94.事態急転
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『立派な皇帝になってね。約束だよ!』
ああ、これはあの時の光景だ。
(――と一緒に、綺麗な花が咲いてる野原に行った時の……)
微睡みの中で思い出した温かな記憶に、無意識に笑みがこぼれた時――
全身をざらりとした舌で舐められるような悪寒が走り、明香ははっと目を開いた。
(何? ……私、寝ちゃってた?)
いつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。時計を見ると、ちょうど日付けが変わる寸前の時刻であった。
(今、すごく気持ち悪い感じが――)
直後、ぎぃんと空気が収縮し、体中を締め上げるような圧迫感と威圧感に襲われる。尋常ではない何かが起こっていると、直感で悟る。寝台からはね起き、帳を開け放って外に出ると、すぐ近くに佳良たちがいた。
「何事ですか?」
佳良に話しかけるも、返事がない。
「女官ちょ……」
再び呼びかけようとして、はっとする。佳良はまるで微動だにせぬまま、蝋人形のように立ち尽くしていた。
急いで周囲を見回すと、他の女官たちも同様であった。誰もぴくりとすらしない。
「女官長! 聞こえますか、女官長! 誰か――」
申し訳ないと思いつつ何名かの頬を軽く叩いてみるものの、全く反応がない。
(駄目だ、皆動かない……聞こえてないの? それとも、聞こえてるけど動けないの?)
試しに佳良に念話してみるが、応えはない。
(てことは意識がないってこと? いや、念話もできない状態で思考だけ生きてるってことも……待って、人間以外は? 虫とか動物とか……あ!)
はたと思い付いて庭に走り出る。
一角に設置されている噴水を見ると、とめどなく流れ落ちているはずの水はぴたりと止まり、飛び散る飛沫の滴は玉状となって宙に浮いたまま固まっていた。
空を見上げれば、大きな翼を広げた鳥が滑空中の体勢で停止している。
「……まさか、時間が止まってる……!?」
(どうして――時間停止は第三級禁術なのに)
高位の御威を有していれば使える時間停止の力は、事故直前などの緊急時以外は使用を禁止されている。第二級禁術である死者蘇生ほどではないものの、制限があるのだ。
また、時間を止めた者よりも強い力を持つ者の時は停止しないため、佳良が停まっているということは、彼女以上の聖威師か天威師、あるいは神が関わっているということだ。
(私が動けるんだから高嶺様や陛下も――)
その時、皇宮の一点から光の柱がそそり立った。凄まじいまでの苛烈さをもって輝く緋色の光だ。
(あれは……)
目を見開いてそれを眺める明香は、全身の血が凍り付くような恐怖に襲われた。燃えるような緋色の柱は、初代緋日皇と同じ色でありながら微塵も慈悲を感じられない。
心臓の鼓動がドクドクと跳ね、天威師としての本能が告げた。
(あの光は世界を殺す。ううん、世界どころか――)
万物を照らし出す日の輝きは命を育む生の源だが、過ぎた光は逆に全てを滅ぼす灼熱の死線となる。あらゆるものを焼き尽くすかのような緋い太陽が皇宮に顕現していた。
(一体何が起こってるの!?)
混乱したまま反射的に駆け出しかけ、はたと足を止める。
(落ち着いて。まずは高嶺様と陛下に念話。繋がれば指示を仰ぐ。繋がらなかったら自分で考えて動くしかない……)
胸を抑えて深呼吸してから高嶺に念話しようとした時、ぐらっと体が傾いだ。
「きゃあ!?」
強力な磁場に吸い寄せられるように、全身が引っ張られている。痛いほどの胸の高鳴りがさらに強まった。
(何!?)
必死で足を踏ん張って耐えながらも引きずられそうになる先を見ると、光の柱が目に入った。
(もしかして日神の力が呼応して……あの光に引き寄せられてる?)
ぐにゃりと視界が歪む。強制的に転移させられようとしているのだと察した直後、明香の姿はその場から消えた。
◆◆◆
大きな目眩と耳鳴りと共に宙に投げ出された明香は、咄嗟に中空で体勢を立て直し、回転して衝撃を和らげながら着地した。栄生たちに教わった身のこなしだ。
固い岩肌が皮膚を擦る感触が走る。頭を振って意識を呼び戻しながら立ち上がると、何が起きてもいいように身構える。
(ここ、は……)
連れて来られた場所は、冷えた空気が充満していた。床も壁も剥き出しの岩でできた空間だ。
ここを知っている。つい先ほど見たばかりの――
「皇女殿下」
柔らかく澄んだ声が耳に染み渡る。高嶺と並んで聞きたかった人の声だった。
ばっと振り返ると、岩を削り出して作られた空間に太い鉄格子がはめられた牢があり、その奥に泰斗が丸くなっていた。相変わらず胸の前で両手を握り合わせた体勢のまま、こちらを見ている。
「義兄様!」
そこで明香は、泰斗が手の中に何かを包んでいることに気が付いた。ちらりと緋色の羽根が見える。
(あれは――小鳥? なんか光ってない?)
トクンと胸の奥が鳴った。まるで共鳴を起こしたようだと思いつつ、鉄格子の近くまで駆け寄る。今は鳥よりも大事なことがあった。
「義兄様、外が大変なの! 時間が止まって、すごく怖い光の柱が……」
「存じております」
泰斗が立ち上がり、静かに格子の際まで歩み寄る。そして手の中に包んでいた小鳥をそっと懐に入れると、がたりと格子を開けて外に出た。
――格子を開けて外に出た。
「……」
目の前で起こった光景に、明香は口を半開きにして黙り込む。
(へー、この牢屋って出入り自由なんだ。さすが皇宮、斬新な牢屋〜! ――って、そんなわけないでしょ!)
自分で自分の思考に突っ込みを入れる。そういえばこの牢には、格子はあるものの錠は見当たらない。御威で施錠しているのかと思っていたが、そもそも鍵自体がかかっていなかったようだ。
(もしかして、閉じ込められてたわけじゃなかったの? でも、今はそれより……)
「ねえ、外を何とかしなきゃ。どうすればいいと思う?」
泰斗は答えず、着ていた外套を脱いで明香に羽織らせた。
(……あ)
自分が寝衣姿のままであることを思い出した明香は、慌てて大きな外套をしっかりと着込む。それを見ながら、ようやく泰斗が口を開いた。
「落ち着かれませ。まずは外に出ましょう。ここは地下でございます。恐れながら、真上の地上に出たいと思いながら天威をご使用できますか」
「う、うん」
言われた通り、地上に上昇する感覚で天威を発動させると、次の瞬間には石牢のある空間から外に移動していた。茶色の地面に薄く施された白い雪化粧、周囲に生い茂る緑、花々の色彩。近くには立派な瓦屋根の殿舎が立っている。
そして、それら全てを緋に染め上げる強烈な光。
(ここ……もしかして、あの光の柱の中? やっぱり飛ばされちゃった感じ?)
「お見事でございます。力の扱いが上手くなられましたね」
明香の横に佇む泰斗が言った。移動の対象にはもちろん彼も含めていたため、共に外に出たのだ。
「では、次は念話を。蒼月皇陛下もしくは藍闇太子殿下と通信し、ご判断を仰ぐのです」
「義兄様が直接指示してくれてもいいじゃない」
「私にそのような権限と能力はございません」
こちらを落ち着かせるように、泰斗は静かな口調で答える。だが、明香は首を横に振った。
「ううん、権限も力もあるよね。義兄様は陛下の代理……蒼の使途様なんでしょう」
「――御冗談を」
一拍の後、泰斗は困惑と驚きを混ぜ込んだ顔で返す。
「皇女殿下は混乱されておいででございます。私の装いが彼の者と似通っていたためでしょうか。まずはお気持ちを落ち着かせに……」
「夢で視たの。あの子の記憶を」
明香は途中で話を遮った。大きな漆黒の瞳を真っ直ぐ見返して言葉を継ぐ。
「蒼の使途様の声も聞いた。顔も見た」
――記憶の中で聞いた蒼の使途の声は、泰斗の声と瓜二つだった。
また、頭巾の下から現れた美しい容貌は、15歳の時の泰斗とそっくり同じだった。
(髪の長さだけは違ったけど……)
「……」
泰斗の顔からゆっくりと感情が剥がれ落ち、無表情になっていく。愛らしさを感じさせる普段の面差しを消し去り、精緻な能面のように整えた麗容は、どこか白珠に似通っていた。その双眸に宿る意思の輝きも。
(蒼の使途様については色んな推測がある。高位貴族の隠し子じゃないかとか、一位貴族に連なる奇跡の御子じゃないかとか――実は陛下の形代か、もしくは何かの理由で表に出せない皇家のご落胤じゃないかとか)
あの光景の中で、蒼の使途は虹色に輝く気を放っていた。天威師にのみ許された色だ。形代の話をしてくれた時、自分も神使になりたかったと呟いていたことを思い出す。
(もしかしたら……義兄様は人間じゃなくて、陛下の使役なのかもしれない。分身みたいな……。それか――陛下の隠された御子とか。陛下には実は五人目の御子様がいらっしゃるとしたら)
自分の推測を確認しつつ、さらに続けた。
「それに、私が初めて天の神々を宥めた時、神獣たちが来てくれたの。褐色の大きな鳥と、黄土色の小さな動物だった。……黄土色の子は毛がすごくふわふわで、どこかで同じ感触を知っている気がした」
その既視感の正体は、今日の昼間泰斗と会った時に分かった。だからこそ別れ際、泰斗の頭を撫で回したのだ。
「あの子の毛の感触、義兄様の柔らかい髪と全く同じだった。もしかしてあの子、義兄様だったの? 変化してたのか分身だったのかは分からないけど」
凍り付いたように動かない泰斗の瞳の奥を見透かすように、明香は切り込んだ。
「ねえ、義兄様は蒼の使途様。そして蒼月皇陛下に縁の方。そうじゃない?」
「……」
無言を保っていた泰斗が、今まで見たことがないような鋭い顔付きに変貌した。静かに唇を開きかける。
だが同時に、どぉんと腹に響く音が弾け、二人の周囲で幾つもの金の閃光が炸裂した。眉を寄せて口を閉じた泰斗は、明香と共に辺りに目を走らせる。
すると、爆発した閃光の中から、巨大な金色の怪鳥が翼をはためかせて出現した。その数、実に十羽以上だ。
(な、何この鳥!?)
大鳥の群れを見上げ、明香は息を呑む。
(お、大きいっ……)
一羽一羽が象をも簡単に一呑みにしてしまえそうな巨躯だ。怪鳥たちは剣呑な眼差しで明香たちの周囲を飛び回り、鋭いかぎ爪と嘴を鳴らすと、怒濤のように迫ってくる。
「っ!」
天威で結界を発動させようとした時、焦りを含んだ呼び声が場を駆け抜けた。
「――殿下!」
ありがとうございました。




