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2.家族の少女




 ――二年前。当時、十三歳の少女メアリは、劇的な出会いを果たした。

 相手は、若手の出世頭、公爵の血を引くメッサーナ家の御曹司で長男坊。年齢は二十八の男盛り。ニコラスの七歳年上の兄にあたる人だった。

 まるで運命に導かれるように二人は惹かれ合う。周囲の猛反発、特に少女の身内からは徹底的に拒絶されたのだが、それをものともせずに彼はあっさり少女を攫ってしまい、メッサーナ家に住まわせた。勿論、成年に満たぬ歳での結婚はメッサーナ家でも許される筈なく、内縁の妻として扱われた。

『――十七歳になったら、すぐに式を挙げよう』

 そんな口約束を交わした半年後、彼はあっさりと病で逝去してしまった。


 メッサーナ家の屋敷のリビングに飾ってある写真立て――爽やかに微笑みをたたえる彼に、メアリは笑顔で呼びかけた。

「ただいま、天国におわします愛しの旦那様。今日もニコラスにいじめられました。どうか祟ってやってください」

「兄さんに変なこと吹き込まないでくださいッ!」

 げんなりとしつつも、ツッコミを怠らないのはニコラスの純粋で生真面目な性格によるものである。抱えていたメアリをソファに降ろし、面と向かい合う。ランプが一つ灯してあるだけの薄暗いひんやりとした空間に、ニコラスのため息が大きく響いた。

「まったくもう……。夜にお一人で出てはいけません。屋敷の者たちが困ってしまうでしょう?」

「だって、カリーナとマルコに頼まれたのよね。おすすめのエールを飲み比べて欲しいって」

「使用人の言伝を言い訳にしないでください……」

 家の者ともすっかり打ち解けているのは悪いことではない。だが、今日みたいなトラブルが実は度々行われているとあれば、いい加減にニコラスと言えども黙っている訳にはいかなかった。

「いいですか、義姉さん。お願いですから、お出かけする際は供の者をお連れください。そうでなければ、ここから一歩も出す訳にはいかなくなります」

「むか、付き人連れて街中をウロウロして何が楽しいって言うのよ。それじゃあ王様の行幸と変わりないじゃない」

「何かあってからでは遅いのですよ。今日がその良い例ではありませんか」

 ニコラスがメアリの挫いた足首を指差した。氷嚢が添えられた痛々しく腫れた部分をメアリも見下ろし、さすがにだんまりになる。

 執事が応急箱を手にしてリビングに入ってきた。それをニコラスが受け取り、代わりに緩くなっていた氷嚢を預ける。

「ご苦労。後は私がやろう。お前はもう休んでくれて結構だ」

 救急箱から湿布と包帯を取り出すと、テキパキと処置を始めていく。されるがままのメアリは膨れっ面で見守った。

「付き人がいるのなら、ニコラス、あんたがなれば良いのよ。今度の花祭り、一緒についてきて?」

「その日、私は仕事なのですよ。供なら私の方から頼んでおきますから」

 メアリはかぶりを振った。

「違うの。ニコラスじゃなきゃ駄目なの。……どうして分かってくれないの。どうしてそんなに冷たいの」

 眉を寄せ、隊服をぎゅっと握り締めて寄りかかろうとするメアリをニコラスは当惑に受け止める。

「あたしのこと、そんなに嫌い?」

「わ、義姉さん、落ち着いてください。誰もそんなことは言ってないでしょう?」

 ミニドレスから覗く色白い肌の胸元が、薄暗い部屋でもほんのりと赤い。舌足らずな甘え声が、鼓膜を揺らす。

「あたしは、ニコラスが大切よ。あなたはとても大事な人よ……?」

「義姉さん……」

 ニコラスの鼓動が早鐘を打つ。溶けるような翠玉の瞳からを目を逸らせない。

 ――どうして。どうしてこんなにも、息が出来ない?

「一緒にいたいのよ、誰よりもずっとそばで」

「っ、メアリ、」

 酔った少女からしなだれかかられ、耳元でそう囁かれ、ニコラスの頭が真っ白になっていく。アルコールに交じって立ち昇る、花のような甘い香り。思わず細い腰に手が伸びようとして――。

「だってあんたは義理だけど、あたしの弟なのよ。大切な家族なのよ?」

「……家族?」

 ニコラスは言葉を繰り返し、目を丸くした。途端、呼吸が不思議と楽になる。朧げな眼差しを向けるメアリの身体をそっと引き離し、苦笑のまま視線を合わせる。

「勿論、私もあなたを大切に思っていますよ、メアリ義姉さん。今度の花祭りは一緒に行きましょう。だから今日はもうお休みなさい」

 子守歌でも聞かせる口調で、少女の頭をゆっくり撫でた。すると素直に、眠る間際のとろけるような笑みを向けていく。

「ほんと? じゃあ、約束……ね……」


 目を閉じて夢の中へ誘われてしまったメアリを抱きかかえ、ニコラスは少女の寝室へ向かった。真っ白いシーツに横たえると、少女は幸せそうな表情でシーツに擦り寄る。甘えたような仕草に、思わずくすりと声が零れた。

「可愛らしい方ですね、あなたという人は。事実、姻戚の関係などありはしないのに、家族とは……」

 無邪気な笑みを浮かべるその頬を、ゆっくりと指の背で撫でる。

「大切な弟と仰いますが……ここにいるのは、血の繋がらないただの男だというのに」

 ふとそう呟く掠れた声音が思いもよらず、ニコラスはギクリと肩を揺らした。

(……私は、今何を考えた?)

 頭を小刻みに振り回し、メアリからさっと離れる。自分も就寝するべく少女の寝室を後にするのだった。



 翌朝、いつもの時間にニコラスは起床すると、朝食を食べに食堂へと向かう。扉を開けるとすでにメアリがいた。奥間の厨房で、メイドに混じって朝食の手伝いをしている。屋敷でくつろぐだけでは退屈だと、ほぼ毎日のように入り浸っているのだ。

 キッチンメイドの一人がニコラスに気付いて、メアリの耳元で呼びかける。

「メアリ様、ニコラス坊ちゃんがお目覚めですわ」

「あ、おはよーニコラス」

 ニコラスはすぐに駆け寄って、心配そうに少女の足元を見下ろした。

「義姉さん、足の具合はよろしいのですか? 何も今日まで食事の準備に加わらなくとも……」

「あたし、怪我の治りは早いからもうへっちゃら。そうそう、お昼のお弁当作っておいたから。それと、これは部下の皆さんにお詫び」

 バスケットにはぎっしり詰まったクラブサンド。そして焼きたてのパンがどっさり入った紙袋をニコラスの両腕に抱えさせる。

「ちょっ、こんなにですか!? そもそもお詫びとは」

 仁王立ちの構えで、少女は睨む。

「昨晩、あんたが任務そっちのけであたしを家まで送ってったじゃない。何考えてんのよ、部下に仕事を押し付けてそのままご帰宅だなんて」

「う、それは、その……」

 メアリに気を取られて任務どころではなかったのだが、完全に私情である。

「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたと伝えてね。ニコラスもきちんと謝ること」

「はい……」

 しゅんと背を縮めてしまったニコラスに、メアリは「よろしい」と満面の笑みで頷く。少女と同じ銀髪の、青年の前髪を手でよけて額に親愛のキスを送った。

「さ、朝食しっかり食べなさい。今日も張り切って仕事してらっしゃいな!」

 ニコラスは不自然に身体を強張らせ、頬をうっすらと染めた。その様子にメアリはきょとんと首を傾げる。

「どうしたの、ニコラス?」

「……いえ、何でもありません。ありがたくいただきますよ」

 誤魔化すようにメアリに軽くハグをして応えつつ、小さなため息が知れず零れるのだった。



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