させると車載警察無線のチャンネルを操作して強行班専用に合わせて強行班オフィスへ呼び掛けると部下が応答してきた。

トムは叫ぶように

「私だが、急用があってボビーの所へ行ってくる。昨夜の連中の取り調べは、昼食が終わり次第に始めてくれ。それと、私に緊急の用件があるときは携帯電話で呼び出してくれ」

それだけ言って無線連絡を終了し、それまで警察署の敷地内を徐行運転で、走行させていたシボレーマリブXLが一般道に合流すると、青と赤の緊急フラッシュライトを点滅させサイレンを鳴らしながら、ボビーの自宅へ向かって疾走していった。

ボビーの自宅へ向かったトムではあったが、所用で外出したバレンタインがボビーの自宅へ向かったという確信はないし、仮にボビーの自宅へ向かったとしても重要証人のジェーンやボビーに対して危害を加えるという可能性があると断言できるわけでもない。ただし、ブルーノの裁判が明後日に迫っている状況ではトムの中には妙な予感が沸き上がり、まるで竜巻が発生する直前のように澄み渡った空一面を暗い雲が覆い尽くすような感じで覆っていく。


昨夜のブルーノファミリーからの襲撃による銃撃戦と警察の現場検証作業で、深夜まで起されていたボビーとジェーンが就寝できたのは深夜の1時を過ぎていた。そのため、2人が起床したのは午前10時を過ぎた頃となり、2人共ベッドから出てキッチンで朝食というよりもブランチの準備を寝不足そうな顔をして行っている。出来上がった料理等をテーブルに運んで2人揃って席に着き食事を始めるが、ジェーンの食が進まないのに気が付いたボビーは

「昨夜の事もあったから、ジェーンも本当に疲れて食欲が湧かないかもしれないけど、明後日には大事な裁判が始まるんだから体調を崩さないためにも食事はちゃんと摂らなきゃ」

ボビーも疲れていないと言ったら嘘になるくらいの疲労感が身体中に溜まっているが、それでも努めて優しい声でジェーンに語り掛けると

「ええ」

ジェーンも僅かに笑顔を見せながら頷き、少しずつ食事を進める。

そこへトランシーバータイプの警察無線から

「ボブ、ボブ、聞こえるか?コミッショナーが訪問してきたんで、そちらに通すぞ」

と護衛の警察官から呼び掛けてきた。ボビーは、口元をナプキンで拭うと無線機を取り上げて

「了解した」

と発信ボタンを押しながら答え、手にした無線機を充電器に戻しながら

「コミッショナーが?一体、何の用だ?」

と独り言を呟く。


一般道からボビーの自宅へ入る入口で護衛している警察官の手前でクライスラー300Cを一旦停車させて運転席側のパワーウインドウを下げてサングラスを外したバレンタインは

「ご苦労」

と2人の警察官に笑顔で声を掛ける。サングラスを外したバレンタインを見た警察官は

「コミッショナー、どうしました?」

和やかな表情でバレンタインに問い掛けると

「なぁに、ブルーノの裁判が明後日から始まるので、その前に重要証人の保護プログラムに協力してくれたボビーに礼を言おうと思ってな」

笑みを浮かべて答えるバレンタインに

「そうでしたか、どうぞお通りください」

2人の警察官が、そう言って道を開けるとバレンタインは外していたサングラスを掛け直すと下げていたパワーウインドウを上昇させて、ゆっくりとクライスラー300Cを走行させる。

バレンタインは、護衛の警察官達から車内が死角となる辺りまでくると助手席に置いたトレンチコートから隠していたEMP拳銃を抜き出して着ているジャケットのサイドポケットへ忍ばせた。

クライスラー300Cが、ボビーの自宅の玄関前まで来たので停車すると玄関のドアが開いてボビーが姿を見せるが、肝心のジェーンの姿は見当たらない。それでもバレンタインは、クライスラー300CのATシフトをパーキングに入れてからエンジンを切り、サングラスを外すと笑顔を見せながら運転席側のドアを開けたところで

「わざわざ、コミッショナーが来るとは」

と言ってボビーが歩み出してくると、クライスラー300Cから降車しようとしたバレンタインの表情は、笑顔から一瞬にして冷酷なものに豹変し左手に持ったテーザー銃をボビーへ向ける。

テーザー銃を向けられたボビーは、驚きの表情を見せ慌てて身体を反転させて玄関に向かう。玄関ドアは開け放たれているので、玄関から室内に飛び込めばテーザー銃の餌食にはならずに済むが、あと一歩という所でバレンタインがテーザー銃の引き金を引くとテーザー銃からは2本の電極が射出されボビーの背中に命中した。背中に電極が命中したボビーは、突っ伏すように玄関前に倒れ込み身体中の筋肉が硬直したかのように動けずに呻き声を漏らした。

その様子を室内から見ていたジェーンは、目を見開き悲鳴を上げそうな口元を右手で覆うと慌てて携帯電話を手にして動画撮影機能を使って室内の窓に携帯電話を横向きに置いてボビーとバレンタインを撮影し、次いで物音を極力させないようにしてボビーの拳銃を探し始める。

そんなジェーンの様子に気付かぬバレンタインは、勝ち誇ったような笑みを浮かべるとジャケットの右サイドポケットからEMP拳銃を取り出してボビーに近付き

「さんざん手間を取らせてくれたなッ、これでお前と小娘は終わりだ」

と言いながらEMP拳銃の銃口をボビーに向けて安全装置を外しかける。ボビーが必死の思いをして身体を反転させ右腕を使って上体を起こしてバレンタインに向き合うと

「アンタ、ブルーノと手を組んでいたのか?」

怒りを含んだ声でボビーが問い掛けてくると

「そうさ、これまでも私はブルーノに警察情報を流してやっていたのさ」

冷酷な笑みを浮かべながら得意気に答えるバレンタインに対して

「まさかな、現役の頃からブルーノ一家についての警察情報が漏れていたとは思っていたが、コミッショナーのアンタが犯人だとは思わなかったよ」

「私の立場なら、全ての警察情報にアクセスできるのでブルーノ達にとって必要な情報は都度教えてやれば、見返りに多額の情報料を手にすることができるのでな」

勝利を確信しているバレンタインが得意気に喋っている。その時、ボビーの耳には後方からジェーンの声が微かに聞こえ

「ボビー、ボビーの拳銃を右手の近くに置いたわ」

それを聞いたボビーが右手の指先で探ると、確かに指先には拳銃のグリップ部に触れることができた。それが分かったボビーはバレンタインに向かって

「しかし、ここで発砲して護衛の警察官に何と言って言い訳するつもりだ」

憎悪に満ちた視線を向けて問い掛ける。

「これから死ぬのに無用な心配するとはな。なあに、木立の辺りにブルーノの襲撃者が見えたので反撃しようとしたら誤射してしまったとでも言えば充分だよ。最初にお前を射殺するれば、その銃声を聞いて小娘も飛び出してくるだろうから、飛び出してきたところを射殺すれば全てが終わる」

得意気に説明していたバレンタインだが、ジェーンの事を喋る際に視線が家の内部へ向いた瞬間、僅かではあったが銃口がボビーから外れたのをボビーは見逃さずに、右手でジェーンが置いてくれた拳銃を握ると精一杯の力を込めて拳銃をバレンタインに向けて

「そう上手く事が運べば良いがなッ」

ボビーが叫ぶと

「シット」

と叫んでバレンタインがEMP拳銃の引き金を引こうとするが安全装置の解除が中途半端であったため、引き金はビクとも動かず撃鉄が撃針を叩けずに発砲しない。

そこへ、右手に握り締めたボビーのHK45Cから銃声が鳴り響きバレンタインの鳩尾に45ACP弾が命中する。


覆面パトロールカーのシボレーマリブXLで緊急フラッシュライトとサイレンを鳴らして疾走していたトムは、ボビーの自宅の500メートル手前でサイレンを止めた。フラッシュライトのみを点滅させたシボレーマリブXLがボビーの自宅200メートル手前まで来た時、護衛の警察官2人は覆面パトロールカーの接近を自覚すると互いに視線を合わせて「何があったのか?」と首を傾げる。

シボレーマリブXLが急停車を掛けてタイヤを鳴かせると、トムが運転席側のドアを勢い良く開けて降りてくると

「ご苦労、ところでコミッショナーは来ているか?」

早口で2人の警察官に問い掛けると

「ええ今、来ていますよ」

1人の警察官が微笑んで答えるのを聞いたトムは、血相を変えて右手をジャケットの中に忍ばせるとFNハースタル社製のFN509拳銃を抜き出した。


FNハースタル社は、ベルギーに本社を置く銃器製造メーカーである。しかし、FN509拳銃はFNハースタル社が直接開発したわけではく、米国にFNUSAとして設立した法人が米軍のXM17モジュラー・ハンドガン・システム・コンペティションに参加する目的で開発した樹脂製フレームを使ったストライカーファイヤの9×19ミリメートル弾を使用する拳銃である。全長190ミリメートル、重量670グラムで17発の弾薬が装填可能となっている。

トムがFN509拳銃を構えたのを見た警察官は、驚いたような表情を見せているとボビーの玄関先から拳銃の発砲音が聞こえてきた。反射的に3人はボビーの玄関先に視線を向けると1人の男性が腹部を押さえて苦悶しているのが見える。

慌てた3人は、ボビーの玄関先へ所持している拳銃を構えて走り出した。近くまで接近してみると倒れているのは、口から胃液を嘔吐しながら苦悶しているコミッショナーのバレンタインであった。その光景に驚いた3人が反対側に目を転じると、そこには仰向けで横たわり銃口をバレンタインに向けているボビーの姿があった。

苦しそうに歪んだ表情のボビーが

「バレンタインの近くに転がっている拳銃を回収してくれ」

と言うと、1人の警察官がEMP拳銃を拾い上げて手動の安全装置を掛ける。それを見たボビーは

「ああ」

と声を漏らしながら、自らのHK45C拳銃に安全装置を掛けると右手と首を寝かせて玄関前で仰向けになった。トムは、ボビーの右側に近寄ると片膝をついて

「ボブ、何があったんだ?」

と問い掛けると蒼褪めた表情のジェーンが

「この携帯に全ての事が映ってるわ」

とトムに携帯電話を差し出すと、携帯電話に視線を向けたトムが受け取る。寄越された携帯電話が動画モードになっていたので、トムは動画を再生してみるとボビーがバレンタインからテーザー銃の電極を発射された跡からの模様が録画されていた。ただし、2人の会話は音量が小さくしか記録されていないので聞き取り辛いが、注意深く聞くと2人のやり取りは何とか理解できる。

トムと2人の警察官が、記録された動画を全て見終わった頃に口から胃液を嘔吐していたバレンタインが苦痛の表情を見せながら

「至急、その男を逮捕しろッ」

と命令してくる。しかし、トムと2人の警察官は冷たい視線をバレンタインに向けるだけでボビーを拘束する気配がない。業を煮やしたバレンタインは、ボビーを左手の人差し指で差しながら

「その男は、コミッショナーである私に拳銃を発砲したんだぞ」

と半ば叫ぶように言う。それを聞いたトムは

「だが、貴方がやった事は殺人未遂と暴行じゃないか。バレンタイン氏を拘束しろ」

2人の警察官に伝えると、1人がバレンタインを強引に腹這いにさせて、両手を腰の辺りで合わせると左膝でバレンタインの両手の動きを封じてから手錠を掛けようとするが

「こんな事をコミッショナーの私にして、ただで済むと思っているのか?後で後悔することになるぞ」

往生際悪く叫ぶが、そんなバレンタインを無視して手錠を掛けた警察官が身体チェックを行う段階になってトムから

「重要証人のジェーンが、この携帯電話で2人のやり取りを録画してくれていた。この証拠を見れば、市長も貴方をコミッショナーから解任することに躊躇しないだろう」

とバレンタインに冷たく言い放つとバレンタインは

「そんな物はフェイクだ」

と叫ぶが、暫くすると身体を九の字に曲げて再び胃液を嘔吐する。

「フェイクかどうかは、じっくりと調べれば確実に分かる事だろう。しかし、現状ではジェーンが僅かの時間でフェイク動画を作成できるとは思えないがねぇ」

トムが冷静さを失うこと無くバレンタインに告げると、ようやく状況が飲み込めたバレンタインは首をうな垂れて

「弁護士を呼んでくれ」

と力無く言うのが精一杯になっていた。それを聞いたトムは警察官に

「交代の護衛要員を無線で手配して、交代要員が到着しだいバレンタイン氏を署に連行してくれ、そのあと留置所への拘留手続きが完了したら間違いなく弁護士を呼んでやれ」

と警察官に命じる。

「了解しました」

2人の警察官が言うと、バレンタインをパトロールカーの後部座席へ連れて行く。

それを見送ったトムは、ボビーの背中に手を回すと

「本当に大丈夫かい?」

ボビーに声を掛けながら上体を起こしてやる。ジェーンも泣きそうな表情で心配そうにボビーの脇に近寄り両膝をついて

「ボビー、本当に大丈夫?」

と声を掛けてくる。ボビーは笑顔を見せながら

「テーザー銃で撃たれた時は、流石に身体の筋肉が硬直したみたいになって動かせなかったけど、だいぶ楽になってきたよ、もう大丈夫だ。それとジェーン、拳銃を渡してくれてありがとう。ジェーンのお陰で撃ち殺されずに済んだよ」

声を掛けると優しくジェーンの右手を握った。しかし、ジェーンの表情は心配そうなままで

「大丈夫?立てる?」

と言うとボビーの左腕を掴むと自らの首の後ろに回すと、ジェーンの反対側にいたトムも

「ボブ、立てそうか?」

と言いながらボビーの右腕を掴んでジェーンのようにし、ジェーンと呼吸を合わせてボビーが立ち上がり易いように引き上げる。

ボビーは幾らか辛そうな表情を浮かべながらも

「2人とも済まない」

と言って立ち上がると、パトロールカーの後部座席に乗せられているバレンタインの方を見ながら

「人ん家だと思って随分と嘔吐してくれたなぁ。これで暫くは玄関前が臭くてしょうがない」

苦い表情を浮かべながら嫌味を口にすると、同じく苦笑いの表情を浮かべたトムが

「お陰で、警察署内の癌を一掃することができたよ。まぁ、懸念しているバレンタインが嘔吐した悪臭については、後から現場検証で来る連中に消臭剤を持って来させて散布させるので我慢してくれ」

とボビーに告げてパトロールカーに拘束されているバレンタインに視線を向けると、まるでボビーとトムの会話が聞こえたかのように青白い表情で嘔吐いている。

それを見たジェーンは嫌悪の情を露に

「私の事を必死で守ってくれた警察官は全て素晴らしい人達だったのに、悪い人達からお金を貰って悪人の味方になるような酷い人もいるのね」

独り言のように口にすると、それを耳にしたトムが

「ジェーンのような弱い市民を守るためにも、例え警察関係者であっても悪事を暴いて捕まえないと多くの市民から信用してもらえなくなる」

ボビーとジェーンの2人に視線を向けながら口にする。

「ああ、そうだな」

ボビーは、半ば溜息交じりに相槌を打った。


ジェーンを護衛する交代要員と現場検証のための警察車両がボビーの自宅に到着すると、トムはボビーとジェーンに別れを告げてシボレーマリブXL覆面パトロールカーに乗り込むと警察署へ引き返していった。

警察署に到着したトムは、真っ直ぐに署長室へ向かいバレンタインが行ったジェーンとボビーに対する一連の襲撃事案について報告し、同時にジェーンが録画していた動画も見せた。それを見た署長は血相を変えると、デスクの上の受話器を取り上げて市長へ電話を入れる。市長への電話が終わり受話器を戻すと

「今から市長に事の全てを報告しに行くが、君も一緒に来てくれ」

とトムに命じて市役所へ向かった。

市長室に入った署長とトムが、バレンタインの一連の行動と録画された動画を見せると、録画を見終えた市長は、驚きと怒りで蟀谷に青筋を浮かべて

「今すぐ、警察コミッショナーを解任だッ」

と叫ぶように言い、デスクのインターフォンのボタンを押して隣室の秘書官を呼ぶと

「至急、バレンタイン氏を警察コミッショナーから解任し、新たなコミッショナーの人選を始めてくれ」

と言い捨てるように指示を出し、秘書官が市長室を退室すると署長とトムに視線を移し

「バレンタインが、こんな男だったとは思わなかったよ。長年に渡り警察行政を適正にやってくれていたと思っていたが、こんな風に裏切られていたと思わなかった、警察の諸君には相当迷惑を掛けてすまなかった」

と署長とトムに謝罪すると頭を下げた。


警察署の取り調べ室でのバレンタインは、弁護士も同席していることもあってか態度が横柄になっていた。兎に角、取り調べの刑事が質問する度に

「ちょっと待て」

と右手を刑事の顔の前に突き出して遮ると、弁護士の方へ顔を向けて小声で弁護士と相談してから

「その質問には黙秘する」

パイプ椅子に踏ん反りかえって返答してくる始末である。

そんな調子で取り調べの刑事も手を焼いていたところに、市長への報告が終わったトムが取調室のドアを開けて入ってきた。

トムを認めたバレンタインは

「私は、未だ容疑者であって犯罪人じゃないんだぞ。もう少しマシな椅子が用意できんのか、これじゃ尻が痛くて話しもできん」

とトムに悪態を吐く。それを聞いたトムは冷やかな表情で

「それは現行犯の貴方が仰る言葉とも思えませんが、ちなみに市長が貴方を警察コミッショナーから解任しましたよ」

トムが言い放った後半の一言は、バレンタインの表情を一変させるのには充分過ぎる効果があった。驚きの表情を浮かべたバレンタインは動揺したように

「う、嘘だッ」

呻くように口にするバレンタインに、冷徹な表情を変えることなくトムが

「弁護士さんもいらっしゃるのであれば、携帯電話で確認して頂ければ直ぐに確認できる事ですよ。構いませんから、弁護士さん市長さんに電話してみては如何ですか?」

と告げると、バレンタインの弁護士は慌ててジャケットから携帯電話を取り出すと電話を掛けた。暫く小声で電話でのやり取りをしていたが、直ぐに通話を終えるとバレンタインの耳元に口を近付けて何事かを喋ると、バレンタインの表情には絶望の色が広がり首をうな垂れると

「弁護士が確認したよ、間違いなく警察コミッショナーを解任されたようだ。そこで、早速だが司法取引をしたい」

そう切り出すとバレンタインは、弁護士の方へ顔を向けた。バレンタインから振られた弁護士は居住まいを正して椅子から立ち上がると

「バレンタイン氏は、ボビー氏とジェーン氏に対する暴行及び殺害未遂の件については不問にして欲しいとの希望があります。もし、この司法取引を認めて頂くのであればバレンタイン氏が警察情報をブルーノファミリーに漏洩していた件を認めた上で、バレンタイン氏が承知しているブルーノファミリーに関する情報を全て提供しても良いとの意向です」

それを聞いたトムが

「分かった。しかし、今の提案については上と協議してからでなければ回答できないので、それまでの間はバレンタイン氏には当警察署の留置所で待機して頂くが構いませんか?」

回答するとバレンタインの弁護士は

「即時、釈放はして頂けないのですか?」

と食い下がるが、トムは毅然として

「釈放によって、バレンタイン氏の逃亡及び証拠隠滅の可能性が排除できない限り即時釈放には応じられません」

言い放つと弁護士の方も予想して部分であることから

「裁判所に申請しても無駄という事ですね」

半ば諦めたようにトムに言うと

「逮捕直後である事と、現在の取り調べに誠実に対応して頂けているとは思えませんので、そちらが裁判所へ即時釈放の手続きをされても裁判所からの問い合わせに対する回答は今申し上げた通りです」

確信に満ちた表情でトムが返答すると、弁護士はガックリと肩を落としてバレンタインに向かって

「バレンタインさん、お聞き及びの通りに即時釈放は無理だと思われるますので、提案した司法取引が成立するかは留置所で待って頂くことになります」

弁護士の説明を聞いたバレンタインは、それまで威厳を保っていた態度が消え失せて卑屈な表情に変わるとトムに向かって

「あの汚らしい留置所で、どれ位待てばいいんだ?」

と問い掛ける。

「まぁ、署長の打ち合わせに半日も掛かる事はないだろう。せいぜい1時間くらいだと思えば充分だよ」

半ば憐れみの表情を浮かべてトムが答えると取調室に居た刑事に

「バレンタイン氏を留置所へお連れしろ」

と命じる。それを聞いていた弁護士は

「1時間程度であれば、私も警察署内で待たせて頂きますよ」

とトムに告げる。

「どうぞ、お好きなように」

トムは紋切り型で、バレンタインの弁護士に答えてから取調室を出ていった。

取調室を出たトムは、署長室へ向かうと署長とバレンタインの弁護士からの司法取引の提案について協議を始める。

バレンタインの弁護士からの提案を一通り聞いた署長からは

「その司法取引を飲んだとして、バレンタインを起訴できるのか?」

訝るような表情を浮かべてトムに問い掛けると

「今、部下にはバレンタインの自宅とコミッショナーオフィスの家宅捜査令状を裁判所に申請しており、家宅捜査で警察情報をブルーノファミリーへ提供していた事実と多額の報酬が渡されていた事が証明できる証拠を差押えれば、守秘義務違反と贈収賄事件で立件できると思います」

と署長に答える。

「暴行と殺人未遂については、確実な証拠が揃ってバレンタインには懲役30年は間違いないところだが、それに目を瞑る事のメリットは何だ?」

最初のトムの答えに、一応納得した署長が続け様に質問すると

「バレンタインが知っているブルーノファミリーについての情報を全て吐かせれば、今度こそブルーノファミリーを叩き潰すことができると思いますが」

トムの回答を聞いた署長は

「確かに、この街を牛耳っているブルーノファミリーの排除は市長の悲願でもあるしなぁ、分かった司法取引を認めるよ。ただ、被害にあったボブとジェーンには申し訳ない事になるので、そのことについては君からボブとジェーンに説明しておいてくれ」

署長も司法取引に賛同したが、バレンタイン逮捕の契機となった事件の被害者である2人のケアを失念することなくトムに指示する。

「分かりました。私からボブとジェーンには説明しておきます。まぁ、現職時代にブルーノファミリー撲滅に執念を燃やしていたボブは理解してくれるでしょうけど、ジェーンについてはボブからも納得させてくれるように話してみます」

バレンタインの弁護士からの司法取引の相談を持ち掛けられた時点で、署長と相談すれば当然に想定できた流れであり、その通りに物事が進むことでボビーが現職時代から取り組んでいたが果たすことが出来ずに、ボビーが退職時になってトムに託していったブルーノファミリーの撲滅への第一歩が踏み出せることに安堵して署長室を退室した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ