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95.売られた姫

ご覧いただきありがとうございます。

「一線を越えてしまったか。非常に残念だ」


 万物を惚れ込ませる魅惑の声が、広い殿舎に発された。殿舎の中にある祭壇を破壊し、その内側を覗き込んだまま静止していた人影が、飛び跳ねるように振り向く。


「それだけはならぬと、可能な範囲ではあれど幾度も忠告したのに」


 痛ましげに眼前の男を見遣りながら、白珠は嘆息する。肩に乗る褐色の鳥が、冷淡な双眸で男を睥睨していた。


(これでこの者は戻れなくなってしまった)


「じ……神器は!? さっきまでこの中にあったのに、いきなり飛んで行って……初代の神器はどこへ行ったのです!?」


 目の前の男――宗基豪栄が、目をぎょろつかせながら上ずった声で叫んだ。


「そなたに教える義理があると思うのか? 初代陛下の神器は皇家の所有物。何故皇家の者ではないそなたに教えねばならぬのだ」

「わ、私も遡れば皇家の血を――」

「関係ないな。そなたは臣下たる宗基家に生まれた者。皇家の一員ではない」


 わなわなと拳を握り、豪栄が白珠を睨み付ける。その手に握られた錫杖を眺め、白珠は再び小さな息を吐き出した。


「大体、そなたの手にあるそれも初代陛下の神器であろう。古き世の皇帝が、天上に還られた初代陛下より賜ったとされる神杖だ」


 神千国を築いた初代皇帝緋日皇は、人として死した後は元いた天に還り、日神の一柱である緋日神に戻っている。以降、地上にいる己の末裔の中で日神あるいは陽神の神格を持つ者に、積極的に加護を与えて来た。豪栄が持つ杖型の神器も、歴代皇帝の中で陽神の神格を持つ者が緋日神に祈って下賜されたものだ。


「その後の御世で皇家から宗基家に貸し与えられたのだったな。皇家の子女をいただく忠臣への信頼と感謝を込め、代々の宗基家当主に受け継ぐよう伝えられていたはずだ」


 ノルギアス家と同じく、宗基家も皇家より神器を貸し与えられているのだ。


「たった今、その信と謝意は()()裏切られたが」


 切れ長の澄んだ双眸が、豪栄の魂を見つめた。


(気どころか魂の色が濁っている……やはりあの父にしてこの子ありといったところですか)


 次いでちらと杖に流し目をくれ、白珠は柳眉を寄せた。神々しく清らかな緋色に輝いているはずの神器は、腐食した赤錆(あかさび)のように澱んだ光を放っている。


「杖の気が穢れている。直近の所有者であるそなたとそなたの父が、二代に渡って皇家への敬意と忠義を持たなかったがゆえだ」


 花梨が手にしていた帝家の神器も、かつては同じ理由で澱んでいた。だが、半年前に大公家を継いだライハルトが忠誠心を込め直して浄化したのだ。その直後に開かれた宴で、花梨が綺麗になった神器を持ち出した。


(思い出したくもない。あの性根が腐った父親たちのことなど)


 内心で吐き捨てながら、あくまで優雅に微笑む。


「遷都が終われば祝いの大饗が開かれる。その場合、慣例として神器も披露されることになっていたな」


 皇宮主催の宴の中でもとかく盛大に華々しく行われる饗応では、席上に皇家の神器が並べられる。その関係で、宗基家などに貸し出されている神器は一時返却しなければならないことになっていた。


「万座の中で禍々しい神器を公開しては、そなたは完全に面目が立たなくなる。ゆえに杖の穢れを中和するために、同じ波動でありながら清廉な気を保っているであろう初代の神器を盗み出そうとした」

「……そこまで分かっていながら高みの見物をしていたのか。わしが罪に手を染め、後戻りできなくなるその瞬間まで舌なめずりをして待っていたと?」


 豪栄が地を這うような声で唸った。だが、白珠はその憎悪をあっさりと受け流す。


「私たちとてできるならば事前に止めたかった。だが、皇家と帝家はそなたのことに最低限しか干渉できぬ。そう命じられているのでな――ただ見守るしかなかったのだ」


 干渉禁止には間接的な干渉も含まれるため、配下などの第三者を介して豪栄の心変わりを促したり、思い留まるよう影から策を弄することもできなかった。


「うそを吐け、皇帝に命じられる存在などいるものか! 最高神までが礼を尽くす天威師に誰が命令などできるという!」


 丁寧な口調を取り払い、豪栄が吼えた。もはや表面だけでも皇帝への敬意を取り繕おうという気すらないらしい。容易く本性をさらけ出した狭量な男を前に、白珠は淡々と告げる。


「いいや、いるだろう。真皇族に命じられる存在、天威師であれど無条件でひれ伏さねばならぬ()()()()()が。そなたも皇家の血を引くことを誇りに思うならば、真っ先に思い付いてもいいではないか」

「そのような存在など――」


 言い募りかけた豪栄が目を見開く。愕然とした表情で視線をさ迷わせ、天を見遣った。白珠は彼が正解にたどり着いたことを察し、最低限の動作で首肯した。


「そうだ。我が祖神――至高神様方だ。皇国の宗基家と帝国のノルギアス家の一部の者には、真皇族と真帝族は必要最小限にしか関わってはならず、干渉や手出しは無用。これが至高の神々から賜った勅命である。そなたはその一部の者に該当するのだ」

「どうして……」

「そなたら及びそなたらの父たちが起こした行為ゆえに。親子二代に渡る愚行は祖神様方もご存知でいらっしゃる。かくいう私も、その被害を受けた一人だ」


 蒼白になった豪栄が歯を食いしばって拳を握りしめ、開き直ったように叫ぶ。


「あれは……あれは利用されたことに気づかぬあなたが迂闊だったのだ! はっ、滑稽なことだ。皇国の姫君が己の父親に売られるとはな!」

「――――」


 黄ばんだ歯を剥き出して発された言葉に、汚穢(おわい)の記憶が花開く。そのまま、白珠の意識は忌まわしい過去に飛んだ。



 ◆◆◆



(あの悪夢が降りかかったのは、26年前のことでした)


 皇国の宗基家と帝国のノルギアス家は、両国の創立期から主家に仕えて来た家門だ。かつては忠実かつ誠実な家臣であった二家だが、いつしかその歯車は少しずつ狂って行き、ついに完全に瓦解する出来事が起こった。


(ノルギアス家の先々代当主ショアーコンが、親の死去に伴いその地位に就任した。彼は跡継ぎに伝えられる秘伝として、神器の禁忌の使い道を教えられていた)


 帝家の神器の中でも、至高神から下賜されたものは特別だ。その力で主家の血を引く者の御威を増幅させれば、身の内にうっすらと残る帝家の血が活性化し、擬似的に命令・支配と同じ力を行使できるようになる。加えて、天蜜も作り出せるようになるのだ。

 ただし、その用途で神器を用いることは原則許されておらず、やむを得ない非常時以外は厳禁であった。擬似であっても本来持つ資格がない者が帝家の力を入手することになれば、帝家どころか至高神の怒りをも買いかねないためである。


(先々代大公は野心と欲を秘めた男だった。若い頃に聞かされた神器の禁断の活用方法を、いつか試してみたいと思っていた)


 禁忌の使い方をあえて伝え続けるのは、下手に闇に葬ってしまえば、後の子孫が自力でその活用方法を見つけ出した際に増長し、神器を悪用しかねないからだ。ゆえに禁止だということも含めてきちんと継承してきた。それが仇となったのだ。


(当主を継いだ先々代大公は、さっそく神器を用いて帝家の特性を手に入れた。そして彼と同世代である先代の宗基家当主もまた、強欲な本性を秘めた男だった)


 元々、宗基家とノルギアス家は名門同士として交流があった。ショアーコンと宗基家の先代当主も互いに知己であり、似た者同士で馬が合うのか互いに結託するようになった。


(性根の曲がった者が二人、よりにもよって同じ時代に生まれ、双方ともに当主となったことも悪運だったのでしょう)


 それが悪夢の実現を加速させた。何故ならば、ショアーコンは以前に皇国との合同祭祀で見かけた白珠に惚れ込んでいたからだ。

 当時の白珠は12歳になったばかり。未だ徴を発現させておらず庶子のまま留め置かれていた。少数の例外を除けば徴が出るには遅い年ごろになりつつあったことから、御威無しなのではないかという見方が強まっていた。


(密かに私に懸想していたあの幼女趣味の男は、覚醒を迎えていなかった私を軽んじた)


 御威を持たぬ庶子はとかく肩身が狭く立場が低い。弱い霊威を持つ新米の神官の方がよほど重宝される。ショアーコンと先代の宗基当主は共に聖威師であったため、当時の白珠より遥かに権威も力も強かった。


(私を手に入れたいと持ち掛けられた宗基家の先代は、母上の男妾に近付いた)


 母の男妾――つまり白珠の実父だ。だが、白珠にとっての父は先帝ルーディのみであるため、決して彼を父とは呼ばない。


(金を積まれた男妾は、娘を……私を売った。あの男は金の亡者であったから)


 さ迷う記憶がさらに移ろい、男妾のことに切り替わる。


(私が生まれる前の皇国では、真皇族が先皇たる母上お一人しかいらっしゃらなかった)


 帝家と同様、皇家もまた深刻な後継不足に陥っており、先皇黒曜は一人でも多くの子をもうけなくてはならない状況であった。正配の選定は慎重に行わなければならないが、せめて側室や一夜限りの相手だけでも早く送り込んでしまおうと、臣下たちは焦っていた。


(その状況を好機と見たのが、皇宮に勤める拝金主義者の青年だった)


 その青年は金が好きだった。身内を早くに亡くし、天涯孤独の中で苦労しながら育ってきたことが影響していた。出世も地位も名誉も興味はなく、ただただ金だけを愛していた。


(要領が良く学に優れていた青年は皇宮官吏になり、高給取りを目指して様々に立ち回った)


 そしてその果てに、一夜の寵の制度に目を付けたのだ。


(皇帝の相手を勤めれば多大な恩賞が出ることに目を付け、上級職にいる上司に懇願し、推薦を得て一夜の寵の権利を勝ち取った)


 黒曜にとって、青年が初めての相手だった。


(青年と枕を共にした母上は懐妊され、娘を産んだ。それが私)


 皇家の御子の父になった青年は、その功により正式に男妾として召し上げられた。そして遠慮なくその立場を利用し、多大な俸禄を懐に収めた。


(男妾は大事な金づるである母上と私を細やかに気遣い、常に敬意を払いながら盛り立てた。害意や悪意など無かった。だからあの男の腐った性根は奥に秘められたままだった)


 男妾に昇格した青年は、さらなる御子の誕生を望む家臣の意を汲んだ黒曜に引き続き寵を賜り、立て続けに息子と娘に恵まれた。白珠の弟妹である。


(母上は男妾に不穏なものを感じ取っておられた。けれど犯罪や悪事、不正を働いているわけではなかったため、様子見に留められていた)


 むしろ、男妾は自分に富をもたらしてくれる子どもを非常に大切にしていた。


(当時の私は男妾を……あの男を慕っていた)


 だが、白珠にはどうやら徴は出ないようだという見方が強まると、男は失望した。子が御威に覚醒すれば、男は晴れて側室に格上げとなり、より多くの俸禄を得られるからだ。


(彼は徴が出ない私を見限り、弟妹に目をかけるようになった。……私は寂しかった)


 当時の白珠にとって、あの男は大事な父親だったのだから。自分に見向きもしなくなった父に何とか振り向いてもらおうと、手紙や花を届けるなど細々と働きかけていた。


(宗基家の先代当主があの男に接触してきたのはその頃でした)


 男妾の金好きは有名だった。白珠に魅了されたショアーコンの依頼を受けた宗基家の先代当主は、邸で開いた宴に男妾を招待し、大金を積んで取り引きを持ちかけた。


『白珠にはまだ利用価値がある』

『彼女を気に入ったという貴人がいる』

『黒曜が護る皇宮から白珠を連れ出してくれれば、いくらでも金を払う』


 そう言われた男妾は、うず高く積み上げられた大金貨を前に目の色を変えた。そして、確認するようにこう尋ねた。


『危険はないのか。庶子であっても陛下はあの娘を大切にしている。万一があれば私は男妾の座を追われるどころではすまない』


 宗基家の先代は、もちろん安全だと頷いた。


『やましい思いなどない。事が終われば御子様の記憶は適当に書き換える。貴人は強い御威をお持ちゆえ、御威無しの御子様は抗えぬ』

『私が手を貸したことも含めて記憶を変えてくれるのか』

『そのようにしよう。心配であれば証文を書く。この金は前金として今ここで渡し、成功した暁にはこの三倍を支払おう』


 宗基家当主の印と署名入りの念書をその場で記入して渡され、男妾の俸禄を遥かに上回る金額を提示された男は、ついに頷いたのだった。


ありがとうございました。

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