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99.蒼と紅の共鳴

ご覧いただきありがとうございます。

(え……)


 大きな罵声に驚くと同時に、くらりと目眩が走った。脳が揺さぶられるような感覚と共に視界がぶれ、立っていられなくなる。


「っつ……」


 額を押さえてよろめいた瞬間、鈴を振るような可憐な声が脳裏に響いた。


『お父様、今日は可愛いお花を摘んで来たのです』


 ぱっと色の付いた映像が広がり、ほっそりした指が色とりどりの花を差し出した。その先には一人の細身の男が立っている。

 ひょろりとした体型に黒髪黒髪、知的だが神経質そうな目元。目の前の存在に一切の興味関心が無い冷淡な顔。


『父様は今忙しいんだよ。後にしてくれないか、白珠』


 その瞬間、濁流が押し寄せるように、醜悪な記憶が一気に流れ込んで来た。

 白珠が味わった悪夢の一月の記憶が。



 父と慕っていた男。

 無関心の後に向けられた優しい笑み。

 親子の楽しいお出かけで連れられた場所。

 悪趣味な部屋、叩きつけられる暴威と破かれた衣。

 醜く嗤笑する赤い瞳。

 信じていた男が、金の詰まった袋を手に去って行く。

 この場で何があっても白珠の味方であらねばならないはずの男が。

 その背に力の限り手を伸ばして泣き叫ぶ。

 父と慕っていた男の心に、僅かでも自分への愛があることを信じて。

 ――あっさりと閉まる扉。

 始まる真の地獄。

 雨あられと降り注ぐ暴力、滝のように浴びせられる罵詈雑言。

 無慈悲な命令と支配、天蜜を利用した残虐非道な行い。

 消えた体内の加護、痣だらけの体。

 絶望の中、欲にぎらつく赤い悪魔にねじ伏せられる――



「――きゃあああああぁぁぁぁ!!」


 喉が裂けんばかりの絶叫が迸る。瞬き一つの間に駆け巡った記憶の渦の中で、全裸に剥かれた白珠が泣き崩れている。


「やめて、やめて! いやああああぁぁぁぁ!!」


 地面にうずくまり、頭を抱えて声を上げた明香は、次の瞬間はっとした。


「……あ……」


 その直後、血相を変えた秀峰と高嶺が左右から呼びかけた。


「明香!」

「どうした!」

「皇女殿下!?」


 綺羅も駆け寄って覗き込む。黇と藍、そして丹の光が明香を取り巻くと、滂沱(ぼうだ)の記憶にかき乱されていた意識が落ち着き、鮮明になった。


「何があった」


 高嶺が明香を抱え、蒼白な顔で問う。秀峰は無言で背をさすってくれた。二人の温もりを感じた明香は、呆然と虚空を見つめながら呟く。


「陛下、が……蒼月皇陛下が……金髪で赤い目の男に乱暴されて……どこかに捕まって――」


 そこまで言ったところで我に返り、口をつぐんだ。


(勝手に話したらまずい内容かも……)


 だが、高嶺たちはその僅かな言葉だけで瞠目した。


「それは母上の記憶かもしれない。 今視えた母上のご年齢は? 12歳くらいではなかったか? 黒髪黒目の細身の男も出てきたのでは。先皇の男妾だ」


(し、知ってるの?)


 恐る恐る頷くと、高嶺と秀峰、それに綺羅は揃って怒りと悲憤を滲ませた。


「それは私たちも承知している話だ。……かつて母上ご自身から打ち明けられた。やはり母上の記憶を視たのだろう」


 言いにくそうに告げる高嶺に続き、秀峰も説明してくれる。


「今起きている時間停止と光の柱は、至高神の神威によるものだ。ここは光の柱の中。つまり至高神の力に満たされている。その影響で、この場に限っては天威師同士の共鳴が強くなっている。他の天威師の様子や思考、あるいは記憶などが流れ込みやすい」

「じゃ、じゃあ、陛下の大事な記憶、勝手に視ちゃったの?」


 とんでもないことをしてしまったのではないかと慄くが、返答は否であった。


「いや、本当に見られたくない記憶や心情であれば、心が無意識に防御して外に漏れないようにする。共鳴で伝わるのは、知られてもいいと思っているものだけだ。明香にならば知られてもいい、いつかは話そうと母上が思っているゆえに、今の記憶が流れて来てしまったのだろう」


 鍵をかけている思い出を強引にこじ開けたわけではなかったことは幸いだが、それで気が晴れるはずもない。吐き気を催すような記憶の中身をゆっくりと思い出す。


(陛下は……自分のお父様に売られたんだ……)


 この場で幼い白珠に同調して泣き叫んでしまいたい。だが、今は乱心している時ではない。


(しっかりしろ、私! しっかり……!)


 心を叱咤して顔を上げる。


「申し訳ありません、取り乱してしまって。――続きを教えて下さい。私にしかできないこととは何でしょうか?」

「明香、無理をしなくていい」


 だが、秀峰は静かに首を横に振った。


「そなたの精神状態が安定していなければ、著しく成功率が下がることなのだ。ゆえに心が混乱している今は無理だ。本当は、視てしまった記憶についてきちんと知りたいのではないか?」


 うっと詰まった明香に、高嶺も穏やかな調子で告げる。


「母上が開示を容認している記憶なのだから、話してもいいことだろう。私たちが説明する。それで多少なりとも気持ちが整理できれば、精神の乱れも収束していくはずだ」


 そうすれば自ずと、明香がやるべきことに着手できるようになる。


(つまり、ちゃんと聞いた方がいいってこと……? 陛下……こんな形で知ってしまって申し訳ありません)


 いくら知られてもいいと思っていたとしても、このような形で明香に流れることは白珠も想定していなかったのではないか。心苦しさが込み上げるが、その感情に呑まれてさらに精神を乱しては元も子もない。

 明香は早く頭と心を落ち着け、自分にしかできないという何かをやらなくてはならないのだ。


(ごめんなさい)


 もう一度謝り、意を決して高嶺たちを見る。改めて悪夢の記憶を思い返すと、再び涙が浮かんだ。


「では、教えて下さい。……金髪の男は、あの扇型の神器を持っていました」


 赤い目で淫虐に嗤っていた男は、腰帯に――帝国風に言えばベルトに、見覚えのある扇を差していた。花梨様が持ち出したあの神器と同じものだった。それを所持していたということは――


「あの人は……陛下を襲ったのはノルギアス大公家の方ですか?」

「ああ。先々代の大公ショアーコン・ノルギアスだ」


 高嶺が唇を噛んで頷く。そして、ショアーコンの手引きをしたのが宗基家の先代であることまで含め、全てを話してくれた。


「事件のことを知った先皇陛下と先帝陛下が、持てる力と手段の全てを使って詳細な経緯や事情を調べ上げ、真相を解明されたのだ。母上の名誉を傷付けぬため、表沙汰にはされなかったが」


 説明してくれる声は、怖いほど淡々としたものだった。その裏で煮えくりかえる怒りを、全力で堪えているがゆえだろう。

 大公位にあったショアーコンだが、多人数で行う儀式や最低限の行事以外では真帝族に拝謁していなかった上、天威師の前では巧妙に態度を取り繕っていた。そのため、ルーディを始めとする真帝族たちは、彼の奥に隠された邪悪さを察知するのが遅れてしまった。


「では、あの男妾が起こしたとされる大逆事件の真実は……」


 掠れた声での問いかけに答えたのは、秀峰だった。


「今の記憶の通りだ。母上の身に起こった一件が先代陛下方の知るところとなり、男妾も取り調べを受けた。天威師の前では言い訳もごまかしも通用しないと悟った男妾は、開き直って醜悪な本性を曝け出した。自己の弁護と正当化、そして暴言を吐きながら死んだ」


 全く悪びれもせず、『こんなはずではなかった。もっと金を稼げるはずだったのに。自分も利用されたのだ』という恨み辛みを述べ立てたという。

 その上で、心に深い傷を負った白珠を嘲笑い、『簡単に騙される方が悪いのだ。いっそもっと酷い目に遭えば良かったのに残念だ。白珠たちを我が子と思ったことなど一度もない。ただ金を得るための駒だった』などと叫んだ。

 そして極刑に処されることになった際は、処刑人の持つ剣先に自ら体を飛び込ませ、喉を串刺しにして果てたそうだ。


「……」


 聞いているだけで気分が悪くなってきた明香は、無言で下を向いた。橙日帝もアドルフたちも白珠たちも、片親に恵まれなさすぎではないだろうか。


「だが、ありのままを公開しては母上が晒し者になるため、先皇陛下と先帝陛下は適当な証拠を用意し、表向きの咎となる大逆罪の筋書きを作り上げた。そして男妾を皇家から絶縁し、母上と叔父上叔母上はお祖父様の養子となった」


 この一件により夫を持つことに抵抗を覚えるようになった黒曜は、実兄のルーディを己の正配待遇とし、子どもたちの養父になってもらった。また、黒曜自身もルーディの后待遇かつ橙日帝とアドルフ、クルーセラの養母となっていた。

 こうして、ルーディを父、黒曜を母、橙日帝と白珠、その弟妹たちを子とする家族が出来上がったのだ。

 綺羅が冷淡な口調で言い捨てた。


「ええ、我が父も男妾を父とは思っておられません。姉上をあのような目に遭わせた男など決して許さぬと何度も言っておいでです。叔母上も同様だと」


 綺羅の父は、高嶺たちが言う『叔父上』に該当する者だ。どうやら12歳の白珠の身に起こったことは、近しい身内は皆知っているらしい。


(綺羅様のお父様はサァおばさんのご夫君なんだよね)


 白珠の弟はクルーセラと、妹はアドルフと、それぞれ夫婦となっている。高嶺が漆黒の双眸の中に怒気を含ませながら言葉を継いだ。


「また、主犯であるショアーコンと、仲介した宗基家の先代当主は秘密裏に極刑となった。真相は伏せられているため、表向きは病死や事故死となったが。そして、彼らの長男が各家を継いだ。宗基家側で言えば、現当主の豪栄だ」


 その時点で、跡継ぎであった長男たちは成人していたため、すんなりと継承が成ったのだという。豪栄の薄気味悪い笑顔が浮かび、ただでさえ落ち込んでいた心がさらに重くなった。


「宗基家は彼の他に次世代がおらず、ノルギアス家は長男の従弟がいたが未成年であり、御威も長男より低かった。ゆえに、両家とも順当に第一子が継承した」


(ノルギアス家の従弟って……現大公閣下のライハルトさんだよね、きっと)


 白珠への犯行は、当時の当主たちが身内や家に内密で、個人的に企てたこと。

 宗基家とノルギアス家には、建国時より三千年近くに渡り主家に仕え続け、国を支えてきた実績と功労があること。

 当主たちの罪と極刑になった事実は伏せられ、表面上は不慮の死となっていること。

 それらを鑑み、嫡子の廃嫡や家の取り潰しは行われなかったそうだ。

 もしも真相が公開されていれば、少なくともノルギアス家は地位剥奪に家門断絶の上で近親は誅殺、遠戚も追放などの措置になっていただろう。


「長男たちは、当時は毒にも薬にもならぬ平凡な者たちで、当主として大きな問題は無かった」


 彼らが新たな当主に就いた際は、皇家と帝家により臨時指導や補足教育、正しい伝統の継承などが行われた。あの父親たちに指導されていたことで言動に歪みが出ているようであれば、矯正しなければならないからだ。

 だが幸いなことに、父親たちは己の享楽を優先し、後継の教育は家臣に任せていたため、長男たちは教養面においては父親の影響を受けていなかったそうだ。


(関係者の処分はそうなったんだ。……じゃあ)


 もう一つ、とても大事なことを聞きたい。本当は真っ先に確認しようとしたが、万一自分の予想が外れていればと考えると臆してしまい、後回しにしてしまったことだ。


(暴行を受けられた蒼月皇陛下は――)


 だが、最も重要なその問いを口にする前に、高嶺が呻くように話の続きを口にした。

ありがとうございました。

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