再び騎士団へ
騎士団へ再訪問する日。馬車の中でエメラインはゆっくりとした口調で、花子に言い聞かせていた。花子は今、エメラインのビスクドールの中にいる。
先日できなかったシリルとの打ち合わせをするために、こうして騎士団に向かっている。だが今までの経験上、花子がエメラインの中にいる状態では集中できない。騒ぎ出したらエメラインには止める術がないからだ。なので、こうして人形に花子を移し、持ち歩くことにした。
もちろん人形に花子を移すことに不安はある。花子は感情の赴くまま動くし、動く人形をどう誤魔化すかという問題もある。それでも、シリルとの話し合いの時に、頭の片隅で騒がれるよりもいいだろうという苦渋の決断だ。
「いいこと? こっそりと覗いていてもいいけれども、声を出しては絶対にダメ。ミナの籠から出てもダメ。わかった?」
「わかっているってば! 気が付かれないようにそっと覗けばいいのでしょう?」
「本当なら覗くのも遠慮してもらいたいのだけど」
「だったら、エメラインの中にいる。その方が色々見えるし」
楽しくないと言わんばかりにふいっと顔を背けられた。エメラインは仕方がないと、覗くことを許可する。花子はわかりやすく浮かれた。
「うふふふ、シリルとエメラインのあれこれが見られるの、楽しみだわ。ちゃんとバレないようにするからね! 任せて!」
花子がどんと人形の胸を叩く。
「本当に大丈夫なのかしら。不安だわ……」
「わたしがしっかりと持ち運びます」
ミナにそう言われ、不安を何とか飲みこむ。もう一度、駄目押しをしておこうと、エメラインは人形の頬を優しく突っついた。
「大人しくしていたら、ご褒美に騎士団の見学をお願いしてあげるわ」
「え! 本当に!?」
「ええ。でもちゃんと打ち合わせ中は静かにすること。それから、動くところも話せるところも誰にも見られてはいけないわ」
「そんなの、簡単よ! 任せて」
喜びにくるくると踊り出す花子。ご褒美をちらつかせておけばなんとなるだろうと思ったわけだが、余計に興奮して踊っている花子の姿にどっと後悔が襲ってくる。
「ハアナ……やっぱり人形に入るのは止めましょう」
「エメラインは心配性ね。大丈夫よ、ちゃんとできるから。わたしだって、やればできる子なの」
そういうと、ぴたりと止まりエメラインの膝の上でくたりと力が抜けた。どうやら人形の振りを実演してくれているようだ。指先でツンツンと突っつき、さわさわと擽ったが、それでもピクリともしない。体を動かすことも、声も出なかったことにエメラインは信じることにした。
「そうね、長くても二時間。我慢してね」
馬車が止まり、扉が開く。
エメラインは膝の上にいる人形をミナの持つ籠に入れた。ふわりと綺麗なカバーが掛けられ、ほんの少しだけ外が見えるように調整される。
「さあ、行きましょうか」
◆
騎士団の事務官に案内されたのは、先日と同じ部屋だった。
「こちらのお部屋です。どうぞお入りください」
エメラインはお礼を言うと、扉を開けた。扉を開ければ大きな窓を背にして、シリルが立っていた。前回のように駆け寄って抱き着いたりはしない。自分から幼い頃とは違うと突っぱねたのに、その距離を少し不満に思う。自分の身勝手さに辟易しながら、シリルの名を呼んだ。
「こんにちは、シリル」
「よかった。もう来てくれないかと思った」
ほっとした顔をした後、シリルは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。そのどこか気の抜けたような顔を見て、騎士として大丈夫なのだろうかと心配になる。シリルは幼い頃は女の子と間違えられるほど可憐だった。当然、気質も優しい。
「シリルはもしかして騎士団の事務方なの?」
「ちゃんと騎士として仕事をしているよ。いつでも辞めていいように、階級は隊長だけどね」
この世界は魔獣が存在している。領地を持つ貴族は私設騎士団を持つことを義務づけられていて、さらには王立騎士団との連携を取るために、数人、王立騎士団へ派遣される。
シリルが今属している王立騎士団は治安維持ではなく、魔獣討伐隊になる。魔獣が大規模になった場合や、手に負えないような強い種が現れた時に派遣されるための部隊。訓練を兼ねた遠征で、魔獣討伐のノウハウを手に入れるのだ。
「あと数年はこちらに所属しないといけないけど。その後はエメラインと一緒に領地に戻れるから、心配しなくて大丈夫」
心配なのは、ちゃんと辞められるのかというよりも、こんなにも優しいシリルが魔獣討伐など危険なことができるのかということなのだが。
シリルの勘違いを訂正できず、曖昧に微笑む。
そこから二人は魔獣討伐について、色々と話し合った。ほとんどが毎年変わらぬ内容で、問題になるような魔獣の情報もない。変更もなく終わると、シリルはぎゅっとエメラインの両手を握った。
突然握られて、びくりと体を揺らす。
「先日、エメラインに逃げられてちょっと反省した。エメラインはまだ婚約破棄したばかりで、複雑な気持ちでいるのに、ガツガツして」
「シリル……」
「もうちょっと落ち着かないと駄目だと先輩たちにも散々怒られた。でも、僕はエメラインの側にいたいんだ」
真摯な目で訴えられて。エメラインは視線を落とした。素直になればいいだけよ、と花子の気楽な言葉が思い出される。
そう、聞けばいいのだ。一番気になっていることを。
何度か呼吸をして、顔を上げた。真正面には優しい顔をしたシリルがいる。
「シリルは、幼い頃のわたくしが好きなのでしょう? もし」
「幼い頃も大好きだったけれども、この間の夜会のやり取りは痺れたよ。もっと言ってやれ! って大声で応援したかった」
ん?
「夜会に参加していたの?」
「うん。だってエメラインの顔を見られる、数少ないチャンスだから」
その言い方だと、夜会は常に参加していたということだろうか。
驚きに目を見開き、まじまじとシリルを見つめる。シリルはどこか恥ずかしそうに頬を染めた。
「エメラインと話すことは出来なくても、側に居たくて。何かあったら飛んでいこうと、エメラインに気が付かれないように遠くで見守っていた」
「シリル」
「これからは側で守りたいし、今までの空白の時間を埋めていきたい」
熱のこもる目で見つめられて、エメラインは頭が沸騰した。何か言わなくては、と思うものの上手く言葉が出てこない。どうしよう、と一人焦っていると。
「きゃあああ! 素敵だわー! 純愛ね、幼い恋が動き出して、これから大人の恋に変わっていくのねー!」
甲高い花子の声が部屋に響き渡った。