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4.聖女だった少女



 死を覚悟し、歯を食いしばったニコラスは目を閉じた。ひゅっと乾いた空気が音を立てて降りた矢先。

「――今すぐ剣を収めよ、愚か者!」

 凛とした声が路地に響き渡った。

「わらわの前で刃傷沙汰など――穢れを生む真似を働くとは不届き千万。痴れ者はどちらだ」

 ニコラスは閉じていた瞼を恐る恐る開けた。視界に映るのは、剣を鞘に戻した男の涼しい表情だ。

「売られた喧嘩は買う主義でね。何より、こういう情に厚そうで暑苦しい奴は心身纏めてへし折ってやりたくなる」

「……相も変わらぬ嗜虐趣味は役割以外で嗜め、この愚か者。()も高い、控えよ」

 男は言われるまま、長身を屈めてその場に膝をついた。

 ニコラスはゆっくりと視線を移動させた。男を見下ろす冷徹な面差しの少女を、何度も瞬く己の瞳に映す。今聞こえた居丈高な言葉は、本当にこの唇から零れた音なのか。

「メアリ義姉さん……?」

 少女はニコラスの声にパッと振り向き、すぐに駆け寄った。衝撃を受けた腹部に少女の指がいたわしげに添わされる。

「ニコラス、大丈夫!? 怪我の具合を見せて」

「いえ、あの、さほど問題はありません」

「何言ってるの、今にも死んじゃいそうだったってのに」

 メアリの必死な様子に、男は呆れ気味に苦笑する。

「心配せずとも、ほど良く手加減しておいた。神の花嫁(エル・フルール)の御心に沿わぬ行いは厳禁だしな」

 メアリはギッと睨んで言い返す。

「元より闇雲に刃物振り回すことが厳禁であるぞ、愚か者!」

「義姉さん……あの……これは一体……」

 男と少女を見比べながら、ニコラスは呆然とそれだけを呟いた。メアリは、非常に気まずそうに視線を右往左往させる。

「ニコラス、あの……その……」

 男は愉快そうに肩を揺らした。

「言いにくいなら俺から言おうか。この姫君は、本来お前が易々お目通り叶う方ではない。ガーランドの一族を護るのは、お前ではなく守護者(ガーディアン)たるこの俺」

「姫君……? ガーランド……?」

 その名を反芻し、ニコラスはサッと顔色を変えた。北の最果てに住まうという、王家に連なる女系一族の名だ。二つ名が神の花嫁(エル・フルール)で、この花祭りの主役たる聖女――神輿に乗った決して真似者の乙女でなく、彼女が正真正銘の――。

(なら兄は、その一族の姫を花嫁として迎え入れようとしたのか。神に仕える巫女を、攫ったというのか……!?)

 少女は小さく喘ぎながら、声を振り絞った。

「メアリ=リリー・ガーランド――それがあたしの、捨てる筈だった名前よ」

 


 若いメイドと、若い男使用人(フットマン)の大勢が、客間の扉の細い隙間から中を窺っていた。

「あのデカい男は何だ」

「メアリ様のお知り合いらしいわよ。ジェラルド様と同じくらいの歳かしら」

「目力つよっ、コワっ、ありゃ何人もの人間ヤってきたに違いねえぜ」

「メアリ様のご交友関係は謎広いわね。ウチの坊ちゃん大丈夫かしら、ライバルにしては強敵よ」

「えっ何、あの野郎、メアリ様の元婚約者か何か!?」

 メイド長の咳払いが背後から響く。使用人たちは蜘蛛の子散らすようにそれぞれの仕事場へ戻っていった。客間女中(パーラーメイド)だけは涼しい表情を取り繕って、ティーワゴンを押して客間内へと入っていく。

 その様子を横目で見ていた全身真っ黒な出で立ちの男が、ソファに凭れ掛かって嫌味たらしく口角を上げた。

「随分と賑やかな屋敷に住んでるんだな」

「おかげさまで、毎日楽しく愉快に暮らしているわ。あなたもしばらくご滞在してみる?」

 真向かいの席に座るメアリが半目で尋ねると、男は両腕を仰々しく持ち上げる。

「勘弁してくれ。こんな日和った南国で暮らしたら、頭にめでたい花が咲く」

「何を貴様……」

 立ち上がろうとするニコラスの袖を、隣にいるメアリが制するように引っ張った。

「だめよ、ニコラス。このヒト口が最悪に捻じ曲がってるからマトモに聞くだけ損よ」

「いいえ、まだ名乗りもしない男の無礼を許す訳にはいかないのです」

 男は不遜な表情で軽く笑った。

「ああ、そいつは失礼。俺はジークベルト・フォン・クラム。神の花嫁(エル・フルール)に代々仕えてきた一族、クラム家の宗主ってとこか。精々頑張って覚えとくんだな、弱味噌」

「ぐぬ……」

 ニコラスの怒りに震える様子にハラハラしながらも、メアリはジークベルトを睨み付けた。

「大体、何であんたがここにいるの。あの子の……エマの隣にいるべきでしょう?」

「まあ、その我が主の命でここに来た。親愛なる姉君を連れ戻してこいとな」

 一瞬だけ目を瞠ったメアリは、口元を歪めて笑う。

「……どういう風の吹き回し?」

「宗主の座をお前に明け渡したいとよ」

「ふざけたこと言わないで。宗主は一族総意の下で決められたこと。容易に翻すことなどあってはならないわ」

「勿論、これも一族総意だ」

「……は?」

 メアリの訝し気な態度に、ジークベルトは尤もだと小さく息をつく。

「それが建前。一族のご老公としては、メッサーナとかいう南の蛮族に姫を攫われた行為自体が許しがたいと思っている。公爵の血を引く、王家に連なる一族だからかろうじて許容したが、ジェラルド・メッサーナは半年前に逝去。伴侶を失ったお前が、もうここにいる理由はないと」

「だからって、あたしが宗主に成り上がる理由にはならないでしょう?」

「判断を見誤ったと、エマ=リリー――妹御自身も、ご老公共も、力不足を感じている。お前こそが務まるべきものだったと、後悔している」

 メアリは苦しそうに眉をひそめ、男から目を逸らした。

「そんなの、今更の風の吹き回しじゃない……」

 重々しい沈黙が客間を支配しようとしていたが、ニコラスがぽつりと呟く。

「……あの、つまり、義姉さんは聖女をしてきたということ、でしょうか」

 ジークベルトはつい鼻で笑った。

「……当たり前のことを質問される経験は初めてだな。礼を言うよ、弱味噌」

「やめなさいジーク。このちょっと頭の利口じゃないとこがこの子のラブリーポイントなんだから」

「義姉さん、ソレ褒めてませんから……!」

 唸るニコラスの隣で、メアリはようやく手の内の紅茶を啜る。

「ま、そうね、神の花嫁(エル・フルール)――所謂聖女みたいなことをしていたわ。神殿で一人暮らして、ガーランド家を切り盛りする基本ワンオペの過酷な労働をね」

 ジークベルトは呆れ気味のため息を零した。

「言い方に嫌味があるが、それを朝飯前にこなしていただろう。お前には向いていたということだ」

「でもそれを羨んだのはエマでしょう? ……いいえ、正しくはそのご威光にあやかりたい世話焼き婆共の方ね」

「待ってください。それなら、メアリ義姉さんの家は、未成年の少女をこき使っていたということですか」

「え、あの……」

 ニコラスの発言に、メアリはぎくりと肩を揺らした。ジークベルトは片眉を上げる。

「何だ、この都市の成年は、十七の齢からなのか?」

「そうです! ですから現在十五の齢である義姉さんを働かせるなど言語道断ッ! 実に許しがたく、恥じ入るべき行為ですッ!」

 拳を持ち上げて強く言い放った台詞に、ジークベルトがとうとう噴き出した。肩を盛大にくつくつと揺らす。

「……ッ、お前、小さなナリのくせしてサバを読んでるのか」

「だ、だって、旦那様が……ジェラルドが、その方が良いって言ったんだもの! 成人してるなんて誰も信じてくれないだろうからって!」

 メアリは頬を紅潮させながら、拳を上下に振って言い訳がましく声を張った。

「え? え? あの……?」

 ニコラスがきょとんと二人を困惑に見つめる。腹を抱えるジークベルトが、気まずそうなメアリを親指で示した。

「ガーランド家の成人は十五の齢だ。弱味噌が思うより、この聖女は年増だぞ」

「ご、ごめんなさい、ニコラス。……あたしね、本当はお酒を飲んでも大丈夫な年頃なの……」

 つまり二年前ですら、ガーランド家からすれば成人に値する。何もかも道理だ。間違った正義感を振りかざしたと気付いたニコラスは、羞恥に顔を赤くして頭を抱えた。

「義姉さん……、もう、ホント色々いい加減にしてくださいっ!」



 曲がった背筋に冷たい夜風があたり、ニコラスはくしゃみを連発する。バルコニーから見上げる月は柔らかで冷たい光を放っていた。

 昼間の騒動でなかなか混乱が落ち着かなく、頭を冷やしたかっただけなのだがこれでは風邪を引いてしまいそうだ。零れるため息は自然と重い。

「はぁ……」

「もう、またそんな薄着で!」

 硝子戸を押し開けて、メアリがバルコニーへ入ってきた。手に持っていた大きなショールをニコラスの肩に覆い被せていく。

「ジークベルトはとりあえず奥間へ案内したわ。明日、きちんと帰らせるから」

「……そうですか」

 しかめ面ですげなく返せば、メアリはしゅんと肩を落とした。

「……ごめんなさい、色々と黙ってて。だって、ここでの陽気な暮らしに、あたしの辛気臭い語り草なんか必要ないと思ったんだもの」

「いえ、あそこまで話が入り組んでいるのであれば、語りにくいのは理解出来ます。……話してほしかったとは思いますが」

「だ、だから話したじゃない」

「まだ全て聞いてはいませんよ。……本当は、今おいくつでいらっしゃるんですか」

「……十七」

 じっとり疑わしそうに睨むニコラスに、メアリは身を乗り出すようにする。

「ほ、本当よ! 疑うならジークに聞いてちょうだい! アイツ嘘だけはつかないから」

 男の名が出てきて、ニコラスの眉間に皺が寄った。メアリから目を逸らし、バルコニーの手すりを掴んで大きく膨らんだ月を見上げる。

「主従関係の割には、随分親しげなのですね」

 不貞腐れた口調に気付かないメアリは、あっけらかんと返す。

「あー、あってないようなカタチだからね。あたしたちの代では、どちらかというと幼馴染関係に近いのかしら。縁談相手の候補でもあったみたいだし」

「ならば何故こちらへ……こんな野蛮と疎まれる南方へと」

「ジェラルドがいたからよ」

 間髪入れず答えが返ってきた。儚い月影を浴びながら、メアリも凛としたひたむきな眼差しで闇夜を見上げる。

「彼があたしを愛してくれたから。だからここへ来たの」

 声音は愛おしくも寂し気で、兄をいまだに恋願っているのだとニコラスは感じた。

「……けれど、もう兄さんは……」

 メアリは緩慢に首を振り、手すりに置かれたニコラスの手にそっと触れる。

「ジェラルドが残してくれたものは沢山あるわ。……あなたがそうじゃない」

 家族だと言ったのだ。メッサーナ家がメアリを受け入れたように、メアリもニコラスを受け入れてくれている。彼女の大切なものは兄だけではなく、家族であり義弟である自分も含まれている。そう思うと、不思議と柔らかな高揚感に包まれた。

「義姉さん……ありがとうございます」

 優しい苦笑を浮かべたメアリを見つめ直し、やがてニコラスも穏やかに口元を綻ばせたのだった。



「じゃあお休み、ニコラス」

「はい、また明日」

 メアリを寝室へ送り、その扉を閉めたニコラスの肩を大きな手が掴んだ。気配なく佇まれて慌てて振り向けば、薄暗闇にジークベルトの皮肉気な笑みがある。

「弱味噌、話があるんだが」



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