エメラインの躊躇い
「ねえねえねえ! エメラインの新しい婚約者、シリル! すっごく好みの筋肉していた!」
大騒ぎするのは、花子の入った人形。
馬車に飛び乗った後、シリルについてあれこれ煩く質問攻めにしてくるので、我慢ならずに屋敷に着くなり人形に移動したのだ。
「うるさい、少し静かにして」
「やーん、なんでそんなにも恥ずかしがっているの? 相思相愛なんでしょう?」
「……」
「エメラインを思ってずっと鍛えていただなんて、胸キュンだわ。それにどこか犬っぽいところもエメラインに合っていると思う」
花子は人形の体をくねくねさせながら、シリルがいかにエメラインに似合っているのかをまくし立てる。所々、筋肉に特化しているのはご愛敬だ。
「……お嬢さま」
ひどく困惑した声で呼ばれた。はっとしたエメラインは部屋に侍女のミナがいることにようやく気が付いた。彼女は騎士団への訪問の時も同行していて、もちろん戻ってきた時も一緒。空気のようにいつも一緒にいるから忘れていたけれども。
「あら、メイドさん? かわいいー!」
花子は気にすることなく、ミナの目の前までとことこと歩いて行った。ミナは真っ青になりながらも、その場に立ち尽くす。
「ミナ、配慮が足りなくてごめんなさい。これ、わたくしの自称前世、ハアナよ。脳内が煩すぎて、こうして人形に追い出しているの」
隠すつもりもなく、紹介する。花子は気をよくして、くるりと一回転してから、お辞儀をした。
「初めまして、花子です! エメラインの前世で、筋肉ラブなの。よろしくね」
「は、はあ」
ミナは前世だと説明されても、疑わしそうだ。顔色を悪くしながらも、じっと花子を見つめ、何かを見極めようとしている。
エメラインはため息をついた。
「外に出かけるときはわたくしの中にいるみたいなのだけども。すごく煩い。ハアナはわたくしの前世だと主張しているけど、聞いている事例と随分と違うのよね」
「そうですね。前世が蘇った人の記録では、突然、この世のものでは考えられないような閃きをすると説明されています」
ミナの言葉に頷きながら、花子の入った人形を見る。
「わたしだって、現代チート無双、やりたい! でもエメラインが駄目だっていうから」
「当然だわ。でも、ハアナの推し事は許可してあげたでしょう?」
「……お仕事?」
理解できなかったミナがぱちぱちと瞬く。
「お仕事じゃないの。推し事。推しの素晴らしさを世に広める活動よ! 一級品の筋肉を見つけて、その素晴らしさを筋肉美を知らない哀れな子羊たちに」
早口で捲し立て始めた花子をエメラインが止めた。
「ハアナ、そこまでよ。推し事は後にしてちょうだい」
「あ、はい。ごめんなさい」
きつく言われて、反射的に花子はしおしおと引き下がった。ミナが慰めるよう人形の頭をそっと撫でる。
「とにかく、お父さまに確認が必要ね。本当にシリルに許可を出したのかどうか」
「では、お会いできるか確認してきます」
ミナは一礼してから、部屋を出て行った。二人きりになった花子はそっとエメラインを見やる。
「シリルではダメなの?」
「駄目ではないけれど……一度は諦めた人だから」
「諦めた人? でも今は婚約破棄していて、エメラインはフリーよね?」
躊躇う理由なんてないじゃないかと言わんばかりの様子に、エメラインはため息をついた。
「そういうわけにいかないのよ」
「どうして?」
「婚約破棄をしてすぐに幼いころから親しい相手を選ぶと、殿下だけでなくわたくしも不貞をしていたのではないかと疑われるじゃない。わたくしはもうすでに色々言われているからどうでもいいけど、シリルにそんな悪評を付けたくない」
エメラインは憂鬱そうに説明した。花子はエメラインの考えに納得がいかずに、首をかしげる。
「悪評にはならないんじゃないかな。だってちゃんと婚約破棄後に求婚しているし。好きな人がフリーになったから、すぐに申し込むって変じゃないと思うけど。これが見ず知らずの人なら、一目惚れとか、ずっと好きだったと言われても信じられない気持ちの方が強いと思うけど」
「……それは」
ふと視線を落としたエメラインに花子はそっと近づいた。下から覗き込むようにして、じっと見つめる。
「エメライン、シリルが嫌いなの?」
「嫌いじゃないわ!」
エメラインが大きな声で否定する。
「だったら、素直に婚約すればいいのに。エメラインのお父さんが上手くやってくれるわよ」
「でも」
いつもの何事にも動じない様子とはかけ離れているエメラインに、花子は嘆息した。
「折角嫌な男と縁が切れて、好きだった人と結婚できるのに。素直になれない理由がよくわからない。何が問題なの?」
エメラインは言葉に詰まってしまった。花子の言っていることはもっともなのはわかっている。彼女への答えを探しているうちに、自分のためらいの原因を見つけてしまった。
「多分……わたくしは、シリルに幻滅されたくないのだわ」
「幻滅するようなことってあるの?」
いまいちよくわからない花子は首をかしげている。
「だって、シリルが知っているわたくしは幼い時のわたくしよ。わたくしが婚約した後、本当に一度も会っていないの。幼い頃の印象のわたくしが好きだというのなら、もしかしたら幻滅されてしまうかもしれない……そう思われるのが怖いのよ」
自分の恐れを言葉にするのは、どうしようもなく恥ずかしく。花子から視線を逸らし、自分の手を見つめる。
「つまり、エメラインもシリルが大好きだってことね! 両想いじゃない!」
「そうじゃなくて」
「だって嫌われるのが怖いって、大好きだから思う気持ちよね?」
久しぶりに会った幼い頃に好きだった人。彼はとても素敵な男性になっていた。そして、顔をしっかりと見つめて、自分を選んでほしい、と。
つい先ほどの出来事を思い出して、限界に達した。突然、茹ったように全身が熱くなる。
「エメライン、顔が真っ赤。可愛い~」
「可愛くないわよ」
エメラインはぶっきらぼうに答える。その様子に、花子は目を丸くした。
「エメラインが可愛くなかったら、世の中、可愛くない人ばかりだと思うけど」
「……だってわたくし、可愛く甘えたりできない」
「ん?」
「男の人を立てるような態度も取れないし」
ぽそぽそと続く言葉を聞いていて、花子はようやく納得した。
エメラインは恋愛事の経験がほとんどないのだ。気が付けば、傲慢な王子が婚約者になっていて。恋にうつつを抜かしている恋人同士と言えば、その王子と浮気相手。浮気相手が恋する女の態度だと思えば、あんな風にできないと思うのは仕方がないこと。
「シリルは丸ごとのエメラインが大好きなのよ。だから、エメラインも怖気づくんじゃなくて、素直に好きだって伝えてあげればいいと思う。あの王子の浮気相手のようにべたべたしなくても、気持ちが高ぶれば勝手にべたべたしていくものだし」
「そうなの?」
「うん。わたしの読んできた恋愛小説はみんなそう。好きな気持ちが愛に近づくと、すっごく触りたくなるらしいわ」
何かを触っているような、変な風に指を動かしながら、自信満々に言い切った。
「だからね、次にシリルに会ったら、いつものエメラインでいいと思うよ。贅沢を言えば、笑顔を見せれば、シリルは撃沈するはず」
「笑顔? こうかしら?」
取り澄ました笑みを見せられて、花子は残念な人を見るような目を向けた。
「そういう作った顔じゃなくて。こうやって擽った時の笑顔よ!」
花子はエメラインに飛び掛かると、ちょこちょこと色々と擽ってみた。エメラインが避けようとしても、人形は好き勝手動いて耳や頬を触っていく。
「ハアナ! くすぐったいわ!」
「そういう自然な顔でいいのよ」
「でも淑女らしくないわ」
「結婚相手なんだから、必要ないでしょう? 家族になる人に自分を隠したら駄目だと思うよ」
花子はぎゅっとエメラインに抱き着いた。エメラインは躊躇いながらも、花子をそっと抱きしめる。
「ハアナ」
「なあに?」
「ありがとう。少し頑張ってみるわ」
エメラインは体から力を抜くと、笑みを浮かべた。
それは先ほどとは違う、素の彼女の笑顔。
「うん、うん! その笑顔、すっごく素敵! 上手くいったら、ちょこっとでいいからシリルの筋肉に触らせてね!」
ぶれない花子に、エメラインは声を上げて笑った。