自称前世女との対話
夜会から戻ってきたエメラインは侍女のミナに手伝われながらドレスを脱いだ。だるい体を動かし、夜の支度をすませる。体を締め付けない夜着になって、ようやく一息ついた。
私室のソファーにだらしなく体を預けると、どっと疲れが襲ってくる。先ほどまでは婚約破棄できた高揚感で疲れなど少しも感じなかったが、知らないうちに気が張っていたようだ。ソファーに座ったまま、ミナに声を掛けた。
「お水をちょうだい」
「流石のお嬢さまでもお疲れのようですね」
「ええ、疲れたわ。まさか、城での夜会でお花畑な発言をするなんて思っていなかった」
貴族界では有名なほど、普段から仲の悪い婚約者である。夜会に参加するためのドレスを贈ってくることなどないし、エスコートなんて以ての外。特に傍らに連れていた令嬢と出会ってから、顔すら合わせることはなかった。
貴族たちは何か致命的なことをしでかすだろう、といつだって目を光らせていた。それでも婚約破棄を声高に叫ぶとは思っていなかったはずだ。あの夜会に参加していた貴族たちは今頃楽しく噂しながらお酒を飲んでいることだろう。
「笑い話の登場人物になっているのは気に入らないけれども、我が家にしたら殿下を婿入りさせなくて済むのは有難い話よね。そう思うとあの令嬢、わたくしにとって救世主ね。二人が結婚した時に、こっそりお祝いを送ろうかしら」
「それは流石に性格が悪いのでは?」
ミナが呆れ気味に言う。エメラインは小さく笑った。
「小さな報復じゃない」
「激高して面倒なことにしかなりませんから、おやめください」
「はあい」
でも、何か仕返しをしてやりたいと思ってしまう。やり過ぎない程度に何か考えたい。つらつら考えていると、誰かが扉をノックした。ミナが静かに対応をする。
「何かあったの?」
「旦那様からの伝言です。国王陛下と話し合いが終わるまでは戻らないそうでございます」
あの騒動を知って、すぐに動いてくれているようだ。これで何も心配することはない。うやむやにされることなく、婚約破棄に持ち込めるだろ。
エメラインは嬉しくて、ふふっと笑った。
「わかったわ。もう疲れたから、ミナは下がってちょうだい」
「それでは良い眠りを」
ミナは一礼すると、退出した。一人になったエメラインは大きく息を吐く。
「それでは前世女さん、話し合いをしましょう?」
話し合いなんて、何もないじゃない! わたしはあなたなんだから!
エメラインが呼びかければ、脳内にガンガンと甲高い声が響いた。エメラインは指を唇に当てた。この部屋にはエメラインしかいない。いくらでも独り言を言えばいいのだが、なんとなく落ち着かない。
「そうだわ」
どうしたらいいのか、しばらく考えた後、ポンと手を打った。
エメラインは立ち上がると、棚の中から一体の人形を持ちだす。高名な人形師が作ったと言われるビスクドールだ。
腰まであるストレートロングの黒髪、空のような青い目は大きくぱっちりとしている。身につけているのは、この人形が作られた二百年前の流行りのスカートがふんわりしたドレス。
幼い時の誕生日プレゼントとして贈られてから、ずっとエメラインの部屋に飾られていた。
ソファーに腰を落ち着けると、テーブルの上に向かい合いになるように人形を座らせた。
手のひらを人形の頭に乗せる。そして、魔力を全身に巡らせた。自分の中にある魔力で自分の中にいるはずの前世女を包むと、そのまま人形に向かって押し出す。理屈とか何もなく、何となくそれで分離できるような気がしていた。
人形は魔力を与えられてびくりと飛び跳ねた後、テーブルの上に転がる。
「あら、失敗だったかしら?」
もう一度、と思い、前世女の気配を探っていれば。
「うきゃああ!」
時間差で人形が飛び跳ねた。
「あら、よかった。成功ね」
「あなた、何やったのよ! なんでわたし、人形になっているの!? 動く人形なんて、ホラーじゃない!」
混乱しているのか、人形があたふたと慌てている。可愛らしい人形がくるくると回ったり、スカートをめくったり忙しくしている様子に、にこりと笑った。
「こうして別々になった方が話しやすいでしょう?」
「分ける必要なんてないじゃない。わたしはあなたよ?」
「本当に?」
こてりと首を傾げ、疑問を口にする。前世女は口籠った。
「え?」
「夜会では突然だったから、そうかもと思ってしまったけど。よくよく考えてみれば、違うかなと思って」
「どうしてよ?」
「だってこんなにも意識がはっきりと分離しているわ。生まれ変わりって、なんとなく違う記憶が今のわたくしに混ざるような感じではないの?」
「はっ! 確かに!」
エメラインの知っている生まれ変わりは、気が付けば違和感があって、自分とは違う記憶を持っていたというものだ。こんな風に別人格ではない。それは前世だと主張する女も同じだったようで、あからさまに狼狽えていた。
「え、え? じゃあ、わたしって何なの?」
「さあ? 別に何でもいいじゃない。強いて言うなら、幽霊?」
「なんて無責任な! 責任、取りなさいよ!」
自称前世女がきーっとヒステリックに声を上げる。面白いわ、と内心にこにこしながら、つんつんと人形のほっぺを突っついた。
「もちろん責任はとってあげる。大切にしてあげるから」
「本当?」
「ええ。豪華な人形ケースに入れて、これからもずっと大切にするようにと家訓を残すわ」
「そんなの、イヤよ、わたしは推しを見つけたいの。人形のままでもいいから、動けないようにするのだけはやめて」
さめざめと泣き始めた自称前世女にエメラインは虐め過ぎたかと反省した。そして、優しく優しく人形の頭を撫でてやる。
「泣かないで。それよりもあなたのお話を聞かせて」
「話……」
何を話せば、と自称前世女が首をかしげる。
「まずは名前から。わたくし、エメラインよ。あなたは?」
「花子よ」
「ハァ、ナキョ?」
言いにくい発音に、自称前世女はやれやれと肩をすくめる。
「言いにくいなら、ハナでいいわよ」
「そう? では、ハアナ。よろしくね」
名乗り合ったおかげなのか、花子は突然冷静になった。人形の体であったが、膝を折り曲げて座る。見たことのない座り方であったが、花子の世界では非常に礼儀に則った座り方らしい。
「足、痛くないの?」
「この人形、ちゃんと関節があるから。特に痛みはないわ。首だってくるくる回るし」
そう言いながら、実際に首を回転して見せた。一定速度で回るそれは、見ていて楽しい物ではなく。エメラインはやや強引に頭を押さえた。
「怖いからやめて」
「ごめんなさい。ちょっと遊んじゃった」
手を顔の前で合わせてぺこぺことお辞儀をし始める。話題を変えようと、再び花子の話を促した。
花子は二十歳。病気を持っているわけではないが、あまり丈夫ではなかったようだ。医師に勧められ健康のため、運動を始めた。そして折角だからと拘った結果、筋肉に目覚めて。毎日推しの筋肉を愛でることに全力で挑んでいた。
「本当に命を懸けることになっちゃたけどね。推しの写真が宅急便で届いて、中を見た時に興奮したのよ。その後、頭をどこかにぶつけたの。それっきり記憶がないから、きっとそれで死んだのだわ」
「まあ」
何とも間抜けな死因である。でも、本人は推しを眺めて死ぬなんて本望、とか叫んでいるから、余計なことは言わなかった。
「でも異世界転生かぁ。夜会で婚約破棄するなんて、定番よね」
「定番?」
そんな定番があってたまるか。エメラインは花子の世界が殺伐としていることを気の毒に思えてきた。花子はエメラインが勘違いしていることに気が付いて、からからと笑う。
「違う違う。流石に、婚約破棄なんてリアルではあり得ないわ。現代日本で政略結婚なんて、レア度高いし。Web小説というのがあって。あれって無料で楽しめるのよ。お金の余裕がない民の強い味方なの」
「ウェ……? 小説?」
「そう。人気の物語よ。王子が婚約者の令嬢に婚約破棄を突き付けるの。自分よりも身分が低い彼女を虐めた! お前は俺様の妃に相応しくないっ! とかなんとか唾を飛ばしながら断罪して、婚約破棄するの。それで、婚約破棄された令嬢は修道院へ送られたり、処刑されたり、追放されたり」
パターンが沢山あって楽しいのよ、と興奮気味に話す花子。エメラインは目を白黒させた。
「本気なの? 王子の不貞が問題じゃない」
「そうなんだけどね。面白いのはここから。そんな捏造証拠、叩き返してやりましょう! と悪役令嬢が王子とその恋人をざまぁするまでが様式美」
何とも恐ろしい様式美だ。だが、ついさっき、エメラインがしてきたことでもある。
「あと、異世界転生と言えば……。わたしの世界の知識を使って、料理無双したり、領地改革したり。魔法革命したり」
そう言いながら、花子はニヤリと笑った。ちょこちょことエメラインににじり寄る。
「ねえねえ、わたし、一度現代知識チートやってみたかったの。わたし、異世界転生した時の備えという本をつい最近読んでいてね。それなりに知識は豊富なのよ、だからきっとこの世界でも通じるはず!」
「お断りよ」
具体的な話をする前にあっさりと断られて、花子は大げさに驚いた。
「ええ? 何で?」
「我が公爵領は妬まれるほど発展しているの。これ以上は政治的なバランスが崩れるわ」
公爵家は王族が嫁いでくるだけあって、かなり裕福な家系だ。領地経営も上手くいっており、これ以上の富は必要ない。
「じゃあ、何のためにわたしは異世界転生したの? エメラインの断罪を回避しちゃったし!」
花子はなんだかよくわからないことを吠えた。
「ああ、確かにあの時ハアナの声が聞こえたから、冷静に対処できたのよね。ハアナがいなかったら、一度飲みこんでしまったと思う。ありがとう」
「どういたしまして、じゃなくて! わたしの存在意義はどうなるの?!」
「えっと、重要課題を乗り越えたのなら、好きなことをしたらいいと思うけど。生きていた時にやっていたことで、ここでもできることはないの?」
やることがなくなってしまった花子は首をかしげる。何もすることがないのなら、花子に残されているのは筋肉への愛だ。
「筋肉の推し事かな?」
「推し事?」
奇妙な言い回しであったが、楽し気な響きがある。
「そう、お勧めの筋肉を布教して、筋肉の素晴らしさを皆に伝えるの。そしていずれは筋肉に相応しい推し服を作るのよ」
「筋肉のために服を作るの? ふふ、面白い活動ね」
エメラインが目を丸くしながらも楽し気に笑う。
「ちらっとしか見えなかったけれども、この世界は騎士がいるのよね? きっと素敵筋肉の持ち主も沢山いるに違いないわ。決めた! わたし、愛の伝道師になる!」
半分ぐらい何をするのかわからなかったが、エメラインは元気になった花子に微笑んだ。