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96.父親であったから

ご覧いただきありがとうございます。

次話で白珠の回想は終わり、現実に帰って来ます。

(あの男は何日か私の元を訪れ、優しく振る舞った。愚かな私はそれを嬉しく思ってしまった)


 最近はめっきり弟妹ばかりを可愛がっていた男が、昔のように自分にも温かく笑いかけてくれるようになったのだ。そのことが純粋に嬉しかった。


(そうして私を油断させたあの男は、ある日こう言った)


『ずっと幼い頃、私は大失敗をして両親に叱られたことがあるんだ』

『どんな失敗だったのですか』

『うん、実はお菓子をつまみ食いしようとしてね――』


 話ながら、男は何気ない風を装って白珠に顔を近付けた。皇宮の中を俯瞰している黒曜を欺くための行動だった。父娘が親子仲良く内緒話をしている微笑ましい状況であれば、黒曜はその内容を逐一警戒して囁きまで盗み聞くことはしない。

 それを分かっていた男は、白珠の耳元で小さく告げた。


『三日後は予定が無いんだろう。都外に綺麗な花畑があるから二人で見に行かないか。陛下は心配性でお前を遠くに出したがらないから、適当な理由を付けて皇宮を出ておくれ。帝家から支給されている護身霊具は外しておくんだ。あれはお前の居場所を陛下に伝えてしまうから。大丈夫、転移霊具があるから短時間で帰ってくればばれないよ』


 成人相当の12歳になったとはいえ、御威に覚醒していない白珠に重要な公務は割り当てられず、急件が入ることもほぼないため、三日後の予定は変わらない。それを見越しての言葉だった。


(その言葉を安易に信じた私は余りにも浅慮だった。もう成人相当の年齢だったのだから、何かおかしいと思うべきであったのに。本当に愚かだった)


 だが、その時の白珠はあっさりと男を信じた。

 何故なら、彼が自分の父親だったからだ。優しい声で名を読んで頭を撫でてくれる、この世でただ一人の自分の父親であったからだ。理論的な根拠や物証が無くとも、その事実は、白珠が男を信じるに足る何よりの理由になった。

 今から思えば、余りにも甘く幼く、そして恵まれた安穏な思考であったが、当時の白珠は実の父を疑うなど考えもしなかった。


(三日後、悪夢の日――私は皇宮の近くにある資料館に行くと言って外に出た)


 供を数名連れていたが、一人でじっくり書物を見たいので16の時になったら閲覧室に迎えに来て欲しいと言って全員遠ざけた。

 資料館が皇宮の近場にある信頼の置ける施設であり、結界霊具などの警護設備も充実していたことから、供たちも納得した。

 まさか白珠が自らの意思で建物を出るとは思わず、側を離れたのだ。


(周囲の者を遠ざけた私は、帝家から送られていた護身霊具を外し、閲覧室に隠した)


 帝家から支給された霊具は、三種類の機能を持つ混合霊具だった。


 一つ目の機能は、身体的な脅威が迫った際に己の周囲に防壁を展開し、体の外側を守るもの。

 二つ目は、精神操作や洗脳の攻撃を受けた際に跳ね返し、心を守るもの。

 三つ目は、持ち主の居場所を示す追跡機能だ。


 一つ目と二つ目の機能のどちらかでも発動した時点で、皇帝たちに警告が飛ぶようになっている。

 本来は霊具を外した際も警告が行くようにするのが望ましいが、沐浴の際や武術の鍛錬時など一時的に外す場合もあることから、そこまでは徹底されていなかった。


(一人になった私は、待ち合わせていたあの男と合流した)


 男と花畑を見に行き、時間までに閲覧室に戻ればそれで終わるはずだったのだ。


(けれど、転移霊具で連れて行かれたのはノルギアス邸だった)


 念のためにと神官府から持たされていた緊急通報用の霊具は、ショアーコンの神器の力で無効化された。


(あの男と引き離された私は、悪趣味に飾り立てられた部屋に連れて行かれ、殴られ衣を破かれた。けれど、その時点ではまだあの男を信じていた)


 自分たちのお忍びの予定を嗅ぎつけたショアーコンの力で、強制的に違う場所に転移させられたのだと思った。父も捕まってしまい、酷い扱いを受けながら耐えているに違いない。そう信じていた。


(先々代大公は私を侮っていた。御威無しの庶子など何もできぬと。その隙をつき、部屋から逃走して父を探した)


 ただのか弱い少女と油断していたショアーコンの顔面に、寝台の枕元にあった香炉を投げつけたのだ。中の灰が目に入った彼が顔を抑えて呻いている間に逃げ出すことができた。

 父と思っていた男の名を呼びながら、おそらく人払いがされていたのであろう無人の廊下を走っていると、数ある扉の一つから探し人が出て来た。


(あの男を見付けた私はすっかり安堵した。……私と同様に捕まっているはずのあの男が、自由に部屋から出てこられる時点で疑わなければならなかったのに)


 男を信じていた白珠は、泣きながら駆け寄って抱き着いた。両腕で自分を包み込んだ彼の懐は今までと同じ暖かさで、これで二人とも助かるのだと思った。


(あの男の腕には、小型の転移霊具が付いたままだった)


 白珠の持っていた通報霊具は無効化されてしまったが、彼の霊具は使用可能を示す光が灯っていた。これで父と一緒に逃げられるという安堵に満たされ、白珠は全幅の信頼を込めて彼を見上げた。


『お父様、お怪我はありませんか? 私は少し殴られましたが平気です。追手が来る前に早く転移で帰りましょう。皇宮に戻ってお母様にお話しするのです』


 男は優しく微笑んだ。


『そうだね、お前のいるべき所に帰ろうな』


 そしてしっかりと白珠を抱いたまま、廊下を歩き始めた。


『お父様? どうなさったのですか、早く転移を……』


 目を血走らせたショアーコンが追い付いてきたのはその時だった。身を強張らせて男にしがみついた白珠に、彼は凶悪な笑みを向けた。


『全く行儀の悪い餓鬼だ。娘の礼儀作法くらいしっかりと躾けたらどうだ』


 父を悪く言われたと思った白珠が怒りを覚えた時、男がやんわりと相好を崩して頭を下げた。


『躾のなっていない娘で申し訳ありません。どうせ忘れさせるとしましても、この際ですからしっかりと体に指導して下さいますと幸いでございます』


 その言葉に、ショアーコンは満足げに肩をそびやかし、『まあ、それもいいだろう』と笑った。


(私は二人が何を言っているのか分からなかった。何故あの男が――父が暴漢と仲良く話しているのか。そこでようやく違和感を感じた)


 衣を破かれ、殴られて腫れ上がった肌の娘が泣きながら駆け込んで来たのに、父であるこの男は何故穏やかに笑っていられたのだろう。

 そう考えた途端、瞬時に嫌な予感が駆け巡り、全身の血が凍ったようになった。だが、その予感を認めたくはなかった。

 彼は自分の大事な父であったから。

 縋るような眼差しで見上げる白珠を抱いて、男はショアーコンと共に廊下を戻って行った。

 連れて行かれたのは先程の部屋だった。信頼していた人の裏切りが信じられず、愕然とした白珠は、部屋が近付いてくると我に返って暴れた。


『嫌です、戻りたくない! あそこには戻りたくない! 助けて、お父様! お父様、お願いやめて下さい!』


 近付いてくる部屋を前に死に物狂いで叫んだが、男の腕は緩まなかった。恐怖で一気に体内の天蜜が減っていき、耐えがたい渇きが襲って来る。部屋に放り込まれると、白珠は男の手で寝台に押さえつけられ、ショアーコンにより鎖や枷で幾重にも拘束された。


『なぜ、何故ですか……お父様』


 懸命に訴えかける白珠をよそに、男とショアーコンは下卑た笑みを浮かべて顔を突き合わせ、話を始めた。


『お手間をかけさせてしまい、申し訳ありません』

『その分楽しませてもらうこととしよう。そら、捕獲を手伝った分のチップだ』

『ああ、これは大変ありがたいお気遣いを』


 今までに見たことが無い醜悪な顔で、ショアーコンから差し出される革袋を受け取っている男が、自分の慕っていた父親なのか。


『では後はごゆるりと』

『ああ』


 男が――父が行ってしまった後、自分は何をされるのか。

 考えるだけで絶望しかない未来を予測した白珠は、涙を流して必死に手を伸ばした。血を吐くような思いで泣き叫ぶ。


『お父様! 行かないで下さい! お願い行かないで! 助けてお父様! 助けて、誰かを呼んで! お父様、お父様、お父様あぁぁぁ!!』


 バタンと、些かの躊躇いもなく扉が閉められる。男の姿はその向こうに消えた。最後まで白珠を一顧だにすることなく、手の中の革袋にうっとりとした視線を注いだままで。


(……置き去りにされた私に、本当の悪夢が始まった。先々代大公はもう手を抜かなかった。部屋を御威で施錠し、特殊な結界で外界と遮断した。その上あの部屋の時間の流れを早くし、室内での30日が実際の世界では10を数えるだけの時間になるようにしたのです)


 無力な小娘だと侮っていた相手に一泡吹かされたことが腹立だしかったのだろう。苛烈なまでの打擲と恫喝を白珠に浴びせてきた。


(私とて皇家に生まれ、厳しい自律教育を受けてきた者。ただ暴行されるだけであれば耐えられた。けれどノルギアスの先々代大公は――あの悪魔は、帝家の命令と天蜜を思う存分活用して私を痛めつけた)


 皇家の者が天蜜を必要とすることは秘されているが、庶子が降ることがある宗基家には伝えられている。ショアーコンも宗基当主からその事実を聞いており、皇家の体質を十二分に利用した。


『お前を俺の宝玉にしてやろう』

『この栄誉を有り難く思え』


 神器で擬似的に帝家の特性を得たため、欲情で興奮したショアーコンの双眸は毒々しい赤色に染まっていた。感情が昂ぶると碧眼が赤くなるのは帝家の証だ。神器で活性化した帝家の血が作用したのだろう。


(未だ天威師として目覚めていなかった私に、抗う術などなかった)


 圧倒的な力をもって、白珠は容赦ない責めを受け続けた。帝家の支配に縛られて涙し、天蜜不足の渇きに苦しめられ、散々にいたぶり尽くされたのだ。真皇族は真帝族以外の支配を撥ね付けられるが、それは天威に覚醒してからの話。まだ覚醒前であった当時の白珠には不可能なことだった。


(それらと並んで最も恐怖だったことは、あの悪辣な幼女愛好者が私をただ弄ぶだけではなく性的な対象として見ていたこと)


 はしたない姿にさせられ、あられもないところを撫で回され、凝視され、嗤われた。必死で制止を懇願したが、皇家に願われると喜びを感じる帝家の性質を手に入れた悪魔にとって、涙ながらの哀訴は何よりの甘露でしかなかった。


『ああ、何と心地の良い』

『いいぞ、もっと囀れ。懇願しろ』

『今後は俺に服従するんだ』


(今でも夢に見る。あのおぞましい声と視線、そして肌をまさぐる手つき――)


 だが、最後の一線を超えた振る舞いを――処女を奪う行為をしようとすると、その度に白珠の体が輝き、その光に弾かれて阻まれていた。


『護りの力を体内に取り込んでいるのか。神器でも破れぬとは……皇家か帝家の力か? ――命ずる。今まで天蜜以外に皇家あるいは帝家由来の何かを摂取したことがあれば答えよ』

『ぅ……帝家から送られてくる紅茶を飲んでいました……』


 命じられれば強制的に正しいことを答えてしまう。悔しさと惨めさで千々に乱れる思いのまま回答を言わされると、ショアーコンは舌打ちした。


『さては、帝家が守護の御威を込めた茶葉を送っていたな。体の内側を護るためか。――くそっ、忌々しい。護身霊具だけではなかったとは』


 あの茶葉にそんな力が込められていたのかと、白珠は驚いた。未だに会ったことがない白珠の対にして婚約者が、丁寧な手紙と共にせっせと送って来てくれる美味しい紅茶。必ず一定期間ごとに飲むようにと添え書きがされているので、それをきちんと守って飲んでいた。

 実に三千年ぶりの全き天威師として名高い婚約者は、かつて物陰から白珠を垣間見た際、この者が自分の対であり天命の伴侶だと確信したという。だが、民に公表はしていないが自分は荒神であるから、その荒々しい気で白珠を怖がらせてしまうかもしれないと案じ、直に(まみ)えることを遠慮している。


 ショアーコンが苛ついた様子を隠しもせずに壁を蹴り付け、しかしすぐに気を取り直したように顔を歪めて嘲笑した。


『だが茶葉ならば一月もすれば効果が切れるだろう。そうだ、遊びながらじっくり待てばいいのだ。護りが切れた暁には、お前に俺の子を産ませてやる。何、年齢など気にするな。神器の力を使えば何歳だろうと子を孕める体にできる。楽しみにしておけ』

ありがとうございました。

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