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93.思わぬ来訪者

ご覧いただきありがとうございます。

「――もし、もし」


 体が揺さぶられる。その衝撃で、彼方に飛ばされていた意識が引きずり戻された。


「……っ」


 明香がゆるゆると目を開くと、青みがかった黒眼が飛び込んできた。左目の下の泣きぼくろが白い肌に映え、胸元の朱玉が月影に反射している。


(……きたの、みこ様……? どうしてここに?)


 きゅぅっと胸の奥が疼き、心臓が跳ねた。この人に会う時はいつもこうなる。だが、よく考えてみればこの感覚を知っている……と霞みがかった頭で考えた時、それを断ち切るように御子が口を開いた。


「大丈夫ですか? もしや具合が悪いのでは」

「え……」


 思考が上手く働かない。緩慢に辺りを見回すと、うっすらと雪化粧を施された皇女宮の庭が目に入った。椅子に腰掛けたまま意識を飛ばしていたらしい。

 御子が周囲を見回し、訝しげな顔になった。


「お付きの者たちは……」

「一人で休みたかったので、強く命じて人払いをしておりましたの」


 鮮明になり切らない意識の中で、それでも咄嗟に、女官たちが怠慢で目を離したのではないことを明言する。万一にでも彼女たちが処罰を受けることのないようにだ。


「庭に出て夜風に当たっていたのですが、知らぬ間に微睡んでしまったようです」


 本当はうたた寝などという呑気なものではなく、とんでもない光景を次々に視ていたのだが。遠視で視た斎縁邸、泰斗の様子、彼女の記憶、蒼の使徒――様々なことが脳裏を巡る。


「今日は様々なことがあったと聞いております。疲労が溜まっているのかもしれません」


 北の御子がひょいと明香を抱き上げた。ほっそりした体付きには似合わぬ力強さだ。


(ひぇ!?)


「中に戻った方がいい。部屋まで運びましょう」


 明香の私室が庭に面していたこともあり、あっという間に室内へと運び込まれる。奥にある寝室に侵入することはせず、部屋の中の長椅子にそっと降ろされた。


「誰か女官を連れて参ります。もし体調に不安があるようであれば、診察や治癒を得手とする医官兼任の神官も呼んで……」

「いえ、大丈夫です! 本当にうっかり眠り込んでしまっただけですので」


 遷都の儀が7日後に決まったことは既に公表され、皇宮の者たちは各自の役割に従って動き始めている。そのような中、自分のことで手間をかけさせたくはない。

 とはいえ、皇女に万一のことがあれば一大事なのだから、御子の言動はしごく最もだ。内心で焦りつつ、ようやく頭が働き出した明香は今にも女官を呼びに行こうとしている御子の袖を掴んだ。


「自分で女官長に話しますので、お気遣いなく。私付きの女官長は聖威師ですから、並の神官より御威の扱いに長けております。判断力にも優れておりますし、もちろん治癒や回復もお手のものですわ」

「ああ、そうでしたね。確かに、霊威師よりもそちらの方が良さそうだ」


 御子が僅かに表情を緩める。そして、明香の体調を確認するようにさらりと全身に視線を走らせ、頷いた。


「ひとまずは女官長に相談して様子見でいいかもしれません。私が付いていられればいいのですが……もうすぐ蒼月皇陛下が我が北の宮にいらっしゃるとのことで、お迎えの準備をしなくてはならぬのです」

「陛下が? もしかして、し……北の御子殿に会いに来られるのですか?」


 珠歩という名前を呼びかけて留まり、一瞬迷った後に殿という敬称を付けて御子を呼ぶ。真皇族である明香の方が遥かに序列が上だが、一応義兄に当たる人だからだ。


「ええ、親子水入らずで雪見をなさりたいと仰せなのです。ただ、それは私的な御用ですので、皇女が体調不良であればそちらの対応が優先になりますが」

「え? い、いえ、どうかお気遣いはなさらいで下さい。先ほども申しました通り、少しうとうとしてしまっただけなのです。きちんと女官長に話しますし、少しでも体調に違和感が出ればすぐに伝えるようにしますから」

「――そうですか。分かりました、ぜひそうして下さい」


 ようやく納得した御子は、お大事にと言い置いて部屋を出て行った。それを見送り、明香は長椅子の背もたれに寄りかかる。そして何拍か置いた後、冷静さを取り戻して疑問に襲われた。


(――いや、ちょっと待ってよ。結局御子様はどうして私の宮にいらっしゃったの? これから陛下がお越しになるって時に……)


 何らかの用件があって明香の宮を訪れ、庭でぐったりしているのを発見したのだろうか。しかしそうであるならば、皇女宮の門番や女官たちが明香に取り次ぎにくるか、御子を先導して来そうなものだが。

 明香を起こしてくれた御子は一人であり、宮の誰もその訪れを知らないようだった。


(んん? しまった、最初にちゃんと聞いとけばよかった)


 目覚めた時から気にはなっていたものの、寝起きで思考の巡りが悪いまま会話が続いていき、聞かずじまいになってしまった。やってしまったと頭を抱えるが、時すでに遅しだ。


(今からでも念話を飛ばして確認を……でも陛下が来られるから御子様だって忙しいよね。むしろ、念話なんかして来なくていいから早く休みなさいって注意されそうだし)


 ううー、と唸り、しばし考えてから溜め息を吐き出す。


(仕方ない、明日お礼を言いに行って用件も確認しよう)


 小さく頷いて気持ちを切り替えると、念話で佳良を呼んだ。少しふわふわとした心地がするので疲れているかもしれないと伝えたところ、すぐさま診察をされて過労と判断された。


「すぐに安息の効果がある香を寝室に焚きなさい。掛布はもっと柔らかく分厚いものに替えるのです。後は、夜中に軽くつまめるよう消化のいい果物や汁物などを用意しておきなさい」


 迅速に指示を飛ばす佳良に従い、女官たちが動き出す。明香は佳良だけに聞こえるように、庭で眠り込んでしまったところを北の御子が起こしてくれたことも話した。


「御子様がいらっしゃったのでございますか? 私どもは気が付きませんでした」


 少し驚いた様子を見せた佳良だが、明香が抱いた違和感について特段気にした様子はない。


「皇家の方であれば専用の霊具を支給されておいです。その中に転移の霊具もありますので、門を通らずに直接皇女殿下のお部屋にいらしたのかもしれません。皇家の者同士の私的な訪いであればそのようなこともございます」


 とはいえ、女性である明香の居室内にいきなり現れたわけではないだろうとも続けた。


「推測するとしましたら……何らかの御用で殿下の部屋の前に転移されたものの、常であれば入口近くに控えているはずの女官の姿がなく、室内に呼びかけても返答がなかったため中の様子を確認したところ、庭にいる殿下を発見してお声をかけられたのではないでしょうか」


(なるほど……)


 明香の私室からは庭が見えるため、有り得る話であった。佳良は考えをまとめるようにしながら言葉を重ねる。


「本当に重要な要件でしたら書簡などにしたためて別途通知するか、先ほどお話しされていると思われます。何も仰せになられぬままお帰りになったのであれば、喫緊のご用ではなかったのかと」


 念話で確認することもできるが、御子の元に白珠が来ているならば割り込むことは控えたいという。


「殿下のご方針通り、明日確認されるということでよろしいかと思います」

「そうね、分かりました」


 明香が頷くと、佳良は僅かに腑に落ちないという表情を浮かべた。


「ただ、皇女殿下と北の御子様は面識がお有りではないはず。初対面の相手への訪問であれば先触れを出すか、せめて門から入りそうなものですが。……御子様は藍闇太子殿下の兄君。皇女殿下とはご義兄妹になられますから、親密なお気持ちで門を介さずにお越しになったのでしょうか」


 その真っ当な疑問に、どきっと胸が高鳴る。


(いや、まだ誰にも話してないけど、御子様とはもう図書館でお会いしてる。……しかも結構深い話をしたし、御子様も私の家族とか言ったから。あ! それで親しい接点ができたから直接私の宮に来たのかも)


 内心で納得するものの、図書館で会ったことを今ここで話すのは躊躇われた。高嶺の事や御子の心情の少し深いところまでやり取りをしたため、どんな話をしたのかと問われれば返答に窮する。

 どう答えようかと一瞬返事に詰まった時、折よく女官たちが寝室から出て来た。


「寝室の用意が整いました」

「皇女殿下、どうぞお休みを」


 これは好機と見た明香は、佳良から女官たちに視線を切り替える。


「ありがとう。ご苦労様です」


 すると期待通り、佳良の注意もそちらに逸れる。


「皇女殿下、今夜はもうお休み下さいませ。北の御子様のことは明日にいたしましょう」

「ええ、明日ご本人に、ご用件も含めてお聞きするわ」


 これ幸いと話を切り上げた明香は、そそくさと頷いた。それがいいでしょうと賛同した佳良が言う。


「今宵は私どもも不寝番をさせていただきます」


 常であれば寝室の中には入ってこない女官たちだが、今晩は側に控えてくれるようだ。


「分かりました」


 明香は素直に頷き、そっと卓上を見た。薄い袱紗(ふくさ)の中に、高嶺から預かった神布を折り畳んで入れてある。


(新しい保管場所の準備が終わったら、誰かが取りに来てくれる手はずになってるんだよね)


 松庵か恵奈か、あるいは永樹かもしれないが、高嶺が委任した者がやって来るだろう。


(夜には準備できるって言ってたから、きっともうすぐ来る)


 遷都の儀まで後7日なのだから、無理して保管場所を変える必要もないのではないかと思うが、今朝の段階で既に変更準備に着手していたため、そのまま続行されることになったそうだ。


(だけどこの神布が偽物なら――すり替えが行われたことを示す証拠になるよね)


 高嶺が遣わす者に、素直に渡してしまっていいのだろうか。高嶺と共に神布を見ていた松庵は、これが偽物だと気付かなかったのだろうか。もしあの夢が本物なら、恵奈は泰斗と手を組んでいるのだろうか。高嶺付きである永樹は何か知っているのだろうか。

 彼らが神布を引き取りに来た時、自分はどう対応するべきなのか。


(分からない……)


 高嶺のことを信じてはいる。だが――


(……自分でちゃんと聞きたい。この神布を見せて。これは本当に本物ですか、真実が知りたいですって、そう伝えたい)


 ならば、高嶺の使者にこれを渡さない方がいいのだろう。意を決して袱紗を取り、手に持ったまま寝室に入る。


「それでは私は休みます。もしこの後誰かが訪ねてきても、私は疲労ゆえに大事を取って就寝したと伝えて下さい。ここには取り次がないように。もしも粘られたならば、私の意向であると伝えなさい」

「かしこまりました」


 女官たちがピタリと(いら)えを唱和する。これで高嶺が直接訪ねて来ない限りは、皇女の権限で宮に入れることを拒否できる。


(ごめんなさい、高嶺様。でも、きちんと話をしたいんです。この神布のことと、それから…………すごくすごく、()()()()()()()()()()。さっき夢を見た時に思い出したの。絶対忘れない、忘れるはずがないことを私は忘れてたって。そのことも聞きたい。多分、高嶺様は全部知ってらっしゃるんでしょう)


 本当は今すぐにでも高嶺の所に飛んで行きたいのだ。遷都の会議中であることを考えて、どうにか堪えているが。

 内心で嘆息した明香は袱紗を寝室内の小卓に置き、寝台に潜り込んだ。脇に立つ佳良と、一歩下がった場所にいる女官たちが揃って深々と一礼する。


「お休みなさいませ、皇女殿下」


 寝台の四方を覆うように(とばり)が降ろされたので、彼女たちの存在はそれほど気にならない。


(この帳も、きっと義兄様が作ってくれたんだよね。私の宮にあるものは義兄様の作なんだから)


 鳥や花など繊細な柄が透かされた意匠を眺めていると、夢のことについて思考が移って行った。庭で視た色々なものについてぼんやりと考える。


(ああ本当に……私、すっかり忘れてた。こんな大事なこと、何で忘れてたんだろう。……それに義兄様はどうしてあんな所に入れられてたの? 何で牢屋なんかに。ねえ、義兄様。あなたの正体はもしかして――)


 夢で垣間見た奇跡の光景が鮮やかに蘇る。


 自然が奏でる音調の中で流麗に舞う蒼い姿。

 思考も言葉も根こそぎ奪っていくほどに美しく幻想的な光。

 未来にある希望を示すよう巡る輪廻の輪。

 そして、浄化され生まれ変わっていく魂たち。


 訪れないはずの救いをもたらしたあの神業は、ただ思い返すだけで涙があふれそうになる。そして何より、外套の下から現れたあの顔は――


(……大丈夫。それでも私は皆のことを信じてる。全員を信じられる)


 胸の内で呟くと、今まで会った家族の顔が次々に脳裏に浮かぶ。

 高嶺、泰斗、珠歩、テアとミア、ラウとティル、アドルフとクルーセラ、ローアンとソフィーヌ。

 それぞれの思惑があるであろう彼らを、それでも全員まとめて信じる。まだ僅かしか会ったことがない白珠のことも。迷いなくそう思うことができるほどに、彼らから受けた愛情は大きく深く、強く暖かいものだった。


(私はきっと、すごく恵まれてるんだ)


 じわじわと膨れ上がる感慨を呑み込み、明香は寝台の中で思いを馳せ続けた。




 ――そして〝事件〟は幕を開ける。



ありがとうございました。

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