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次の婚約者候補

 ここは、天国か。


 騎士団の訓練場に入った瞬間、そこは夢のような世界だった、花子にとって。

 エメラインにとっては騎士団の訓練風景など、目新しいところは何もない。ただ訓練している騎士たちのきびきびとした動きは、疲れた心を潤すが、花子のように興奮するほどではない。


 でも花子は違った。


 ここにも、あそこにも、あああああ、あの方の腕! あの浮いた筋がいい。それにぴたっとしたシャツが素敵。筋肉が浮き出ている。なんでこんなにも素敵筋肉が沢山あるの? 日本人とは違うのね、やっぱり異世界だわ。ちょっとだけでもいい、合法的にお触りしたいー!


 澄ました顔で案内係の後ろを歩いているエメラインは真顔を維持するのがやっと。脳内が煩すぎて、気を抜くと表情に出てしまう。下手をすれば、声を出して花子に文句を言う危険性をはらんでいた。


 筋肉が好きなのはわかっていたけれども、ここまで煩いとは。

 エメラインは頭の中で大騒ぎする花子を持て余していた。こうして常に話しかけられたり、声を聞かされると非常に疲れる。こちらの意思で彼女を黙らせることができるようにならないと、共存は難しいなと思い始めていた。


 人形に押し込めたように、花子を外に追い出すような手段を何か考えないといけないかもしれない。


 ともかく、筋肉に興奮した花子を今すぐ落ち着かせる必要がある。冷静になって考えを巡らせた。

 花子の見えている景色は、エメラインが見ているものと変わらないのではないか。


 エメラインは意識して騎士を見ないようにした。案内係の事務官の後ろ姿だけを凝視する。


 え?

 見えなくなっちゃったわ。もっといい筋肉、あるでしょう? エメライン、意地悪しないで。前世の貴女が全力で悲しいわ。


 変質者でもあるまいし、そんなはしたないことができるわけないじゃない、出入り禁止になったらどうするの、と脳内に告げてやれば、わかりやすくがっかりとした。


 ようやく静かになったので、エメラインはやれやれと息を吐く。そうしているうちに、事務官が足を止めた。


「どうぞ、中に担当騎士がおりますので」

「案内、ありがとう」


 ふわりとほほ笑み、礼を述べる。事務官は丁寧に頭を下げて戻っていった。彼の後ろ姿を見送り、ノックをすると。


「エメライン! 待っていたよ!」


 勢いよく扉が開き、そしてぎゅうぎゅうに抱き着かれた。そのあまりにも突然の出来事に頭が真っ白になり、さらにそのうち息が苦しくなってくる。

 慌てて、その凶器の腕から逃れようと、力の限り叩いた。


「く、苦しい……」

「ああ! ごめん。喜びのあまり、力加減を間違えた」


 圧迫された胸が解放され、一気に空気が入り込む。そのせいで、咳が止まらない。両手で口を押さえて咳をしながら、抱き着いてきた騎士を見上げた。


 心配そうに覗き込んでいるのは、サラサラの金髪に青い目をした騎士。背が高く、細いようでいてしっかりとした体つき。かっちりとした騎士服には隊長が付けるバッジが輝いている。


 エメラインの知り合いに騎士はいない。だけれども。

 その顔が、昔の記憶を刺激する。一人だけ、思い浮かぶ人がいる。


「――もしかして、シリル?」

「エメライン、覚えていてくれた! そうだよ、シリルだよ!」


 嬉しそうににぱっと笑顔を浮かべて、再び抱きつこうとする。エメラインは慌てて彼の胸に手を当て、それ以上近寄らないようにと牽制した。


「ええ……」


 抱きしめられなかったシリルはしょんぼりとした。お預けされた犬のようなその姿に、幼いころ一緒に過ごしたシリルであると確信する。それでも、やはり距離感は大事だ。


「あのね、シリル。わたくしはもう十八歳。貴方は二十歳。幼い頃とは違って、抱き着かれるのは困るのよ」

「でも婚約破棄したんだから、僕が婚約者でいいよね?」


 不思議そうに首を傾げられた。


「はい?」

「エメラインの父上からも求婚する許可を貰っている。それにエメラインが受け入れたら婚約していいって」


 びっくりするような発言に、エメラインは目を大きく見開いた。


「シリルから求婚されているなんて、聞いていないわ!」

「自分の口から言いたいから、黙っててもらっていた。僕はずっとエメラインに求婚したかったんだ。だって約束したから」

「うそ……あの約束はずっと有効だったという事?」


 幼い頃の約束が思い出される。まだ二人が家の事とか、婚約とかよくわかっていない幼い頃。

 二歳年上のシリルは又従兄妹という近すぎない血筋。当時は女の子のようにふわふわした雰囲気で、とても可愛らしかった。

 それに自分の方が年上だからと押し付けることもなく。一緒にいてとても楽しかった。甘やかすだけでなく、ダメなところは注意をして、泣けばそっと側に寄り添って。エメラインとシリルは二人一緒に成長していった。


 そんな彼にずっとそばにいてほしいと願ったのは当然の成り行き。そっとシリルにお願いすれば、ずっとそばにいるよ、と騎士の真似事の誓いを立ててくれた。


 でも王家の横槍によって、この幼い約束は果たせなくなった。キャメロンとの婚約が調うのと同時に、シリルは公爵家に顔を出すことがなくなったのだ。


 悲しかったけれども、仕方がないこと。婚約者以外の異性を側に置くことなど許されない。


「僕は一度も忘れたことはないよ。殿下がちゃんとエメラインを尊重して大切にしてくれるのなら、出る幕はないと思っていた。でも」


 シリルはそこで言葉を切った。ぐっと強く握りしめられた拳に、姿は見えなくとも彼がずっとエメラインに心を配っていたことを知った。胸が苦しいほど高鳴ってくる。


「シリル」


 かすれた声で彼の名を呼べば、シリルは先ほどの重い空気を振り払った。わざとらしくにこりと笑う。いたずらっ子のような笑顔で屈み込み、エメラインの顔を覗き込んだ。その距離感に、心臓が破裂しそう。


「僕、随分とエメライン好みになっただろう?」

「こ、好み?」

「うん。前は女の子みたいにかわいい僕が好きと言ってくれていたけど、エメラインは筋肉好きだって」

「……それは一体誰が?」

「誰って、私設騎士団の人間は誰もが知っていたよ」


 まさか周囲にもバレバレだったとは。エメラインは恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にしてその場にしゃがみこんだ。顔を見えないように隠しているが、耳まで真っ赤だ。


「そんな、必死に隠していたのに」

「だから、僕、頑張ったんだ。体、随分と鍛えたよ」


 そう言われてそろりと顔を上げる。シリルはエメラインの前に膝を突くと、顔を隠していた両手を優しく握りしめる。自然と視線が絡まった。


「エメラインを支えられるように勉強も頑張った。今は騎士だけれども、領地経営の知識もちゃんとあるよ。他にも足りないところがあれば、速攻で身につけるから」


 だから、僕を選んで? と指先に唇を当てられた。


 仄かに伝わる彼の体温、まっすぐに向けられる甘さを含んだ眼差し。

 エメラインの息が止まりそうになる。


「ほ、ほ、ほ」

「ほ?」

「保留で!」


 エメラインは勢いよく立ち上がると、シリルの前から全速力で逃げだした。

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